二度目のクリスマスイブ
「最近、彼氏がそっけないんですよねー。まあ、もともと愛想の良い人じゃないんですけど」
私はそこで言葉切ると、カクテルを一口飲んでから続ける。
「ここ一ヶ月くらいは、心ここにあらずというか、そわそわしているというか……。でも『どうしたの?』って聞いても『別に』って答えるだけなんですよね」
「それで今日もケンカしたんじゃな」
私の隣に座っている恰幅の良いおじいさんが口を開いた。
「そうです。よく分かりましたね」
それだけ答えて、なんとなく辺りを見回す。
こじゃれたバーには、カップルらしき男女が多い。今日はクリスマスイブの夜だから当然と言えば当然だけど。
そんな日に、私は偶然、隣に座っていた初対面のおじいさんに彼氏の愚痴をこぼしている。なかなかみじめな光景だ。
自分でそんなこと考えて自嘲してから言う。
「多分、爽太――彼氏は、私への気持ちが冷めたんですよ。もう八年の付き合いですけど結婚の話なんてしたことないんです。絶望的でしょ。」
再び私は自嘲した。
勢いづいた私はさらに続ける。
「彼は、学生時代に交通事故で両親を亡くしてしまったんです。だから、家庭を持つことが怖いのかもしれません。でも、私はどこにも行かないのに」
おじいさんは、困ったような顔でビールに口をつけた。
「ごめんなさい。初対面の人にこんな話……。なんだか話しやすい雰囲気だったのでつい」
申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちでぐちゃぐちゃの気分のまま謝罪をした。
「いいや。話して気持ちが軽くなるのならかまわんよ」
そう言って微笑むおじいさんを見ていると、なんとなくホッとした。冬場の毛布のぬくもりみたいな笑顔。
「ワシも色々と悩むことも不安になることもあるさ。若い頃はそんなことも考えずに生きておったがな」
おじいさんの言葉に私はふと昔のことを思い出す。
「あーあ。高校時代に戻りたいな。高校入学辺りで人生やり直したい」
頭の中によみがえった記憶に浸っていたら、ついつい口に出してしまった。
「じゃあ、戻るかい?」
おじいさんの言葉に私は笑う。
「戻れたらいいですねー」
「本当だな?」
おじいさんの口調がやけに真剣だったので、私はそちらを見る。大真面目な顔をしていた。
「酔ってますね」
「いや、酔っておらん。ジョッキ二杯のビールじゃ酔わんよ」
おじいさんは豪快に笑って、ビールを一気に飲み干す。真っ白な長い髭に泡がついている。
ぼんやりとした思考の中でふと考える。
サンタクロースみたい。
「高校時代に戻れるなら、戻りたいですね。本当に」
独り言のように呟くと、おじいさんは大きく頷き、「分かった」と笑った。
記憶はそこで途切れた。
まるで糸がぷつんと切れてしまったかのように、その後どうやって家に帰ったのかまったく覚えていない。
覚えていないのに、しっかりと自分の部屋のベッドで眠っていた。
私はまだぼんやりとする頭で部屋を見回し、それから首を傾げる。
「あれ? なんで実家にいるんだろう?」
そこはアパートではなく、高校卒業まで生活していた実家だった。
ベッドを降りようとしたところで、声が聞こえてくる。
(おお、どうやら成功したようだな)
驚いて部屋をあちこち見てみるものの、人の姿はない。それにしても『声』の聞こえ方に違和感があるなあ。
(昨日、バーで過去に戻りたいという願いを言っただろう? 魔法が成功したかどうか気になってな)
声は、頭に直接響いてくる。まさか。
「あなた……だれ? 何者?」
震える声でそう尋ねると、あっけらかんと答えが返ってきた。
(サンタクロースじゃよ)
「なにを言って……」
そこでハッとした。昨夜、バーで私が愚痴をこぼしていたおじいさん。彼は外見がサンタクロースみたいだったな。いや、でもまさか。
(魔法が成功したかどうかを確認するのが目的じゃなくて、もう一つあってな)
声は続ける。
(君は今日から二度目の高校生活を送るわけじゃが、一度目とは違う言動や行動で君やその周囲に大きな影響を与えてしまうと、それから先は新しい道が現れる。つまり、君が体験していない未来ができるわけじゃ)
声の主がおかしいのか、それとも私の頭がおかしくなってしまったのかどちらなんだろう。
(ただ、そのできあがった新しい未来というのは、良いものだとは限らない。君が望まぬ結果を招くこともある。だから、あまり大胆なことはせんようにな)
病院、行ったほうがいいかなあ。
(それじゃあ忠告はしたからな。良い高校生活を送るんじゃよー)
そのまま声は聞こえなくなった。
「幻聴、だったのかな」
私はそう呟いて、ベッドを降りる。
二十分後。
今、私がいるところが八年前で、おまけに高校の入学式だということを嫌でも思い知らされることとなった。
なぜなら、ニュースも新聞も両親も口をそろえて『今日は二〇××年の四月七日』だという。そういえば真冬だったはずなのに今日は暖かい。おまけに現在は八歳のはずの飼い猫のミケさんが生後半年に戻っていた。
慌てて鏡を見てみると、染めた栗色の髪が真っ黒だし、ピアスの穴も消えてるし、眉毛も整えてない。私はそんなことした覚えはないし、酔っていたにしても一晩でできることじゃないし。
ただ、顔つきだけは変わらない。むしろ中学から同じだ。どうせ童顔だよ。
両親がしかけた盛大なドッキリとは考えられないので、真新しい制服を着て母校に行ってみた。
高校のグラウンドにはかつてのクラスメイトが私と同じようにぴかぴかの制服を着て、クラス分けが貼られた掲示板に群がっている。
クラス分けには、元の一年一組の名前がずらりと並んでいた。
ああ、間違いない。ここは八年前の春なんだ。あのおじいさんは、サンタクロースで私の願いを叶えてくれたんだ。嬉しいというよりは、なんだか怖いのだけど。
『今日から二度目の高校生活だー! 青春やり直すぞー!』という気分にはまだなれないな。
でも、爽太とけんかばかりの今というか、未来にも戻りたくないなあ。
そんなどんよりとした気分のまま、入学式を終えた。
次の日の朝、教室に入ろうとしたら、出てきた生徒と軽く肩が接触。
「あ、ごめん」
先に謝ってきた相手を見て驚いた。
「爽太!」
反射的に彼をそう呼んでしまって、口に手を当てたが時すでに遅し。
ぶつかって相手である桐生爽太は、目をまん丸くさせて私を見る。
「ごめん。桐生君」
とりあえず笑ってごまかしておいた。
「ああ、うん」
爽太はそれだけ言うと不思議そうな顔のまま教室を出て行った。
ホッと胸をなでおろして席につく。
現在は恋人同士の私たちだけど、付き合い始めるのはあと半年先なんだよね。気を付けなきゃ。変な子だと思われて恋心が冷めたら嫌だしね。
「明日実、なーにニヤ二ヤしてんの?」
その声に顔を上げると、目の前に立っていたのは仁科美織だった。中学からの付き合いで今、というか八年後も交流がある友人だ。
「え? 私、ニヤニヤしてた?」
「うん。してた。なんかいいことあった?」
『高校時代に戻れたことがいいこと』なんて言えないなあ。
私が答えに困っていると、ドアの方から声が聞こえてくる。
「おおおーい! 仁科ぁ! ちょっと手伝ってくれー!」
良く通る声の持ち主は二年生の先輩で生徒会長でもある高砂先輩だ。彼は美形だけどアクが強いのでモテないらしい。ちなみに私、爽太、美織、先輩は同じ中学だ。
「あーもー。生徒会長様は中学の頃の後輩をこき使うんだからー!」
美織は文句を言いながらも先輩のところへ行った。中学の頃に生徒会長と副会長で良いコンビだった二人が来年も同じコンビとなり、そして八年後にめでたく結婚することを私だけが知っている。美男美女カップルは本当にお似合いだなあ。
放課後、廊下を歩いていたら爽太が追い越しざまにこちらを振り返った。
「星川、また明日な!」
それだけ言うと走り去って行ってしまった。
当時の私は、中学ではほとんど会話のしたことのない彼がなぜ急に挨拶をしてくるようになったのか。なぜ、その横顔がほんの少し赤いのかが分からなかったなあ。半年後に告白されるまでは。なんて鈍感なのよ、私。
「また明日ね!」
小さくなる背中に向かって叫ぶと、彼は一度だけ手を高く揚げてそれに答えてくれた。
いいなあ。こういうの。しばらく感じてないときめきだよー。
私は鼻歌混じりに家に帰った。
でも、自室に戻るなり、テンションが下がってくる。
今は良くても、八年後はけんかが多くて、そのせいか爽太は心ここにあらずの状態になっているんだよね。どうしたらいいんだろう。
なー、と声がしたのでそちらを見るとミケさんがとことこと歩いてきて足にすり寄ってきた。
「ミケさんは変わらないねー。体型と顔つきは大人になったけど、それでもやっぱりミケさんはミケさんだね」
言いながらふわふわの頭をなでると閃いた。
そうか。私が爽太に甘えてしまったのがいけないんだ。付き合った頃の変わらない愛情を注ぎ続ければ、未来は変わるかもしれない。
「うん。それだよミケさん!」
私はミケさんを抱き上げ、頬をすりすりと寄せた。
次の日から、私は一度目の人生を覚えている限りなるべく忠実に再現することにした。
だってサンタクロースから変な行動やら言動すると人生を変えるとか忠告されちゃってるしね。
私と爽太の関係は、挨拶から始まり、そこからだんだん会話をするようになって、少しづつ距離を縮めていった。
くりっとした目と日に焼けた肌が印象的な彼は、イタズラ好きの少年がそのまま成長したみたいでかわいい。八年後も外見はお互いにほとんど変わらないから美織に『ロリショタカップル』とか言われているのは解せない。
そして夏休み前には、メールアドレスを交換して連絡を取り合うようになった。
皐月と高砂先輩と私の爽太の四人でダブルデートもして、順調にそして予定通り両想いの日は近づいてくる。
九月の席替えでは爽太と隣の席になって、授業中こそこそ話して先生に怒られたりもした。笑い合いながらも心拍数が上がっていくのが分かった。
爽太に告白されたのは十月で、文化祭のファイアーストームの時。
もちろん二つ返事でOKしたよ。二度目の告白だけど、やっぱ緊張するもんだなあ。
これで変わらぬ愛を育んでいけば、一度目のときのようにならない。
私は幸せを確信した。
☆
「え? スキー旅行?」
私は爽太に聞き返す。終業式後の教室は浮足立ったクラスメイトの声で騒がしい。
「うん。両親が二人で行くんだってさ。俺はいかないよ」
『その後、家に来ない?』と続く彼の言葉を私は思わずさえぎった。
「それっていつ?!」
「え? 明々後日だけど」
爽太の言葉に、私は目の前が真っ暗になる。
そうだ。四日後のクリスマスイブに爽太の両親はスキー旅行に行く。そしてその帰りに車の事故で二人とも亡くなってしまうんだ。原因は居眠り運転のトラック。
爽太は酷くショックを受け、しばらく立ち直れなかったのだけど、それを私が支えた。
変な言い方だけど、それで愛が強まったとも言えなくはない。
だけど、私はこのことを事前に知っている。
今までの出来事で、これが最初の――つまり一度目の人生を忠実に繰り返している過去だということは分かった。
だからこそ、ダブルデートも爽太からの告白も事前に把握できていた。
ということは爽太の両親の死を回避させることができるのは私だけ!
「爽太」
彼の名を読んだと同時に私はサンタクロースの忠告を思い出す。
自分の言動や行動で周囲の人生を変えてはいけない。未来に悪影響があるかもしれない、と。
もし、ここで爽太の両親を助けたら、私たちの未来はどうなってしまうのだろう?
それとも、彼の両親は四日後に死んでしまう運命だから、介入するべきじゃない?
悩んでいると、爽太が心配そうな顔でこちらを見てきた。
「どうした?」
澄んだきれいな瞳でまっすぐに見られた瞬間、私の中の決意は固まる。
勢いよく立ち上がり、こう言う。
「爽太、四日後は長野は大雪だよ」
「よくスキー旅行が長野だって分かったな……って予報では曇りだぞ」
「天気予報なんか当たらないの!」
「明日実の天気予報も当たりそうもないけど」
からかうような口調で言う爽太がかわいくて、そして心から好きだと思えた。
だから、私は自然にこう言葉にしていた。
「私、クリスマスイブは爽太の家族と過ごしたいと思ってケーキも何かも準備しちゃったの!」
クリスマスイブに過ごしたいという提案が却下されたら、爽太の両親の車をパンクさせてでも阻止しようと目論んでいた。
だけど、彼の両親は息子の彼女の突然の申し出を快く受け入れてくれた。良い人だ。
「すみません。急に押しかけてしまって……」
私がケーキを持参して爽太の家に行くと、彼の両親は笑顔で出迎えてくれた。
「いいのよお。むしろ、息子の彼女と一緒にクリスマスが過ごせるなんて幸せねー。しかもあなたが提案してくれただなんて」
爽太のおばさんに続いておじさんも口を挟む。
「スキー旅行は、別にいつでもいいんだよ。泊まるのは兄貴の家だったから向こうも僕らが中止したのをホッとしていたよ」
本当、良い人たち。その後ろで残念そうにしている爽太が情けない。何考えてたんだよ! いや、分かるんだけど、ここは君の運命の分かれ道なんだよ?
「あらあ。明日実ちゃんの手作りケーキ、とってもおいしいわあ」
「うん。すごいな。将来、パティシエになれそうだな」
爽太の両親は、私の作ったケーキをものすごく褒めてくれた。高校時代はほとんどお菓子作りってやらなかったんだけど、二十歳の頃に急に目覚めたんだよね。とっておきのレシピがちゃんと頭に入ってて良かった。
さっきからやけに大人しい爽太にちらと視線を向け、こう尋ねる。
「どうかな?」
「すっごくうまい!」
きらきらと目を輝かせて答える爽太を見た途端、幸せな気持ちと不安な感情がこみあげてきた。
爽太の両親を助けたことは後悔していない。
だけど、ここから運命が大きく変わってしまうかもしれないんだよね……。
考えたくないけど、爽太とはすぐに別れてしまう可能性も出てくるのかもしれない。
それに、彼の両親は本当に事故を回避できたのかも気になる。
スキー旅行を中止したから、これで死という運命から逃れられることができたのかな。
その時。
ひどいめまいに襲われた。
目の前が真っ暗になって、周囲の声や音が遠ざかっていく。
数秒の浮遊感の後、頭の中に直接、声が聞こえてきた。
(申し訳ない。別の願い事が優先されたから君の二度目の高校生ライフはここで中止じゃ。すまんのう)
サンタクロースの声。
言っていることの意味が分からない。
(まあ、少しは高校生活を楽しめたじゃろう。それじゃあまた来年!)
サンタクロースは笑い声を響かせると、シャンシャンと鈴の音が響いてきた。
「――明日実」
誰かに名前を呼ばれて私はガバッと顔を上げる。
控えめな笑い声とジャズを奏でるピアノの音が耳に流れこんできた。
「ごめんなさい、私!」
そう言って立ち上がると、そこは爽太の家ではなかった。
何事かとこちらを見ている客の視線がささる。
恥ずかしくなって座りこんだけど、頭は混乱したまま。
なんで私は、バーにいるんだろう? サンタクロースに愚痴をこぼしたあのバーに。
「お酒、強くないくせに」
そう言って笑ったのは、爽太だった。
「うわっ! なんでここに? ってゆーか、爽太、あれ? 未成年じゃ……」
私の言葉に彼はきょとんとして、そして笑いだす。
「どんな夢を見てたんだよ。俺は二十四歳。未成年じゃないよ」
ってことは、現在に戻ってきた? それとも今までのことはぜんぶ夢?
私が首を傾げていると、爽太がポツリと呟いた。
「あのさ、こんな歳にもなって笑われるかもしれないけど、サンタクロースに願ってみたんだ」
「なにを?」
「明日実へのプロポーズが成功しますように、って」
「は?」
目をまん丸くする私に、爽太は覚悟を決めたように大きく頷く。
そして床に膝まづき、何かをこちらに差し出しながら言う。
「結婚してください」
差し出されたのはエンゲージリングだった。
ためらいはない。
「はい。喜んで」
私がそう返事をすると、バーテンダーや店員、周囲のお客が拍手をしてくれた。
「いやあ。かなり勇気がいるんだな。プロポーズって」
バーから二人で歩いて帰っていると、爽太がホッとしたように笑う。
「そっかあ。でもうれしかったよ」
「指輪のサイズをこっそり計る方法を高砂さんから聞いて実践したり、プロポーズの場所も考えたんだけど思い浮かばなくて」
「もしかして……。最近、何を話しても上の空だったのはそのせい?」
私の言葉に、爽太は頷く。
「ごめんな。せっかくだから、プロポーズはクリスマスイブにしたくて、ここ最近はずっと落ち着かなかった」
爽太が立ち止まる。私も足を止めた。
「なんでクリスマスイブ?」
「そ、そりゃあ、付き合ってすぐの頃、明日実の手作りケーキを食べて『将来、この子と結婚したい』って思ったのがクリスマスイブだったから」
照れくさそうに言う爽太に私はハッとする。
一度目は、手作りケーキなんか作らなかった。ケーキを作ったのは二度目だ。
――ってことは。
「ねえ、爽太のお父さんとお母さんは……」
私の言葉に、彼は俯いた。
え? まさか。運命は変わらなかったの?!
「なんか落ちてる」
爽太の言葉に、私は心の中で思いきりずっこけた。なんだよ!
彼は、落ちていたものを拾いながら答える。
「父さんも母さんも、明日実のケーキが食べたいって言ってた」
その瞬間、胸いっぱいにうれしさがこみあがり、思わず「やった!」と言ってガッツポーズ。未来のお父さんとお母さんがちゃんと生きてる! 良かったよおおお!
私が喜びの涙を拭いていると、爽太は首を傾げて、さきほど拾ったものをこちらに見せてくる。
小さなサンタクロースの人形。
「明日、俺の実家に行く?」
私はサンタクロースの髭をちょん、と指で押してから答える。
「うん。とびきりおいしいケーキ、作るね」
<おわり>