第91話 『希望』
パイの攻撃力はパンダの予想を超えていた。
パイが右腕を振り抜くと、魔力の鎧が傍にあった廊下の壁を突き抜け、紙を引き裂くように廊下を突き破って横一文字に振り払われた。
身をかがめて回避するパンダ。その頭上を魔力の鎧が通り過ぎていき、その衝撃だけでパンダの矮躯が吹き飛ばされそうになるほどだった。
パイが跳躍。パンダに飛び掛かる。
急いでバックステップで回避するが、上空から振り落とされた魔力の鎧がパンダを狙い撃つ。
ほとんど壁に激突するような勢いで更に横に回避。すぐ横に振り下ろされた魔力の鎧が床に大穴を開け、廊下が崩落する。
瓦礫に巻き込まれながら落下するパンダとパイ。
その混乱に乗じてパンダが走り出す。パイに背を向けて一目散に廊下を走り逃走。それを見たパイが、周囲の瓦礫を蹴散らして追いかける。
『彼女を倒す算段でもあるのかね?』
愉快そうなハンスの声。パンダとパイの戦いを余興でも見るかのように楽しんでいるようだ。
『彼女の身体は強固な魔力の鎧によって覆われている。君のその貧弱な武器ではとても太刀打ちできん』
「あなたは後で殺してあげるから黙ってなさい」
『そう言うな。これでも君の身を案じているのだ。悪いことは言わない、逃げたまえ。もう彼女が救いようがないことはわかっただろう。たとえこの塔を停止させようとも、魂に固着した魔族の魂は切除できん。彼女が元に戻ることはない』
「――いいえ、まだよ」
背後から追ってくるパイの気配を感じながら、パンダは力強く断言した。
「まだパイの魂と冥府の魂は完全に融合していない。パイの魂の上に、冥府の魂が粘土みたいに張り付いてるだけよ。それを切除すれば、パイは元に戻せる」
『フハハハハ! 面白いことを言うお嬢さんだ。君には『彼女の魂が見えている』とでも言うのかね?』
「ええそうよ」
パンダの青の魔眼は魔力を見通す力を秘めている。
その力はパイの内部に隠された魂の情報をも暴き出せる。
とはいえその力も限度がある。広義な用途として魂の情報も見ることはできるが、それはこの魔眼の本質ではない。
あくまで魂が肉体に与える影響としての、肉体から発生する魔力の波長を読み取り、それをパンダが分析しているに過ぎない。
その魔力の波長からは、確かに夥しいほどの魔の気配が充溢している。
既にパイの魂に取り込まれており、その肉体にまで影響を及ぼしていると言えるだろう。
――だが、その中にあって尚、『パイ固有の』魂の波長は存在していた。
今日初めて会った少女ではあったが、その魔力の波長はよく覚えている。もし魂が完全に魔族のものと融合していれば、ある意味で波長は安定する。
だがパンダが感じ取った波長は、一つに見えて実際には複数。魔の魂の波長に隠れて、『パイ固有の波長』が確かに残っている。
これはパイの魂がまだ完全には魔族の魂と融合していない証拠だ。
不確かな根拠ではあるが、パンダはそれに縋った。
まだ手遅れではない。パイにはまだ救命の望みがある。
……だがそれだけではまだ足りない。
パイの魂に付着した魔族の魂が見えていようとも、それを物理的に切除する手段がない。
「……まったく、酷い綱渡りね」
多くを運に任せることになった今回の作戦は、初手の采配からしてこの後の展開を大きく左右する選択から始まっていた。
――今、この場にホークはいない。
彼女の魔断があれば、あの魔力の鎧もずっと対処しやすかっただろう。
だがそれではパイを救出することが不可能になる。
……いや、なる『かもしれない』。何がどう転ぶかはもうパンダにも予測がつかない。
全ての鍵を握るのは、この塔にあるとされる一つのアイテム。
その真価を見定めて初めて、パンダはこの戦いに真っ向から立ち向かえる。
「そのためにはまず……」
視線を背後に向ける。
確認するまでもなくパイがそこにいた。
パイの足というよりは、そこにまとわりついている魔力の鎧が床を蹴っているような走り方。その運動性能はパンダを遥かに凌駕している。
最初に開けた距離がものの数十秒で詰まった。
もう手の届く距離。魔力の鎧が振り下ろされる。
床を転がって間一髪回避。そのまま速度を殺すことなく曲がり角へ飛び込んだ。
廊下の先に扉が見える。塔の構造を知らないパンダだが、入手した情報を信じて飛び込んだ。
そこは非常用の螺旋階段だった。一階から最上階までを繋いでいるらしい。
そこで一旦待つ。背後からパイが凄まじい勢いで突進してくる。
「オッケー……ほーらおいでおいで」
パンダの手招きに応えるようにパイがパンダに接近。
「――よいしょっ!」
タイミングを見計らい、パンダは手すりを飛び越えて螺旋階段の中央に飛び込んだ。
一瞬の浮遊感。だがそれと同時にパイがパンダに向けて飛び掛かり――彼女もまた足を踏み外した。
暴走しているパイには階段すら見えていなかったのかもしれない。手すりの外へ飛び出したパンダを追って、彼女も階段から転落する。
パイの咆哮。空を掴むように振るわれた魔力の鎧が、近くにいたパンダを打ち据える。
「ぐっ……!」
不安定な空中で咄嗟に繰り出されたとは思えない威力。咄嗟に直剣で防御を試みるが全く役に立たなかった。
パンダの剣は一撃で粉砕され、パンダの身体を吹き飛ばした。
それでもなんとか魔力の鎧の軌道を逸らすことに成功し、身体への直撃は避けたパンダ。
浮遊感に支配された状態で、パンダは上空に右手を伸ばした。
すると、ゴシックドレスの裾から一本のワイヤーが飛び出した。そのワイヤーは螺旋階段上部の手すりに巻き付き、パンダの落下を押しとどめた。
「なるほど、これは確かに便利だわ」
このワイヤーは貰い物だが、使ってみると色々と汎用性がありそうで気に入った。
以前まではこういう小道具には頼ったことがなかったが、これを機に装備を一考してみるのもいいかもしれない。
パンダが呑気にそんなことを考えている内に、パイは螺旋階段を転げ落ちていった。
魔力の鎧に守護されているパイは無傷だろうが、この階段を上ってくるまでにはそれなりに時間がかかるだろう。
逆にパンダはワイヤーを巻き取り一気に螺旋階段を上昇する。
空中から脱出し階段に戻ると、目の前に扉があった。情報が確かなら、この階のはずだ。
扉を開けると、確かに先程までいた廊下とは雰囲気が違っていた。
あそこは住居スペースのようだったが、この階こそはまさにこの塔のメインとなる場所だ。
今すぐにでもパイが階段を駆け上ってきているかもしれないので、パンダは大急ぎで廊下を進む。
やがて一つの扉に辿り着いた。
勢いよくその扉を開けると――そこが正解だと確信した。
大きなスペースが広がっており、中央の床には巨大な魔法陣が描かれている。
パンダの魔眼でさっと情報を読み取ってみても、ここが実験場で間違いないようだった。
周囲には無数の死体。パイが殺害したのだろう。力任せに叩き潰されたような無残な死体がいくつも転がっていた。
『――驚いたな。まさか本当に彼女を捲いたのかね?』
ハンスの声は変わらず施設内に設置された拡声用の魔石から聞こえてきたが、今度はそれとは別に彼の視線そのものも感じた。
視線を上にあげると、実験場の壁にガラス張りになっている個所があり、その向こうに立っている一人の男と目が合った。
彼こそがこの研究施設の所長、ハンス・クルーリー。であればあの部屋が管制室だろう。
『それにしても、本当に少女じゃないか。末恐ろしいな。ヴェノム盗賊団の刺客をやり過ごしたばかりかこの塔の場所まで突き止め、ついにはこの実験場にまで辿り着くとは』
感心した様子のハンス。
しかし今のパンダには彼のことなど気にしている暇はなかった。
「――――」
実験場を見回し……そして、見つけた。
「……あった……」
呆然と呟きながら、パンダは『それ』に歩み寄った。
巨大な魔法陣の一角。そこに一つの武器が設置されていた。
「……ちょっと――ホントにあるじゃないの!」
イヤッホーとばかりにはしゃぐパンダ。
この魔術式を制御するためにヴェノム盗賊団が強奪した魔導具。
「――オリヴィアの鎌……まさかこんな場所で目にするなんて」
――デスサイズ。
魂を刈り取る鎌として名を馳せる、強力な魔導具だ。
この大鎌は武器としても十分強力だが、このランクの魔導具になれば使用者の魂を消費して一時的に能力をブーストさせることができるものがある。
ムラマサの刀『夜喰』もそうだし、ベアのガントレットもそうだ。
自らの魂を操る種である魔人は、そういう魔導具を昔から好んで使ってきた。
そんな中にあって尚、この鎌は異質な性能を持つ。
この鎌は、魂に『物理的な接触』ができるのだ。
そして枝から果実を落とすように魂を刈り取る。それがこの武器の特異な点であり、その名を広めた要因だ。
「……本物だわ。これは間違いなくオリヴィアのデスサイズね……」
デスサイズシリーズはその有名さから他にもいくつか模造品が存在する。
中には劣悪な紛い物もあるが……このデスサイズは正真正銘、本物だ。
「――いける。いけるわ。これがあれば……」
この鎌の特性を利用すれば最後のピースが揃う。
「――パイに吸収された魔族の魂を……切除できる!」
まだ『希望』は消えていないとパンダは確信した。
『ほう、その魔導具のことを知っているのかね』
「ええ、知り合いの持ち物でね。こんなところに流れ着いてるなんて」
『それは先日バラディア騎士団が『毒沼の魔女』討伐作戦の際に奪取したものを、ヴェノム盗賊団が奪ったのだ』
「あはは。あの子、大切な鎌を取られちゃったのね。さぞ怒り狂ってるでしょうね」
楽しそうに笑うパンダとは裏腹に、ハンスは腑に落ちない表情を浮かべた。
『……『毒沼の魔女』と知り合いなのか? いや、それより……君は何故ここにデスサイズがあると知っていたんだ?』
「悪いけど、あなたとお喋りしてる暇はないの。早くしないとパイと魔族の魂が融合しちゃうわ」
『ふ――』
パンダの狙いが読め、ハンスは鼻を鳴らした。
なるほどあのデスサイズは強力な武器だ。あの魔力の鎧にも対抗できるだろう。
パンダの非力な体躯でそもそも扱えるのか……扱えたとしてあの魔力の鎧とまともに打ち合えるのか。それらの問題点は目を瞑ってもいい。
もしうまくいけば、パイの魂から魔族の魂だけを分離させることも、理論上は不可能ではない。
だがそれでも、パンダの願いが叶うことはない。その皮肉にハンスは憐れみを込めた眼差しでパンダと見遣った。
『残念だが、君はその魔導具に触れることすらできない。そのデスサイズは冥府から呼び寄せた魂を取り込み、ろ過するための装置だ。分かるかね? 今、その魔道具には限界まで魔族の魂が充填されている。そんなものに触れればたちまち君の魂が汚染され――』
ハンスの言葉を意にも介さず、パンダはあっさりとデスサイズを握りしめた。
途端、がくん、とパンダの身体が跳ねる。激しい電撃に晒されたかのように小刻みに痙攣し、パンダの双眸が見開かれる。
スノウビィが書き換えた異常な出力値のせいで、デスサイズのキャパシティをオーバーするほどの大量の魔族の魂が、一気にパンダの内部に雪崩れ込んだ。
『愚かな娘だ。残念だよ、まさか日に二度も魔獣化した者を見ることになるとは』
そんなハンスの嘲笑も、もはやパンダには聞こえていなかった。
――体内を駆け巡る形のない魂の濁流。
彼らは明確な意思を以てパンダの精神を内部から食い荒らす。
デスサイズに充填されていた魔族の魂は、パイやラトリアに供給された量とは比較にならないほど微量ではあったが、それでもその負荷は二人と全く同質のものだった。
自分の中に自分以外の誰かの声が響く。
殺戮を求める声。破壊を求める声。
彼らはパンダの魂を支配しようとパンダの体内を駆け巡り、怨嗟の大絶叫を轟かせる。
――そうして、彼らはパンダの魂へとたどり着いた。
同じく魔族のものであるパンダの魂は彼らにとって最も馴染みやすい。
彼らにはこれ以上ない最上級の獲物だ。
我先にと、無数の魂がパンダの魂に食らいついた。
牙を突き立て、爪を食い込ませ、一心不乱にパンダの魂にかぶりつく。
……その瞬間、彼らは強烈な違和感に見舞われた。
何かが違う。
この魂は、他のものとは何かが決定的に違う。
ふと、彼らは自らの牙を突き立てている魂が何なのかを確認しようとした。
すると……彼らはその魂と目が合った。
『それ単体が意思を持っている魂』が、彼らをじろりと見下ろしていた。
――そのとき、彼らは理解した。
これはこの少女の魂ではない。もっと別の……何かだ。
初めから、彼らがパンダの魂を支配することなどできるはずがなかったのだ。
何故なら既に、パンダの中には別の何かが居座って――
――食べていいわよ、オニキス。
直後、パンダの身体から眩い紫電が迸った。
『なに!?』
ハンスが狼狽する声。
パンダから迸る紫電……あれはまさしく、デスサイズからパンダに流れ込んだ冥府の魂の奔流だ。
それらはパンダの魂をズタズタに引き裂いた後に霧散するはずだった。
しかし目の前で起こっているのはそういう反応ではない。むしろ、真逆のことが起こっている。
パンダは冥府の魂を完全に取り込んだのだ。そしてその魂を、デスサイズが吸収している。
つまりデスサイズはこの実験の装置としてではなく、本来の機能……使用者の魂を糧に力を増すという能力を正確に稼働させているということ。
――今この瞬間、パンダがデスサイズの所有者となったのだ。
パンダから迸る紫電はやがてデスサイズを覆っていく。それこそがまさに、パンダの魂を取り込んだデスサイズが本来の力を取り戻した証。
ぶん、とパンダがデスサイズを振る。
それだけでデスサイズが唸るように紫電を奔らせ、その軌跡が永く宙に刻まれた。
続けてデスサイズを軽やかに振り回すパンダ。
デスサイズはパンダの身体を這うようにぐるぐると回転する。見事な演舞を繰り広げながら、パンダはデスサイズの使い心地を確かめる。
自分の背丈ほどもある大鎌を、まるで使い慣れた愛武器のように振り回すその姿には、何の精神的疲労も見られない。
パンダは明らかに正常だ。冥府の魂を取り込んだことによる精神汚染を全く感じさせない。
「思いがけずレベルまで上がっちゃったわ。魔術式の理論自体はしっかりしてたみたいね」
冥府の魂を取り込んだことで、パンダのレベルも3レベルほど上昇し、これで15レベルになった。
デスサイズに充填されていた分だけでも3レベル上昇したのだ。この理論が確立されれば、確かに凄まじい偉業としてこの研究は人類史に名を遺しただろうに、とパンダは肩を竦めた。
『実験が……成功したというのか?』
信じられない話ではあったが、目の前でそれが起こった以上はハンスも認めるしかない。
パンダはこの研究が始まって以来、初の実験成功例となった。
冥府の魂を取り込み、レベルを上昇させつつ精神的に異常をきたしていない。
まさにハンスが望んだ形で実験が成功した最初の被験者が……まさかこの少女になるなどと、ハンスは夢にも思っていなかった。
『君は何者だ!? 頼む、君を調査させてくれ!』
「お断りよ。やらなきゃいけないこともあるし」
『な――よせ! あの神官と戦うつもりか!? あれは君一人でどうにかなる相手ではない! たとえそのデスサイズがあろうともだ!』
ハンスの言葉を無視し、パンダはデスサイズを構えて戦闘態勢を整える。
床がかすかに振動している。螺旋階段を落下したパイがパンダを追ってきている音だ。
もう数十秒もしない内にパイはこの実験場に姿を見せるだろう。
――そのときが、決戦のときだ。
『やめろ! 今すぐ逃げるんだ! 君はこの研究の唯一の成功例なんだ。こんなところで無為に失っていいサンプルではない!』
「うるさいわね。黙らせて」
パンダが聞く耳を持っていないと理解し、歯噛みするハンス。
自身の希少価値を理解せず、「黙らせろ」と冷たく突き放す態度にハンスは憤りを覚え――
「……? 黙らせて?」
そこでふと、パンダの言葉に含まれた違和感に気づく。
パンダは今「黙らせろ」と言った。ハンスに言ったのならば「黙れ」と言うのが自然なはずだが……。
「誰に言ったんだ?」
「あたしっすよ」
背後から声が聞こえたときには、ハンスの右肩に短剣が突き立てられていた。
「ぐあああ!?」
激痛に身体がびくんと跳ね、地面に崩れ落ちる。
何事かと後ろを確認するハンス。
そのときに彼が目撃したもの――それは先程死亡したはずのキャラメル・キャメル……。
……いや、キャメルと同じ姿をしたアンデッドだった。
「な、なんだ、その姿は……!?」
キャメルの全身は著しく腐敗し、肌も瞳も変色しゾンビのようになっていた。
腹部に空いた大穴はそのままでありながら未だに生きていることから、見た目だけでなくその本質までもアンデッドとしての不死性を手に入れたと推察できる。
何故彼女がここにいるのかハンスは理解できなかった。
彼だけではなく、部屋の隅でうずくまっていた他の研究員たちもキャメルの侵入を全く察知できなかったようだった。
「見て分かんないっすか? あたし、人間やめたんすよね~」
「そ、そんなことができるわけ――ぐっ!?」
直後、ハンスは地面に倒れ伏した。全身の筋肉が上手く動かせなくなっていた。
「痺れ薬を短剣に塗ってたっす。しばらくそこで寝ててくださいっす」
「き、貴様……何が狙いだ!」
「さあ? あたしは姉御の命令に従ってるだけっすから」
姉御というのが誰を指しているのかを察したハンスが、驚愕に目を見開いた。
「ま、まさか……あの少女は、そういう……『そういうこと』なのか!?」
「その通りっすよ」
キャメルは得意げに頷くと、高らかに宣言した。
「今のあたしは、パンダ様の忠実な下僕。新生キャラメル・キャメルちゃんっすよ!」
「――『血の盟約』……っすか?」
時間はわずかに遡る。
メインタワー出口付近で瀕死の状態にあったキャメルを助けるにあたって、パンダは一つの条件を提示した。
「今あなたに施した魔法は『コンバート・アンデッド』っていう魔法よ」
「これ……滅茶苦茶気持ち悪いっすよ」
自身の身体を見回すキャメル。
パンダの死霊術を受け、キャメルの肉体はアンデッドへと変貌していた。
自分の身体が腐敗しただれる感覚は酷い不快感だったが、代わりにキャメルは一時的に不死の肉体を手に入れた。
瀕死状態にあったキャメルは、死の瞬間まで若干の猶予を与えられることとなった。
「それくらい我慢しなさい。その状態ならひとまず延命できるでしょ」
「でも一時的なものなんすよね?」
「ええ。もって一分ってとこね。効果が切れればあなたの身体は元に戻る。肉体の損傷は変わらずだからそのまま死ぬわ」
「……それで、パンダさんと『血の盟約』を結ぶ、ってことっすか?」
「そう。あなたは今、肉体的には魔物に近い状態になってるわ。魔人である私と盟約を結べば魔獣になれる」
「ど、どうしてそんなことをしないと……」
「『アンデッドのあなたの魂』と盟約を結べば、あなたの魂はそのままアンデッドとして固着する。つまりあなたは私と盟約で結ばれている限りアンデッドで在り続けられるってわけ」
そうなれば確かに、理屈の上ではキャメルは生き延びることができる。
コンバート・アンデッドの効果が切れようとも、盟約によって固定されてしまったキャメルの魂はその後もアンデッドとして定着し、不死のままであり続けられる。
……だがその代償としてキャメルが支払うものはあまりにも重い。
人としての肉体を失い、こんな腐った身体で生涯を過ごすことになる。
何より、魔人と血の盟約を結ぶということがどういうことか、キャメルももちろん知らないはずがなかった。
「でも、その……盟約を結ぶとその魔人の言うことに……その……」
「そうよ。盟約の強制力で、あなたは私の命令には絶対服従になる」
「……」
「あなたの言葉は信用できない。でも盟約の強制力が働いた状態のあなたの言葉なら信用できるわ」
この絶対的な主従関係が魔人を地上の支配者として君臨させた要因の一つだ。そのシステムに組み込まれる以上、もはやキャメルに自由はない。逃げることも抗うことも反逆することもできない。
パンダという一人の魔人の眷属として、死ぬまで使い倒される未来しかないのだ。
そんなものは奴隷と同じだ。
キャメルの言葉一つを信用するためにここまでのことをしなければならないというのは……まさしく因果応報と言うべきだろう。
キャメルが日頃から誠実で正直な人間であったならばこんな回りくどい方法に頼ることもなかったのだが、それはもう言っても詮無いことだ。
「さあどうする? 私と盟約を結ぶか、このまま魔法の効果が切れて死ぬのを待つか。好きな方を選びなさい」
その最後通告を受け、キャメルは決心するしかなかった。
『パンダの姉御! 管制室は制圧したっすよ!』
「ご苦労様」
拡声用の魔石からキャメルの声が響いた。
パンダの眷属になることを選んだキャメルは、自身の持っている情報を全てパンダに嘘偽りなく打ち明けた。
この塔の中にデスサイズがあることを知ったパンダは、まだ希望が潰えていないことを悟る。
入手した情報を元に作戦を練り直し、パイ救出の道筋を立てたのだ。
「じゃああなたはそこにいる研究員を尋問してちょうだい」
『了解っす! このキャラメル・キャメル、必ず姉御の期待に応えてみせるっすよ!』
調子のいいことばかり言い平気で人を欺くキャメルも、パンダにだけは逆らうことはできない。
やれと言われれば命を賭して事に当たるしかない。今のキャメルならば信用できる。
「――あとはあなた次第よ、ホーク。上手くやってちょうだいよ」
ここまでくれば、残るのピースは一つだけだ。
別行動を取っているホークが作戦を成功させるか否か。それに全てがかかっている。
『あ! 姉御、来たっす! あいつっす!』
「……そ」
次の瞬間、実験場の扉がぶち破られた。
その向こうから現れたのは紛れもなくパイその人。
淀んだ瞳がパンダを見据える。果てなく破壊を求める魔の魂が、パイの喉を借りて咆哮する。
「……待っててね、パイ」
激しい殺意を向けられながらも、パンダの声は優しく穏やかだった。
「――私が助けてあげるからね」
今度こそ救ってみせる、と。
パンダの強い眼差しが告げていた。




