悪くない
久しぶりに感じる身を包みこむ柔らかく温かな感覚に意識が引っ張られ、重たい瞼を薄っすらあける。ぼやけた視界が次第に鮮明になると、見慣れない景色が目に飛び込んできた。
ぼんやりとした頭で目の前の状況をなんとなく眺めていたクレイズは、ハッと目を見開くと慌てて身体を起こす。起こした瞬間、全身を激痛が襲い、身体がぐらりと揺れた。
「いっーーぐ、うおわぁあ!」
バタバタンッと大きな音を鳴らしベッドから落ちたクレイズが痛みで悶えていると、床からパタパタと忙しない足音が響き伝わってきた。次第に大きくなる足音にクレイズが身を固めると、大きな音を立ててドアが勢いよく開かれる。
「っ! ……貴方、なにしてるの」
「どうして、お前が」
ソフィアは小さく息をつくと乱れた髪を手で撫で直し、部屋の中に入る。唖然としたままのクレイズの腕の下に手を入れ、支えるようにしながら持ち上げると、ソフィアのしようとしていることを理解したクレイズはその近さに若干動揺しつつも立ち上がり、ベッドに腰掛けた。ソフィアは近くに置いてある水差しに近づき、水を入れてクレイズに差し出す。大人しく受け取り水を飲むクレイズを黙って眺めていたソフィアは、ゆっくりと口を開いた。
「身体の調子は?」
「あ? あ、ああ。だいぶ良い」
「顔色も良さそうね。お腹は? もう随分食べていないでしょ?」
「あ、ああ。そうだな」
「待ってて。何か持ってくるかーー」
「ちょ、ちょっと待て」
矢継ぎ早に質問し、その場を後にしようとしたソフィアの手をクレイズは咄嗟に掴む。ビクっと肩を揺らし、恐る恐る振り返ったソフィアの僅かに揺れ動く瞳を捉えたクレイズは「すまん」と小さく謝罪を口にしながら慌てて手を離した。
暫しの沈黙が二人を包む。その空気に耐えられなくなったのはクレイズだった。
「……ここはどこだ? 任務はどうなった?」
「ここはヘルムリクトの私達の家。任務は無事終了したわ」
チラリと窓の外を見れば、たしかにクレイズも見慣れた景色が広がっていた。一先ず任務は成功したようなので、クレイズはほっと胸をなでおろす。
「俺を見つけてくれたのは?」
「……影」
「そうか。迷惑をかけたと謝らなくちゃな」
「そうね」
「世話になったみたいで悪かったな。今回は少ししくじったが、次はーー」
「次? 次があると思ってるの?」
僅に震える怒りを含んだ声を発したソフィアの表情は、顔を伏せているせいでうかがい知ることができない。しかし、クレイズの動きを止めるには声だけで十分だった。
「今回の事でわかったでしょ? 貴方はあくまでも魔術師なの。私達だって訓練をしてここまでやれてるのよ? 今回は貴方の能力が任務内容に適していたから許されていただけで、そう簡単に務まるわけがない」
「それは、わかってる」
「わかってない! わかってたら次なんて言えない! あの状態で、あんな所にあと半日でもいたらどうなっていたと思ってるの!?」
「あんな所って……もしかして、お前」
「っ!」
「おい!」
反射的にクレイズに背を向け駆け出そうとしたソフィアの手を今度は躊躇なく捕まえる。グッと手を引かれ、クレイズと向き合う形になったソフィアは意を決したようにクレイズを睨みつけた。
「何が……何が俺がやるよ! あんな事言っといて敵に追われて、命の危機にまで陥ってるじゃない。危険な事はさせたくない? よく言うわよ!私の代わりに危険な目にあってるとわかってて、平然としていられると思う? 心配するに決まってるじゃない! 本当に貴方は勝手よ……勝手、すぎる」
「お、おい……悪かった。だから泣くなよ、な?」
「泣いて、なんか……ない」
「いや、さすがにそれは無理があるだろう」
睨みつけてはいるが、そのソフィアの目元からは止めどなく涙が零れ落ちている。
クレイズは思わず口元に手を当て、ソフィアから視線を外した。どうにかしなければいけないことはクレイズもわかっているが、クレイズに女性を慰めた経験はない。またしても経験不足が仇となってしまった。それどころか、目の前の可愛い生き物を抱きしめたくなる衝動に駆られ、必死に押さえ込んでいるくらいである。
「あー、その……心配かけて悪かった」
「……もう、任務にはいかせない」
「いや、それは困る。お前が任務につくと言うなら、俺は」
「私は『影』をやめない。だってそれが私の生きてきた道だもの」
どんなにクレイズが光の世界に引っ張り出してくれたとしても、ソフィアが『影』として生きてきた過去が消えることはない。
「それに、今は『影』も悪くないって思う」
「え?」
「だって、表の世界の人間はこんなに自由に動くことってできないでしょ?」
今回のハーヴェイのように色々なものに縛られ、動きたくても動けない事があるのだとソフィアは気づいたのだ。それならば、誰に縛られることもなく、自由に動ける『影』も悪くないではないか。
「でも、お前は普通に暮らす事に憧れてたんじゃないのか?」
「だって、それは貴方が叶えてくれたじゃない。そういう生活を体験できているからこそ、そう思えるのよ」
ソフィアの言葉を受けたクレイズは、一瞬キョトンと間抜けな表情を晒すも、次の瞬間には吹き出し笑い始めた。いつもは見せないそのくしゃくしゃな笑顔に吊られ、ソフィアの表情も柔らかくなる。
一頻り笑ったクレイズだったが、次第に傷口が痛みだし、だらし無くベッドに横になった。それをソフィアがさり気なく手助けする。
「なぁ」
「なに?」
「それだと俺の心配はなんにも解決しなくないか?」
「え? 今気づいたの?」
いつものように眉間に皺を寄せ、不満そうな表情を見せるクレイズに、ソフィアは呆れを含んだ視線を送る。
だが、クレイズは影の任務に参加させず、ソフィアは参加する。これでは以前となんら変わらない。クレイズの不満は最もである。
暫し考えたソフィアは、しょうがないという感情をありありと浮かべながら妥協案を提案した。
「わかった。そんなに心配なら、こうしましょう。私が任務を受ける時は貴方も付いてくる」
「ほぉ」
「店もあるからそんなに受けることはないけれど、それならいいでしょ? 私も貴方一人で行かせるくらいなら、付いてきてくれる方が守れて安心だわ」
「おい。なんで俺が守られる側なんだよ」
「嫌ならいいの。私だけで行く方が気楽だし」
「いや、嫌とは言ってない。ついていく」
それで決まり、と二人で頷きあうと、ソフィアは食べ物を持ってくると部屋を出て行った。黙ってソフィアを見送り、疲れた身体を癒そうと布団に潜り込んだクレイズだったが、何だか視線を感じ布団から顔を出す。
するとドアにもたれかかるように立っているソフィア、いや、ソフィアにそっくりな出で立ちのサリーナが残念なものを見るような目でクレイズを見つめていた。
「起きたようですね」
「あ、ああ。世話になって悪かったな」
「いいえ、気になさらないでください」
サリーナの笑顔はソフィアが見せる笑顔よりも優しく柔らかいのだが、何故かクレイズはスッと寒気を感じた。
「……本当に残念な人」
「は?」
サリーナの思わぬ台詞にクレイズの頭は追いつかない。
「なんであんな良い雰囲気になったのに、それを利用できないんでしょうね。はぁ……残念」
その言葉を残し、サリーナは部屋を去っていく。残されたクレイズは暫しサリーナの言葉の意味を振り返り、答えにたどり着くと、言葉にならぬ呻き声を上げながら布団の中へと沈んでいった。
ちなみに、今度こそと意気込んで食事を運んで来てくれるだろうソフィアを待っていたクレイズの元に、食器の乗ったトレーを満面の笑みで届けにきたのがハーヴェイだったのは、誰の策略か。
「なんでお前なんだよっ!」
「心配で見舞いに来た人に蹴りを入れるやつがいるか!?」
「うるせぇえええ!」
明日の投稿が最終話となります。




