表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/26

弐 「新しい私じゃ駄目ですか?」 5

 クラスでは私の記憶を戻すのがブームだった。

 皆アルバムを持って来て、私にそれを見せる。

 中にはビデオカメラを持って来て、前の私の映像を私に見せる人もいた。

 私が登校してから一週間と二日後の放課後。今日も私は前の私を見ていた。

 記憶媒体の中の私は、元気溌剌(げんきはつらつ)としていて、目立ちたがり屋だった。

 中学校の時の体育祭。

 画面の中の私は学ランを着て、自主的にクラスの応援団をやっていた。

 黒い学ランに白い手袋、必勝と刺繍された鉢巻を頭に巻いて、声を張り上げている。


「かっせ、かっせ、二のA!」


 男顔負けの声で私は叫んでいた。

 女子のか弱い作られた声ではなく、腹の底から出す地声。

 私の隣で懐かしそうにビデオを見ていたひーちゃんは、ビデオの声を邪魔しないように囁くように言った。


「コスプレ好きだったよね。環」

「…本当?」

「そりゃもう。見てればわかると思うけど」


―――これ以上見たくないー!


 ひーちゃんの言う通り、心なしか映像の中の私は生き生きしていた。

 目立ちたがり屋も度を超すと、コスプレに走るのか?

 今の私にはそんな癖はないのだけれど、前の私に限ってのことなのだけど、恥ずかしい。


「応援団をやった後、女子にコクられるのが増えたよね」

「…え?」


 環の私の過去の暴露は続く。


「女子高だからなんだろうけどね。体育祭の片づけの時に四、五人にコクられてたよ」

「ギャグだよね?」

「さぁね、本気だったのかも知れないよ?」

「でも、女の子同士でしょう?」

「別にいいんじゃない? 付き合うだけなら、法律違反じゃないし」

「…私は嫌だ。前の私はちゃんと断ったよね」

「覚えてないなー」

「意地悪しないでよ」


 前の私に振り回されて、私は泣きそうになるぐらいパニックになってた。


「泣かない。泣かない。イイコイイコ」


 気持ちがいっぱいいっぱいになっていた私の頭を、アイちゃんがくしゃくしゃに撫でる。

 アイちゃんに頭を撫でてもらうのはとても気持ちがいい。私の心はすぐに穏やかになった。

 私が落ち着いてきたのを確認して、アイちゃんはカメラを指さす。


「ほら、リレーだよ?」


 画面が変わっていた。

 ビデオに映る私は既に学ランからジャージに着替えている。

 体育祭の醍醐味、クラス対抗リレー。


「この時のタマちゃんは、すごかったね」


 クラスメイトの誰かが言った。

 三クラスの中で三番目でバトンをもらった私は、猛然と走り出す。

 見る見るうちに二位の子と並び、抜き去る。

 そのまま一位との距離をぐんぐん狭め、一位とほぼ同時にアンカーのひーちゃんにバトンを渡した。

 女子とは思えないほど、見事な全力ダッシュ。

 ひーちゃんが涼しい顔で一位でゴールした後、地面に倒れ込んだ私をカメラが写している。


「熱血系女子」


 ボソっと誰かが漏らした。

 私は反論できない。


「でも、今じゃ真逆だよね。お嬢様系女子」

「それじゃあ、小野阪さんとキャラが被っちゃうじゃん」

「小動物系女子じゃない?」


 本人のそばで、私がどんな女子なのかという相談が始まった。


「ハムスター系女子じゃないかな?」


 誰かが言った。

 繁殖力が強そうだな。っということで却下。


「子猫系女子」


 いつまでも子供は嫌なので却下。


「記憶喪失系女子」


 そのままなので却下。


「環って、結構ワガママだよな」


 ひーちゃんが呆れ顔でそう言う。

 それを聞いて、私の却下が口に出ていたことに気づく。

 赤面。


「タマちゃんは撫子(なでしこ)系女子だよぅ」


 ふわっとアイちゃんが言った。

 撫子系女子。響きはいいのだけれど、古典的な雰囲気が気に入らない。

 とは言え、これを却下したら、ワガママキャラが確立されてしまう。

 とりあえず手を打つことにした。

 特に影響はないわけだし。


「あいかわらず、藍に弱いよな」


 ひーちゃんがニヤニヤ顔でそう言う。否定はしない。ていうか、できない。

 次のビデオは高校生の頃の文化祭だった。

 ライオンのたてがみを模した飾りを顔の周りに付け、さらに肉球の手袋をはめた私が手を振っている。

 ご丁寧に尻尾も付いている。


「動物喫茶へようこそ」


 明るくてハキハキした声。今の私とは違う声。

 画面上のアクティブな自分に少し劣等感を持ちながら、私はそれを見る。


「動物のコスプレしながら喫茶店をやったんだよね。もちろん言い出しっぺはタマちゃんだよ」

「やっぱり、そうなんだ」


 目を背けていたい現実を、アイちゃんが叩きつけてきた。

 アイちゃんの説明は続く。


「タマちゃんがライオンで、あたしがワンちゃん。ひーちゃんがライオンのお母さんだったよね? タマちゃんとお揃いがよかったんだよね~」

「ち、違うぞ! 私は、準備するのが面倒だったから、環に同じのを用意してもらっただけで」

「ハイハイ。そういうことにしておこうね~」

「藍、一回殴るよ?」

「きゃ~。怖いよぅ」


 満面の笑みで逃げて行くアイちゃん。追うひーちゃん。

 画面の中の二人も、それにシンクロしていた。

 成長してないというか、いつでも仲良しというか。


 教室が閉まるまで続いたけれど、結局、これと言った成果も出せずに、今日のビデオ視聴は終わった。

 でも、皆が私の記憶喪失の治癒を望む理由がわかった。

 前の私は、今の私に比べて、とても元気で可愛らしい。そして何より、楽しい。

 私は胸の中に劣等感を持ったまま、帰宅することになった。




*****




 部室の掃除をしなくっちゃ。と言っていたひーちゃんを置いて、私とアイちゃんだけで帰っていた。

 いつものT字路で私とアイちゃんは手を振って別れる。

 少し前までは、心配性のひーちゃんが家の前まで送ってくれてたのだけれど、今日はいない。

 アイちゃんが代わりに名乗りを上げたけれど、丁重にお断りした。

 アイちゃんの家が私の家の近所というわけでもないから、遠回りさせるのも気が引ける。

 実際、既に道は覚えている。なんの心配もない。


「ひーちゃんに、環を家まで送ってやれよ。って言われてるんだよねぇ」


―――ひーちゃんは私のことを子供扱いするんだから


 事故で記憶を失った幼馴染を気遣ってあげる、ひーちゃんなりの優しさなのだろうけれど、少々度が超えている。

 自分の目の届かない所に私がいると、不安になってしまうようにも見える。


―――それは、ちょっと自意識過剰かな


 そんなことを考えながら、私はアイちゃんとひーちゃんの気遣いをやんわりと断ることにした。


「大丈夫だよ。ちゃんと帰れるから。ひーちゃんには送ってもらったって言っておくから」


 物わかりがよくて思考が柔軟なのがアイちゃんのいいところ。アイちゃんは頷いて、私の申し出を受けてくれた。

 そんなことがあったT字路を過ぎてから、数分後。

 暗くなってきた視界に、弱々しい照明で照らされた立て札が飛び込む。


 『久恒神社』


 私は立て札のそばの階段を見上げる。

 百八段の先に神社があった。

 無意識に私は階段に足を乗せた。

 何かに導かれるように、何かに背中を押させるように、私は一段ずつ石製の階段を登り始める。

 階段の真ん中ぐらいに差し掛かった頃、急に私は異変を感じた。

 不思議な感じだった。

 急に全身に寒気が走った。そして実際に肌寒くなる。

 鳥肌が立ったのが、制服越しにも分かる。

 膝が震える。肩を抱く。それでも歩みは止まらない。


 ゾワッ!


 誰かが私の肩に手を乗せた。

 いつかのようなひーちゃんのような感触ではない。アイちゃんでもないし、斎蓮先生でもない。そもそも、人ではない。

 サイズはひーちゃんと同じぐらいの大きさ。でも、私はこの手が命を持たない何かの手だと確信していた。

 その手は信じられないほど冷たかった。尋常じゃなく冷たかった。氷のような直接的な冷たさではなく、命の炎を蝕むような冷たさ。

 生命の温かみがない、命を持たない何かの手が私の肩に手を置いた。

 怖くて振り返ることができない。声も出せない。私はその場で硬直した。


―――助けて、ひーちゃん!


 その瞬間、私の肩に置かれた手が、信じられないほどの力で私の肩を握りしめた。

 苦痛に顔を歪めて叫んだ。


「あああああああああ!」


 意味が通じない叫びを上げながら、私はその手を振りほどこうと体を揺すった。 

 私が苦痛から逃れようとすればするほど、その手は私を強く握って離さない。

 肩の骨が壊れるんじゃないかと思うほどの、肩が握り潰されるんじゃないかと思うほどの激痛。私の目の前は、とっくに真っ白になっていた。

 肩の激痛が消えたことに気が付くまでに、どれぐらいの時間がかかったのだろうか。

 気が付いた時は、私は石製の階段に寝そべる様に倒れていた。

 だらしなく口を上げて、(まぶた)を閉じて、荒く浅い呼吸を荒く繰り返す。


「……ァ………ァァ…!」


 酷いノイズが私の感覚を支配した。

 トンネルに入った時のように、耳の奥がキーンとする。

 そして、それが徐々に大きくなっていく。私は頭を抱えて、悲鳴を上げた。


―――ひーちゃん! 私を助けて!


 私は何回も何十回も繰り返し繰り返し、ひーちゃんに助けを求めた。

 私の助けを無視するように、冷たい手は荒々しく、私の首を絞める。

 片手で私の首を鷲掴みにすると、そのまま持ち上げる。

 遠のく意識の中で、私は懸命に目を閉じていた。

 私の心を占める感情は恐怖。私は懸命に恐怖の根源から目を逸らし続けた。


 喉の圧迫感は急に消えた。

 続いてやって来たのは奇妙な浮遊感。そして激痛。

 階段を転がっていることに、すぐ気付いた。

 私は咄嗟に、体を丸めて頭を守った。

 石製の階段の角が私の体を容赦なく突き刺す。

 あまりの痛覚に私は叫び声も上げれず、ひたすら痛みに耐えながら落下し続けた。

 私は重力に引っ張られて加速する。その分、体に走る激痛はより痛みを増す。

 焼けるような痛みが背中に走る。私の肺の中の空気はその衝撃で外へ飛び出す。

 

―――苦しい。……死ぬかも


 私は、息苦しさと、全身に走る連続的な鋭い痛みと、凍えるような寒さで震えた。

 気が付くと、私は回転していなかった。階段を下りきったのだろう。

 朦朧(もうろう)とする意識の中で、私は目を開けると、遠くに何やら二つのランプが見えた。

 綺麗な光だった。私は、あの世からの使いの光なのかと思った。


「間に合えええッ!」


 知らない男の子の声が聞こえたような気がした。

 そして、私の意識は完全に途絶えた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ