表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/26

弐 「新しい私じゃ駄目ですか?」 2

 考えが甘かったと言うしかない。

 病院で診断した結果、思い出を失っているけれど、勉強自体は問題なかった。

 それを証明するように、授業中の私は人並みの生徒だった。


 先生の気まぐれで出席番号順の逆順で当て始めると、名字が夢現(ゆめうつつ)の私は、すぐに当てられてしまう。

 当てた本人も、失敗した。という表情になるのだが、私はスラスラと答えてしまう。

 もちろん、難しい問題はわからないし、簡単な問題でも間違ったりする。それでも、「私のこと覚えてない?」という質問よりも、「この式の解を求めなさい」という問いのほうが楽だった。

 私が先生の問題に答えてしまったせいで、クラスの中の誰かが、記憶喪失のふりをしてるんじゃないか。という疑惑を持ってしまったらしい。

 小さな疑惑も雪達磨のように膨れ、放課後、名前も知らない女の子が私にこう言ってきた。


「記憶喪失のふりをして楽しんでるんでしょ?」


 まったく的外れな考えだったけれど、それを聞いたクラスメイトは驚きの声を上げた。

 赤の他人に向かって、私は食ってかかれる性格ではない。

 必死にこう訴えるしかなかった。


「違います。病院に行けば、書類みたいなやつもあります」


 その子は鼻を鳴らして、帰ってしまった。一握りの疑惑をその場に残して。

 疑いの眼差しが、私に突き刺さる。

 嘘つきのレッテルが張られたような気がした。

 私は周りを見回す。

 皆、敵のような気がする。


 なぜ、そこまで私の過去にこだわるのか。転校生のように接してくれればいいのに。

 私はそんな不満を胸に仕舞(しま)って、私は鞄を持って教室から出た。

 特に愛着もない外靴を取り出し、私にとって御下がりと言ってもいい内靴を仕舞う。


 学校の初日の失敗を思い返し、憂鬱な気分で肩を落とす。用事がないので真っ直ぐ帰ろうとすると、後ろから声を掛けられた。

 登校中に会った小野阪藍さんと、さっき私を庇ってくれた東堂とうどう(ひかり)さんだった。


「環、一緒に帰ろ」


 灯さんはそう言うと、不安そうに私の顔を覗き込んだ。

 灯さんを後押しするように、小野阪さんも言う。


「三人で寄り道してドーナッツを食べよ」

「はい。誘ってくれてありがとうございます」


 靴を外靴に履き替えて、私達三人はドーナッツ屋さんに向かった。

 小野阪さんはフレンドリーに灯さんをひーちゃん、私をタマちゃんと呼ぶ。

 灯さんは、小野阪さんと私を下の名前で、藍、環、と呼ぶ。

 私は初対面の二人を、さん付けで呼んでいる。なんとも統一感がない三人だった。


 ドーナッツ屋さんに向かう途中、私達は過去の私の話を一切しなかった。

 意識をしていたように見えたけれど、その心遣いは嬉しかった。

 今日の授業のことや、今年の文化祭のこと、定期試験のこと、部活のこと。

 好きな男子や、灯さんや小野阪さんの友達の恋愛情報。

 楽しくお喋りをしてたら、すぐにドーナッツ屋さんについた。


 小野阪さんは即答で、生地に苺が練り込まれている、ストロベリードーナッツを選んだ。

 私はチョコレートとクリームが半分ずつかけられている、ハーフ&ハーフ。

 以外にも灯さんが一番最後まで悩み、身を切るような声で私と同じハーフ&ハーフを選んだ。

 

「いっつも思うけど、ひーちゃんさ、迷うぐらいなら両方食べればいいのに」


 小野阪さんの言う通り、灯さんはハーフ&ハーフとクリームがいっぱいかけられているドーナッツと二つで迷っていた。

 それを見て私も、小野阪さんと同じことを思っていた。


「二つも食べたら、太るじゃん」

「ひーちゃんはもうちょっと太らないと。出る所出ないよ」

「余計なお世話。私は陸上部のエースだからね。今ぐらいがちょうどいいの」

「そう言えば、今日は部活ないの?」

「昨日大会だったから、今日明日は部活休み。休養も練習ッス」

「結果はどうだったんですか?」


 私の質問に、灯さんは胸を張って答えてくれた。


「高校生女子百メートル、堂々の一位。自己ベスト更新だぜ」


 私と小野阪さんはパチパチと小さな拍手をする。


「灯さんって、足が速いんですね」

「もちろん。ひーちゃんは全国レベルの選手だもんね」

「でも、全国大会じゃビリのほうだから、もっと練習頑張らないと」


 照れ隠しをするように灯さんは言う。

 それをからかう様に、小野阪さんが茶化した。


「それじゃあ、ひーちゃんのドーナッツはあたしが代わりに食べてあげるよぅ」

「それは駄目! ドーナッツが私の原動力だから」


 灯さんは断固拒否した。

 仲が良い二人を見ていると、私は過去の自分がどんな人だったのか、気になってしまった。

 彼女らと仲が良ければいいな。


「タマちゃん?」


 小野阪さんが私の表情を覗き込みながら声をかけてくれた。


「え、はい」

「ボーっとしてたよ? ドーナッツが待ちきれないの?」

「そんなことないです。ただ、記憶を失くす前の私って、どんなだったかなって思って」


 少し、恥ずかしかったが、思い切って聞いてみた。


「そうだねぇ。一言で言うと、明るくて元気で可愛いかな」

「全然、一言じゃないぞ。藍」


 明るくて元気で可愛い。

 うわぁ、嬉しい。


「目立ちたがり屋で、後先考えずに行動するから先生に怒られるし、怪我するし。でも、絶対に凹まないし、めげない。学習しない」

「そうそう。学習しない」


 私ってそういうキャラですか。

 おバカキャラってことですね。


「でも、クラスを盛り上げてくれるし、タマちゃんがいるだけで楽しかった」


 いい言われ方をしているけれど、本当の所はどうなのだろうか。

 ネガティブな考え方だけれど、いい面だけを言われてる気がする。小野阪さんの言うことを鵜呑みにしてはいけないんじゃないか。


「小野阪さんや、灯さんとはどういう関係だったんですか?」

「環と私は、小学校に入る前からの幼馴染だ。小五のクラス替えの時に、藍と知り合った」

「仲良し三人組みだったんだよ~」


 妙に間延びした声で、小野阪さんがまとめた。

 私は、この二人と仲良しだった記憶を失くす前の私が羨ましかった。

 ドーナッツが運ばれて来た時に、一番喜んでいたのは、もちろん灯さんだった。

 幸福只今絶好調。そんなフレーズが浮かんだ。

 もしも灯さんが犬だったら、尻尾を千切れそうなぐらい振っているんじゃないだろうか。


「灯さんは本当にドーナッツが好きなんですね」

「ふむ。ドーナッツが神様の宗教があったら、入信するぜ」


 その宗教のせいで人生を棒に振りそうな勢いで宣言する灯さん。

 ドーナッツ教という宗教を見つけても、灯さんにだけは教えないようにしよう。

 私達はドーナッツを食べながら他愛もない会話をした。


 変な言い方になるが、生きている実感というものを感じた。

 誰かと繋がっているという感触。一人じゃないという感触。

 記憶を失くしてしまい、絆も全てゼロに戻った私は、気付かなかっただけで、必死に誰かとの繋がりを求めていたのかも知れない。

 家族との関係も、友人との関係も、全てリセットしてしまった私にとって、灯さんと小野阪さんの存在は、とても強いものだった。

 真っ暗闇の中で(とも)る、たった二つの明かり。



*****



 ドーナッツを食べ終わった私達は、一休みした後、店を出て帰路についた。

 狭い歩道で横一列に並ぶ三人。通行人からしてみれば邪魔だったのかも知れないが、それに気付かないぐらい楽しい時間だった。

 いっぱい笑った。

 失った過去を埋めるように笑った。

 T字路に差し掛かると、小野阪さんがパーティから抜ける。


「私はコッチなのですぅ」


 ふにゃっとした敬礼をして、小野阪さんは宣言するように言った。


「お疲れ。また明日ね」

「さようなら」


 手をヒラヒラと振りながら、小野阪さんはフワフワと歩いて行く。

 彼女は癒し系だ。私は小野阪さんの後ろ姿を見てそう思った。

 灯さんと二人っきりになった。

 しばらく静かだったけれど、緊張気味に言いにくそうに、灯さんは私に言った。


「ねぇ、ひーちゃんって、呼んでみてよ」

「え?」

「その、…今までの呼び方なら、何か記憶が戻るかもって」

「そうなら、…ひーちゃん?」


 照れくさくって呼びにくかったけど、ひーちゃんって呼んでみた。

 それを聞いた灯さんの中に、葛藤が生まれたように見えた。

 具体的にどんな葛藤なのかはわからないけれど、私から目を()らした彼女の心の動揺が伝わってくる。


「あのさ、…本当に私のこと、覚えてない?」

「ごめんなさい。覚えてないです」

「謝んなくていいよ。環が悪いわけじゃないし」


 そう取り繕い、強がるような口調で続ける。


「記憶って、本当に何にも残ってないんだよな」

「何にもってわけじゃないんだよ。言葉とか、勉強とか。自転車も乗れたし、IQも問題なかった。……思い出が何にも残ってないだけ」

「記憶、戻るよね?」

「お医者さんは、原因がわからないから、治るかどうか、わからないって言ってました」

「原因がわからない? 事故のショックじゃないのか?」

「脳への直接的なダメージじゃないみたいだし、心の問題だとしても、記憶喪失が一部じゃないところが変だって、言ってました」


 それを聞いた灯さんの表情に影が差す。

 誤魔化すように無理矢理笑って、こう言った。


「でもさ、可能性がゼロじゃないんだろ?」

「はい」

「なら、頑張って記憶を取り戻そうよ」

「…記憶、戻ったほうがいいですか?」

「え?」


 ずっと胸に突っかかっていた思いが込み上げる。

 両親にも言われた。斎蓮先生にも言われた。今日学校でクラスメイトにも言われた。学校の先生にも言われた。

 私に関わった人は、皆私にこう言う。


 「頑張って記憶を取り戻そう」。


 今の私をまるで見ないで、そういうのだ。

 制御を失った心は、理性を無視して走り出す。


「新しい私じゃ駄目ですか? 前の私に戻らなければ駄目ですか?」

「そんなことない。ただ…」


 灯さんは、ただのあとを続けなかった。

 きっと続けたら私が傷つくと感じたから。


「ごめん、私、変だった」


 灯さんは走って、私から逃げるように帰った。

 しばらく立ち止っていた私は、しばらくその場に立ち尽くした。

 母親からの着信で携帯電話が鳴るまで、立ち尽くしていたことにすら気付かなかった。

 電話に出て、少し放心した状態で、今すぐ帰ると伝えると、喪失感を抱えたまま、環が走っていったほうに向かって、トボトボと歩き始めた。


 灯さんを追ったほうがいいのかも知れない。悪いのは私なのだから。私の頭に、そんな考えが浮かんだ。

 でも、私は、幼馴染の家を完全に忘却していた。

 ドアの形も、屋根の色も、何階建てかも、お庭の広さも、表札も、全部忘れていた。

 無責任な話だと、我ながら思う。


 私は、覚えたての帰路を歩きながら、これからの生活に、重い不安を感じていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ