やっと異世界開始って気がしますね
人間よりも強く、人間よりも賢く、人間よりも優しく、人間よりも見目麗しく、人間よりも祝福された存在。
そう望まれて誕生したイドール。
ではそんな完全な彼女らに、人として平平凡凡以下の僕にいったい何をしろというのだろうか。
「初代の基準で管理者に選ばれる」――とはどういうことか。
『確かにイドールは人間以上の存在だ。かといって、完璧なわけじゃあない。それを補い、守ってやるのが管理者である人間の役目だ』
「いやいや、だからそんなすごいのに、もっとダメな人間がどうやって守るんですかって話でして」
『無辜で無垢な存在であるイドールは、人間の「毒」に対しての免疫が皆無といっていいほどにない。その毒がどれほどの脅威か、お前ならわかるはずだ』
「ああ、そういう……」
人間の持つ「毒」。
人間の世界は毒が蔓延している。
生きていく内にその毒に侵され続け、やがて免疫を持つか或いは死ぬしかない。
そしてこの毒がなければ人間の社会は成り立たない。
だから毒を消すことすら許されない。
毒に侵され、うなされ、苦しみながら生きるのが人間の世界だ。
「人間は生きて苦しむための動物かもしれない」と言ったのは夏目漱石だったか。
『イドールだけのこの世界には、そんなもの(・・・・・)はないわけだ。貪欲、欺瞞、虚栄、虚偽、嫉妬、憎悪、恐怖、支配。そういった愚かな悪意が一切ない。誰もが誰もを慈しみ、互いに優しくあり、存在を認め合い、下らない言葉に惑わされない心と眼を持つ。人類が言葉だけで求めた、完璧な「平和」ってやつが、ここにはある』
なんという理想郷か。
楽園という言葉に偽りがない。
だが。
「そんな理想郷で平和に生きられるなら、人間の毒なんてないじゃないですか。人間がいなければ何も起きないですよね」
『ああ、初代も最初はそう考えていた。だがまあ、そう上手くはいかねえ。しばらくするとな、初代が棄てた人間としての毒が周囲を汚染し始めた。最初はなんてことはなかったんだよ。初代が一人で抑え、封じていたからな。だが初代がいなくなり、管理者が不在となると、イドールだけでは抑えられなくなった』
「あー……、それで人間の管理者が必要になった、と」
『そうだ。そしてイドールの中にイノセンツを産みだした』
あ、それ。
アマネさんがイノセンツだと言っていた。
『この湧き出てくる毒を<マリス>と呼ぶ。そしてイノセンツはマリスに対抗できる力を持つイドールのことだ。イノセンツになったイドールは本来よりも高い能力を有することとなる』
それでか。それでアマネさんは女神様なのか。
『あとな、イノセンツは新たな管理者を見定める役割もある』
「えっ」
『イドールにしてみれば損な役回りだぜ、まったく』
「あの、見定めるとは」
『いくら選定してるとはいえ、マリスと同じ毒を持つのが人間だ。そんなのを手放しでルラーシュに置いておくわけにはいかねえだろ』
「あー……なるほど……」
マリスとかいうのをどうにかするために人間を管理者として呼んでも、それは毒を以て毒を制すことだ。
新しい毒が他に向かわないとは限らない、ということも考えられているわけか。
どちらも同質ならば、マリスに対抗できるイノセンツを管理者にも適用させよう、と。
でもおかしい話だ。
今度は、新しい管理者が毒を撒いてしまうのではないだろうか。
「どうなんですか?」
『何がだ?』
「いえ、そのマリスとかいう人間の毒をどうにかするにしても、管理者が次の毒、マリスとかいうのになるんじゃないでしょうか?」
『ああ、その疑問ももっともだ。管理者の「行い」次第で、マリスの活性化や減少、更に他の変化が起きる。人間がマリスの根源だからな』
「えっ、それは、管理者呼ばないほうがいいんじゃないんですかね」
『いいや、それは一時的なものにすぎん。管理者がいなければ、イノセンツが湧き出てくるマリスを排除することしかできなくなる。そうなるとだな、もっとひどい事態になるわけだ』
「ひどい事態?」
『ああ。この世界、ルラーシュ・ニドゥムが無くなる』
「えー……」
ひどい事態というか最悪の事態というか、終わりじゃないか。
『それにな、管理者はここでイドールと生活をしていれば、自然と毒は浄化されていく。マリスを排除し続けていれば尚更だ。肉体から多少マリスが生じても、それだけでは、大したことにはならん』
「なるほど」
「それだけ」じゃない場合は大したことになるんだな。
それがさっき言った「行い」次第というところか。
『まぁ、大まかに言えばよ。管理者はマリスをひたすら排除してくれりゃいい。それが管理者の仕事だ』
今までの長い話はなんだったのか。
実は他のことは知らなくてもよかったのではないだろうか。
一言で完全に説明されてしまった。
『なんか納得いかねえ顔してるな』
「いえ、そんな」
『一応言っておくがな、物事ってのは全部繋がってるんだよ。一部だけどうにかしただけじゃあ、どうにもならねえ時が来ちまう。それを誤魔化して機能させてんのが元の世界だ』
「それは……確かに」
『それとな、管理者の仕事のメインはマリスの排除じゃあない。イドールを守ることが大事なんだよ』
「優先すべきは、イドールの安全ですか」
『イドールの安寧よりも、マリスの排除を優先するなよ。いずれ理解できると思うが、これを肝に銘じておけ』
「は、はい」
先ほどまでより語気が強まる。
何処か気に掛かることがあったのか。
だがとりあえずは、大体のことがわかった。
*
『んじゃあ、次の話になるが……。天川良太郎、台座に置いてる手を思いっきり押し付けろ』
「?」
いつまで台座に手を付けたままでいればいいのか。
姿勢がそろそろ疲れてきていたので解放されるとありがたいのだが。
『ちょっとチクっとくるぞ』
「えっ、何が――っあああぁぁぁぁぁ!!」
バチンという音と同時に、右手首に引きちぎらんばかりの強烈な痛みがきた。
こんな痛みは中学の頃に数人から殴られ蹴られした後に、腕をナイフで切られた時以来だろうか。
嫌な記憶を思い浮かばせる痛みだ。
「いったあぁぁーー……あれ?」
しかし、何も無かったかのように痛みは一瞬のものだった。
慌てて手首を見ると腕輪のように皮膚が赤くなっているだけで、怪我をしていたり血が出ているといったことはない。
『大袈裟なリアクションだな』
「いやいやいや、痛いですって。何がチクっとくるですか。なんですか、今の……」
『お前に管理者としての能力を与えた。これでお前は名実ともに管理者となったわけだ』
「え、ええっと、能力というと」
『これからはマリスと戦いイドールを守る窮業を行使できる。頼んだぞ』
……能力。スキル。
うん、これだな。異世界といったら、やっぱこれだよな。
いい歳して何はしゃいでるんだとか言われても、こういうのは憧れなんだよ。
やっぱりね、なんか守れとか言われても、無力で無能な弱小な人間なんですから。
こういうモノを期待しちゃうのも、悪いことじゃないよね。
「は、ははは……」
『どうした?』
「やっと異世界開始って気がしますね!」
『何を言ってるんだ、お前は』
「あの、具体的には何ができるんでしょうか」
『ああ? 窮業のことか?』
「はい」
『それはお前次第だ。お前のここでの行いで、何が出来るかは変わる』
「え……」
期待していた答えと、かなり違う。
テンション駄々下がりも仕方あるまい。
「ええっと。もう少し、こう、具体的にですね」
『箱が出せる』
「箱?」
『ああ、箱だ。イドールが生活するための家だな。お前が住むことになるあれ(・・)も、この場所も見てわかる通りに箱状になっているだろう? それが出せる』
「ほ、ほう」
『それ以上の「何が出来るか」はお前次第だ』
「え、箱だけ……?」
『そうだ』
地味だ。
すごいけど地味だ。
何系魔法とかでもないし、建築系とでもいうのか。
しかも応用は自分でどうにかしろと。
『とはいえ、これまでの管理者がやってきたことは引き継がれているからな。それを真似てから始めればいい。使い方は、やってりゃあ自然と理解してくる』
「そう、ですか」
うーん、箱が出せるとは言われても。
どういうことになるのか。
家を作れる。ただし箱。家ではなくて箱。
それでどうやってマリスとかいうのを排除するのん……。
『とはいえ、だ。アドバイス的なことを言うとだな。さっきも言ったように、お前の「行い」で何が出来るかは変化する。ここでの体験や経験、ここでの物事への態度や生きる姿勢、それらを通じてお前がどんな箱を創造出来るようになるのか。お前の行い次第でそれは幾らでも違うものになる』
「う、うーん?」
『箱の中身は開けてみるまでわからねえってことだ』
上手いこと言ったつもりか。口端が上がってるし。
新しい管理者に説明するたびに言ってるだろ、それ。
『それとな、いくら窮業があるからといって、そのむき出しの生身でマリスに挑むなよ。管理者は代わりがいるからといっても、空白の期間ができちまうからな』
「それって、つまりは」
『死ぬな、やられるな。だ。管理者は常にイドールのために存在しろ』
「……」
死ぬようなことなのか。
それだと管理者には楽園じゃないような……。
『ま、よっぽどヘマしなきゃ、そんなことにはならんだろうがな』
既にヘマをしたような気がしますがね。
『管理者はイドールと共に生きて、イドールの為にマリスを排除しろ。それが管理者に求められる仕事だ』
それが長かった説明会の閉めの言葉だったようだ。
*
『それじゃあ、俺はもう行くが』
「あ、はい。ご説明ありがとうございました」
僕につられてサツキとミイナも頭を下げる。
今までの話をあの二人は知っていたのだろうか。
フィリス・アニマの話で感心していたし、そうでもないのか。
『いつでもってわけにゃいかねえが、ここに来れば俺はいる』
そうなのか。
それも管理者のスキルなのか。
『窮業で過去の管理者の蓄積経験を閲覧もできるし、なんかわからねえことがあったらキャロルを呼べばいい』
「至れり尽くせりですね」
『それだけ重要なことを任せるんだ。こっちが手ぇ抜いてやらせるわけにはいかねえよ』
そういう支援もなかった世界にいたものですから……。
『それじゃあ、よろしく頼んだぞ』
その言葉を最後に光は霧散した。
残された僕と二人は、しばらくその静寂を黙って受け入れている。
こうして僕への管理者やイドールについての説明が終わった。
時間的には短くも、内容が内容だけにとても長い時間がかかったような気がする。
ようやくこの世界に一歩足を踏み入れた、といったような感じだ。
「あ……」
思わず静寂を破った僕の一言。
初代管理者がどんな基準で僕を、管理者を選んでいたのかを聞き忘れた。