素顔を見せている者はいない!?
木々の生い茂る森の中、人間よりも大きな動物の無残な死骸が至る所に転がっている。辺りは血生臭い匂いが漂い、思わず鼻を塞ぎたくなるほどだ。
そんな悍ましい光景の中心に一人の女性を守るように三人の男と一人の女が立っている。血塗れの剣を持つ二人は辺りの気配を確認すると、血を払ってから拭うと鞘に収める。気遣い気に女が真ん中の女性に声をかければ、女性はその心配を振り払うように一歩踏み出し、大きく息を吸うと鈴の音のように可憐に響く声で歌い出した。
その歌に導かれる様に魔獣化していた動物は淡い光を放ち出す。そして歌が終わる頃には元の動物の姿に戻っていた。しかし一度奪われた命が戻ることはない。杖を持った男が何か呪文を唱えると、命の消えた動物達は跡形もなく消え去った。
一瞬の沈黙があたりを占めると、場違いな程明るい声が聞こえてきた。その声の主は国内一の実力を持つ騎士。
「歌で浄化できるとは粋なものですよね、聖女様」
優しげな微笑みを浮かべるハーヴェイに褒められた聖女オリビアは嬉しそうに微笑み返すと、そのままハーヴェイの元へと駆け寄った。
「ありがとうございます、ハーヴェイ様。でもあのような恐ろしい事がこれからも起こるのかと思うと怖いですわ。どうか守ってくださいね」
「もちろんです。私は貴方様を守るために側にいるのですから」
はたから見れば恋人同士にも思える会話。しかし、似たような会話を王子クロードともしていたのを見ていたサリーナは、なかなかやるわね、と心の中で呟いた。
旅を始めて数日。サリーナは徐々に見え始めた聖女一行の個性に困惑していた。
「サリーナ、服が血で汚れてしまいましたわ。後で着替えるわよ」
「え、どこに血が……わかりました」
ハーヴェイに向けた笑顔を消し去ったオリビアはサリーナに近づいてくると小声で命令を下す。スカートに一滴の血が付いているから着替えると……旅先でそんなことで着替えていたら衣服がいくらあっても足りないだろう、と思うとサリーナは思わず小さなため息を漏らした。
聖女オリビアは、正しく聖女を体現した美しく優しげな笑顔を持つのに、実際はとても我儘で男好きだ。甘やかされて育ったお嬢様だからかもしれないし、無自覚に男へ近寄っているのかもしれない……と最初は考えたのだが、二人っきりの時に見せる顔を見ていると間違いなく事実だろう、と思う。
そして騎士ハーヴェイ、彼は見た目の勇ましさとは対照的に常に優しげな笑顔を貼り付けている。そう、貼り付けているのだ。さすがに『影』として生きていたサリーナは騙されない。あの笑顔の裏で何を考えているのか、そう思うと時々恐ろしくなる。そして……
「サリーナも大丈夫だったか?何かあったらすぐ言うんだぞ?」
「ありがとうございます、ハーヴェイ様」
誰に対しても(特に女)軽い。何が本当の彼なのか、もしかしたら全て偽りなのか、それが判断できない相手だ。
「にしてもクレイズ、あの攻撃魔法は威力が大きすぎじゃないか?危うく巻き込まれるところだったぞ」
「お前がトロイだけだ。あれくらいなければ一掃できないだろ」
「いや、俺たちも一掃されてしまう」
「されねぇよ」
常にフードを被り素顔を見せない魔術師クレイズは魔術の天才だ。実力は申し分ない、のだが……基本気だるげに歩き無口。口を開けば相手を馬鹿にしているような汚い口調という社交性の欠片もない男だった。
「まあまあ。無事全て倒せたんだ、そう喧嘩するな」
「申し訳ありません、クロード様」
第二王子クロード、彼はこの中で一番まともだ。剣の実力も容姿も良い上に常識人。サリーナはついクロードに平穏を求めていた。こんな不思議な人達の中にいては疲れてしまうから。
だがそれは間違った判断だった……
「いいか、二人とも。仲間を守りながら戦うということは、確かに協力して戦うほうがいいだろう。しかしまだ組んで数日ではないか。お互いの意見を聞きあってーーー……」
クロードの最大の欠点はお堅いゆえに説教が長いのである。サリーナは侍女という立場のため無視することはできないが、他の三人は聞いていない。オリビアは聞いてるフリをしておきながら、話が終わると盛大にクロードを褒めるのだ。凄まじい演技力だ……あぁ、『影」に入らないかなぁ。絶対使えるよ、その演技力。
「おい、聞いてないだろ二人とも!」
「わたくしは聞いてますわ、クロード様」
「あぁ、ありがとう、オリビア嬢。まずは先を急ごう。こうしている間にも穢れによる被害が広がってしまうからな」
そう言って進み始めるクロードの横にオリビアが並び、後ろにハーヴェイとサリーナが続く。その三歩後ろを怠そうに身体を揺らしてクレイズがついてくる。これがいつもの聖女一行のフォーメーションだ。
「クレイズ、もっとキビキビ歩け。置いていかれるぞ」
「……置いていかれないんで大丈夫です」
「お前なぁ」
クロードとクレイズの会話も『いつも』に含まれている。そんな彼らに囲まれてサリーナはこの先の旅に不安を覚えるのであった。
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「セイラさん、こっちの運んでくれるかい?」
「はぁい!今行きまぁす!」
アベルという小さな町にある宿の一階、食事処兼宿泊者の食堂となっているこの場所で、テーブルの間を黒髪を靡かせて器用に避けながら走る女性がいる。明るい声でハキハキ仕事をこなす彼女は最近入ったばかりの従業員で、見習いの立場ながら客にも好印象を与える娘だった。
「セイラちゃん、こっちにも酒追加してくれー!」
「はぁい!ちょっと待っててくださいねぇ!」
「いくらでも待ってやるぞー!」
「お前調子いい奴だな」
「うるせぇやい!」
「「がはははははー」」
男達の豪快な声と笑い声につられて周りも一斉に笑い出す。セイラもつられる様に笑いながら、穢れで騒がしい国内でもこんなに笑って生きられるのか、と感心していた。
頼まれた酒を男達の元へ持っていく。だいぶ酔っ払っている男達はこの店の常連客だった。
「セイラちゃん、この職場には慣れたかい?」
「えぇ、皆さんよくしてくださるから楽しいです。私は幸運の持ち主ですね。穢れで村から追い出されたのに、こんな素敵な場所に巡り会えたんだもの」
その嬉しさと寂しさの混ざり合ったセイラの笑顔に男達は複雑そうな顔を一瞬するも、振り払うように満面の笑みを向ける。
「俺たちも幸運さ!なんたってセイラちゃんに出会えたんだからな!」
「まあ!ありがとうございます。でもアベルの町は大丈夫か少し心配です」
「そうだな。最近アベルの近くで人が魔獣化した動物に襲われたらしいからな」
「そうなんですか?」
「あぁ」
その話を聞いたセイラは何かを考えるように手を顎に当てて黙った。それを男達は怯えていると判断したのか、励ますために明るい話題を探した。
「心配ねぇさ!この前、聖女様が村一つをお救いしたって話じゃねぇか。きっとすぐに穢れを浄化してくれるさ!」
「聖女様って、すげぇ美人なんだってよ!見てみてぇな」
「お前は近づけやしねぇよ!」
「んだとー!」
そんな掛け合いにセイラが笑うと、男達はホッと胸をなでおろした。その後、女将さんに呼ばれたセイラは明るい声で返事をして仕事へ戻っていったのだった。
「セイラちゃんも若いのに苦労してんだな」
「そりゃ今は誰もが苦労してるさ。でも、近くで穢れによって無くなった村なんてあったか?」
「さぁ?あったんじゃねぇの?まぁ、まずは飲もうや!」
「だな!」
男達は考えていたことも忘れ、運ばれてきた酒を美味そうに飲み始めた。
その頃、女将さんに呼ばれて戻ったセイラは頼まれた食べ物を運び終わってから少し休憩をとるために宿の裏にやってきていた。手には女将さんがくれた飲み物を持ち、椅子に腰掛ける。
「あぁ……暑くて蒸れるわ」
そう呟きながらセイラは頭を軽くかいた。その声のトーンも仕草も先ほどのような覇気はない。
飲み物を一口飲むとセイラは心の中で話しかける。
《サリーナ、新しい情報が入ったわ》
《早いわね、ソフィア》
《ふふふ、今はセイラよ》
《あら、そうなの?また可愛らしい名前にしたのね》
《そこは触れなくていいじゃない》
ソフィアはアベルの町でセイラとして情報収集をしている。宿で得た情報はサリーナに伝え、また表舞台に戻れば明るいセイラを演じていた。
《それより情報だけど、アベルの町の近くで魔獣化した動物に人が襲われたみたい。一応確認してくるけど、複数の場合一人じゃ無理かもしれない》
《わかったわ。アベルなら近いから急いで向かう》
《お願い》
サリーナと話していると背後から女将さんに呼ばれたため、そこで情報交換を止め、大きく息を吐く。次の瞬間にはソフィアはセイラになりきり、食堂へと戻っていった。