傍迷惑な要求
ソフィアが屋敷へ忍び込む少し前、食事会から部屋へと戻ったサリーナは聖女がするクロードへの文句やテッドの素晴らしさの話を延々と聞きながら聖女の就寝準備を着々と済ませていた。
食事会が長引いた事により、とっくにいつもの寝る時間を過ぎたためソフィアを呼ぶ時間が遅くなると思うと、サリーナは何とも申し訳ない気持ちになる。ちなみに遅くなった原因は聖女がテッドとの会話を中々やめなかったからだ。
全ての準備が整い、これでやっと一息つけると思ったサリーナは、挨拶を済ませるとそそくさと聖女の部屋から出て行った。
しかし、そんなに甘くないのがこの聖女オリビアである。ソフィアが来るまでの時間を潰そうと、部屋に置いてあった本へと手を伸ばしたサリーナは隣の部屋から聞こえてくる微かな鈴の音で手を止めた。
「……今度は何かしら」
思わず漏れた言葉はサリーナの本音だろう。重い腰を上げ、隣と繋がっている扉を叩き入室すれば、そこには聖女と騎士ハーヴェイの姿があった。
「ハーヴェイ様、なぜこちらに?このような時間に女性の部屋へ入るのは流石にいかがでしょうか」
「いいの、わたくしが呼んだのですから。それとも主の考えに意見するつもり?」
「とんでもございません。失礼いたしました」
優しさの欠片もないオリビアの発言に、貴女は私の主人じゃない、と叫びたいのを強く手を握ることによって必死に我慢したサリーナは話を変えるため、改めて用件を聞いた。
「聖女様、私を呼ばれたご用件というのはなんでございましょう?」
「あぁ、そうそう。わたくし、やはりテッド様とお話ししたいのよ!」
「へ?」
まだ聞かされていなかったのかハーヴェイも驚き、サリーナと同様、目を見開いている。話をまとめると、明日チャデットの街を発ってしまえばデッドに会えなくなるから、今夜二人だけで会いたいという内容だった。
「それはなりません、聖女様。クロード様も仰っていた通り、私達は聖女様を守るためにいるのです。そんな私達が男性と二人きりになることを認めるわけにはいきません」
「大丈夫よ、頭の固いクロード様にバレなきゃいいんだわ」
可愛らしく頬を膨らませるオリビアに苦笑いを浮かべたのはハーヴェイだった。王族であるクロードを頭の固いやつだと言うことも驚きだが、貴族令嬢であるオリビアが男と二人っきりの状況に何も感じていない方が驚きである。
バレるバレないの問題ではなく、常識の問題だと言ってやりたい。
しかし、一介の侍女であるサリーナと聖女の護衛であるハーヴェイが意見できるはずもなく……というか、ハーヴェイはオリビアに気に入られているんだから意見すればいいのに、と思うが、旅をしてきて感じたのだ。ハーヴェイはニコニコ笑って話を盛り上げるが、面倒ごとには首を突っ込まない男だと。
「聖女様が私を呼んだのは、テッド様を連れてくる役目のためでしょうか?」
「ええ、話が早くて嬉しいわ、ハーヴェイ様。こんなこと貴方に頼んではいけないと思ったんですけど、サリーナでは無理でしょうし、わたくしが一番信頼しているのはハーヴェイ様ですから。お願いできますか?」
笑顔を浮かべたままチラッとサリーナを盗み見たハーヴェイは、小さく息を吐き出し頷いた。
「わかりました。私でしたら能力を使えば見られる事なく彼を連れてこれますからね。その代わり、あまり遅くなられませんように」
「わかってますわ。ありがとうございます、ハーヴェイ様」
とても嬉しそうに笑うオリビアを見ながら、よくそこまで猫を被れると感心してしまったサリーナだった。
それから一度ハーヴェイに部屋を出てもらいオリビアの支度を済ませてから、デッドを連れて来てもらう。突然連れてこられたテッドは驚いた様子を見せるものの、すぐに状況を飲み込みオリビアと楽しく話し始めた。
飲み物の準備を済ませ、部屋を追い出される形でハーヴェイと二人きりになったサリーナは、思わずため息が漏れた。これでまたソフィアを呼び出す時間が遅くなると。
しかし、ハーヴェイはそのため息をどう捉えたのか心配気にサリーナを覗き込む。
「大丈夫か?まぁ、心配なのはわかるが何もないだろう。あったとしても自業自得ってやつだしな」
「ハーヴェイ様にしては辛辣なお言葉ですね」
「こんな夜にこんな仕事をさせられたからかな」
金色の瞳を細め小さく笑ったハーヴェイをサリーナは不思議そうに見つめた。なんとなくいつもの作り笑顔ではなく彼本来の笑顔だと思えたからだ。それは誰かのために向ける笑顔ではなく、自分の意思で笑ったような自然な笑顔だった。
「……そんな笑顔もできるのですね」
漏れるような小さな呟きはハーヴェイには聞こえない。
「聖女様がテッド様を放すまで時間があるでしょう。呼ばれましたらお声かけしますので、それまでお部屋で身体をお休めください」
「そうか?悪いな、頼んだよ」
そう言うとハーヴェイは自分の部屋へと帰っていった。
オリビアとテッドが部屋でどうしていたかはわからない。サリーナは興味が湧かず干渉することなく本を読みふけっていたからなのだが、テッドがハーヴェイに連れられて帰っていく際の名残惜しそうなオリビアの表情を見れば、何となく察しはついた。
結果としてオリビアはテッドの虜になったということだ。
「……という感じでソフィアが来るまで大変だったの」
「いやほんと、サリーナには同情するよ」
領主の部屋から無事(?)戻ってきたソフィアはサリーナの珍しい愚痴を聞きながら聖女の部屋の扉を見つめていた。周りはこんなにも大変な思いをして仕事をしているというのになんと暢気な人だろうか、と思わずにはいられない。
しかし、貴族令嬢でちやほやされていた生活から一変、命がけの旅をし穢れの浄化をしているのだから彼女も仕事をしていないわけではないかと思い直す。結局、このぶつける相手のいない苛々はため息と共に吐き出した。
「なんかごめん、こんな話して。それで領主の部屋はどうだった?何か出た?」
気を取り直したのか、いつもの笑顔に戻ったサリーナに懐に入れていた資料を渡す。それに目を通したサリーナは眉を顰めた。
「なんか厄介な名前があるんだけど」
「そうなんだよねぇ。たぶん武器は……」
コンコン
話し始めようとしたソフィアは扉のノック音で会話をやめた。話に夢中で気配に気づかなかった二人は息を潜めて扉を睨みつける。
もはや人がいることは相手に気づかれたはずだが隠れるべきかとソフィアが行動を起こそうとした時、返事を待たずに扉がゆっくりと開けられた。