よろしくおねがいします
「ルラーシュ、ですか?」
「はい。管理者様の方々が居られましたのが『地球』という場所だと存じております。ここはその地球とはまったく別の場所、別の時間、別の世界になります」
「はぁ……。つまり、異世界ってことですかね?」
「はい、そう考えていただいても差支えありません」
とてもじゃないが信じがたい話である。
オタク的なモノに多少なりとも接していた者なら、異世界への召喚やら転生などは妄想したことがあるはずだ。
だからといって、それが現実に起こるなどと夢見て信じる者はそう多くないだろう。僕だって来世や異世界なんて信じていなかったし、望んでいなかった。
生まれ変わってまたあんなクソみたいな世界で他人に付き合うなんて、冗談じゃない。
勇者として召喚? なんで怖い思い、嫌な思いをしてまで戦うなんて野蛮なことをしなくちゃならないんだ。
転生してやり直す? なんで苦しいこと、辛いこと、悲しいことをまた繰り返したいんだ。
強くてニューゲーム? なんで自分が誰かを攻撃して支配する側になって、誰かを苦しめたいんだ。
どれも、どれも全部お断りだ。
人は生きていれば必ず傷つけ、傷つけられる。
そんな不快感はもう要らない。傷つけたくもないし、傷つきたくもない。
そういうのは「フィクション」だからいいんだ。
なのに 不本意ながら、僕はこの異世界に来てしまったらしい。
死んだと思ったらまだ苦しまないとならないのか。
こういうのは人生を諦めきれていない人や若い子にやってあげればいいのに。
「突然このようなお話しで、こちらに来たばかりの管理者様には信じがたいことだとは思いますが……」
僕が顔をしかめていると、少し申し訳なさそうな顔をしてしまう。
「いえ、大丈夫です。信じます。貴女がそう言われるのであれば信じられます」
いくら僕が望もうと望まなかろうと、この女神様の前では無意味だ。
僕の主張なんてクソ以下だ。掃いて捨ててしまえ。
ああ、本当に、この女神様に語られてしまえば僕の意思なんて関係なく(・・・・・・・・・・・)真実になる。
「ふふっ、ありがとうございます」
「い、いえ……」
微笑まれるだけで赤面してしまう。これが女神様の存在感か。
あまり見られていると頭の中がどうにかなってしまいそうだ。
「んっ……」
「あら? サツキちゃん、起きた?」
眠っていた桜色の頭が持ち上がる。
「はれ? アマネさん……?」
その様子を女神様が優しく見やる。
「サツキちゃんも目を覚ましたことですし、遅ればせながらご挨拶をさせていただきます」
そういえばまだ名前を聞いていなかったな。
「わたくしはアマネ・メソッド。イノセンツをやらせていただいておりました。今後は管理者様の指示の下、働かせていただきます」
「はわ? わ、わた、私はだ、タ、ダ、ダディ、タチバナサツキです。管理者様の手となり足となり妻となり、こ、これからよろしくおねがいします!」
普通に考えて、そうは噛まないだろ……と思ったが飲み込んだ。
後からいらした女神様のほうがアマネさん、もう一人の椅子で眠りこけていた桜色の頭の子がタチバナさん。よし、覚えた。
あれ? このタチバナさんって女の子……。
「ええと、僕は天川良太郎です。よろしくお願いします」
「管理者様はリョウタロウ様というお名前なのですね」
「は、はい。ええと、あの、その、さっきから気になっていたんですが。その、管理者様というのは、僕のことなんでしょうか?」
「ええ、そうです。リョウタロウ様はルラーシュの管理者様です」
「はいっ、管理者様です」
同時に答えられるもよくわからない。説明になっていない。
時流でいけば「勇者」とか「傭兵」とか「天才魔法使い」とか、そういう解りやすいほうが好まれるのだが。
「なんなんですか、その管理者っていうのは……?」
「管理者様はこのルラーシュに住まうわたくし達≪イドール≫を守護し、正しく導き、発展させるお役目と承っております。イドールにとって大変尊い存在です」
「か、管理者様は尊敬すべき、素晴らしいお方です」
あまり要領を得た答えじゃないうえにまた新しい言葉が出てきた。固有名詞を説明する際に他の固有名詞を用いるとは、どうやら当たり前の知識らしく説明することになれていないようだ。
あとタチバナさんのそれは完璧に説明ではない。
「イドール、というのはなんです?」
「わたくし達のことですわ。イドールは人間を模して創造されました」
「創造された、ですか」
それって、人造人間だとかホムンクルスだとか、そういう類のことだろうか。それとも比喩的な言い回しや、抽象的な言い方なのだろうか。
「イドールは管理者様の手によってでしか繁栄することはできません。それゆえに、地球から初代様の基準によって選ばれた人間の方を一人、管理者様の候補としてお連れになるそうです」
つまり、イドールというアマネさん達を守らせるということで、僕はここに呼ばれた、と。
大まかに考えるとそういうことか。
「その、イドールさん達を守れってことは、なんかしらの脅威があるってことですよね? あの、自分に荒っぽいことは務まるとは思えないんですが」
とてもじゃないが絶対無理だ。現代に真っ当に生きていたら、暴力頼みの喧嘩なんてしたことがないのが普通だ。
体育会系や格闘技を嗜んでいたというならばまだ救いはあっただろうが、腕っぷしどころか体力にだって自信はない。
それともよくある感じで、異世界にきたから突然強くなっちゃってたりするんだろうか。とてもそうは思えないけど。
「今すぐにご決断をされなくても構いません。リョウタロウ様がわたくし達を見て、この世界を見て、そして判断していただければ」
こういう反応も、そりゃ想定内だよな。体よく誤魔化された気がする。
「ですが、リョウタロウ様は管理者になっていただけると信じております」
太陽のような、とはこういう時に使うのだろう。アマネさんの一点の曇りもない満面の笑みが眩しすぎる。
「今日はこちらへの転移でお疲れでしょうから、ゆっくりお休みください」
そういうとアマネさんは部屋から立ち去った。
そして残される僕と、こちらをちらちら気にするタチバナさん。
小動物、いや愛玩動物のようでとても可愛らしくいらっしゃる。
それは、別にいいのだが。
そこはとてもいいのだが、聞かなければならないことがある。
「あの、タチバナさん?」
「はわっ!」
椅子から飛び上がりそうなほどびっくりされる。
「さっ、サツキとお呼びください、管理者様」
「う、うん。サツキさん。は、さ?」
「はいっ」
「夢の中で会ったような、気がするんだよね。いや、夢での話ね。そういうのも、なんか関係あったりするのかな、って」
無論、夢の内容は聞かせられるものではないわけだが。
「いや、ごめんね、変なこと言って。初対面でいきなり夢の話とか、一回会ってるとか、気持ち悪いね、ごめんね」
どん引かれても致し方なしであろう。
と、思っていたが。
「夢、ですか? ああっ、先ほどのあれですね」
「えっ……」
先っぽ? 先ほど?
「突然そばにいらっしゃるので驚いてしまいました。うふふっ、私をあんな風に軽々とお持ちになるなんて、管理者様も力持ちなのですね」
夢じゃなかった、だと……?
ええと、つまり、僕は夢だと思って女の子に抱き付いて、あまつさえ――
「っっっっっっ!!!」
「か、管理者様?! どうして急にそんな枕に顔を打ち付けるのですか!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃ!!」
「はわっ?!」
なんてことだ! 異世界に来ていたことを知らなかったとはいえ、完全な痴漢行為じゃないか! しかも自分から話を振った手前、言い逃れできない。いや、言い逃れるつもりなんてハナからないけど!
「ううぅ……ああぁぁぁ……」
予想だにしない事故とはいえ、して(・・)しまったことは事実だ。大人しく罪を受け入れよう……。
「とても自分好みの女の子がいたので、夢だと思って抱き付きました」。ただの危ない奴だ。
異世界でまでこんな間抜けな事をやらかすなんて……最低だ、僕って……。
「あの、どうしてそのように顔を隠してしまうのですか?」
「うぅ……見ないでやってつかぁさい……」
羞恥と後悔と申し訳なさとでタチバナさんを見ることは能わず。
なにが『これはいい夢だ』、だ。恥ずかしい。そんなみっともないことしてるから火事に巻き込まれたんじゃないか。恥を知れ、悔い改めろ。
「あの、管理者様。私にはなぜ管理者様がそのように苦悶の表情をなさってしまったのかはわかりません。ですが、それは、私のせいなのですね?」
僕が両手で醜い顔を隠し、黙って俯いてしまうと、タチバナさんがとんでもない解釈をしていらした。愛らしく可愛い綺麗な卵型の顔が今にも泣きそうな表情になっている。
泣きたいのはこっちもなのだけど。いや、もう泣いてるけども。
「いや、全然違うよ? タチバナさんは何も悪くないよ? 全面的に僕が悪いんだから。本当に、ごめんなさい。今更謝って済むことじゃないし、抱き付かれて気分も悪いだろうけど、謝らせて。ほんと、ごめんなさい」
「はわ?」
やはり土下座じゃないとダメかと思いなおし、ベッドの上から降りようとして動きを止められる。
タチバナさんに抱きしめられていた。
「ええと、あの、タチバナさん?」
「……」
「あの……」
「……」
まるで僕を拘束するように、背中に回された腕に力が入る。と同時に僕の顔がタチバナさんの柔らかな双丘に強く押し付けられる。
「私は、嫌ではありません。気分が悪くなるだなんて、とんでもないです。こうしてお会いできて、お話しをして、触れることも出来る。私にはそれが、とても嬉しいことなんです」
子どもに優しく言い含めるように、ゆっくりと僕に語りかけてくる。
「管理者様が望まれたから、私はここにいることが出来るんです。そんな風に私の気持ちを考えて、自分を責めないでください。うふふっ、思っていた以上にお優しいです。ですが、私は大丈夫です。こんな素敵な管理者様を、悪し様に思うなんて、ありえませんよ」
丁寧に、僕に気持ちが伝わるようにと、焦らず緩やかに言葉を一つ一つ紡ぎだす。
「大丈夫です、怯えないでください」
背中を、頭を静かに撫でられる。
「これからは私がいつもあなたのお傍にいます」
そうして最後の一言までを聞き、僕の中の何かが瓦解したようで、嗚咽が漏れてからは、堰を切ったように泣き声をあげるまで、さほど時間はかからなかった。
*
「その、ごめん、ありがとう。みっともない姿見せてしまいました」
ひとしきり泣いて、冷静になると気恥ずかしさが僕の周囲に漂っていた。
あの素晴らしい感触は名残惜しかったが、今は二人、適切な距離を取っている。
「うふふっ、いいんです。みっともない姿も、頼もしい姿も、失敗した姿でも、泣いた顔も、笑った顔も、これからどんどん私に見せてください」
「う、うん。ありがとう、ございます」
やめて、冷静になってからもそういうこと言うのやめて。嬉しいけど恥ずかしくて死んでしまいます。
「タチバナさん。その、さっきの管理者やるかやらないかの話だけどさ」
「サツキ、です。先ほども言いましたが、私のことはどうかサツキと呼んでください」
「あ、ああ。サツキさん、さ」
「サツキ、です」
餌を目の前に置かれて「待て」されている犬のような、そんなふてくされた目である。勿論こんな深紅の眼をした可愛い犬はいないが。
「あー……、さ、サツキ」
「はいっ」
「……さっきの、僕がここの管理者をやるとかやらないとかを決める話だけどさ」
「はわ?」
この話を振られることを予想していなかったのか、キョトンとされる。
「受けます、と。管理者をやらせていただきますと。さっきのアマネさんって方にお伝えしたいんだけど……」
なぜかまだキョトンとされている。
僕を見て、何か思案すうように指を顎にやり、上を向き、首を傾げ、もう一度僕を見る。あざとい、実にあざといのに可愛い。
「は、はわわっ。か、管理者様は、まだ管理者様じゃなかったんですね?!」
「う、うん」
えっ、この子、アマネさんとの話聞いてなかったの……。
「あとね。僕は管理者様じゃなくて、良太郎って呼んでもらえると嬉しいかな、と」
「はわっ、失礼しました。リョウタロウ様ですね。わかりました」
「いや、「様」とか付けてもらわなくてもいいんだけど……」
「いえ、それは出来ません。管理者様は私達にとって大事な御方ですから」
「あー、じゃあ、せめて、「様」はやめて「君」とか「さん」で、何とか……」
様をつけられるような奴じゃないということはすぐにバレるだろうから、そのぐらいを落としどころにしていただきたい。
「はわー……。管理者様がそうお望みなら……。りょ、リョウタロウさん」
「うん。ありがとう、サツキ」
「っ!!」
サツキが真っ赤になった顔を背ける。さっきまでは見られなかった反応だ。これは、照れている……と考えていいのだろうか。
「はわっ、わ、私、アマネさんに、お伝えしてきますね」
そう言うや否や、颯爽と部屋から飛び出していってしまった。
室内に独り、ベッドから窓の外を眺める。
地球とは違う世界と言っていたが、ここからも見えるのは青空だ。
あまり深く考えずにやると言ってしまったが早計だったろうか。
管理者が何をやるか内容も聞いていないがよかったのだろうか。
「ふぅ……」
どうせいくら考えてみたって動いてみるまではわからないし、元の生活に戻ったところで誰も喜びはしない。
仕事も家もなくなったついでだ、ちょっとした転勤とでも考えれば異世界だとか関係ない。
……それはあまりにも夢がないか。いや、夢も戻る場所もないのだけど。
「でも、まぁ……」
あんなに良い女の子とあんな女神様のような女性がいる。理由なんてそれだけで充分だろう。
それは「些細なこと」じゃない。そんな素敵なことは元の環境にはなかったんだから。
そこでふと思い出す。
『――タチバナサツキです。管理者様の手となり足となり妻となり、これからよろしくおねがいします』
……妻?