弐 「新しい私じゃ駄目ですか?」 4
久恒神社。
何の縁なのか知らないけれど、私の登下校のルートにそれはあるらしい。
登校二日目。母親からそのことを聞いた私は、少し早めに家を出た。興味本位でその神社を見に行くことにした。
家から徒歩十分。久恒神社はあった。
都市化が進んだこの街で、周りよりも緑が残っている小高い丘。この頂上に、久恒神社がある。
私の目の前には、小高い丘の下から頂上まで続く石製の階段。
気が遠くなるほど高い階段の向こう側に、その神社はあるらしい。
階段のそばにある立て札によると、この階段は手作りで、しかも百八段もあるらしい。
これを見たらバリアフリーは泣いてしまう。
―――霊能力って本当にあるのかな?
薄らとそんなことを思った。
お祓いしてもらえば、お守りを身につければ、いるかどうか知らないが、私に取り憑いている悪霊を退治すれば…。
記憶は戻るのだろうか。
「環。どしたの?」
灯さんの声を聞いて、私は現実に引き戻される。
いつからいたのかわからない。
「藍みたいにボーっとしてたよ?」
「ううん、何でもないです」
「美人なんだから、ちゃんとガードは堅く」
「はい。わかりました」
「変な男が付きまとうようだったら私に行ってね。ギタンギタンに退治するから」
物騒なことを笑顔で言う灯さん。
灯さんよりも先に、警察に言おう。心のメモにそう書き込む。
「それで、なんで久恒神社を見上げてたの?」
「何でもないです。ちょっと、お医者さんがここの話をしてたから」
「医者って、斎蓮先生?」
「そう。斎蓮真先生」
「あの先生、オカルト大好きだからな~。話半分で聞いたほうがいいよ」
やっぱり、そうなんだ。
私は納得した。
改めて久恒神社があるであろう方向に目をやる。
灯さんも私と同じく階段の一番上を見上げる。
「実際に、呪いの相談とか、悪霊のお祓いとか、無料でやってくれるらしいけど、なんか胡散臭いよね」
「灯さんも行ったことがあるの?」
「初詣を抜かせば、ゼロかな。私ってお化けとか信じないし」
「そうですよね。記憶喪失を起こすお化けって聞いたことないし」
「それに、斎蓮先生って、患者さんの病気とかに理由をつけては、久恒神社に送ってるらしいわよ」
詐欺臭い。
確信したわけではないし、警察に話そうという気もない。
まだ、実害が出てるわけじゃないみたいだし。
「今度一緒に行こうか」
「え? どこに?」
「久恒神社」
階段の向こうを見ながら、灯さんは短く単語だけを言った。
それから私のほうを向いて、言葉を続ける。
「これからいっぱい思い出ができますようにって、神様にお願いしに行こう」
「これから…」
「うん。昨日は変なこと言ってごめんね。私、環が大好きだったから、早く元の環に戻って欲しくて。でも、今の環だって、環なんだから、今のままでいいと思う」
「今のままで?」
「うん。無理に記憶を戻さなくてもいいよ。もちろん今の環が記憶を取り戻したいなら、それでもいいけど」
初めて、今の私を認めてもらえた気がした。
生きる許可をもらった気がした。
私は嬉しくて、自然に涙が零れた。
「環。なんで泣いてるの」
「だって…嬉しくて……。ありが…とう…」
うまく言葉が出てこない。うまく気持ちを伝えれない。
灯さんは泣きじゃくる私の頭を優しく撫でてくれた。
斎蓮先生の手とは違って、小さい手の平。でも繊細で柔らかくて優しい。
もう、言葉を発する必要はなかった。灯さんは私の気持ちを汲み取ってくれる。
*****
「ひーちゃんって、呼んでもいい?」
お昼休みのお弁当タイム。私は灯さんにそう言った。
決心とは言わないが、勇気を出したのは間違いない。
灯さんは意外そうな顔をしたけれど、笑顔で快諾してくれた。
「うん。ひーちゃんでいいよ。改めてよろしく、環」
「あたしのことも、アイちゃんって呼んでもいいですよ」
やんわりした声で、小野阪さんはそう言う。
「アイちゃん。ひーちゃん」
そういうと二人は照れたように笑う。
呼び方を変えただけで、三人の距離が縮まる。
これが絆なのかな?
これが私が失った大事なものなのかな?
「それじゃ、環。その他人行儀な喋り方も卒業ね」
「はい。頑張ります」
「だから、それだよぅ」
頬を膨らませて指摘する小野阪さん、もといアイちゃん。
他人行儀だと言われても、まだ出会ってから二日目なのだから、それも難しい。
でも、期待には応えたい。
「アイちゃん、放課後ドーナッツ食べに行こう」
それを聞いて、よくできましたと私の頭を撫でてくれるアイちゃん。
部活で忙しいから一緒にドーナッツを食べれないひーちゃんは、いじけてた。
「ドーナッツもいいけど、ショッピングに行かない? ドーナッツはひーちゃんが一緒の時ね」
ふわふわっと言うアイちゃん。
天然に見えるけど、一番のしっかり者。
「そうだ。私抜きでドーナッツを食べるとバチが当たるぞ」
「さすがドーナッツ神官だねぇ」
アイちゃんが綿毛のような優しい声で言う。。
ドーナッツ神官。そんなものがあるのかどうか、わからないけれど。
「これから夏になるし、夏服と水着を買いに行かないとね」
「そっか。一緒に海に行きたいな」
海や海水浴というのは知っている。
でも海の冷たさや、夏の日差しの暖かさは知らない。
ぜひ、三人で海に行ってみたい。
「部活で忙しいひーちゃん抜きで海に行って、部活で忙しいひーちゃん抜きで泳いで、部活で忙しいひーちゃん抜きで海の家でご飯だね」
「部活で忙しくて悪かったわね」
唇を尖らせて怒るひーちゃん。それを笑って受け流すアイちゃん。
二人は本当に仲が良くて、うらやましい。
思い出を作れば絆が深まり、私も彼女らの友達になれるだろうか。
私はそんなことを思った。
ピーンポーンパーンポーン
昼休み終了の合図が鳴った。
慌てて時計を見ると、長針と短針が五時限目開始の時間を指していた。
「やべ、二人とも急いで行くよ」
ひーちゃんはそう言うと手際よく昼食を仕舞う。
私も詰め込むようにお弁当袋にお弁当箱を入れる。アイちゃんはゆっくりとしたマイペースな動きでお弁当箱を仕舞う。
一番時間がかかったのは私だった。