頼りになるけど会いたくない
サリーナと話した日の夜、ソフィアはアベルの町の近くにある森へと入っていた。魔獣化した動物に襲われたという客から聞いた場所へとやってきたのである。
黒髪のウィッグを外し、セイラ風の化粧を落としたソフィアを見ても、誰もセイラだとは気づかないだろう。ましてや全身黒服に身を包んでいるため森の中で見つかる事はまずない。
木々の間を気配を消して進んでいく。辺りは風に揺れる葉の音しか聞こえない。ソフィアはいつでも戦闘態勢になれるように剣に手を添えながら慎重に進んでいく。
しかし、全く動物の気配が感じられなかった。聞いた場所より奥に進んでも生き物の気配がない。
「逆に変よね。穢れている場所もないし、どこで魔獣化したのかしら。誤報だったとか?」
ソフィアは首をひねりながらも収穫なしのまま宿近くのアパートに戻った。
次の日の朝、何時ものように朝早く出勤する。寝る時間が短くても疲れを残さず時間通り起きられるのは影の者だからだ。
「おはようございます!」
「あぁ、おはよう、セイラ」
いつものように厨房にいる女将さんの旦那兼料理長に挨拶をして、エプロンをつけるとお湯を沸かしてお茶を作る。その間にホールを軽く掃除して厨房に戻れば、一気に宿泊客が来ても困らないように予め皿の準備をする。その頃になるとちらほら宿泊客が食堂に降りてくるので配膳の開始だ。因みに、女将さんは客のいなくなった部屋から順に片付ける準備をしている。
「おはようございます!」
「おはよう、セイラちゃん。朝から元気だねぇ」
「はい!よくお休みになれましたか?」
「ああ、お陰様でな」
客と挨拶ついでに話をしながら配膳していく。夜と違い宿泊客しかいない朝は楽だ。だからこそ客の観察ができるのである。これも大事な情報だ。
今日は問題のある客はいなさそうね、そう安堵かわからない息を小さく吐きながら厨房の奥へと入ろうとした瞬間、宿の外で人の叫び声が響いた。
反射的に裏口まで気配を消して走りドアを開ける。騒がしい食堂の音の中、どこから聞こえるのか定めるために耳をすます。
複数の人の声。それは喧嘩などではなく、日常では聞くことのない恐怖に染まった人の叫び声だった。
「町の入り口方向?何が……まさか魔獣?」
中の様子を確認し、自分に気づいていないことがわかったソフィアはこっそり裏口から抜け出す。そして人に出会わない細い道を辿りながらアベルの町の入り口まで走り抜けた。
入り口に近づけば、一気に獣の臭いと血の匂いが漂ってくる。嫌な予感は当たってしまった。昨日の夜に見つけられなかったのが不思議な程の数がいると推測される。なぜ見つからなかったのかは後で考えるとして、まずは今だ。このままでは町が全滅してしまう。
ソフィアは走りながらサリーナへと話しかけた。
《サリーナ、今どこ?アベルの町に魔獣化した動物が来た。まだ現場へ走っているところだけど、かなりの数がいるみたい》
《わかったわ。大丈夫よ、ソフィア。》
そのサリーナの言葉を聞き終わる頃に現場に着いたソフィアは顔を歪めた。十数頭の魔獣化した鹿が暴れていたのだ。大きな体は更に巨大化し、ツノは樹木のように太く長い。逃げ惑う人間を追いかけツノで弾き飛ばす。人間は簡単に宙を舞い、地面へと叩きつけられた。その場は正に地獄絵の様だった。
さすがに一人では立ち向かえないと判断したソフィアは、倒れている人達を建物の陰に隠していく。それしかできないことを悔しく思いながらも、今までも仕事上、人々が苦しむ姿を見て見ぬフリをしなくてはいけなかったため心は折れなかった。いや、もう折れる心がないのかもしれない。
その時突然、魔獣の前に集団が現れた。それを確認した瞬間、ソフィアは陰に隠れる。何もいなかった空間に現れた集団、それは聖女御一行だった。
「ハーヴェイ、大丈夫ですか?」
「ご心配はいりません、聖女様。それよりも少し遅かったようですね、クロード様」
「まずは魔獣を全て沈めよう。その後に救護する」
第二王子クロードの言葉に頷いた騎士ハーヴェイは次の瞬間姿を消し、すぐに200メートル程の距離にいた魔獣の背後に現れると思い切り剣を振り下ろす。その重たい剣は一撃で魔獣を沈めてしまった。その後も消えては魔獣の背後に現れ斬る、を繰り返す。分厚い皮で覆われた魔獣を貫くその実力は、さすが国内一と言える。
ハーヴェイの特異体質の能力『瞬間移動』は剣士との相性が抜群だった。ソファアも心の中で、あれは反則よね、と思わず呟く。先程もハーヴェイの能力によってアベルの町まで来た。ただ欠点は半径10キロの距離でしか動けないことだ。それでも転移装置でしか移動できないこの世界にとっては恐ろしい能力だろう。
ハーヴェイが動き回っている横では魔獣達が燃え上がっている。しっかり結界の中に入れているのを見ると町の事を考えての処置だろう。なんとも悍ましい光景だが、大量の魔力を使う結界を発動しながら攻撃魔法を発動できるのは大変凄い事である。
そんなことをしている魔術師クレイズはフードで顔が見えないため、どんなことを考えているのかさっぱりわからない。だからこそ不気味だ。
第二王子クロードは倒れている人を守りながら剣をふるっていた。二人の様な激しさはないが、魔獣を一撃で仕留めるあたり、やはりかなりの実力を持つのだろう。そして冷静に情報を判断して動くのを見ていると頭も切れるようだ。
聖女オリビアはサリーナを側に置きながら、優しげな眼差しで倒れている者に声をかけている。その美しさに涙を流し感謝する者までいた。そして、あっという間に魔獣達の戦意が削がれると、オリビアは凛と立ち、息を大きく吸い込み魔獣に向かい立つ。
その口から発せられる歌声は聞く者全ての心を癒し、魔獣化を解いていく。その神秘的な光景にソフィアは息を飲んだ。
「よし、まずは怪我人の手当をしよう。悪いが誰か手伝ってはくれぬか!」
クロードの一言に息を潜めて見守っていた町人達が一斉に動き出す。皆の瞳には尊敬や希望が溢れ、我先にと手伝い始める。
それを見たソフィアは気配を消して建物の裏へと消えていった。
《ソフィア、どうだった?彼らの活躍ぶりは》
戯けたようにサリーナの声が聞こえてくる。それにソフィアは苦笑いを浮かべた。
《素晴らしい実力ね。正義の味方っぽかったわ》
《でしょ?》
《実際の姿を知らなければだけど》
《それは言わないで》
ソフィアはなかなか面倒くさそうな集団だと再認識した。そして、やはりヘマをしないで会うことのないようにしようと心に決める。しかし、そんなソフィアの決意はサリーナの一言で一瞬にして吹き飛んでしまった。
《そうそう、クロード様が今夜ソフィアに会いたいそうよ》
こっそり宿に入ろうとしていたソフィアは動揺で思い切りドアを開けてしまい、女将さん達に気づかれ、どこに行っていたのかと詰め寄られる羽目になってしまった。