散々な夜
目の前で話す紅色の髪の勇ましく美しい騎士ハーヴェイにソフィアは困惑していた。
「珍しいな、呼んでも気づかないなんて。具合でも悪いのか?」
「え?……あ、いえ、大丈夫です」
サリーナから腕は立つが軽い男と聞いてはいたが、こんなにも馴れ馴れしい態度で来るとは思わなかったのである。表情は心配の色が濃いのだが、ただの旅仲間にこんな男の色気を放つ必要があるのか、と問いたいくらいだ。
「そうか?何かあればちゃんと言うんだぞ?」
そのハーヴェイの言葉に思わずソフィアは一歩後退する。何故なら、ハーヴェイの発する言葉があまりにも親しすぎたからである。まさか知らない間にサリーナとハーヴェイはそんな関係に、と疑い始めたソフィアは動揺を隠せなかった。
「サリーナ……なんかやっぱり可笑しいぞ?本当に大丈夫か?」
サリーナとしての対応をするべきなのだが、実際の二人の関係がはっきりわからないためソフィアはどう答えるか迷った。そして、ソフィアに報告されないということはサリーナは知られたくないのか、と今まで築いてきた姉妹間の絆までも崩れかけそうになったソフィアは、結局、仕事に支障をきたさないことを選び、サリーナに心の中で話しかけた。
《サリーナ!ハーヴェイ様とはどういう関係!?》
《え?どういう関係ってどういうこと?》
突然の連絡に加えて、怒鳴る勢いで言葉を発しているソフィアにサリーナは驚き、声を裏返しながら問いかける。
《今、廊下でハーヴェイ様と鉢合わせしてるんだけど、話し方が馴れ馴れしいのよ!サリーナとして対応するにはどうすればいい?》
《そんなの簡単、受け流せばいいのよ。言っとくけれど、彼は女であれば誰でも親しげに話しかけるわ》
呆れを含んだサリーナの言葉に、照れ隠しで言っている訳ではないと判断したソフィアは内心ホッとした。別に恋人同士になったからといって責めるつもりはないが、恋愛をした事のないソフィアがサリーナになりきったとしてもハーヴェイと恋人のような会話ができるはずがないからである。
しかし、普通にしていればいいとわかれば焦ることはない。どんなに整った顔立ちの男に優しくされようと世間の女性のように浮き足立つことなどないのだから。
なかなか返事のしないソフィアを心配してか、ハーヴェイが一歩近づき顔を覗き込んだ。そんな距離の近さに動揺することもなくソフィアは、本当に無駄に美形だな、と心の中で先程動揺させられた仕返しとばかりに文句を吐いた。
「サリーナ?」
「申し訳ございません、ハーヴェイ様。少し疲れが出てしまったのかボーッとしてしまいました。ご心配いただきありがとうございます」
サリーナのように満面の笑みで感謝を伝えれば、少し疑う素振りを見せながらもハーヴェイはそれ以上追求はしてこなかった。意外と空気を読める人なのかもしれない、とソフィアは思った。
「それでハーヴェイ様。何か私に用事があったのではないですか?」
「あぁ。聖女様がサリーナを探していたから呼びに来たんだ。なんでも小腹が空いたので夜食が欲しいと言っていたようなんだけど、俺が行こうか?サリーナは休んだほうが良さそうだ」
「わざわざ探してくださったのですね。お気遣いまでありがとうございます。しかし、私の仕事ですから私が行って参ります」
ハーヴェイの優しさにつけ込んで仕事を頼んでしまおうかと思ったソフィアだが、サリーナがそんなことをするはずもないため、サリーナの評価のためにも引き受けることにした。
夜食の準備は頼んでおいた、と告げるハーヴェイに感謝の言葉を述べるとソフィアは急いで厨房へと向かった。決してハーヴェイから早く離れたいという訳でない、断じてない。
厨房から夜食を受け取り、ソフィアは聖女オリビアの部屋へと向かった。正直、聖女の部屋の隣に用意されたサリーナの部屋へと向かいサリーナと交代したかったのだが、どこで誰が見ているかわからない小さな屋敷の中である。ここは聖女を間近で見るチャンスと切り替える事にした。
控えめにノックをすればすぐに入室を許可する声が聞こえてくる。夜食の乗ったカートを押しながら部屋へと入ると、すでに夜着を纏ったオリビアが椅子にかけて待っていた。
甘く優しげな顔立ちに銀色の髪と白い肌、真っ白な夜着を纏うオリビアは全ての色素が薄く、何とも神秘的で儚げに見えた。そんなオリビアが本当にサリーナの言う『物語に出てきそうな貴族』のような人物なのか、と疑問に思ったソフィアであったが、すぐにその疑問は打ち消された。
「何をしていたの?あなたはわたくしの侍女でしょう?主人が呼んでも来ないなんてあり得ないわ!」
「申し訳ございません」
ソフィアにとって初めて聖女と交わした言葉は謝罪となった。
「はぁ……屋敷でわたくしに仕える者達はもっと気が利いていたというのに。よりにもよって、どうしてあなたみたいな人が選ばれたのかしら」
表向きサリーナは、王宮に仕える侍女の中から選ばれた者とされている。そのため、最初は王族に仕える侍女が己に付くと知って喜んだオリビアであったが、そのサリーナの侍女ぶりに不満のようだ。
実際、サリーナの本職は侍女ではないが、仕事柄経験した事はあるし、一般の侍女よりは働ける方である。ただ、オリビアに仕える侍女のようにオリビアのためだけに動けないサリーナに同じ仕事を求めるのは無理だろう。ましてや旅の最中で、他の人の面倒(雑用)もこなさなくてはいけない。そんな環境で貴族らしい生活を求めるオリビアがどうかしているのでは、とソフィアは思えてならず、心からサリーナに同情した。
「それで夜食は持って来たの?」
「はい、お持ちしました」
テーブルに食べやすく並べ終わると、オリビアは優雅に夜食を食べ始めた。夜食を食べる姿も貴族らしいな、と無駄に感心しつつ、やはり運んできた侍女に礼も言わずに食べる貴族は好きになれない、とソフィアは毒吐いた。
ソフィアはたまにフッと考える。導きの神アレル様は生き物は使命を持って生まれてくると仰るが、こんなにも生きることに不平等さのある世界でどうやって使命など見つけ出せるのか。
王族には国民を守る使命が、貴族には領地の民を守る使命がある。しかし全ての貴族が貴族らしい心を持ってはいないとソフィアは知っている。ならばそんな人達は下々の者を見下す使命でも受けたのだろうか。
明日の食べ物もない村や町の者たちの使命は飢えることだったのだろうか。私達のような特異体質を持つ者は己を蔑んだ目で見つめる者たちを守るために命をかける使命を持って生まれてきたのだろうか。
それでは惨めすぎないか。そもそも生まれた環境や体質が授かる使命の内容に関係するのだ。それが運命だ、と言われればそれまでだが、それでは生まれてすぐに未来が決まっているのと変わらない。
ソフィアは聖女御一行の影としての任を受け、彼らを見ているうちに恵まれた環境にいる者と恵まれた環境にいない者の差を痛いほど感じていた。いや、今までも仕事上、多くの人と関わり、人間の裏側も見てきたソフィアは今回の旅であえて見ない振りをしていた世界の不条理にぶち当たったのかもしれない。
「もう下がっていいわ」
「かしこまりました。お休みなさいませ」
食べ終わった皿をカートに乗せ部屋を出る。この短時間で一気に疲労が溜まったソフィアは重い足取りで厨房まで戻ると、皿を返し、入れ替わるためにサリーナの部屋を目指した。
もう少しでサリーナの部屋というところで背後から人の来る気配を感じ振り返ると、そこにはフードを目深に被った男、魔術師クレイズがいた。その佇まいに気配を感じとっていたはずなのに、思わず声が出そうになる。
幽霊などを信じたことのないソフィアだが、こんな夜に見るものではない、と心の中で愚痴る。無視するのもどうかと考え、軽く会釈をした。
そんなソフィアをクレイズはじーっと見つめる。正しくは、目が見えないので見つめられている、気がするだけなのだが。なんとなく目を反らせずにいたソフィアの元へクレイズがゆっくり怠そうに歩いて来た。こんな状況ではあるが、本当にやる気を感じられないな、とソフィアは呆れて小さくため息をつく。
「クレイズ様、いかがなさいましたか?」
「……」
「クレイズ様?」
ソフィアが返事のないクレイズを怪訝そうに見ながらも、ここまでクレイズに近づいた事がなかったので、良い機会だと思い相手を観察し始めた。
ローブのフードからは深い蒼の髪がはみ出ており、首には趣味が良いとは言えない大ぶりの魔石が付いたネックレスを下げている。袖からのぞく白く細い手は力仕事をあまりしない魔術師だからか。
「お前……」
「え、あ、はい」
突然言葉を発したことに驚き、慌てて返事をする。
「誰だ?」
ソフィアは驚きで目を見開き息を呑んだ。
まさか正体がばれた?いや、双子が並んでいても違いがわからない人がほとんどだ。一人でいるソフィアとサリーナを見分ける事など無理だろう。ましてや聖女一行の中でクロードしかサリーナが双子である事を知らない。
ソフィアはクレイズの言葉の意味を頭をフル回転させて考える。しかし、答えを見つけ出すことはできなかった。動揺を笑顔で隠し、何とかこの場を切り抜けるしか方法はなかった。
「お忘れですか?侍女のサリーナでございます」
「……ふぅん。まぁ、どうでもいいや」
「え?」
もう興味はないと言いたげに、固まるソフィアを置き去りにしてクレイズは歩き出した。クレイズの姿が部屋へ消えるまで固まったままのソフィアだったが、我にかえると急いでサリーナの部屋へと向かう。
部屋ではサリーナが椅子に座って待っていた。笑顔で出迎えたサリーナはソフィアの顔を見て笑顔を引きつらせる。
「な、なにかあったの?」
「ぐぁあああ!なんなのよあいつ!腹立つわぁあああ!」
「え!?ちょ、落ち着いてソフィア!外に聞こえちゃうわ」
我慢の限界に達し、クレイズの怒りを爆発させたソフィアを慌てて止めに入るサリーナであった。
こうして、ソフィアは良い思い出のない散々な聖女一行との対面を果たしたのである。