今日の仕事は?
コルベス伯爵の屋敷での仕事が休みであったソフィアは、いつもよりも少し遅い朝を迎えていた。再び睡魔に襲われないようにベッドから起き上がると、顔を洗うために部屋を出る。やっと冷たい水で目が覚めたソフィアは、今日の予定を考え始めた。
「今日はどこを調べようかしら」
「今日はここに行く」
「!」
何気ないソフィアの呟きに答えたのは、部屋から出てきた寝起きのクレイズであった。寝癖のついた青い髪、はだけた胸元から見える白い肌、まだ眠たげな表情は中性的な顔立ちもあって妖艶さを醸し出す。
朝から刺激の強いものを見せられたソフィアは、内心動揺するも、それを隠してクレイズの手元にある品を受け取った。
「……チケット?」
「今日の劇場のチケットだ」
「そんなに暇ではないんだけど」
何が悲しくてクレイズと劇など見に行かなくてはいけないのか。聖女一行がこちらにやって来る前に多くの情報を得たいというのに。ソフィアは、クレイズにチケットを返し、遅い朝食の準備を始める。そんなソフィアの背後から呆れたようなクレイズの言葉が返された。
「馬鹿か? お前をデートに誘うわけないだろう」
「なんですって?」
朝から喧嘩を売ってくる気か、とフライパン片手に振り返ったソフィアは、いつの間にかダイニングテーブルに座り、頬づえをつきながら、心外だと言いたげな表情でこちらを見ているクレイズと目が合った。
ーー何故だろう。秘密を打ち明けたくらいからクレイズ様と私を隔てる壁が一枚減ったような気がする。
ソフィアは、今の可笑しな状況に頭を抱えたくなった。もはや怒りも飛んでいってしまっている。
一度深呼吸をし、頭を切り替えたソフィアは、これ以上言葉を挟んでも腹が立つだけだと判断し、おとなしくクレイズの向かいの席に座った。
「まぁいいわ。それで、この劇場に行く理由は?」
「ある重要人物がやってくるからだ」
「重要人物?」
「俺たちじゃ中々お目にかかれない人物。まぁ、行ったらわかる」
その人物を教えるつもりはないらしい。ソフィアは改めてテーブルの上に置かれているチケットに目を落とした。そしてあることに気づく。
「もしかして……一つの個室の席全てをとったの!?」
「あぁ。だから、ちゃんとした正装で行かなきゃいけないからな。準備しとけ」
「じゅ、準備しとけって。こんな高いチケットをどうやって買ったの?」
さすがに王国から支給されているお金では無理がある。まさか自腹で? と考えるも、王宮魔術師だからといって、そう簡単に手を出せるものでもないだろう。ソフィアの信じられないと言いたげな表情を見たクレイズはため息を吐くと、何でもない事のように理由を話した。
「魔獣化した動物を駆除して得た金だ」
「そんなのいつ……もしかして、首都の近くに現れた魔獣化した動物を倒してくれる救世主って、貴方だったの?」
「そういやぁ、そんな噂にもなってたか」
「でもあれって、無償でしてるって」
「んなわけあるか。住人から貰ってないだけで、国から貰ってる。まぁ、ハデスト帝国に雇われてるようなもんだな」
開いた口がふさがらないとはこういうことだろう。ソフィアはどこから突っ込めばいいのかわからず、そうですか、としか返せなかった。
聖女一行の仲間として、魔獣化した動物を駆除するのは大切な仕事である。しかし、それで金を、それも敵国に雇われる形で貰っているなんて。クロードが知ったらどう思うだろうか、と心配でならないソフィアであった。
「まぁ、そういう訳だから用意しとけ」
そう告げたクレイズは、部屋へと戻っていく。ダイニングに取り残されたソフィアは、その背中を見送るも、我に返って悲鳴のような声を上げた。
「というか準備がいるなら昨日から言ってよ!」
****
一つの芸術作品のような重厚かつ気品に溢れた建物。その中は、細部までこだわった装飾が散りばめられた壁、絵画のような天井、鮮やかな真っ赤な幕、そして色とりどりに染まった人々の熱で、非現実的な光景を作り出す。
劇場内のとあるバルコニー席に、正装に身を包み、艶のある青い髪を後ろになでつけ、夜空のように澄んだ瞳をした美しい男性と癖のある亜麻色の髪を複雑に結い上げ、深い緑色のドレスを纏った可愛らしい女性がいた。
立ち振る舞いは洗練されており、男性の容姿が整っていたため、劇場に入ってすぐに人々の視線を集めた二人は、夫婦のように寄り添いこの席までやって来た。
しかし、男性が個室となるバルコニー席の扉を閉めた瞬間、二人の距離は一気に開く。男性は人の目がないからとだらし無く椅子に腰を下ろし、女性はバルコニーの縁まで寄ると少し身を乗り出し、舞台と客席を見渡しながら小さく息を吐いた。
「すごい良い席ね」
「そうじゃねぇと意味がないからな」
「……そう」
ここまで着飾り、貴族のような振る舞いをしてまで座りたい席。この席の位置を確認してしまえば、ソフィアとてクレイズの狙う人物がわからない訳がない。もはやその情報をどうやって得たのかなんて聞く気にもならないが、ソフィアは今までの自分の苦労を考えると馬鹿らしくなって仕方がなかった。
「それで私のいる意味は?」
感情を隠すつもりがないのか、ソフィアから棘々しい声が発せられる。それに無表情でバルコニーの外を見つめていたクレイズの口元が僅かに緩んだ。
「意味? 俺たちは共犯者なんだから、助け合わないと、だろ?」
「なにが助け合わないとよ。私、今回必要ないじゃない」
ソフィアはクレイズに作戦を説明されなくても、何をするのか大方予想できていた。そして、それが間違いではないこともクレイズの表情を見ればわかる。
簡単に言えば、ただの飾りなのだ。劇場の、況してや個室となるバルコニー席に男が一人だけ入っていけば不審がられる。しかし、男女であれば、デート場所としてもよく使用される劇場で浮くことはない。ソフィアができる仕事など、微笑みながらクレイズに寄り添うだけだ。
「まぁ、劇を楽しんでくれ」
そう言いながら、クレイズは腕を組み目をつむった。狙いの人物が来るまではそのままのつもりらしい。ソフィアは一度クレイズを睨みつけると、舞台が見える前の方の椅子に座った。
今回の演目は、何代か前の聖女が浄化の旅をしながら、共に旅をする王子と恋に落ちる、というタイムリーなお話であった。美しい歌声、豪華なセット、響き渡る楽器の音色、全てを融合させて物語を紡いでいく。
さすがに、聖女はオリビアのような傲慢な人ではなく、美しく清らかな心を持つ女性として演じられていた。本当にその時の聖女はそんな人だったのか、と舞台を見つめながら疑うソフィアであったが、間近で猫を被る聖女の姿を見てきているので許してほしい。
「まぁ、王子様とくっつくのなら良い人だったのかもしれないわね。クロード様とオリビア様は……絶対にないだろうけど」
「お楽しみのところ悪いが、来たぞ」
思わず漏れたソフィアの呟きに、いつの間にか背後に立っていたクレイズが答える。振り返ったソフィアは、呆れているような馬鹿にしているような何とも言えない表情で見下ろしてくるクレイズからすぐに視線を逸らした。あんなに文句を言いながらも、しっかり劇に釘付けになってしまっていたと自覚したからである。
居住まいを正し、劇を見ているふりをしながら、ある席へと視線を動かす。舞台を引き立たせるために客席は真っ暗であったが、ソフィアにはしっかりと見えていた。
「あれがザドルフ・アルファド・ハデスト」
剣士のような鍛え上げられた大きな身体、勇ましい顔つき、闇のように真っ黒な髪と瞳を持つ男。
それがハデスト帝国、皇帝ザドルフ・アルファド・ハデスト。今回の目的の人物である。




