戦いの幕が開く
残酷な描写があります。
その日、ハデスト帝国の首都は異様な盛り上がりを見せていた。門から城へと続く道には人々が集まり、皆それぞれ歓声を上げている。
幾度となく似たような光景を目にしてきたソフィアは、何を思うこともなくそんな街中を見下ろしていたが、隣にいるキャメルは「凄い盛り上がりねぇ」とその光景に興味津々。一方、クレイズは何かを思い出したのか苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
「あれが普通なのよ……あれが」
人々が作った道の真ん中を堂々と歩いているのは、聖女御一行様。周りを囲む人々は聖女オリビアを見てその美しさに感嘆の息を吐き、オリビアを守るように歩く男性陣に頬を染める。そして誰もが希望の光をその目に宿す。
穢れからこの世界を救ってくれる唯一の希望。
この怯え、苦しむ生活から救い出してくれる希望。
そんな民衆の想いがひしひしと伝わってくる。まさかその希望を握り潰そうとしている者がこの国の上層部にいるとも知らないで。
少しずつ城へと近づいてくる聖女一行を城の近くで眺めていたソフィアは、キャメルに肩を叩かれたことで一行から視線を外した。
「やっぱり動いたわ」
城のある一点を見つめるキャメルは視線を動かすことなくソフィアに告げる。キャメルの言葉に頷き返したソフィアはもう一度聖女一行へと視線を向け、心の中でサリーナに語りかけた。
《こちらに動きがあったわ。計画には変更なし》
《わかった。ソフィア、気をつけて》
《サリーナこそね》
サリーナが前を歩くハーヴェイに近づき耳打ちしたのを確認し、ソフィアはスッと立ち上がる。すでに準備万端なキャメルとクレイズが小さく頷くのが見え、いつの間にか息がぴったりだな、とソフィアは心の中で苦笑いを浮かべた。
「行くぞ」
クレイズの言葉を合図に三人は走り出す。ソフィアとキャメルは気配を消して道無き道を駆け抜け、クレイズは魔術で身体を浮かせ木々の間をすり抜ける。
最初の頃はソフィア達の動きについてこれなかったクレイズも、共に仕事をした数日でうまく魔術をコントロールし、ついてこられるまでに上達していた。何でも卒なくこなすクレイズにソフィアが少し面白くないなと思ってしまったのは内緒である。
それでもクレイズにできないこともあるのだ。例えばーー
「止まって」
突然手を横に出し、制止を指示したソフィア。もちろんその指示はキャメルに向けてではなく、クレイズに向けてである。キャメルはソフィアが言うより先に止まり、辺りを警戒していた。
そう、クレイズにできないこと。気配を消すこともそうだが、気配を感じ取ることもできはしない。戦い慣れをしていないというのが大きな要因だが、どちらかと言えば、本職のソフィア達に敵うはずがないのだ。
ソフィアもその事はよく理解している。だからこそ、クレイズにしっかり指示を出す。そして、クレイズもソフィアの指示に素早く反応できるようにしている。
キャメルに「いいコンビだねぇ」とからかわれたのは言うまでもない。
「さすがに警戒してるわね……でも、この先ってことは」
「あの奥地か」
「でしょうね」
ソフィア達が追っている者達は何度か止まり、辺りを警戒しながら何処かを目指し馬を走らせていた。彼らが止まれば、ソフィア達も止まる。それを繰り返しながらも徐々に目的地に近づいていることがその警戒の強さからもうかがい知れた。
城の東側に広がる森、その中でも一層木々が茂る奥地に人を寄せ付けないような佇まいの屋敷がある。ずっと使われていなかったのだろう屋敷は、破損箇所は見受けられるものの、身を隠して一時凌ぎに使うにはもってこいだ。
ソフィア達の予想どおりにその場所へとたどり着いた彼らは、馬から降り屋敷へ入っていく。それをソフィアは茂みの中から確認し、小さく息を吐いた。
「やっぱりここか」
「まぁ、隠れるにはちょうどいいだろうしね」
ソフィアの隣にやってきたクレイズに続き、キャメルも茂みの中に入ってくる。
ソフィア達はこの数日の諜報活動で、標的である人物が聖女一行がやってくる日に城から抜け出すという情報を手に入れた。一行が城に入るタイミングで城に忍び込み、城の中で任務を遂行しようとしていたソフィア達にとっては願っても無いチャンスである。
そのため、ソフィア達は城から抜け出し、身を隠せそうなありとあらゆる場所を調べた。その一つがこの屋敷である。
屋敷の入り口には二人の大男が立ち、裏口にも男が一人いる事が確認できる。
「屋敷に入ってすぐのところに三人。あとは右側の階段下に二人。二階の奥の部屋の前に二人。その部屋に標的、かなぁ」
「こういう時、キャメルの能力って恐ろしく便利ね」
見えない中の様子が簡単に見えてしまうのだから。キャメルの標的になった者はどんなに隠れてもいとも簡単に見つかってしまう。もはや隠れるのも無駄というものだ。
「私に隠し事なんて無理よ、むーり♪」
うふふっと可憐な笑顔を浮かべたキャメルを見て、過去の出来事を思い出し、ソフィアとクレイズの顔がひきつったのは仕方のないことだろう。
「じ、じゃあ、行きましょう」
「あ、あぁ」
これから命を賭けた戦いをするというのに、歯切れの悪い声が虚しく響く。しかし、そんなものは一瞬で、再び屋敷へ目を向けた三人の表情は鋭いものへと変わっていた。
クレイズが小さな声で呪文を唱え始め、その隣ではソフィアとキャメルが臨戦態勢に入る。一瞬の沈黙の後、クレイズが僅かに頷いたのが合図だった。
風のようにソフィアとキャメルが茂みから抜け出ると、ソフィアは入り口、キャメルは裏口へと走りこむ。
入り口にいた男の一人がソフィアに気づいたーーが、すでに遅い。飛びかかったソフィアの持つ短剣によって声を出す前に首を搔っ切られ、大きな身体はゆっくり傾いていく。ソフィアが男から離れた瞬間、ソフィアの頭上に剣が振り落とされた。
しかし、寸前のところで剣をかわしたソフィアは軽くステップを踏むようにして体勢を整える。続けて真横に振り抜かれた剣を身を低くしてかわしたソフィアはそのまま勢いをつけて男に切りかかった。
数カ所切り込んだが、男が身体を離したため傷が浅く、致命傷とは言えない。男がふっと笑みを浮かべた。まるでソフィアを嘲笑うかのような勝ち誇った笑み。そんな男を見てもソフィアの表情は変わらない。
再び男が剣を構え、ソフィアに仕掛けてこようとする。しかし、男は足を前に踏み出そうとしてそのまま崩れ落ちた。男の顔が驚きへと変わる。
「ど、毒か……」
身体を震わせ地面に這いつくばりながら男が苦しげに言葉を吐き出す。
「卑怯、な」
「……私の仕事はそれが取り柄よ」
「くっーー」
男が動かなくなった頃、茂みからクレイズがやって来た。何となく視線を合わせたくなくてソフィアは顔を伏せる。そんなソフィアにクレイズは何も言葉をかけなかった。
クレイズが先ほどかけたのは消音の呪文。屋敷の外全体にかけられたその魔術のお陰で、ソフィア達の動きはまだ気づかれていないはずだ。
入り口を挟むように扉に張り付いて立ったソフィアとクレイズは中の様子を伺う。そして、再びクレイズが呪文を唱え始めた。
ソフィアは自分の心臓の音が僅かに速まっているのを感じ、長く息を吐く。仕事で命をかけるのはよくある事だ。柄にもなく緊張するな、と何度も心の中で自分に言い聞かせていたソフィアの耳に声が届く。
「俺もいる。わかったな……ソフィア」
聞き逃してしまいそうなほどの小さな声。だが、その声が耳に届いた瞬間、ソフィアはハッと顔を上げた。目に飛び込んできたのは、悪戯に成功したみたいに片方の口角だけを持ち上げた笑みを浮かべるクレイズ。呆気にとられているソフィアを他所に、クレイズは扉を指差した。
「やるぞ」
その言葉で我に返ったソフィアは大きく頷き返す。
その瞬間、入り口の扉が大きな音を立てて爆発した。爆風によって屋敷の中の物がめちゃくちゃになる音と人の叫び声がする。その爆風にソフィアは緊張も持っていかれた気がした。




