なんか変わったね
「お疲れ様」
「そっちこそお疲れ」
チンッとグラスの合わさる音が響き、グラス内の赤い液体がたぷんと揺れる。一口飲めば渋みの中に若干感じる甘み。初めて飲んだ時は良さが全くわからなかったが、今ではその渋みも美味しく感じる。
目の前には野菜たっぷりのスープにサリーナの好きなパン屋のパン、鶏肉の香草焼き、サラダと穢れによる被害から復興しきれていない現在ではかなり贅沢な料理がテーブルを彩っている。
「うわぁ、豪華ねぇ!」
「お城ではもっと豪華な食事にありつけたのに」
「さすがに侍女は同じテーブルで食べれないでしょう? それに私は『影』だもの。あまり顔を見せびらかすのは、ねぇ?」
「でも、かなり知られちゃったよね」
これには二人とも苦笑いを浮かべるしかない。サリーナが旅を続けていた一年半、ソフィアは主に王都の本部で働いていたが、たまに外での諜報活動などを行ってきた。その上で一番気をつけていたのが顔を見せないことだ。もちろん化粧などで変装をしているし、サリーナが影であることは知られていないため気づかれることはない。
だが、聖女一行が穢れの浄化のため各地を回ったのは事実で、サリーナも多くの人に見られている。主役である彼らに比べたら印象になんて残っていないだろう。だが、「なんかあの侍女に似ているね〜」と言われたら、それはもうすでにアウトなのだ。
『影』は相手に印象を残してはいけない。
「あれ、どんなかんじだったっけ?」 と朧げにしか思い出せず、特長すらあがらない。それが完璧な仕事をした証である。
「当分、表立っての仕事は控えた方が良さそう」
サラダをもしゃもしゃと食べながらソフィアが言えば、サリーナは食事する手を止め、じーっとソフィアを見つめてきた。
「なに?」
「ねぇ、ソフィア。ハデスト帝国での生活はどうだった?」
ついにきたか、とソフィアは思う。ハデスト帝国で別れた時、サリーナはとても話を聞きたがっていた。あの時は面白がるキャメルもいたしで宥めるのが大変だったが、忘れてくれないかなぁというソフィアのささやかな願いは叶わないらしい。
ソフィアは食事を進めながら何でもないことのように返事を返す。
「んー、別に普通だったよ。食べ物にも困らないし、寝る場所もある。野宿しながらの任務じゃない分、楽? だったかなぁ」
「ふーん。楽、ねぇ。いつも私以外とは組まないソフィアが、見ず知らずの男と生活してたのに」
「ぐふっ! ゴホッゴホッ……ちょ、見ず知らずとまではいかないでしょ。変な言い方しないでよ」
思わぬ返事に食べていた物が気管に入り、ソフィアは若干涙目になりながらサリーナを睨みつける。しかし、ソフィアの視線を感じてもサリーナはしれっとした顔のままだった。
以前であったなら、ごめんごめん、と優しい笑みを浮かべて話を終わらせてくれるというのに、今はその気配が全くない。この段階でソフィアは、あれ? と思った。
「でもそうでしょ? ソフィアは昔から他人と距離を取って近づけることなんてなかったじゃない」
「そ、それは……」
「あ、責めてる訳じゃないの。仲間とは普通に話しているのを知ってるから。だけど、今まで関わり合いのなかった人を簡単に受け入れないのも知ってる。だから、クレイズ様を受け入れたのがただ不思議だったの」
不思議……たしかに不思議だろうなとソフィアは漠然と思った。なんと言えば正解なのかがわからない。今までだってあまり知らない相手と仕事をすることはあった。でも、その相手に心を開いたことはない。
「……強制的に一緒にいなくちゃいけなかったから、かな?」
「なんで疑問形なのよ。でも、正直ソフィアが一緒にいるだけで相手を受け入れるとは思わないわ。ましてや楽と言わしめるなんて……ちょっと嫉妬したわ」
「え?」
サリーナの最後の言葉にソフィアは驚きを隠せなかった。唖然とした表情でサリーナを見つめれば、苦笑いが返ってくる。そんな表情も珍しい、そう思って、やっとソフィアは気づいたのだ。いつものサリーナではないと。
サリーナはソフィアにとって太陽のような人だ。誰とでも笑顔で話し、すすっと人の輪の中に入っていける。人を不快にする事もない。相手が触れてほしくないところをすぐに察して、深追いしないでくれるからだとソフィアは思っている。心の駆け引きというソフィアの苦手としている部分を、サリーナは幼い頃から身につけていた。
そんなサリーナが、今日はソフィアが困っても一切引いてくれないのだ。きっとクレイズの事をあまり触れられたくないとわかっていて、敢えて触れてきている。ましてやサリーナの口から『嫉妬した』なんて聞くとは思わなかった。
「……サリーナ。何かあった?」
旅の最中に何かあったのだろうか。そういえば、サリーナにしては珍しいくらい報告の内容が愚痴っぽかった。やはりあのメンバーでは気苦労が絶えなかったのだろうか。ソフィアは心配の色を強くした。
しかし、サリーナはふっと困ったような笑みを浮かべ、小さく首を横に振った。手元では手持ち無沙汰のようにグラスをくるくる回している。
「ねぇ、ソフィア。やっぱりこうやって私にあれこれ聞かれるのは嫌、かな?」
「嫌っていうわけじゃないけど……」
「私、いつも人の顔色を伺ってた。小さい頃はそんなことなかったけど、色んな人に出会っていくうちに人に嫌われたくないと思った。笑って誤魔化してた。それは別に悪いことじゃないと思うの。人と上手くやっていくための一つのスキルみたいなもの」
ソフィアは黙って耳を傾ける。
「でも、いつの頃からかソフィアの顔色も伺うようになった。嫌われたくなかった。ほら、ソフィアはどんどん仕事の腕を上げていったでしょう? 一人で仕事をするようになっていって……離れていってほしくなかったんだと思う。家族の縁が切れるわけでもないのにね。だけど、ソフィアには嫌われたくなかった」
「嫌うことなんてないよ」
「あと、羨ましいって気持ちも強かったんだと思う」
「羨ましい? サリーナが、私を?」
そんな馬鹿なとソフィアは首を傾げるが、サリーナは大きく頷いた。
「だって、嫌な事は嫌って言えるし、したい事をしてる」
「そ、それは自分勝手なだけで」
「それも否定しない」
「……否定しないんだ」
なんだか可笑しくてソフィアは笑ってしまった。いつもなら「そんなことないよ」とフォローの言葉を入れるだろうサリーナからの言葉の数々が新鮮だ。
「だけど、周りに流されてばかりの私にとっては羨ましかったの」
「そんな事言ったら、私は誰とでも仲良くできるサリーナがずっと羨ましかったわ」
「……ないものねだり?」
「そうかも」
サリーナとソフィアは何でも一緒だった。
生まれた時も一緒、境遇も一緒、見た目も一緒、能力も一緒。
だからお互いの違いが個性の表れであり、コンプレックスでもあった。
髪質の違い、性格の違い、仕事の違い、考え方の違い。ちょっとした違いが比べやすいから、相手を羨み、自分を卑下してきた。それも自分だけがそう思っていると思っていた。
「なんか変わったね、サリーナ」
「ソフィアもね」
「なんでだろうね」
「誰の影響だろうね」
ふふふ、とどちらからともなく笑いが溢れる。
今までよりも視界が明るい。心の奥を漂っていたドロドロしたものが、すっとなくなっていく気がした。
「聞きたいこと、話したいこと、たくさんあるの」
「じゃあ今日は久しぶりに一緒に寝よっか」
何年分ものすれ違いを取り戻すように、二人はいつまでも語り合った。




