好きにはなれない男
人々が眠りについた夜。聖女一行が訪れた事により起きた賑わいもなりを潜め、ただただ静かな空気がチャデットに流れている。そんな空気を求めるかのように窓を開け外を眺める者がいた。
月明かりに照らされ浮かび上がるのは深い蒼の髪。透き通った白い肌と中性的な美しい顔立ちは一瞬女性と勘違いさせる程だが、背の高さと体格から男性だとわかる。憂いを帯びた夜空と同じ瞳は、窓の外へと向けられていた。
「……胸くそ悪い街だな」
低く怠そうな声が静かな部屋に響く。男は微動だにすることなく外を眺めるも、何かを見つけ、扉の方へと歩き出した。
「また来たか」
扉に向かう途中、無造作にソファに置かれていたローブを羽織ると深くフードをかぶる。男の首には大きな魔石のついた趣味の悪いネックレスが揺れていた。
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《今から侵入するわ》
《わかった。気をつけてね、ソフィア》
聖女一行が領主の屋敷に泊まった日の夜、ソフィアは領主の屋敷へとやって来ていた。目的の窓へと近づくと足音をたてないように注意しながら、ゆっくりと扉を開ける。灯りの消えた廊下を迷う事なく進んで行けるのはサリーナから入っている情報のおかげだった。
屋敷の中も無駄に豪華な装飾で飾られ、こんなゴチャゴチャしている中でよく暮らせるなぁ、と思わずにはいられない。
階段を飛ぶように駆け上がり、目的地である領主の執務室までくると、ゆっくりノブを回す。難なく開いた扉を見て呆れるようなため息が漏れた。どんだけ無用心なのだ。
しかし執務室に入れたからといって安心はできない。隣の部屋では領主本人が寝ているはずだ。物音を立てぬように辺りを探す。暗闇の中を生きる影にとって、闇の中での探索はお手の物だ。流石に机には鍵が掛けられていたが、開けるのは簡単だった。多くの資料からめぼしい物を抜いていく。
「……よくもまぁ、こんな事考えるわね」
知らぬうちに溢れた言葉の続きは飲み込んで部屋をあった状態に戻すと、持ち込んだ服に着替え、扉を少し開けて周りの気配を確認してから部屋を出る。
動き辛いスカートを軽く持ち上げ足音をたてないように注意しながら進む先はサリーナの部屋。廊下の角を曲がればサリーナの部屋だと足を速めると、突然人の気配を感じ取った。それもサリーナの部屋の前あたりから。
廊下の角で足を止めたソフィアは小さく息を吐くと慎重に角の先を覗き見る。そこにいたのはローブのフードを深くかぶり、身体を壁に預けながら立つ魔術師クレイズだった。
こんな時間に何してるわけ?
前回といい、迷惑なタイミングで出くわすクレイズに文句を言いたくなるのは仕方がないだろう。今だに聖女一行の中でソフィアの存在を知っているのはサリーナとクロードだけなのだ。しかし、あれではソフィアの存在を知っているかのようではないか。
《サリーナ。何故か知らないけど部屋の前にクレイズ様がいるの。彼に私の存在知られてる?》
《いいえ、教えてないわ。だから知ってるはずないのだけど……彼、必要な事しか話さないから何を考えているのかさっぱりで》
サリーナに聞いてみても困惑した言葉しか得られなかったソフィアは、少し考える仕草をとるも意を決したかのように深く深呼吸をした。
《しょうがない。聖女一行に選ばれているわけだし、悪いやつではないはず。言動は別としてね》
《ソフィアったら容赦ないわね》
《まぁね。でも味方かはわからないし、ここは探りを入れてみますか。すっごく関わりたくないけど》
《あははは……気をつけてね》
《わかってる》
ソフィアは言うが早いか角を曲がり、クレイズの元へ歩いていく。ちなみに、今のソフィアは侍女服のためサリーナにしか見えないはずだ。
こちらが声をかける前にクレイズはソフィアに気付いたようだった。壁に寄りかかるのをやめ、ゆっくりとした動作でソフィアと向かい合う。しかし一向に声を発することのないクレイズに痺れを切らしたのはソフィアだった。
「クレイズ様、いかがなさいましたか?聖女様に御用でも?」
「……ふっ」
「はい?」
鼻で笑われたソフィアは思わず己本来の不愉快そうな声で聞き返してしまった。慌ててサリーナの仮面をかぶるも相手に気にした様子はない。
「クレイズ様、どうしーー……」
「お前、こんな夜中に何してた?」
「あ、はい。聖女様に頼まれごとをしていたものですから」
「へぇ、頼まれごとねぇ」
その馬鹿にする怠そうな口ぶりと内容に内心憤慨しつつも平静を装い、なんとかサリーナの笑顔を貼り付ける。そんなソフィアの心情を知ってか知らずか、クレイズはソフィアに一歩近づき囁いた。
「お前が聖女の侍女じゃないことはわかってっから、そう警戒すんな」
驚きで目を見開くソフィアに満足したのか、フードの上からでもクレイズがニヤリと笑うのがわかる。
ソフィアは知られていた事に驚くよりも、双子の自分達を見分けられた事に感心してしまった。しかし、感心している場合ではない。クレイズの目的がさっぱりわからないのだ。なぜソフィアに接触し、正体を見破る発言をしたのか理解できない。
「何故私が聖女の侍女ではないと言い切るのでしょうか?」
「見た目も声も全て同じだから普通はわかんねぇよ。でも、まぁあ、俺は人の姿見なくても大体わかるし」
「わかる?」
「これでも俺は国一番の魔力を持つ魔術師なんでね。皆が持つ微量の魔力を感じとるくらい簡単だ」
「なるほど」
素直に納得してしまったのは、高位魔術師になればなるほど、魔力の扱いに長けるため他者の魔力にも敏感だと聞いたことがあるためであった。
魔術師と違い、一般の生き物は微量の魔力を持って生まれてくる。それは魔術師によって生成された魔石を使えば簡単な魔道具が使える程度の微々たるものだ。そんな魔力はそれぞれの個体によってわずかに違いがあると言われている。普通の人であるソフィアにはよくわからないが、クレイズのレベルになれば簡単に違いがわかるのだろう。
「お前とあの侍女は双子か?本当に見た目はそっくりだ」
「あの侍女じゃなくてサリーナです。共に旅をしているのですから、ちゃんと覚えてください」
「興味ない」
「!」
ここで怒鳴らなかったことを誰かに褒めてもらいたい。命をかけて旅をする仲間を興味がないで片付けるなっ!
それでもサリーナではないとバレたからといって、自分の立場を忘れるような愚か者ではないソフィアは必死に湧き上がる怒りを抑えた。
「興味がないのでしたら私の事もお忘れください」
「忘れるのは簡単にできる。お前が何をしようとしてるのかも興味はないしな」
「ならば何故私に会われたのですか?」
心底わからないと言いたげに眉を顰めたソフィアは油断していたのかもしれない。クレイズの放つ気怠げな雰囲気と軽い話し口調に。
「お前が俺の邪魔をする者か確認しに来ただけだ」
突然、クレイズの声にどす黒い何かが混じりこむ。フードで顔がわからないはずなのに、睨まれている感覚に陥ったソフィアは一瞬ビクッと体を揺らした。
しかし、そんなクレイズの雰囲気はすぐに消え去り、いつの間にか気怠げなクレイズへと戻る。
「まぁ、お前は大丈夫そうだ」
「大丈夫そうとはどういうこーー……」
「あと、お前のことは誰にも言わないから気にすんな。ただ、忍び込むのはいいが、俺のように魔力感知できる者がいないか確認してからにしろよ。まぁ、捕まっても俺はどうでもいいけどな」
ソフィアの疑問に答えないまま、ソフィアを抜き去り己の部屋へと戻っていくクレイズを見つめるも、何と声をかければいいのかわからなかったソフィアは、そのまま見送ることしかできなかったのである。
「なんなのあいつ。本当に敵ではないの?にしても、私あの男好きになれないわぁ……」
ソフィアの苦々しい呟きは、静けさの戻った廊下に吸い込まれていった。