参 「その偽物を見るような、疑う目はなんだよ」 2
蝶々さんが聞きとりやすい早さで語り始めた。
「人は死ぬと、『魂』と『肉体』に分かれる。普通の魂は地獄へ行き、閻魔に裁かれる」
「天国か地獄か、ですか」
「そうじゃ。人生最大の裁判じゃな」
愉快そうに笑う蝶々さん。
私は笑いそびれた。地獄に堕とされたら怖いし。
「しかし、未練がある魂は地上に残ってしまうのじゃ。未練とは強い感情。例えば、憎悪、悲愴、絶望、愛情、友情、恩義…」
「愛情…ですか」
「恋人への愛情、息子娘への愛情、親への愛情、それら故に、守護霊となる場合もあるの」
「なるほど」
霊の全部が全部、悪霊になるわけもないか。
「あくまで推測じゃが、昨日、主に傷を負わせたのは悪霊の類じゃろうな。気配があったんじゃ」
「じゃあ、その悪霊が私に憑いてるんですか?」
「さぁの。今の私様は魂を見ることができぬ故、それはわからん」
「そうですか」
「じゃがの。琥珀は立派な霊能力者故、見ることができる。落ち込むことないぞ」
「琥珀さん。…さっき出て行った人ですね」
「うむ。呼んでもよいかの」
「はい。お願いします」
私は霊の説明について半信半疑だったけれど、今は流れに任せてみようと思った。
もちろん、お金を取られそうになったり、体を狙われそうになったら逃げ出す。
そのための準備もしなければ。
私は少しずつ起き上がる。
体中痛いが、それでも動くことに支障はなさそう。さっきは、痛みに驚いただけ。
「琥珀。もう入ってもよいぞ」
襖が開く。面倒くさそうな顔をした、カジュアルな格好のチャラ男がそこには立っていた。
目がチカチカするような金髪。生え際が黒だから、染めた色なんだろう。
同じ金髪でも、蝶々さんとはまったく違う。
両耳にはリング状の大きなピアスが装飾されていて、見ているだけで痛々しい。
他にも十字架を模したネックレスや髑髏の指輪、メカニックなデザインの高価そうな腕時計など、ありとあらゆる装飾が施されていた。
事前の説明があった私でも、彼が霊能力者だというのは信じられない。
服装も変だった。
上着は革ジャン。膝に穴が開いたジーンズを履いて、喫煙者のための禁煙グッズ、電子煙草を吸っている男が霊能力者だと信じられるものか。
「その偽物を見るような、疑う目はなんだよ」
琥珀さんは電子煙草をくわえたまま、器用に喋った。
「環は主を見て、こう思っておるぞ。嘘をつくならもっとマシな嘘があるじゃろう」
「そんな失礼なことは思ってません……けど」
「今、けどって言ったよな」
面倒くさそうに琥珀さんは吐き捨てる。
正直な話、胡散臭いと思ってる。でも仕方がないじゃん。
どうしても信じろというのなら、せめて、全身のアクセサリーを外して欲しい。
琥珀さんが畳に腰を下ろして胡坐を掻く時も、ネックレスや腰の鎖がチャラチャラと鳴る。
その音が私の心を不安にさせているということに、琥珀さんは気付いているのだろうか。
「さっさと終わらせるぞ。もうすぐ十時だ」
「もうそんな時間なんですか!?」
「家に電話するなら今のうちだぞ?」
欠伸を噛み殺しながら琥珀さんは言った。
私は一言断ってから、母親にメールを打った。
メールの中身は友達と話しこんでてバスに乗り遅れたら、帰るのが遅れる。という内容。
友達とのメールは絵文字や顔文字を使ってバリエーション豊かなメールになるんだけど、前の私しか見えていないあの人が嫌いだからか、メールは簡単な、もとい粗末なものになってしまった。
「もういいです。メール送りました」
「とりあえず、始めるぞ」
面倒くさそうに、琥珀さんは私を睨むように見る。
私はてっきり、目の色が変わるとか、お経を唱えるとか、そういうアクションがあるものだと思っていた。
でも、琥珀さんは、私を睨むだけ。
最初は本当にイライラして睨んでいるんだと思っていたけれど、そうではないようだ。
これが琥珀さんの霊を見る儀式。
ねっとりとした視線ではなく、なにかを射抜くような鋭い視線。私は少し居心地が悪かった。
「あん? わけわかんね」
決め台詞を期待していた私は、琥珀さんの間の抜けた声に、落胆した。
「何が見えたんですか?」
すかさず、私は聞いた。
「なんも見えねぇ」
「へ?」
「お前、呪われてねぇし、憑かれてねぇし、祟られてねぇ。完全に普通だ」
「本当…ですか?」
「あぁ、間違いねぇよ」
琥珀さんが吐き捨てるように言う。
それを聞いて、黙って琥珀さんを見ていた蝶々さんが口を開く。
「ちょっと待つのじゃ! 何故、環は階段を転がっていたのじゃ?」
「足を滑らしたんじゃねぇの」
「トラックに轢かれそうになったのは、なぜじゃ?」
「運悪く、たまたま」
「主の霊感が腐ったんじゃないじゃろうな」
「オレの目は節穴じゃねぇよ。霊感も腐っちゃいねぇ」
「ならなぜじゃ。なぜ見えぬ。私様は確かに霊の存在を感じたぞ」
「霊の通り魔じゃねぇの」
「そんな物騒な霊がいてたまるか!」
投げ槍や返答に、蝶々さんはキレた。
しかし、美人はキレても美しい。真摯な態度が逆に彼女の凛々しさを輝かせているように見える。
「でもよ、まったく見えねぇんだよ」
「では、主が見えないほど、高位の霊だとでも言うのかの?」
「そうかも知れねぇな。オレがいくら才能ある天才だとしても、高々人間だからな」
自嘲するように琥珀さんは言う。
彼の目に陰りが生まれたのが、目に付いた。
「ジュゴンに頼るしかねぇな。こういう時のための人外だろ?」
「じゃがの、ジュゴンは今、瀕死の重傷じゃ。しばらくは休養せねばなるまい」
二人はそれきり黙りこむ。
何か聞こうとしたが、話が見えず何を聞けばいいのかがわからない。
私も黙るしかなかった。
この沈黙を破ったのは蝶々さんだった。
「今考えるべきは、しばらくの間、環をどうするかじゃ」
「霊に襲われたんだとするなら、また同じように襲われる可能性は高いな」
「本当ですか!」
私は素っ頓狂な声を上げた。
二人は大真面目な顔で私のほうを向く。
蝶々さんが額に皺を寄せながら、説明してくれた。
「霊とて理由のない行動はせぬものじゃ。特に、今回のように殺意が伺える場合は明確な意志があるはずじゃ」
「私がその霊を怒らせてしまった。ということですか?」
私の質問に蝶々さんは首を上下に振る。
そして、真面目な顔で言う。
「主は墓荒らしをしたことがあるか?」
「あるわけねぇだろうが! 時代錯誤もいい加減にしろ!」
琥珀さんの激しいツッコミが飛ぶ。
蝶々さんはボケたつもりがないらしく、少し落ち込んでいた。
そんな姿も、様になっている。私も蝶々さんのように、喜怒哀楽どんな表情も似合う女になりたい。
「そーだな。肝試しをしたことはねぇか? もしくは、心霊スポットとかでゴミを投げたり、騒いだりしてねぇか?」
「…ごめんなさい。わからないです」
「わからねぇ?」
「はい。私、記憶喪失なんです」
蝶々さんと琥珀さんは顔を見合わせる。
「交通事故に遭う前の記憶がまるでなくて。斎蓮病院で診断してもらったんですが、医学的には異常がないと診断されて」
「だから斎蓮のオッサンは、オレ達にコイツの話をしてたわけか」
「医学では証明できないことが心霊現象だと決めつけてしまう所が、斎蓮の悪い所じゃ」
よくわからないが、二人は納得したように頷いた。
私も一つ納得してた。
そうだ。琥珀とジュゴン。斎蓮先生から紹介された霊能力者だ。
斎蓮先生というのが、私の記憶の引き出しのキーワードになったようだ。
「でも、何も悪いものは憑いてないんですよね? 記憶喪失も、さっきの事故も、霊の仕業じゃないんですよね?」
「記憶喪失はそうかも知れねぇけどよ、さっきの事故は確実に霊の仕業だぜ」
「どういう…意味ですか? だって霊は見えなかったって」
「オレも蝶々も、確かに霊の気配を感じたんだよ。間違いねぇ」
「じゃあ、一体どういうことですか?」
「可能性は二つ。一つはオレですら見ることができねぇ高位の霊だっていう可能性」
「その高位の霊って、どういう意味ですか?」
意外にも琥珀さんが解説してくれた。
面倒くさそうな態度をしているが、面倒見がいい人なのかも知れない。
「霊っていうのは、魂だけの不完全な存在だ。だから、完全になりたくて、不完全同士で集まっちまうんだよ」
「それって霊が集まるってことですか?」
「正確には、霊だけじゃねぇけどな」
「霊が集まると、どうなるんですか?」
「一つの巨大な霊になる。要するに性質が悪くなるんだよ」
「強い霊ができるんですか」
「そうだな。その巨大な霊はさらに周りの霊を呼ぶ。どんどん膨れ上がって、手がつけられねぇぐらい強くなっちまう」
「それじゃあ、大きくなった霊はどうするんですか? 見ることもできないんですよね」
「強ぇ霊なら噂も広がる。名のある霊媒師が集まって、お祓いでもするんだろーよ」
琥珀さんはとても投げやりに答えた。
そんな霊に憑かれていると思うと、私は背筋が寒くなる。
「二つ目の可能性は、さっきも言ったように、通り魔説だ」
「じゃから、そんな霊はいないはずじゃ!」
畳をバンと叩いて、蝶々さんは抗議する。
「霊は未練を持った魂じゃ。未練に関係のない行動はしない。故に衝動的な事件は起こさないのじゃ」
「通り魔をしてみたいっていう未練を持った霊かも知れねぇだろ」
「霊とて死ぬ前は人間じゃぞ。そんな極悪非道を絵に描いたような人間が…そんなにいるものか」
一瞬、蝶々さんは言葉に詰まった。
私の勘違いかも知れないけれど。
「そう言われてもよ。高位の霊がいるなら一般人でも気配を感じることができる。だが、環からは、その気配がねぇ」
話をまとめると、こうなる。
1.私は霊に襲われた。
2.霊は確実に私を狙っていた
3.私に霊は憑いていない
「一応、気休め程度だが、お守りを作る。今日はそれを持って帰りな」
琥珀さんはそう言うと立ち上がる。
私の体を労わる様に蝶々さんは、掛け布団を掛けてくれた。
どうやら琥珀さんが戻ってくるまで、寝ていなさい。ということなのだろう
私の様子を見てから、早足で琥珀さんは部屋から出て行く。
アクセサリーがチャラチャラと鳴った。琥珀さんへの不信と私の将来の不安がその音とともに肥大化するのを感じた。