7、妄想の結末
もう何年も水に入る事は無かった。
最後に泳いだのはまだ10代の時、つまり十数年前の話だ。
こんな深い所に落ちて、泳げる筈もない。
溺れる!
と、思い一瞬パニックに陥るが、暫くして気が付く。
これだけ長い間水の中にいるのに、息が切れない。
その事に気付き、水面を見上げると行けない距離では……無い?
キラキラと光る水面に向けて浮上しようとしたその時、後ろから柔らかい感触が俺を包み込む。
背中の心地よい感触に気を取られていると、水面が俺の方に近づいてくる。
違う、先に落ちた栗色の髪の女が、俺が溺れていると勘違いして、いや、実際にさっきまではそうだったんだが、そう考えた女が俺を後ろから抱き抱え浮上してくれたのだ。
そして、ご丁寧に陸地まで運び、横に寝かせ、俺の顔を覗き込む。
「大丈夫?ですか?」
「あぁ、ありがとう、助かった」
落ちた先は大きな地下空間、洞窟になっていて、地下水はエメラルドグリーンに輝き、岩肌は黒光りしていて、とても不思議な感じだ。
外に比べてかなり寒く、女の吐く息が白くなっている。
その白い息が俺の顔を撫でる。
水に濡れた服が張り付き、身体の形が浮き出ている。
しかも、ノーブラなのか?
本来下着があるべきはずのそこに、その形は無く、胸の形が綺麗に浮き出ている。
俺は、神殿で起きた事、その感触を思い出す。
もし、俺が助けて貰った時に瞳を閉じていれば、迷わず人工呼吸をしてくれたのか、その事を悔いると同時に、そうなった時の事を想像し、変な所に熱が集まるのを感じた。
「ジンさーーーーーーーん!何してるっすか、逃げるっすよ!!」
俺が、素晴らしい妄想に走り、現実の世界でも何かが起こりそうになっていたのに、洞窟の奥から走って来たチイユがそれらを全てぶち壊す。
栗色の髪の女を突き飛ばすと、俺の全身を触り、怪我が無いかを確認する。
俺は全力で股間に触れる事だけは拒んだ。
チイユが不満そうな顔でこちらを睨む。
「何してるんですか、早く逃げますよ!」
ローヤと、俺の知らない屈強そうな男が数人、奥からこちらに走って来た。
「どうした、どうした、何から逃げるんだ?」
「これは、チュートリアルスペシャルイベント、“竜の目覚め”っす!」
「本来なら、イベント発生と同時にSNSでパーティーを募集して討伐する、超超超レア討伐クエストなんすけど、こんな人数じゃ一瞬で全滅っす」
「悔しいし、勿体無いっすけど、ここは全力で逃げるっす」
超超超レアイベントだったら、やれば良いじゃねーかと俺が言うと、一同が声を揃えて、“死んだら本当に死ぬんだぞ”と俺を叱責した。
“WORLDEND”そのスマホゲームは、死んでからの復活が出来ない超シビアな作りだったらしい。死んだplayer達は、いつの日か復活が実装される事を待ち望んでいたらしいが、その日は来なかったと言う。
つまり、このゲームの世界が現実になった世界では、死は平等であり、復活なんてチートはどこにも存在しないという事だった。
「竜が出るらしいんだが、お前も一緒に逃げるぞ!」
俺は慌てて立ち上がり、チイユに吹き飛ばされた女の手を取り立ち上がらせる。
「ちょっと、ジンさん、さっきからその女誰なんすか、ちゃんと説明してくれっす」
「チイユ、今はそんな事を言っている場合じゃないんだよ、竜がいつ現れてもおかしくない、まずはここから脱出してからだよ」
ローヤの言葉はもっともだったが、手遅れだった。
ローヤの言葉をかき消すように、エメラルドグリーンの水面が爆発したように吹き飛び、水が降ってくる、その中に空を飛ぶエメラルドグリーンの竜が現れた。
「スキル発動!“強固な強度”」
竜が現れると同時に、チイユがスキルを発動した。
チイユは虹色に乱反射する、透明な壁で竜を囲い、俺達に全力で逃げるように叫んだ。
「この防御は完璧っす、でも一日一回1分しか効力がないっす」
その言葉を聞いても、ローヤが連れて来た屈強な男達は竜を見上げたまま、全く逃げようとしない。
俺が、そいつらに逃げるように促すが、ローヤがそれを遮り、俺の手を引き、置いてでも逃げるべきだと俺の頬を叩いた。
ピリリと電気が流れるのを感じた……こいつのスキルなんだろう。
どうして俺が叩かれるんだ!?
「その人達は逃げる事を諦めたんです、でも僕らは諦めません」
「行きますよ!」
「行かねーよ、俺は、俺が助ける事を諦め無いからな」
「君は何を言って……君が逃げないとチイユも……」
俺を気絶させる為か、ローヤがスキルで俺を殴ろうとしたが、チイユがスキルでそれを防ぐ。
「ジンさんを傷つける事は許さないっす」
「チイユ冷静になるんだ、何としても逃げなければ、全滅だよ」
「……」
チイユは、何も返す言葉が見つからずローヤをただただ睨み付ける事しか出来なかった。
その時、洞窟内に空気が振動する程の轟音が鳴り響き、水面に降臨した飛竜の前に文字が刻まれて行く。
空中に、黒い文字が次々に刻まれて行く。
黒い文字の周囲は白く輝きを放っている。
飛竜は、チイユがスキルを発動するまでも無く、その文字が消えるまでは動かないのだという事を俺達はその時理解した。
“Quest;空の王 飛竜の目覚め”
その文字を見た屈強な男達の瞳からは涙が溢れだし、顔が歪む。
その場で膝を付き、頭を抱える。
ローヤも例外では無く、両膝を地面に付けて、笑っている。
後で知る事になるこのクエストは、神話級のイベントで、最強TOP級のplayerが厳選され挑む事を許されたモノだった。
TOPクラスのplayerのチイユとローヤも遂にスマホゲームの中では、イベントと遭遇する事さえも出来なかった超超超レアの中でも、異質のイベントだという事だった。
逃げる事の出来ない、絶望が始まろうとしている。
空中に刻まれた文字がゆっくりと崩壊して行く。




