第71話 問題です。私はどこで気づいたでしょうか
陽が落ち始め、空が赤らみ出した頃。
パンダはセドガニアの宿屋の一室で野菜スティックを齧りながら出立の準備を整えていた。
パイを生かしている以上、パンダの情報がいつ軍にたれ込まれても不思議ではない。
今のところパイにそのような動きはないようだが、それも時間の問題だとパンダは予想していた。
この問題を解決する方法は、パイを殺す以外にない。
……が、それはできない。パンダにそのつもりはない。
故にパンダに残された手段と言えば……
「腹を割って話す、くらいかしらね」
しかしそれも望み薄だ。こちらは魔人。あちらは神に仕える神官だ。
しかも孤児院の子供を人質に取ってしまっている。まともな話し合いができるとは思えない。
やはりここは覚悟を決めて、ホークと共に逃亡生活を送るしかないかもしれない。
そのための準備を今整えているところだ。
必要な道具や装備なども今の内に用意しておき、いざとなれば今すぐにでも町を出られる。
まだ食べていないセドガニアの魚料理はたまらなく心残りだが……逆に考えよう。魔人だとバレて逃亡生活を強いられたとしても、そんな悩みを持っているのは自分くらいなものだろう。
自分だけが持つ不自由だ。それもまた旅のスパイス。そう考えれば味わい深くもあるものだ。
そのとき、コンコン、と部屋のドアがノックされた。
「はぁ~い」
パンダが椅子から立ち上がり、ドアを開ける。
廊下に立っていたのは、ホーク・ヴァーミリオン――としか見えない人物だった
「あらホーク。えらく早かったわね」
「ああ。ろくな収穫がなかったから腹が立って戻ってきた」
「そう、残念」
何ら怪しむことなくホークを部屋の中へ招き入れたパンダを見て――キャメルは自身の変装が完璧であることを確信した。
キャメルの変装は見た目だけでなく声や肌の質感、果ては体臭までをも模倣することができる、極めて精度の高いスキルだ。
ホークが身に着けている装備も、見た目だけは完璧に再現することができる。ただし中身が伴っていないため、例えば今ホルスターに差している銃から弾を発射することはできない。
つまりスキルの効果時間が切れるまでの一五分程度の時間、見た目だけは完全にホークと瓜二つになれるのだ。
しかしこのスキルを習得して活用していく内に、キャメルは人間がいかに相手の繊細な機微すらも個性として認識しているかを痛感した。
口調や仕草。ちょっとした癖。歩き方一つとっても、人は微妙に異なっており、普段は気にしていなくとも、いざキャメルが変装して姿を現すと周囲の人間はそんな些細な違いにも違和感を持ってしまうようだった。
よってキャメルが本当の意味でその人物に成りすますには、その人物が有する見た目以上の個性を調べる必要がある。
わずか数時間の調査でここまで完璧にホークになりすますことができたのは、まさにキャメルの長年の鍛錬の賜物だ、
「どこらへんで情報収集してきたの?」
「冒険者管理局と軍は昼の内に回ったからな。酒場とか、武器屋とか、情報が集まりそうなところを転々と回ったよ」
パンダの質問に即答するキャメル。
この情報は実際にホークを監視して入手したものだ。疑われるはずがない。
ホークとパンダは今朝セドガニアに到着したばかりだが、それから二人は情報収集に明け暮れている様子だった。
今もそうだ。パンダがキャメルのようなスリを相手に遊んだり、宿屋でおやつを食べたりしている間も、ホークは休むことなく情報収集に励んでいた。
パンダの抹殺計画を開始してから、キャメルはずっとホークを監視していた。
時間にして一時間以上。一人がホークを監視し続けると怪しまれるため、一五分おきに計四人の姿に変装してホークを観察した。
ホーク自身が人目を引く容姿をしており、かつ勇者であるというのも幸いし、それくらいの時間であればじっと見続けていても不審には思われなかった。
それだけの時間があれば、キャメルならばホークの口調や癖を習得することは容易だった。
かつ、ホークが集めている情報がどんなものかも把握した。
ホークは何やら、バラディア近郊に現れた強力な魔人について調査しているらしい。
その理由までは突き止められなかったが、それだけ分かっていれば僅かな時間パンダと話を合わせ彼女を油断させるくらいは容易いだろう。
「そう……ごめんなさいね、あなたにばっかり歩かせちゃって。疲れてない?」
「別に。少し喉は乾いたがな」
そう言ってキャメルは持ってきた袋からカップを二つ取り出した。
中にはどちらも紅茶が入っている。
その内の一つをパンダに差し出した。
「……いるか?」
「え、私に?」
「勘違いするな。店員が間違えて二つ用意しただけだ。私は二つもいらん。それだけだ」
自分で言っていて鳥肌が立ちそうになるキャメル。
こんな『思い人に対して素直になれない乙女ちゃん』みたいな喋り方をする奴が本当にこの世にいるのかと疑ったが、どうやらホークはパンダに対してこういう態度をとっているらしい。
元来エルフは人間と敵対関係にある種族だが、中でもホークは随一と言っていいほど人間を毛嫌いしており好戦的らしい。
そんな中で唯一パンダにだけは心を許し、まるで仲のいい姉妹のようだと言われていた。
「わあ! ありがとうホーク!」
パンダは、ぱあ、と花のような満面の笑みを浮かべてキャメルに勢いよく抱き着いた。
「お、おいっ! 危ないだろ、零れるぞ」
抱き着かれた衝撃で思わずカップを落としてしまいそうになる。
この紅茶はパンダを殺すために必要なものだ。零してしまうわけにはいかない。
「ごめんごめん。だってホークが優しくしてくれるなんて珍しいから」
パンダはキャメルに抱き着いたまま嬉しそうに差し出されたカップを手に取った。
「……別に。言っただろ、私の意思じゃない。店員のミスだ」
「はいはい。分かってるってば」
ニヤけながらキャメルから離れ椅子に座るパンダを見ながら、キャメルは小さな動揺を抑え込んだ。
飲み物を振る舞う程度の気遣いでここまで喜ばれるとは思わなかった。
……違和感を持たれたか?
「いえーい、かんぱ~い♪」
「……ふん」
呑気に笑うパンダを見て、大丈夫そうだと安心するキャメル。
カップを近づけて乾杯を求めてきたので、それにコツンと自分のカップを合わせる。
キャメルが自分のカップに口をつけて紅茶を飲む。
それに少し遅れてパンダも紅茶を飲み始めた。
「……」
それを見て、キャメルは内心でほくそ笑んだ。
パンダに渡した紅茶には遅効性の痺れ薬を混入してある。
無味無臭。味では判別できない上に、色の濃い紅茶に混ぜたため見た目でもそれと気づくことはない。
「ぷは~、おいし~」
「それはよかったな」
毒を盛られたとも知らずに馬鹿丸出しではしゃぐパンダを、キャメルは腹の中で嘲り笑った。
路地裏ではちょっとした油断から不覚を取ったが、所詮パンダもこの程度だったわけだ。
キャメルはこれまで、全く同じ手段で何人もの人間を殺めてきた。
どんなに警戒心の強い人間も、一度心を許した相手の前では驚くほど無防備になると知っていたからだ。
二十数年の人生の中でキャメルが学んだことは、人を信じるということがいかに愚かであるかということだった。
誰かを信用した者。誰かに隙を見せた者。
そんな者から順繰りに死んでいった。
「ねえ、ホークも食べる? 野菜スティック」
「言ってなかったか? エルフに食事は不要だ」
「野菜なら大丈夫でしょ? いつも食べてるじゃない」
「あれはお前に付き合っているだけだ。食事は趣味じゃない」
確かそういう人物だったはずだ。
ホークは勇者だけあって、セドガニアでも有名人だった。
つい数日前にハシュールからセドガニアに来た者を探し、ホークとパンダの関係を徹底的に調べ上げたのだ。
この程度の会話でボロが出ることはない。
パンダは残念そうに野菜スティックを齧りだした。
今は能天気なものだが……その顔があと五分もすれば焦りと恐怖に歪みだす。
それを見たいがためだけに、キャメルは使う毒に痺れ薬を選んだのだ。
パイとは違い生け捕りを命じられていない以上、パンダはこの毒で即死させてもよかったのだが、それではキャメルの気が済まない。
昼間の借りをたっぷりと返し、キャメルをコケにしたことを骨の髄まで後悔させてやりたい。
そういう嗜虐思考は、以前のヴェノム盗賊団ならば当然のように持っていたものだが……結果と効率を重んじるカイザーが頭領になってからは特に認められなくなった。
まるで役員の事務仕事のように淡々と仕事をこなす者が評価され取り立てられるようになり、キャメルはその嗜虐心と、他者を侮辱することで得られる優越感に飢えていた。
――この少女は久々の上物の獲物だ。
子憎たらしいこのガキが痺れ薬で動けなくなり、床にうずくまったところで正体を現してやる。
そうしてたっぷりと罵り、貶し、屈辱に塗れさせてから殺してやる。
そんなキャメルの薄暗い欲望が災いしたと言う他ない。
――ガチャ、と部屋の扉が開けられた。
「おいパンダ。朗報だ、今すぐ――」
新たな来訪者を迎え入れた部屋の中で、三人が同時に動きを止める。
扉から入ってきたのは、まさにホーク・ヴァーミリオンその人だった。
「……」
「……」
「……」
パンダと、二人のホーク。
有り得ないシチュエーションに全員が動きを止める中……最も早く行動を起こせたのはキャメルだった。
「……誰だ貴様」
ホークに尋ねる。
誰だも何も、紛れもなくホークであるのは承知の上だが、とにかく先手を打たれてはならないという危機感がキャメルの神経を加速させた。
「は? 貴様こそ誰だ」
ホークから至極当然の返答。
ホークからすれば自分と同じ姿をした者に「お前は誰だ」などと尋ねられて不愉快極まりないだろう。
「パンダ、何だこれは。今度はどういう悪ふざけだ」
ホークが尋ねる。
今この場で冷静に状況を把握できているのはキャメルだけだ。
パンダもまたなんとも言えない複雑な表情を浮かべていた。
「どうと言われても……ホークが二人いるように見えるわね」
「つまりどちらかが偽物というわけだ」
今度はキャメルが言った。
ホークの眉が危険な角度に吊り上がる。当然ながらホークはキャメルが偽物だと分かっている。いけしゃあしゃあと戯言を吐くキャメルへの怒りが傍目にもはっきりわかった。
その鋭い眼光に睨まれるだけで、キャメルは思わず生唾を飲み込みそうになった。
キャメルの戦闘力は低い。まともに戦えばパイにも劣るかもしれない。
そんなキャメルなど、ホークにかかれば一捻りだ。万が一にも勝ち目はない。そんな者とあろうことか同室し敵対している。
――ど、どうしてこんなことに……。
ホークのクールな無表情の下に動揺を隠しながら、キャメルは狼狽を悟られまいと必死だった。
キャメルの調べではホークはこの近辺での聞き込みを終え、セドガニアの北部に向かっていたはずだ。
この宿屋からもそれなりに遠い。その地区での聞き込みはまだしていないはずだから、遅くとも一時間は戻らないと踏んでいた。
まさかこんなに早く戻ってくるなど、まったく想像していなかった。
……やはり、ホークに監視をつけなかったことは間違いだっただろうか、とキャメルは今更ながら後悔した。
ホークほどのエルフを相手に下手に監視など行えば即座にバレてもおかしくない。どうせまだ戻らないだろう相手にそんなリスクを負う必要もないと考えたのだが、それが裏目に出てしまった。
――こうなったら……なんとか時間を稼ぐしかないっすね。
あと五分もしない内にパンダが痺れ薬で動けなくなる。
その後パンダを人質に取ってこの場から離脱するしかない。
そのためには、とにかくパンダを騙す。
パンダはどちらが本物のホークか分かっていない。彼女を丸め込んで時間を稼ぐしかない。
「何の目的か知らんが、どうやらおかしな客が来ていたようだな」
「貴様こそ、私がこの部屋にいるのに私の姿で入ってくるとはな。愚か過ぎて失笑もできん」
「あはは、面白くなってきたわね。どっちが本物のホークか推理ゲームってわけね」
楽しそうに笑うパンダ。
その危機感のなさに呆れるキャメルだったが、それは願ってもない提案。
時間を稼ぐのに打ってつけの展開。乗らない手はない。
「クソ、面倒な……何故私がそんな遊びに付きあわなければ、」
「いや、その必要はない」
ホークが短く答え、ホルスターから紫の魔法銃を取り出してキャメルに突き付けた。
「こいつを殺す。それで終わりだ」
――ちょ、ふざけんなっ!!
思わず飛び跳ねそうになるのをなんとか抑え、キャメルは務めて冷静を装った。
今の自分はあくまでも冷静沈着、クールで強気な勇者ホーク・ヴァーミリオンだ、と自身に暗示をかける。
「……ほう、面白い。私の性格を随分調べたようだな。サマになってるぞ。だが、この私に銃を向けたことは後悔してもらおうか」
自分で言っていて感心するほどに、キャメルの演技は真に迫っていた。
相手が偽物だと分かっているホークですら、まるで本当に自分がもう一人いるかのように気味悪そうな顔をした。
ククク……とパンダの押し殺した笑い声が響く。
「こ、これ……最高に面白いわねっ! 偽物の方は今内心でビクビクしてるんでしょ? ぶはっ! 想像しただけで笑えるわね!」
ぐっ……と悔しさに歯を噛みしだくキャメル。
このガキ、絶対に後で殺してやる。
「まあまあ、ひとまず落ち着いて二人とも。どっちが本物か分からないと、私も援護できないわ」
「いら――」
「――いらん。こんな奴、私一人で始末してやる」
ホークの言葉を遮ってキャメルが言った。
ホークの性格からしておそらくこう言うだろう。ならば先に言った方がパンダの信用を得られるはずだ。
自分の言葉を盗られたホークの額に青筋が浮かび始めたが、それを見る度に心臓が縮む思いがするのでキャメルが見ないようにした。
「まあそう言わないで。それにほら、相手の強さが分からない内に仕掛けるのは危険じゃない?」
「おま――」
「――お前は私がこんな奴に負けると思っているのか?」
キャメルがまたしてもホークの言葉を奪った、その直後。
ダン! とホークが魔法銃を発砲した。
キャメルのすぐ脇を掠めた魔弾は壁に激突すると、轟音と共に壁に大穴を開けた。
「おい貴様……いい加減黙れ。殺すぞ」
自分と同じ顔、同じ口調で、自分と同じようなことを話す謎の人物。
そのせいで沸点を超えたホークの怒りの眼差しは、魔人さながらの迫力だった。
思わずすみませんでしたと謝ってしまいそうになるキャメル。
ここまで誰かを怖いと思ったのはカイザー以来だった。
「……撃ったな? この私に。いい度胸だ……貴様、生きてこの部屋から出られると思うなよ?」
そんな恐怖を押し殺して演技を続けられる自分を、キャメルは心から誇りに思った。
あと数分……それで活路が開ける。
その希望だけがキャメルの心を奮い立たせていた。
「あら、弾が出るのね」
意外そうなパンダの言葉に、ドクン、とキャメルの心臓が鼓動する。
キャメルの変装スキルは、武器の見た目は模倣できても、性能は伴わない。
今装備している魔法銃も見た目だけで、魔弾など撃てないハリボテだ。
……調べられれば一発でバレる。
キャメルは急いで言い訳を繕った。
「まさか私の銃と同じものを用意していたとはな。どうやら、相当周到に準備したようだな」
「スキルで用意したのかもよ?」
「いや、それはない。変装スキルでは武器は複製できない」
パンダの信用を得るのが第一。
そう焦るあまり、キャメルはホークが持っている知識量を考慮し忘れた。
「そうなのか、パンダ?」
尋ねるホークに、あ、とキャメルも失言を自覚した。
ここはお互いの知識に差異を出すべきではない。
ホークが知り得ない情報を口にするのは大きな失態だ。
「ああ、そういえばそうだった気もするわね。あなたは知らなかったの?」
「知らん」
キャメルの背筋を冷や汗が流れる。
余計なことを口走ってしまった。何とか誤魔化さなければ。
「ふん、馬鹿が。この程度のことを知らんわけがないだろう。私に変装するならもっと調べておけ。見くびるなクズが」
「でもそれっておかしくないかしら? こっちのホークが偽物なら、自分のスキルの特性くらい把握してると思うんだけど」
苦し紛れの言い訳をものともせず、パンダが急所を突いてくる。
「……おい、私を疑ってるのかパンダ」
「うーん、これくらいじゃなんとも言えないわねえ」
「ならハッキリさせてやる」
今度はホークが言った。
「つまり貴様のその銃はガラクタってことだろう? なら撃ってみせろ。それで分かる」
「あははっ! まあ、こっちが偽物ならそうなるわね」
「……上等だ。調子になるなよ人間風情が」
今この瞬間にもパンダが痺れ薬で倒れてくれないかと祈りながら、キャメルはホルスターから魔法銃を取り出した。
そう見えるだけで実際には魔法銃などない。が、カチャリと鳴る金属音まで再現できる優れものだ。
なんとか撃たずにこの場を乗り切るしかないが……。
「弾が出ないとほざいたんだ、貴様に向けて撃っても文句はないな?」
キャメルは魔法銃をホークに向けて脅す。
いくらキャメルが偽物だと分かっているといっても、キャメルが本当に魔法銃を持っていない保証はない。
ならばこんな話には乗ってくるはずがない。これで時間を稼げる。
「好きにしろ。私に魔弾は効かん」
「……」
平然と言い放つホークに、キャメルは頭を抱えたくなった。
……そうだった。ホークが勇者の称号を認められたユニークスキル『破魔の力』はあらゆる魔力を打ち消す。
それは魔法銃の魔弾とて例外ではない。それが魔法的な攻撃である以上ホークには通じないのだ。
「ああ、確かに私に魔弾は効かん。私には、な。お前には効く。そういう意味で言ったんだ」
「そう思うならさっさと撃て。その後本当にお前に魔弾が効かないか試してやる」
「……」
魔法銃をホークへと構えながら、キャメルはチラリとパンダを見遣った。
パンダは面白い演劇でも見ているようにニヤニヤと笑みを浮かべているだけだ。
まだ痺れ薬が効きだしている様子はない。
――早く……早く効果出ろっす……ヤバいっすよ……どうするんすかこれ……!
というか……破魔の力で思い出したが、もし全ての魔力を撃ち消せるのであれば、まさかキャメルの変装スキルも打ち消せるのでは?
「……」
ごくり、と今度は生唾を飲み込んでしまうキャメル。
……そうだ、できる。
キャメルの変装スキルも、カテゴリーとしては魔法の一種。
破魔の力に触れれば一瞬で消滅してしまう。
――や、やばいっす……!
パンダとホークはまだそのことに気が付いていないようだ。
だがそれも時間の問題だ。今後は「まほう」とか「まだん」とかいう単語を口にすることは控えた方がいい。
どの言葉が引き金となって破魔の力という発想に結び付くかわかったものではない。
「……」
こうなれば今すぐ変装を解いて、武器を短剣に持ち替えてパンダを拘束するべきだろうか?
……いや、この少女はそんなに甘い相手ではない。
昼間のあの路地裏はキャメルのテリトリーだった。そこでキャメルを完全に封殺してのけたのだ。通常の状態で襲い掛かっていい相手じゃない。
まして今はホークに銃を突きつけられている。
少しでもおかしな行動をとれば即座に撃ち抜かれて終わりだ。
パンダが痺れ薬に侵され、苦しむ姿を見ればホークも動揺するはず。そこを狙うしかないのだ。
――耐えるっす! 今は耐えるしかないっす!
そんなキャメルの粘り強さが幸運を呼び込んだのか。
――ドンドン、と部屋の扉が激しくノックされた。
「ホーク様! ホーク・ヴァーミリオン様! ご無事ですか!? 先ほどの大きな音は一体なんですか!?」
それはこの宿屋の店主の声だった。
どうやら、先程ホークが発砲した魔法銃の銃声に驚いてここまで駆けつけたようだ。
――来た!
絶望的な状況に光明を見出したキャメル。
これは値千金のチャンスだ。
「愚図が。調子に乗って銃など撃つからこういうことになるんだ」
ここぞとばかりにキャメルが攻める。
「……黙れ」
こればかりはホークも軽率だったと自覚があるのか、バツが悪そうな顔をした。
「仕方ないわね。ここは私に任せてちょうだい」
パンダが扉に向かって歩き出す。
流石にこの状況を他者に見せるわけにはいかず、扉越しに店主に声をかけた。
「店主さん? 騒がしちゃってごめんなさいね。ちょっと銃が暴発しちゃっただけだから気にしないでちょうだい」
「お、お怪我はないのですか?」
「ええ、無事よ。心配しないで。……あー、でも、あれね。ちょっと壁に穴が開いちゃったわ」
「ええ!?」
「安心して。ちゃんと弁償するから。ね?」
「……はあ、ええ、まあ……」
どこか納得できなさそうな感じだったが、相手が勇者とあっては強く出れないのか、店主はそこで引き下がった。
「――ねえ、ちなみにもう一発くらい暴発しちゃってもいいかしら」
「え!? そ、それは勘弁してくださいよ!」
「あははっ、ウソウソ。冗談よ」
「……お願いしますよ?」
「ええ、もちろん」
店主が廊下を歩く足音が聞こえ、やがて聞こえなくなった。
――チッ! とキャメルはこれ見よがしに大きな舌打ちをした後、魔法銃をホルスターに仕舞って言った。
「命拾いしたな、偽物め」
「……本当にいい度胸してるな貴様」
ホークはいっそ感心したように鼻を鳴らした。
「でも困ったわねえ、これじゃあ別の手段でどっちが本物か見極めるしかないわね」
「おいパンダ」
ホークの苛立った声。
「奴に関する情報を持ってきたんだ。今すぐにでもその話に移りたい。こんな遊びにいつまでも付き合ってる暇はないぞ」
「同感だな。自分に化けた奴の姿を見続けるのは苛ついてしょうがない」
何の話か分からないが、とりあえずキャメルも同調しておいた。
「……」
……情報。
つまり聞き込みの末に何か有力な情報を掴んだということか。
――それで予定より早く戻ってきたんすね……クソ、ツいてないっす。
「そうねぇ、じゃあこうしましょ。ホークしか知らないことを言えた方の勝ち。どう?」
この状況をゲームに見立てて完全に遊んでいるパンダ。
彼女の提案は、偽物を暴くという点において初歩的、かつクリティカルだ。
……が、今回ばかりはキャメルにとって好都合。
これでかなり時間が稼げる。
「こいつは私たちの情報をかなり調べてるようだぞ。大丈夫なのか」
ホークの懸念に、パンダは手を振って「問題ないわ」と答えた。
「私たちしか知らないことがあるじゃない。ほら、『アレ』よ『アレ』。アレのことを知ってるなら……ね? どっちが本物か分かる、でしょ?」
パチンとウインクを飛ばすパンダを見て――ホークは一気に気が抜けたように脱力した。
「――ああ……そういうことか」
「確かにその通りだな」
ホークが納得した様子だったので、負けじとキャメルもそれっぽい反応を返した。
だが内心では相当焦っていた。
――『アレ』ってなんすか!?
二人にしか分からない秘密があるのなら、それをこの場で言い当てるのは至難だ。
まずい。先にホークに答えられたら終わりだ。
「……」
……が、そう焦るキャメルとは裏腹に、ホークは面倒くさそうに突っ立っているだけだった。
パンダの質問に答えるつもりはないように見える。
「……?」
何故答えない?
答えればそれで勝利。キャメルが偽物だということで決着がつく。
その上でキャメルに先手を譲るというのか?
「……」
ということは、よほど第三者には答えられないという自信があるのだろう。
であれば、事前にキャメルが調べた情報には何の価値もない。キャメルが知っているという時点で、それはパンダを納得させる情報ではないのだ。
「さて、じゃあそれぞれ答えてもらおうかしら。まずはあなたからにしましょうか」
パンダはキャメルに向けて言った。
ここは先にホークを指名してほしいところだったが、運はキャメルを見放したようだ。
いや……ピンチであるのは間違いないが、同時にチャンスでもある。
ここで正解できれば、パンダもキャメルを信用するしかない。一気に逆転できる。
「……アレを言えばいいんだな?」
「ええ、アレよ」
ククク、とパンダは含み笑いを漏らした。
……なんだ。アレとはなんだ。
「……」
分からない。
いや、キャメルに分かるはずなどないのだ。だからこそ意味がある問いなのだ。
こうなったらなんとか口八丁で時間を稼ぐしか……
キャメルがそう考えたとき。
――決してあなたのような魔人の仲間になどなりませんッ!
「――」
閃光のような閃き。
その馬鹿馬鹿しさから、頭の中から消し去っていた妄言。
それが、この瞬間になってキャメルの脳裏に蘇った。
「…………」
有り得ない。
直感的にも、この少女が魔人だなどと考えづらいし、何よりホークは勇者だ。勇者と魔人が共に行動するなど馬鹿げてる。
……が、パイのことが説明できる。
昼間はあれほど仲間意識を持ち、共闘し、互いを庇い合っていた。
そんな二人が、僅か数時間後には敵対……これも本来有り得ないことのはずだ。
そもそも、パンダが魔人ではないのなら、パイがあんなことを言うはずがないのではないか……?
「……」
「さあ、どうしたのかしら? 何も言わないってことは、まさか……あなたが偽物なのかしら?」
パンダがニヤニヤしながら問いかける。
「……」
答えるしかない。
意を決して……キャメルが口を開いた。
「――パンダは、魔人だ」
十数秒ほどの沈黙が流れた。
パンダとホークはピタリと動きを止め、そんな二人をキャメルはじっと見つめていた。
「……」
不気味な静寂。
これは……どっちだ?
二人の反応に、キャメルの心臓はドクドクと脈打った。
呆気にとられたような様子の二人。
もしキャメルの答えが正解なら……この反応はおかしい。
正解したのならパンダはキャメルを本物だと判断し、ホークと敵対するはずだ。
いや、その前にホークからの弁明が出てもおかしくない。「何故お前がそのことを知っている。違うぞパンダ、私が本物なんだ」と。
ということは……やはりキャメルは回答を間違ったか?
「……なんだ。お前の遊びに付き合ってやっただけだろ。冗談も通じなくなったの――」
咄嗟に誤魔化そうとキャメルが口を開いたそのとき。
「――何をしたの?」
「……? なんだと?」
パンダの問いの意味が分からず聞き返すキャメル。
――だが次の瞬間、キャメルは恐怖で思わず息を呑んだ。
視界に飛び込んできたパンダの瞳――その妖しい紫の瞳に、ゾッとするほどの殺気が含まれていたからだ。
パンダは剣を鞘から抜き、その切っ先をキャメルの喉元に突き付けて言った。
「――パイに、何をしたの?」




