気になって腹が立つ
玄関で片膝を立て何とか身体を支えている状態のクレイズにソフィアは慌てて駆け寄る。
「クレイズ様! どうなさったのですか!?」
肩を貸そうと手を差し伸べたソフィアであったが、その手を思い切り弾かれた。
「触るな。気にする必要はない」
「な!?」
こんな状態でよく言う、とソフィアは思わず絶句する。気にするなと言われて、わかりました、と言えるような状態ではない。よく見れば白い肌は汗でうっすら湿っており、顔色も悪い。立つのだって辛いだろうということは、見ただけでわかる。
「しかし、クレイズ様ーー」
「気にするなと、言っただろう」
あっちに行っていろと言いたげにソフィアを一瞥したクレイズは、ふらっと立ち上がり、重たい足を動かしながら部屋へと入っていく。
ソフィアはどうしたらいいのかわからず、ただクレイズの背を見送るのみであった。
次の日の朝、いつも通りの時間に起床したソフィアは、昨晩作り置きしていたクレイズ用のご飯がない事に気付いた。台所には洗われた皿が置かれている。
いつもソフィアが起きる時には部屋で寝ているクレイズだ。あんな状態でいつ食べたのだろうか。疑問に思ったソフィアは、こっそりとクレイズの部屋を確認するも、部屋の主の姿は何処にもなかった。
「何してるのよ。旅の最中にあんな状態になった事があるなんて報告なかったのに」
あんなにも腹の立つ存在だったはずなのに、ソフィアの口から溢れた声は心配しているかのようだった。
ソフィアは気づかない。他人がどうなろうと興味もなく、ましてや仲間ではないのなら尚更心配などしない彼女が、ずっとただ一人の事を考えている。それがどれ程珍しい事なのかを。
「おはようございます!」
「おはよう、リリア」
結局ソフィアはすっきりしないまま仕事場であるコルベス伯爵の屋敷へと向かった。コルベス伯爵はハデスト帝国で中間の立ち位置にいる貴族だ。低くもなく、高くもなく。王宮で段位の高い貴族達にくっついている。そんな立場だからこそ、ソフィアは深く調べられる事もなく、資料上だけの生い立ちで採用された。
こういう中途半端な貴族は諜報活動がしやすい。重要な役職についている者はガードが固いし、地位が低すぎれば貴重な情報がない。下調べをして賢い者さえ避ければ、忍び込む危険性は下がる。仕えている者達も下っ端になればなるほど仕事へのプライドが薄く、女性特有の好奇心とお喋りは有難い情報源となる。
今日もソフィアには有難い情報が休憩中の女性達の間を飛び交う。話す女は、面白いネタを手に入れたと得意げに話しているから救いようもない。
「ねぇねぇ。さっき、旦那様が友人と部屋で話しているのを聞いたんだけど」
「ちょっと、盗み聞きはよくないわよ」
「でも気になるでしょ?」
「ふふふ、確かにそうだけど」
ソフィアは微笑みを浮かべ聞き手に回る。はしゃぎはしないが、興味はあります、そう言いたげに相手の女に視線を送れば、相手は心得たとばかりに大きく頷いた。
「今、平民の男が城に住んでいるらしいわ」
「平民の男? 皇后様の愛人ってこと?」
「そんな事したらザドルフ皇帝が黙っていないわよ」
ザドルフ・アルファド・ハデスト……亡くなった前皇帝の後を二十七歳という若さで引き継いだ現ハデスト帝国皇帝である。政策など、国を治める者としては優秀であるが、喧嘩っ早く、自分勝手と有名で、多くの者が恐れているという。
皆は、そんなザドルフ皇帝を裏切るような事をするはずはないだろう、という意見で一致した。
「じゃあ、何かしらね?」
「最近まで隠されていたらしいわ。平民のくせに、って旦那様が怒っていらっしゃるのを友人が止めていたもの」
「いつ頃からいたのでしょうか?」
「あら、リリアが聞いてくるなんて珍しいわね。貴女も興味あるの?」
「あ、はい……まぁ」
そうよね、平民なのに城に住めるなんて羨ましいわよね、と違う方向で納得する女に苦笑いを浮かべつつ話を促す。
しかし、女は笑みを浮かべながら首を横に振った。
「残念。そこまでは話してなかったわ」
ーーなら最初からそう言えよ!
そう思ったソフィアだったが、口には出さず「そうですか、残念です」とだけ告げて話を終わらせた。その後の話題に気になるものはなく、聞いているフリで話を流す。
そんな暇な時間にふっと考えたのはクレイズの事だった。
今、何をしているのだろう。結局、何の目的でついてきたのだろう。
人を拒絶し、怠そうな態度に口が悪い。その癖に、聖女の為になるからとソフィアについてきて、二人で住むことに文句も言わず、ソフィアの作ったご飯を愚痴りながら食べきる。
そのちぐはぐな態度にソフィアはいつの間にか振り回されていた。それが腹立たしくもあり、何かむず痒い。
仕事中にこんなことを考えるなんて、と困惑を隠せないソフィアだが、何故こんな風になるのかわからないままだった。
****
仕事を終え、いつもの夜道を歩く。どうせ今日もいないのだから、と小さなため息を吐いた。それが心配からなのか、そんなことを考える己に対する呆れからなのかはわからない。
「ただいま帰りましたぁ」
半ば投げやりのような声をかけながら部屋に入る。予想通りの真っ暗な部屋、そう思って奥へと進めば、サイドテーブルに小さな灯のランプを置き、ソファにぐでっと体を預けて座るクレイズがいた。
ソフィアは思わずビクッと身体を揺らす。まさかいるとは思わず、気を抜いていたからだ。
「か、帰られていたのですね」
「あぁ」
怠そうな返事が返ってくる。急いでランプを探し、幾つかに明かりを灯せば、眩しそうに目を細めるクレイズと目があった。
その瞬間、何故かソフィアの胸が跳ねる。暖かな光の中からうっすらと現れたクレイズは、その中性的な美しさも相まって、なんとも幻想的な存在に見えた。
しかし、一度言葉を発すれば、全てが台無しになる。
「おせぇよ」
「……仕事ですから。それより、まだ体調が良くなさそうですから、お休みになーー」
「んなことどうでもいい」
そう言うと、クレイズは手伝おうとしたソフィアを手で払いながら、重そうに身体を起こす。両膝に手を添え、身体を支えて座るクレイズは、ソフィアを見てニヤリと笑う。
「探しものを見つけてやったよ」
「え?」
クレイズの発言と初めて見た笑みに対し、ソフィアは驚きの表情で固まるのだった。




