「伴侶の一人」って、何
灰色の箱状建物、管理所。
中はほんのりとした明るさとなっていて、外壁よりはやや薄くなった灰色一色であった。
部屋の中央には階段がある。他には何もない。
天井をみても、光源となるような照明器具などない。外側に見えた出窓もない。
不思議な部屋だ。
「はわ、ドキドキしますね」
片手に僕の服の裾を掴みながら、やや後ろに歩くサツキが言う。ぎゅっと掴むのではなく、親指と人差し指でつまむあたりがあざと可愛い。
「この管理所ってのは何なのか、サツキは知ってる?」
「ここは管理者様がお役目を果たすときに、ご使用になる場所だと聞いてます」
「アマネさんは、イノセンツだったっけ? それだから入れないって言ってたけど、ここは入るのに何か条件とか制限とかがあるんだ?」
「はい。管理者様がいらっしゃって、管理者様が自ら扉を開けるまでは開きませんので、誰も立ち入ることが出来ませんでした」
異世界人だからとか管理者だから開けられるとか、そういう制限か。
「それに、管理所は管理者の場であると教えられ、イドールが入ることは禁じられています。近寄ろうとする人も、開けようとする人もいませんでしたし、出入りが自由であっても、誰も来なかったでしょう」
禁止されているからなのか、誰も関心がないのか。微妙なラインだ。
あれ?
「でも、サツキは入ってきてるね」
「はわっ、わ、私は、リョウタロウさんの伴侶の一人ですから、入ることが許されています」
「そ、そうなんだ」
僕はその事に関して、あえて触れずに何の返事もしていないけど。それは決定事項なのか。それでいいのだろうか。
「いや、ちょっと待って。「伴侶の一人」って、何?」
「はわ?」
いや、そんな、何で驚いてるんだ? みたいな疑問を持つ目で見られても。
「ええっと。その、つ、妻とか伴侶っていうのは、僕の住んでいた所では一人に対して一人だったんだ。こっちはそうじゃないのかな」
「はわ、そうなのですか。 ルラーシュとは違うのですね」
文化の違いだったか。
一夫多妻。ハーレム。男なら一度は妄想することの一つだ。
だが、現実にそんなことが出来ることはない。法律的な面でも、経済的な面でも、倫理的な面でも、クリアできない障害だらけだ。
しかし、ここではそうでもないようで、あっさりと肯定されてしまっている。
そうなると、最終的には甲斐性の問題だけなのか。
僕には無理そうだ。
踊り場を三つ過ぎた頃に、ようやく明るい空間が見えてきた。
長方形の真っ白で明るい部屋。。
あるゾンビ風アクション映画三作目の終盤で見た覚えがあるような造りだ。あれは巨大タンカーの中だったけど。
部屋の奥は巨大樹の一部分が占領していて、壁や天井にはやや根が這っている。
その少し手前には台座と、飲み屋などで見かけるような足の長い丸テーブルと、囲うように椅子が四脚あった。
なんかこう、いかにもイベントのある部屋、といったあからさまに特別な雰囲気を演出している部屋だ。
しかし。
「……ここでどうしろと。戻っていいのかな」
「りょ、リョウタロウさん、あちらで座って考えましょう」
一瞬帰ることを提案する僕をサツキが引っ張っていく。
二人で席に着くと、手前に見える腰の高さほどある台座が、殊更にアクションを求めているように感じる。
唐突に声が響く。
隠れる場所など見当たらないこの地下室で、突然に声が聞こえる。
改めて室内を見回しても、スピーカーなどはない。
『こちらは管理者支援システム<キャロル>。管理者の存在を確認しました。<フィリス・アニマ>を一名確認しました』
「はわ、りょ、リョウタロウさん、いったい何が始まるんです?」
「なんだろうね」
サツキは、どこかおっかなびっくりしているようだが、若干楽しそうにも見える。案外肝が据わっている子だ。
『管理者は台座に手を乗せてお待ちください。繰り返します。管理者は台座に手を乗せてお待ちなさい』
席を立ち、言われた通りに台座に手を乗せてみた。
その途端、手のひらを吸い込まれるような感覚が起こる。
『確認しました。これより初代管理者との対話に移行します。そのままでお待ちください』
「えっ」
「はわ?」
僕もサツキも突然の宣告に間の抜けた声をあげた。
*
サツキとリョウタロウを見送り、残ったアマネは朝食の片付けなどをしている。
一般のイドールは管理所への立ち入ることは不可能だ。それはイノセンツであっても例外ではない。
イドールで唯一、管理所への入場が許されているのが<フィリス・アニマ>と呼ばれる存在。
管理者の望み求める理想像の具現、その女性型がフィリス・アニマである。
フィリス・アニマであるサツキは、管理者の傍らに居続けることが最大の存在理由であった。
そしてもう一人のフィリス・アニマが、アマネの残った白い箱へとやってきた。
「おはようございます、アマネさん」
「あら、ミイナちゃん。おはよう」
ミイナと呼ばれた女性型イドールは、緊張した面持ちでアマネに尋ねる。
「管理者様は、いらっしゃいますか? 昨日の夜、サツキに教えてもらったんです。もういらっしゃったと」
「あら、残念ね。ちょうど入れ違いのかたちで、二人で管理所へ行ってしまわれたわ」
「あーん、タイミング悪ぅ……」
その場にへなへなと座り込むミイナ。
紺瑠璃色の大きな瞳の端には、小さな涙がじわりと出現していた。
それを見て少し苦笑するアマネは、ミイナの腕をとり優しく立ち上がらせる。
「ミイナちゃん、今なら追いつくわよ? 管理所はすぐそこなんだしね」
「……あたし、今行ってもいいんですかね」
「ええ、ミイナちゃんも、フィリスの一人なんだもの」
「管理者様はいらっしゃるとわかってはいたんですけど、いざお会いにっ! てなると、柄にもなく緊張しちゃって。あはは……」
「ふふっ、大丈夫よ」
その一言を聞くとミイナはアマネと目を交わし、ドアへと向かう。
「アマネさん」
「なあに?」
出ようとしたところで、顔だけ後ろに向いてアマネに声をかける。
「その、管理者様は、どんな……」
「?」
「いえ、やっぱりなんでもないです、いってきます」
質問を飲み込んだミイナはそのまま管理所へと進む。
部屋の中ではアマネが、そんなミイナを微笑んで見送った。
ずんずんという足音を立てそうな勢いで階段を降りている途中で、ミイナのその動きが急停止する。
(んー、緊張する)
緊張の理由は理解している。
管理者が自分をどう扱うか、自分を気に入ってくれるか、サツキと比べて自分は少々がさつではないか、そのことに自信が持てていないのではないか。
ミイナはそう自己分析をする。
それはルラーシュの基準であり、良太郎のいた現代日本の感覚でみれば、どこにも問題などないことをミイナは知る由もない。
(ん、大丈夫。がんばろっ)
ほんの少しの時間で、ミイナは精神を前向きに切り替える。
止まった足がまた歩きだし、三つ目の踊り場を過ぎると部屋が見えてきた。
*
「サツキー!」
突然地下室に響く新たな声に、良太郎とサツキがびくりとする。
「ミイナちゃん!」
「ええっと、誰かな?」
サツキは驚きつつも友人が来たことに喜び、良太郎は台座に手を乗せたまま背後の少女を見澄ます。
「ミイナちゃん、あちらにいるのが管理者様」
サツキが戸惑っている様子の良太郎に紹介を試みる。
「ん。ども、初めまして。天道ミイナです」
「あ、どうも。天川良太郎です」
「んー、あたしのことは、ミイナとお呼びください」
「じゃあ僕のことはリョウタロウで、お願いします」
「はい」
「……」
「……」
二人は視線こそ交わすものの、どこかぎこちない、至極当然の初対面らしい雰囲気を醸し出している。その空気を不思議に思って、二人を交互に見ているサツキ。
そんな状況を無視して、キャロルの声が響く。
『フィリス・アニマを二名確認しました。まもなく初代管理者が呼び出されます』
その声とともに巨大樹の一部が裂かれるように、ひび割れ開く。
中からは、緑色に輝く粘膜が垂れ流れ、床に模様を描く。
粘膜とともに、拳大程度の大きさの発光する塊が飛び出てきた。
それは良太郎の前までくると、形を変えて人の姿となる。
「おお……」
良太郎から感嘆の声が漏れる。
初めてみる非科学的、非現実的な現象に、ついにここを異世界であると認めることとなった。
『よう、お前が新しい管理者か?』
男の輪郭をもった発光体は良太郎に軽薄な声をかける。
「あ、はい」
『そうか。そんで、そっちの二人のおじょうちゃん達がお前のフィリスか』
「はわ、はいっ」
「そうです」
『わかった。俺は初代管理者だ。管理者をやってもらうお前らに、色々と話をしてやんなきゃいけねえ。長くなるが構わないな?』
「出来れば手短にお願いします」
良太郎の願いに、初代管理者と名乗った男は口の端を上げる。
『わかった。俺も無駄話は嫌いだ。手短にしよう』
「ありがとうございます」
『そんじゃ、まあ、どっから話すかな』