なかま?
「痛い」
「あ、悪い」
珍しく慌てた様子でクレイズが手を離す。しばしの沈黙がとても気まずい。チラリとクレイズを盗み見れば、頬が真っ赤になっていた。それもそうだろう、とソフィアは納得する。なんたって本気でぶっ叩いたのだから。悪いとは思っていないので謝るつもりはないが。
「悪かった」
「……それは何に対しての謝罪?」
なんで普通に話してるんだろう、と若干自分の言動に呆れながらもソフィアは先を促す。なんというか勢いが削がれてしまったのだ。別に言い訳を聞いてあげようという優しさとかでは全くない。
「やめろと言ったことだ」
またその話を蒸し返したくはないソフィアはスッと立ち上がると台所へと向かって行く。
「もう忘れましょう。私の発言も忘れて」
それでおあいこ、そう言い聞かせるようにクレイズの元へ戻ってきたソフィアは水で濡らした布をクレイズに手渡す。布を受け取ったクレイズは険しい表情を浮かべながら頬へと当てた。
手の跡が残るかなぁ。でもフードを被ってるだろうからみんなには見えないか、などと考えつつクレイズを見ていたソフィアは、自分がクレイズの心配をしていることに気づき慌てて視線を外した。
「でも、やめて欲しいと思ったのは本心だ」
「まだ言っーー」
「危険なことはしてほしくない」
てるの、と続くはずだった言葉は音にならなかった。驚きのあまり口を開けたまま固まっているソフィアにクレイズは自傷的な笑みを向ける。
「こんなこと思うとは、俺も思ってなかった。なるべく人を避けてきた俺が、な」
ソフィアは意味がわからなかった。危険な仕事をしてほしくないなんて、まるで己を心配しているみたいではないか。だが、ソフィアは長年この仕事をしてきた。引きこもってばかりだったクレイズとは比べ物にならないくらい修羅場だって乗り越えてきたのだ。
「心配されるほど腕は落ちぶれてないわ」
存外に余計なお世話だ、と伝えるソフィアにクレイズが小さく首を振る。
「実力くらい知ってる。嫌という程見てきたからな」
たしかにここ数日は共に行動することが多かった。ソフィアの仕事を見てきたというのも嘘ではない。
ならば何故、とソフィアは怪訝に思った。ソフィアとクレイズはただ目的が同じだったから手を組んだ、言わば共犯者だ。お互い利用しようとはすれど、助け合おうと思ったことはない。怪我をすれば自業自得、そう割り切っている関係ではなかった。
そう思って、ふっと先ほどまで自分がクレイズの頬を気にしていたことを思い出し、クレイズの不自然な動きの数々も蘇ってくる。
単独行動をしていたはずが、突然仕事に協力的になったり、アスベルとの戦いの際、何度もソフィアを庇い切り傷を増やしたり、終いには交渉中だというのにザドルフからの攻撃を勝手に跳ね除けたり……共犯者と呼ぶには少々ソフィアに肩入れしすぎているような行動の数々。
「最初の頃からそうだけど、あなたの考えてることがいまいち理解できない」
「……俺も、俺自身を理解できてねぇ」
それじゃあお手上げではないか、とソフィアはため息を吐いた。危険なことはやめろと言って心配ぶってみたり、ソフィアの実力を認めてみたり、自分の考えていることもわかっていない男に少しでも心の中に閉じ込めていた感情をぶつけてしまった自分が馬鹿みたいではないか。いや、実際馬鹿だったのだろう、とソフィアは冷静さを取り戻した頭で考えていた。
ソフィアは今まで感情をそのまま言葉にしたことがあまりなかったのだ。全てを飲み込み、己の中で消化する。消化不良を起こすこともしばしばあったが、心に残った残骸には無関心を装い奥へ奥へと押し込んでいた。
一番側にいた心配性のサリーナにぶつけるという選択肢は存在しなかったし、教会で共に育った仲間には知られたくなかった。育ての親である教会の大人達やセルベトには悟られないよう隠していた。手がかかるとか面倒だと思われたくなかったのかもしれない。
そう考えていくとクレイズはどの枠にも当てはまらない存在なのだ。キャメルのように仕事でしか顔を合わせることのない相手に自分の内側を見せることは滅多にない。その後仕事をしづらくなるからだ。その点でも、クレイズは王宮魔術師、表舞台の人間である。もうソフィアと仕事をすることも、顔を合わせることもないだろう。
あぁ……そういうことか、とソフィアは納得し小さく頷いた。そんなソフィアをクレイズは不思議そうに見つめる。
「私達、後腐れないからって相手のこと気づかってなかったものね」
「……いきなりなに言ってんだ?」
「思ったことをあんまり考えないでぶつけてたのよ。だから、自分自身、何言ってんのかわかってない」
相手の顔色なんて気にしない。なんたって、任務が終われば会うことはなくなるのだから。そう心のどこかで思っていたから気を使わず、感情にブレーキをかけ忘れていたのかもしれない。そして、後から考えると何故自分があの時あんな事を思ったのかわからないのだ。
「……でもまぁ、たしかに楽だった」
ボソリと呟いたソフィアの言葉をクレイズは聞き取れず「ん?」と聞き返してきたが、ソフィアは首を横に振る。
この関係が楽だったなんて言えはしないし、少しだけでも光の世界で生きる人達と同じ生活ができて楽しかったなんて伝える必要はないのだ。
「まっ、知らないうちに仲間意識が芽生えてたのかもって話よ。私も姉以外とこんなに仕事を一緒にしたことなかったし。貴方も、心配するくらいには私を仲間と思ってたんじゃない?」
「仲間……」
「もうそれでいいじゃない。明日、お互い早いんだし、もういいでしょ?」
今度こそ終わりだ、とソフィアは話を切り上げ自室へと入っていく。これ以上話していると自分の中に隠れている何かチクチクとしたものが顔を出してきそうな気がしたのだ。
ーー終わり。そう、この生活はもう終わりなのだ。
クレイズがソフィアを追ってくることはなかった。
残されたクレイズは頬に当てていた布をそっと外し、握っているそれに視線を落とす。
「仲間、か…………それは喜ぶべきこと、なんだろうな」
二人で過ごすハデスト帝国最後の夜。それは燻った何かを冷まさせるような、ひどく静かな夜だった。




