ナツメのおじや
ワタシは英語の臨時講師として、このガッコウに赴任したスコットという者である。そもそも職場というのは外国(もちろんワタシからみれば母国なのだが)でも日本でも同じで、そこで働く者同士の人間関係にずいぶんと悩まされるものである。このガッコウにも気の合う先生と気の合わない先生とがいる。その中でも、このガッコウで一番仲がいいのが、ワタシにニホンゴやカンジを教えてくれる国語担当の福田先生である。
ある日、福田先生が職員室に戻ってきて、突然大きな声で、
「誰か、ここにあったナツメを知らないか」と言った。あわてた様子が、行方不明になった生徒をさがしているものだと思ったので、ワタシは机の引き出しをサッと開けて、受け持ちのクラス全員分の名簿を取り出した。新任な上、あまりニホンゴをうまく話したりカンジを読んだりできないワタシのために生徒の名前にはローマ字で読み方が書いてある。ワタシは福田先生の言うナツメという生徒を必死でさがした。ところがナカムラの次はニシダという生徒で、どこを見てもナツメという生徒は見当たらなかった。
机の上の本棚やら緑のシートの下、引き出しなどを必死でさがしている福田先生に、ナツメという生徒はいない、と伝えると、彼はがっかりしたように、まゆをひそめて、ナツメというのは、生徒の名前ではなく、明治時代に活躍した日本の小説家、ナツメソウセキ(夏目漱石)のことだ、と困りはてた顔をした。あまりにも有名な小説家なのでガイコクジンのワタシでも知ってはいたが、まさかファミリーネームで言われると、誰だって人の名前だと思うだろう。
それから(いや、ここで言うのはナツメの小説『それから』ではなくて、その後って意味)も福田先生は有名な小説家のことをツレのように、ダザイだ、アクタガワだ、カワバタだ、と、なれなれしく呼び捨てにするのだった。
なかでも福田先生が一番好きだったのは、ナツメ(ワタシまで呼び捨てにしてしまうようになった)だ。彼がナツメにあこがれていたのは、普段から使う言葉でわかった。例えば、彼はワタシのことを「西洋人」と呼び、チョークのことを「白墨」と言った。
次の日の朝、いつものように授業の準備に追われていると、福田先生が一冊の小説本を渡してきた。タイトルを見ると『坊っちゃん』と書かれてあり、パラパラとめくってみると西洋人のワタシや子供にも読みやすいようにカンジの横に平仮名があった。少しづつ、辞書を引きながら読むのがワタシの夜の楽しみになった。
一つ一つの言葉が今の人たちが使っている言葉とちがうのでわかりにくいところもあったが、どうやらこの小説には、親からもらったピストルを無くしてしまって損をした、というようなことが書いてあって、小学校の頃には二階から飛び降りて一週間、飯を抜いたこともあったそうだ。そしてこの小説の中に出て来る「おじや」という食べ物をはじめて知った。「雑炊」のことらしいが食べたことがないので興味があった。
読み始めて三日目の朝、いつものように福田先生がワタシより後に出勤してきた。今、どこまで読み進めたかを聞くので、ちょうど雑炊が出てきたところだと答えた。彼がはずかしそうに、そんな場面は書いてあったのか、自分には覚えがない、と頭をかいた。
「すまないが、今まで読んだところのあらすじを聞かせてくれないか、と福田先生が言うので「親からもらったピストルを無くしてしまった」と真顔で答えると、「そんなの書いてあったか?」と聞いてきた。「親ゆずりの無鉄砲」です。「親がゆずってくれたピストルが無くなった」とカンジで書いてある、と言うと、彼はゲラゲラ笑って、続きを聞かせてくれという。
「二階から飛び降りて一週間、飯を抜かしました。お腹がへったでしょうね」とワタシがいうと「二階から飛び降りたのは合ってますが、飯を抜かした、というのはどこに書いてあったのですか?」とふしぎそうに小説本を開いて、どこだ? とさがし始めた。ワタシが「ここです。ひらがなで読み方が書いてますよ」というとお腹をおさえて笑いながら「これはメシではなくて、コシ(腰)ですよ」と、また笑い転げた。
ワタシが小説の中に出て来る、雑炊という食べ物に興味がある、というと、「でも、さすがにこの小説には雑炊は出てこないですよ」と今度は真剣な顔つきで言った。ワタシも真剣に「出てきますよ。ここに書いてます」と「おやじ」という文字を指さした。福田先生は笑いが止まらずに「『おやじ』を『おじや』とカンチガイしたのですか?」と何度も手をたたいて笑った。
それから(だから、ナツメの『それから』じゃないって)、福田先生はワタシのあだ名を「おじや先生」とつけて呼んだ。
授業が終わってホッと一息ついた。肩を叩くので振り返ると福田先生だった。にこっと笑って「おじや先生、どうだ、うちへ来ないか」とどうやら自宅にまねいてくれるようだ。二つ返事をして次の日の授業で必要な教材と赤ペンと白墨をカバンにつめこんでいっしょに職員室を出た。
その夜、福田先生のおくさんがごちそうしてくれたのがナベヤキうどんだった。ナツメの小説を読み始めてワタシが一度口にしてみたいと、いつもから福田先生に話していたのでどうやらおくさんが気をきかせてくれたようだ。見たこともない土星のような色をした土鍋と呼ばれるナベをコンロの上において、ダシと酒とサトウとみりんとしょうゆを順に入れていく。しばらく煮立たせると、トリのもも肉と、ナツメに出て来る人参、あとはしめじを土鍋に入れた。野菜に火が通ったところで、主役のうどんを入れ、火の通りやすい長ねぎとほうれん草を入れて、うどんが食べごろになるのを待つ。福田家ではここに卵を落とす。おくさんが「もうそろそろ」と言った。
ワタシはハシを使ってうどんをすくうのだが、つるつるスベってうまくつかめない。福田先生が笑いながら、おくさんにわりばしを持って来るように言った。
わりばしをもらうと、うまくつかむことが出来た。ひとくちひとくちかみ切るように食べていると、福田先生が「こうするんだ」とうまくうどんを口に吸い込むように入れる。マネしようと思ったがワタシにはそれが出来なかった。どうやらススるという口の動きらしいが、西洋人にはこれがとっても難しく、ナンギした。むしろ出来なかった。何度も何度もやってはみるが出来ない。福田先生が「ストローで吸うようにやってみてはどうかな」というので何度も挑戦してみたがやはりうまくいかない。日本人というのはハシは器用に使うし、ススるのも得意だ。本来音を立てて食事をするのはワタシの国ではあまり行儀のいいことではないが、どうやらこのススるという食べ方を見ていると実に美味そうだ。口を尖らせて赤ちゃんが乳を吸うようにすぼめて。だがこれがうまくいかない。どうも二、三センチ吸い込んだところで息が苦しくなるのだ。何度もトライし、ナベの具が全部なくなって、最後の一杯になったときにようやくススることが出来た。福田先生は「おじや先生、出来たじゃないですか」と微笑んだ。それを見ていた奥さんも手を叩き、ワタシも顔が歪んだ。奥さんがご飯を持って来ると、福田先生が「いよいよだ」と真顔で呟いた。何がいよいよなのか、さっぱりわからずきいてみると「いいから、いいから」と言って福田先生が奥さんに「卵もいるだろう」と言った。奥さんはナベに残ったダシの中にボウルに入ったご飯をぶっこんだ。
そうして卵を落として蓋をした。ぐつぐつ、ぷつぷつという音がした。ちょうどいい頃合いにフタをあけると湯気が目の前に立ちこめた。「おじや、これが本物の『おじや』だ」と福田先生がナベを指さしほほえんだ。これが「おじや」か。ワタシは辞書にのっていた「おじや」というものをはじめてまのあたりにした。リゾットのようにも見えたが、これを日本では「おじや」もしくは「雑炊」と呼ぶ。「雑炊」とは文字通り雑多(ざった=いろんな)な食材と一緒に炊いたものだ。おくさんがお玉でいい具合に卵とからまったおじやをすくって取り皿に入れてくれた。
続いて、福田先生に「雑炊のとなりに書いてあった雑煮というのにも興味があります」と言うと「正月になったらお呼びしましょう」と土鍋の周りにへばりついた雑炊をお玉でこそぎとった。
<了>