好きなんてとんでもない!
「ねぇ、最近いいことでもあったの?」
「え?」
普段の仕事と変わらず、ひたすら部屋を掃除していたリリアは、突然かけられた言葉の内容に驚きの声を上げた。きょとんとしているリリアに向かって同僚達はニヤニヤとした表情を隠すことなく近づいてくる。
「なんか生き生きしてる感じがして」
「確かに! 入ってきたばかりの頃より雰囲気が柔らかくなった気がするわよね」
「そ、そうでしょうか?」
リリアは苦笑いで返しながらも、変装しているのに雰囲気が変わったと言われるって不味いでしょ!? と心の中で叫んだ。しかも、本人に変わった自覚がないのは影として、あるまじき失態である。
「そういえば、リリアは新婚だったわよね? 最初の頃は旦那と喧嘩してたとか?」
「あぁ、それで! 最近は仲が戻ったからとかかしら。羨ましいわぁ」
「どうでしょう。あは、あはははーー」
仕事はできる先輩達だが、手の動き同様、口も常に動かしている女性達にリリアはタジタジであった。女性の好きな恋愛などの話を苦手とするソフィアは、もはや笑って誤魔化すしかできないーーが、そう簡単に美味しいネタを手放してくれるような人達ではなかった。
「なに誤魔化してるのよ。じゃあさっき、何考えてたの?」
「さっき、ですか? えーっと、夕御飯は何にしようかなって」
嘘じゃない。家にある食材だけじゃ、まだ回復していないクレイズに栄養のある食事は作れない。何を買い足すべきか考えるのは必要なことだ。まぁ、仕事中に考えることじゃないかもしれないが。
「ふーん。じゃあ、その前は?」
「その前? んーー、あっ! 朝食足りたかな、です!」
これも嘘じゃない。朝、疲れが残っていたのか寝坊をしてしまい、いつもよりも簡単な朝食しか作れなかったのだ。女のソフィアでちょうどよい量だったから、男のクレイズでは足りないんじゃないかと少し不安だ。
「……。ねぇ、それじゃあ、その前は?」
「えっ、何でしょうか……今日の夜はちゃんと話さないとなぁ、とかですかね?」
昨日は結局、劇場から帰ってきた後、クレイズがぐったりしていたため、どんな情報を掴めたのか聞けなかった。サリーナ達がハデスト帝国にやってくるまでに少しでも情報が欲しい。作戦を立てる上でもクレイズとの情報交換は必要不可欠だ。
心の中で解説していたソフィアは、なんとも言えない表情を浮かべる同僚達と目が合い、困惑した。全て今行っている任務に関係してしまうため詳しい事を話したつもりのないソフィアは、何か変なことを口走ってしまったかと僅かに焦り始める。
しかし、同僚達から発せられた言葉は、そんなソフィアを違った意味で驚愕させた。
「リリア、貴女の頭の中は旦那の事でいっぱいなのね」
「はい?」
「いやー、意外だったわ。リリアって意外と尽くすタイプだったのね」
「つ、尽くす?」
この人達は何を言っているのだろうか。ソフィアは意味がわからなさすぎて固まってしまった。
「だってそうでしょ? 旦那に美味しいご飯を食べさせてあげたい。お腹いっぱい満足させてあげたい。旦那の話を聞いてあげたい。みたいなことでしょ?」
「リリアは旦那さんが大好きなのね」
「……」
新婚っていいわねぇ、と口々に言いながら同僚達は仕事を済ませていく。
「さぁ、次の部屋に行くわよ。リリアも手に持っているものを終わらせて、さっさと来なさいよ」と言いって掃除を終わらせた部屋から次々と出て行く同僚達を呆然と見送っていたソフィアは、ハッと我に返り、頭を抱えた。
「な、え、嘘……どういうことぉぉおお!」
指摘されて気づいたが、確かにクレイズに関係する事ばかりだ。精々、最後の返答が仕事に関係することだろう。あとはご飯の事ばかりだ。
任務の事は秘密だから嘘だけどそう言いました、ならば笑って終われる。だが、実際に考えていた事ではないか。
「何してんのよ……というか、どうしちゃったのよ私」
『リリアは旦那さんが大好きなのね』
『リリアはクレイズが大好きなのね』
『ソフィアはクレイズが大好きなのね』
「ない! それはないよ!」
ソフィアは勝手に切り替わっていく同僚の言葉を全力で否定した。
クレイズはただの共犯者だ。口も悪いし態度も悪い。少しクレイズの持つ能力には同情するが、好きになる要素なんて一つもない。
しかし、同僚の『雰囲気が柔らかくなった』という言葉が嘘ではない気もしてきていた。理由ははっきりとわからないが、今の生活がわりと楽しいと思い始めていたのも事実だったからだ。
影としての仕事は基本的に闇の中で生きるようなもの。変装して表に立っていても、本人はその変装した人物の陰で生きている。任務遂行に必要だと思う事をやり、自分の意思は反映しない。
だからだろうか。よくソフィアは自分を見失っていた。
特異体質の者に選べる道は少ない。一度闇に染まったものが、光の世界に飛び込むには、休むための木陰を作ってくれる人がいなければ辛く、苦しいものになるだろう。
ソフィアにはそんな人がいなかった。サリーナならば木陰を作ってくれるかもしれない。でも、あの子はソフィアに木陰を作らせてはくれないだろう。そして少しずつ二人とも闇に引きづり戻されてしまう気がしてならない。
他の教会の仲間も同じだ。お互いが守ろうとして、壊れていくのが目に見える。それぐらいにはソフィアにも仲間に対する情があった。
だが、クレイズは何か違う。同じ特異体質者で闇を知る者なのに、時々、光の世界での姿をソフィアに見せつける。仲間達のようにソフィアを守るべき人だと思っていない。そして、ソフィアもまたクレイズを守るべき人だと思っていなかった。
ソフィアにとってクレイズはただの共犯者。お互いが己を守り、困った時だけ手を貸す関係。
「……あぁ、だからか」
ソフィアの中でストンとしっくりくる答えが見つかった。
クレイズと共にいるのが楽なのだ。
変に構えることも、自分を隠す必要もない。
守り合うというより、助け合う関係。
それは反発心のようなものから生まれた関係だが、ソフィアにとって初めて出会った存在だ。任務中に自分でいられる時間がある。それがこんなにも気持ちを楽にしてくれるなんて。
クレイズは闇の中での共存者であり、光の世界での木陰にもなってくれる。
自分を見せることを拒んできたソフィアが自分を出せる。それはある意味、特別と言えるのかもしれない。
「これを好きとは言わないだろうけど。まぁ、意外と楽しんで過ごしてるっていうのは、認めるしかないかな。食事は……まぁ、嫌がらせの一貫だったし」
最後の方が言い訳じみている気がしたのは気づかないふりをして、ソフィアは肩から力を抜くように小さく息を吐くと、パパッと仕事を片付けて同僚達の後を追う。その足取りは軽やかで、とても闇の中に生きる女には見えなかった。
読者の皆様
今回の話を投稿するにあたり、クレイズの名を全て違う作品の人物の名で投稿してしまいました。
せっかくお読みいただいているのに、ご指摘いただくまで気づくことができず、困惑させてしまい誠に申し訳ございません。
全て変更させていただきました。
今後とも少しでもお楽しみいただけるよう頑張りますので、よろしくお願いいたします。
史煌




