32、後悔と痛みの代償
景色が黒ずむ。
全てが制止する。
圧倒的な恐怖を纏い、頭の中に声が響く。
『ジン様よ、お前はやはり阿呆よのう』
『妾の言う事が、少しの刻も守れないとは、呆れるばかりじゃ』
腹に描かれた魔方陣が黒く光る。
正確には、光を吸収し、黒く映える。
声の主が、魔方陣より出でる。
『久しいのう、久しいのう、出来れば妾もこんな再会はしたくはないんじゃがのう、お前は阿呆よのう』
声の主は、俺の頬に手を添え、ゆっくりと閉じる事が許されない眼球をしっとりと舐める。
臓物を引っ張り出されたらきっとこんな痛みなんだろうと思える程に頭は冴えてるが、それほどの痛みが身体を貫く。
慌てて視線を下に落としたいが、身体は刻の硬直と共に動かす事が出来ない。声を、息を発する事が出来ない。
『この左目は妾のモノだと申したろうが』
『それでものう、ジン様よ、妾はお前の事を好いとるんじゃ』
『そこでじゃ、選ばせてやろう』
俺の考え、状況など鑑みる事無く、声の主は一方的に話を進める。
左の眼球を取り出されて、空いた穴に溶岩を流し込まれていると錯覚する程の痛みが、熱が、苦しみが押し寄せる。
助けてくれ…… そう思慮を巡らせた事を、直と声の主の問いかけに後悔する事になる。
『制約にのっとり、代償を払って貰うぞ?』
俺の眼球から舌を剥がしゆっくりと背を向け歩を進める。
『せめて代償は選ばせてやろう』
公園に居る人々に手を添える。
手を添えるというよりは、一人一人を愛でるように撫で回す。
『妾のモノに触れた女の命であれば、一人で許してやろう』
『ここに居る男達の命であれば、3人の命を貰おう』
『ここに居る女達であれば、その女を除きたいというのであれば、5人は貰うぞ』
『妾も希望の神の端くれ、子供に手をかけるのは不本意じゃが、お前が選択するのであれば、子供であればどれか一つの命で許してやろう』
『さぁ、ジン様よ、どれを選ぶんじゃ?』
景色の黒ずみはより一層酷くなる。
それと同時に景色は歪み、ひび割れる。
『なぁ、ジン様よ、お前が早く選ばなければ、妾の影響が及ぶ範囲全ての命を連れて行くぞ?』
そんな事を急に言われても、息が出来ない程にさっきから苦しくて、声も出せない。
何も出来ない、こんな状況でどうしたら良いんだ。
『そうか、そうか、ジン様よ、そんなに苦しいか?』
声の主は嬉しそうに俺の心の声に反応して再び左の眼球を嘗め回す。
『すまないのう、でも理解して欲しかったんじゃ』
声の主がそう言うと、俺は一気に苦しみ、痛みから解放された。
それと引き換えに、全ての気持ちが良いという想像を絶する快感が全身を突き抜ける。
『答えはまだ出ぬか?』
『男の命を奪えば、妻が生活苦から身体を売るかも知れぬのう』
『しかしじゃ、女は強いぞ? 何に代えても我が子を必死に育てるものぞ』
『女の命を奪えば、男は簡単に壊れるので無いか? そう、ジン様よお前のようにな』
『子供の命を奪うなど、不粋な事はやってくれるなよ? 子供は希望ぞ』
『はて? さて? この女一人の命で済むのであれば安いものでは無いか? 何を悩む必要がある? 早く決めてくれないか?』
声の主が、マリーナを優しく包容して、早くこの女を選べと言わんとしている。
「イヤだね!」
一言、たった一言発しただけだが、それが声の主の逆鱗に触れたのか、俺を今までとは比べモノにならない程の激痛が走る。
無限にも思える刻を、ありとあらゆる拷問を受ける程の苦しみが襲う。
時間の感覚が全くなくなる。
全身を痛みが支配し、苦しみが襲い、早く楽になりたくないかと言われているようだ。
正直逃げ出したい、諦めたい、自分以外の全ての命を差し出しても助けて欲しい。
『そろそろ考えを改めたか?』
声の主はそう良いながらも、俺を苦しめる手を一向に休める気配を見せない。
「ぜ、絶対にイヤだね! 俺は誰も選択しない、それで世界が滅ぶと言われても、それは俺が選択した事にはならない、理解できるか?」
俺は絶望する程の苦しみの中、口許だけでも笑ってやった。
それが最後の足掻きだ。
俺は、俺が選択した事で、いつも絶望して来た。
後悔して来た。
それでも、誰かに縛られる位だったら、死んだ方がましだと、常に自分の選択を、間違っていたとしても貫いて来た。
起きた事実に後悔しても、選択した事に後悔は無い。
「俺を殺したければ、殺せば良い、俺が悪い、俺が阿呆なのは理解出来た、この苦しみが永遠に続くならそれでも良い」
それでも良い、そう言った瞬間に首を胴体から切り離された。
転がる首で、自身の身体を眺める。
震える程の痛み、苦しみが襲う。
もはや声を出す事は叶わない。
俺の声は聞こえるか?
これで良い。
これで。
良いんだ。
俺は、全ての痛みと苦しみを受け入れ目を閉じる。
『ジン様よ、お前はやはり阿呆よのう』
『妾がどれだけの刻を、お前を苦しめたか分かるか?』
『ほんの僅かの刻とも言えるが、永遠にも感じられるじゃろう』
『正直ここまでやれば、妾にすがると思ったんじゃがのう、残念で無念で、そんなお前が愛しくて堪らない』
『これは、代償じゃ』
声の主がそう言うと、俺は強制的に瞳を開けられる。
目の前で一人ずつ、男、女、子供が殺されて行く。
四肢をもがれ、臓物を引き出され、引き出した臓物で違う者の首を絞め、指を折り、首を折り、髪を抜き、眼を潰し、潰した穴から指を入れ脳髄を掻き出し、舌を抜き、痛みと苦しみに歪む者達の最期の表情を俺に見せつけ、それと同時に俺の身体に同じ痛みが、苦しみが残る。
もぅ…… 止めてくれ…… 頼む、俺が悪かったから、お願いだから、もぅ…… 止めてくれ。
『フフフフフ、ははははは、あはははは』
『ジン様よ、その止めてくれは、心底皆を心配しておるのう、関係の無い人々なのにのう、お前は自分の痛みを、苦しみを一切拒絶しなかったのう』
『もぅ良いぞ、妾が悪かった、試すような事をしてのう』
『初めから分かってはいたんじゃが、お前があまりにも阿呆だったからのう、少しだけ痛みで分からせたかったんじゃ』
声の主の声色が優しくなる。
それと同時に、黒く塗りたくった景色は、もとの優しい色を取り戻す。




