それは突然の出来事
それは本当に突然だった。
今日は週に一度の喫茶店の定休日。『影』として働いてきたソフィア達は別に休みを必要としていないのだが、従業員が二人しかいないのに休みがない店は不自然すぎるので定休日を設けている。ただし、『影』の仲間達がいつ情報を持ってくるかわからないので、二人のどちらかは必ず店か住居である二階にいる。
今回の留守番役はソフィアだった。サリーナは月一で開かれる近所の店主達との会合に出席している。ヘルムリクトに来てもうすぐ半年が経とうとしているが、もっぱらそのような仕事はサリーナが受けもっている。逆に商人達との交渉はソフィアが行う。適材適所といったところだ。
仲間達が持ってきた情報をまとめ、ひと段落がついたソフィアは店の前を彩る花壇の世話に勤しんでいた。抜いても抜いても現れる雑草を取り除き、花に水を与える。何か特別なことをするわけではない。
しかし、太陽の光を一身に浴びて蕾を開く花々を見つめることがソフィアは好きだった。仲間達に知られると、柄でもないことを、と笑われそうで隠してはいるが、サリーナはなんとなく気づいているのかソフィアに植物の世話を任せてくれている。
「この空間にも何か植えたいなぁ。何がいいかな」
ソフィアの表情が自然と和らぐ。サリーナが帰ってきたら留守番役を代わってもらい植物を見に行こうか、とソフィアがこの後の予定を立てている時、ジッと自分に向けられている視線を感じた。
一瞬身構えたソフィアだったが、相手から殺気などは感じられない。警戒しつつ、慎重に視線を感じる方へと顔を向けたソフィアは振り向きかけた不自然な体勢で固まった。
「なっ……」
心臓が異常な程に心拍数を上げ、言葉に詰まる。一気に体温が上昇し、身体が痺れるような感覚に襲われた。
頭の中は色々な言葉が飛び交っているのに、どれが正しいのかわからない。
「よう」
ハデスト帝国で言葉を交わした最後の夜から、もうすぐ一年半が経つというのに、その声は不思議なほどにソフィアの中にストンと収まった。
深い青のイメージが強かった髪は、太陽の光の下では少し鮮やかさ強まり、彼の纏う雰囲気を明るくさせる。夜空を取り込んだ瞳から若干刺々しさを感じなくなったのは周りが明るいからだろうか。そう考えて、ソフィアは彼の本来の姿を太陽の下で見たことがないことに気がついた。
いつも昼間は変装のために髪も目も茶色にかえられていた。顔立ちは中性的な美しい顔立ちのままだが、やはり色が違えば印象も変わる。それも本来の姿に戻ると、何処かの物語から抜け出したのかと思えるほど幻想的な雰囲気を醸し出すからたちが悪い。
そして何より、どうして彼がここにいるのか。旅から帰ってきてすぐならばまだわかる。クロードやハーヴェイが挨拶に来てくれたのと変わらないだろう。
だが、もう半年も経っている。サリーナ狙い(?)のハーヴェイや何かから逃げているクロードは通い続けている事もあり納得するのだが。
「何か御用でございますか? あいにく本日は定休日でございまして」
まずは無難に客扱いをしてみるが、またのお越しを〜とは続けられず言葉が途切れる。『影』に用ならセルベトに直接頼めばよい話だし、わざわざヘルムリクトに来る理由が思いつかない。
そんな頭の中が大混乱中であるソフィアに気づいているのかいないのか、彼、クレイズはソフィアの近くへと歩み寄ってくる。
「花」
「はい?」
「花を育ててるんだな」
感情の読めない表情で花を見下ろすクレイズにソフィアは密かに眉をひそめる。クレイズの言葉の意図もわからないが、隣に並ばれた瞬間、自分の身体が僅かに緊張したのも意味がわからない。
ソフィアにとってクレイズはただの共犯者で、いつの間にか仲間の一人に格上げされていた人物である。仲間になぜ緊張しているのか、全くもって理解できなかった。
「まぁ、お客様との話題も増えますしね」
「そんなもんか?」
「そんなものです」
ただの趣味です、とは言えなかった。いや、言ってもいいのだろうが、柄じゃない。
「それより、何か御用ですか? わざわざこちらにいらっしゃるなんて」
「ハーヴェイ達も来るだろう」
「え、いや、そうですが」
なぜ来るのが当たり前みたいな感じなのだろうか、とソフィアは途方にくれた。
無表情だったクレイズの眉の間に皺がよる。
「俺が来るのはまずいのか?」
「え? いや……」
不味いか不味くないかと聞かれれば、不味くはないのだろう。一応喫茶店と銘打っているのだから、客が店に来るという定義で言えば拒否する理由もない。
だが、クレイズは聖女一行の一員であり、国内一位の実力王宮魔術師である。ハーヴェイ達のように目的があるならまだしも、気分でここに来たと言われても納得しづらい。
「不味くはないと思いますけど」
「ならいいだろう」
「しかし、あいにく今日は定休日でして」
「お前、なんで敬語なんだ?」
「っ!?」
何故そこ!? とソフィアは目を見開く。しかし、当のクレイズ本人はなぜ驚かれているのかわからないようだ。
しかし理由なんてーー
「あの時の任務はすでに終了しております」
これに尽きるだろう。
『影』の中の一人であるだけのソフィアが王宮魔術師のクレイズにため口でいいはずがない。あの時は任務でずっと一緒だったこともあったし、共犯者という対等な立場で意見を交わすのにも楽だったのだ。クレイズに反発心があったというのもため口を受け入れた理由の一つになるだろう。
簡単に言えば、ソフィアにクレイズを敬う気持ちが全くなかったのである。
しかし、今は仲間であったと思う程度にはクレイズの実力を認めているし、任務を一緒にこなしているわけでも無い。今の二人はただの諜報員と国お抱えの王宮魔術師という、立場も身分も全く違う立ち位置にいるのだ。
それもクレイズは聖女一行だったとしてさらに地位を高めている。そんなクレイズに今までのような態度は取れないだろう。
「ふーん」
「……」
微妙な空気が二人の間を流れる。その空気を振り払ったのは踵を返したクレイズだった。
「まあ今はいいか。俺、当分ヘルムリクトにいるから、また来る」
「え? また来るって、え、ちょっ!?」
慌てふためくソフィアを他所に、クレイズは涼しげな表情でその場を去って行く。
そしてそれから、クレイズは言葉通り毎日のように店に顔を出すようになった。




