ハジマリ
どこかで誰かが泣いているような気がした。
世界は…世界という奴は、どうしてこうも不幸に満ちているのだろう。
おーい…
誰かが呼んでいるのだろうか…。
おーい…おきろー
ぼやけて聞こえた声がどんどんはっきりと聞こえてくる。
聞き覚えのある声…。
おきろって…早く
まって…あとちょっと…。
突然、体が宙に浮いたような気がして…その瞬間に、衝撃。
目を開けて周りを見渡すと、目の前には、体格のいい男が立っていた。
「早く起きろって…朝の点呼はじまんぜ?」
少し心配そうにこちらを見ているのは、俺と同室の生徒。
ん…名前が思い出せない…。
記憶がおかしくなったのだろうか?
ためしに自分の名前を口に出してみる。
「橘 厚志」
すらっと言えた…なんで、同室の生徒の名前が出てこないのだろう………。
頭にはずっとハテナマークが浮かぶが、どうやらそんな場合ではないようだ…体が覚えている。
急いで、部屋の外に向かう。
そこではすでに、寮監が立っていて、部屋の前に立つ生徒達を一瞥すると、よし、と言って戻っていく。
俺の通う学校は、寮制で、多くの寮生がいる…、学校の方針で、生徒の心と生活の教育が目的らしい。
寮監の点呼が終わると、すぐに部屋の中に戻る…、記憶があいまいになっている…今が何月何日かも思い出せ ない。
「おい、厚志?」
そう声を心配して声を掛けてくれる彼の名前すらも思い出せない…。
ここがどこで、自分が誰かもわかるのだが……記憶が混乱しているらしい。
「べ…べつに問題ない…うん」
俺はそういうと、部屋の外に出て、名札を確認する。
部屋の入り口には、名札が掛けてある…それを見れば、こいつが誰なのかすぐにわかる。
戸をあけて直ぐだ。
俺は入り口の冊子に掛けてある名札を見た。
そこには、橘 厚志 と書いてあり、その隣には 真田 義斗 と書いてあった。
「さなだよしと」
無意識に口に出してしまった。
中にいる真田義斗には、気づかれただろうか、彼の対応からすると、普通に話す仲らしい。
まぁ、当たり前か…同じ部屋なんだし。
そんな関係の彼の名前を、つぶやく俺は、周りから見るとさぞやおかしな人間に写る事だろう。
幸いして、周りにはそんな事に構う人間はいないようで、みんなそれぞれの事をしていた。
「厚志…飯行こうぜ」
部屋の中から声がかかる。
断る理由もない。
「うん」
それだけ返して、食堂へと向かう。
食堂は、賑やかだった。
「ありゃー。結構早めに来たつもりだったのに、みんな早いのなー」
義斗は、そう驚いたように言うと、早速朝食を取りに向かった。
食堂のメニューは決まっており、基本的にはバイキング方式を取っている。
そのため、早くしないと、飯を食えないという事態もちょくちょく発生する。
最近じゃ、それに対しての意見が出て、発券式等の対応を求める声が強くなっているらしい。
「おーい、早くしないとなくなっちゃうぜー」
そんな馬鹿なと笑いながらも、小走りにお盆を取りに向かう。
「でも、今日は本当にみんな早いね」
「だよな…まだ、15分だぜ」
時計を見ると、7時15分を少し回ったところを時計は指していた。
「今日は何かいいものでもあるのかな?」
「さぁ? まぁ、俺はなんでも食えりゃいいよ」
「間違いないね」
そんな他愛もない話をしつつ、徐々に記憶が戻ってくる。
5月3日…
今日の日付だ。
寮監が着たのか、テレビが点く。
ボリュームを上げて、今日の朝のニュースが流される。
そこには、いつものように自分達とは関係ない話題が次々と上げられている。
「ほらよ」
義斗が、俺の盆に大盛りのカツ丼を乗せる。
なんで、カツ丼!?
朝からちょっとヘビーすぎない!??
「え? なんでカツ丼…てか、なんであるのさ!?」
「しらねーよ、とりあえずうまそうだしこれでいいじゃん」
そううれしそうに笑うと、義斗は、適当な席に座る。
俺も、その隣に座り、お盆を置く。
眼前には、大盛りのカツ丼。
朝っぱらだって言うのに…。
無言で、その目の前の大物を凝視する。
「ん? どうした、くわねーのか? だめだぞちゃんと食わないと、朝飯を抜くのはよくないんだ」
そういって、俺よりも大盛りのカツ丼をがつがつと頬張る。
見てて爽快な食いっぷりだ。
こいつを見てると、俺のほうがおかしいのかと思う。
まわりを見渡すと、みんな、トーストや、味噌汁などのらしい朝食のトッピングになっている。
どうやら、おかしいのは、こいつの感性のようだ。
「馬鹿」
そうつぶやいて、目の前の大物に手をつける。
隣の義斗は、なんにも気づかないように、楽しそうにガツガツとカツ丼を口に放り込んでいた。
「さて、戻るか」
「ああ、そうだな」
満腹だ。目の前には、平らげたドンブリを乗せたお盆がある。
「朝からヘビーな食事だったぜ」
「そうか? 厚志は、ひょろいんだよ」
「ん?…あぁ、そうかもな………」
食べた器とお盆をおばちゃんに手渡し、俺たちは部屋へと戻っていく。
まぁ、部屋に戻ったところでやることも無いので、少し早いが登校することにする。
義斗を誘ったが、気乗りしなさそうだった…まぁ、無理やり連れて行ったが。
「こんなに早くに学校に着くのなんて珍しいよな…」
「いや、たぶん初めてだ」
「だよな」
教室には、まだ誰もいない…。
それもそうだ、まだ教室の時計は8時前だ。
早く着すぎた…失敗だ。
「まぁ、でも、やることも無かったししょうがねーんじゃね?」
「う~ん」
退屈だった…。
意味も無く早く登校するのは辞めよう。
そう思った。
ふと、窓の外を見る…。
一人の女生徒に目が留まる。
同じクラスの生徒だったような気がする。
気がするってのは、やっぱり記憶がまだあいまいだからだろう。
彼女の表情からどこと無く憂いを感じた。
彼女も退屈なのだろう。
退屈で退屈でそんな毎日にうんざりしている。
そういって表情だ。
来たら声でも掛けてやるか。
「なにみてんだよー」
そういって義斗が肩にもたれてくる。
「うっとい、離れろ」
「うわ、ひでッ」
「ひどいもんか、暑っ苦しいんだ」
「お…おう」
そういうと、少し気を落としたのか元気なく席に戻る。
と同じタイミングで、ガラリととが開き、生徒が入ってくる。
時計を見ると8時をもう回っていた。
大体みんなこのくらいでくるんだな。
そう思いながら、うな垂れている義斗に目をやる。
先ほどの女生徒は、一向に現れることなく、始業開始寸前で教室に入ってきた。
声を掛けれる状況ではなさそうだ。
そして、チャイムが鳴り、それとほぼ同じタイミングで担任が入ってくる。
「義斗ー起きろー、はじめるぞー」
丁度教師の視線の先にいた義斗がそう注意を受け、勢いよく立ち上がる。
それを合図に、生徒が立ち上がり、挨拶。
ホームルームが始まる。
4時間目の終了を告げる鐘が鳴る。
昼休みだ。
とりあえず、前の席で寝ている義斗を起こす事にする。
「おーい、義斗…よしとー」
返事はない、ただの屍のようだ。
次は叩いてみる。
反応は無い。
「しかたない、置いてくか」
俺は、義斗を放置して、教室を出る。
さて、どこに行くか…。
とりあえず、食堂は昼休み開始直後は混んでいる。
義斗となら、何とかなるだろうが、俺一人で飯を取ってきて、席を取るのは非常に難題だ。
仕方ない、購買でも行くか。
俺は、購買に向かう事にする。
購買で、適当に焼きそばパンと、メロンパンを購入し、食べる場所を探す。
教室でも良いと思ったが、起きた義斗に絡まれるのは対応が面倒だ。
どうせ、なんで起こさなかったとか言うのだろう。
もし、寝ていても、起こすのがメンドイ。
仕方ない、どっか他の場所で。
そう考えていると、目の前を朝の女生徒が通る。
えっと…。
さいとう えりな
頭の中に浮かぶ。
そうだ、斉藤江里菜。
彼女の名前は、斉藤江里菜だ…、思い出した。
「斉藤!」
声を掛けると、彼女は怪訝な表情を浮かべこちらに振り向く。
「なに?」
「昼飯まだだろ?」
俺は、彼女の手に握られている、パンを見て言う。
「そうだけど…なに」
斉藤の言葉はどこと無く冷たさを持っている。
なんて言うのかわからないけど、突き放されている、というか、関わりを持たせないというか。
とにかく、どことなく冷たい対応。
「よかったら、一緒に食べない?」
「えっ?」
驚いたようだ。
その表情は、人間らしい。
初めて彼女の感情を見た。
だから、俺は笑顔でもう一回言う。
「一緒に食べようぜ」
斉藤は、対応に困ったように少し悩むが、直ぐに、うん。と頷く。
もう、どこで食べるか決めていたのだろう、ついて来てと言う様に、少しこちらを見ると、斉藤は、歩き始め た。
購買の目の前は中庭になっていて、そこは芝生や、ベンチがある。
俺はまだ、そこでなにかをしたことはないが、よくそういった場所で昼飯を取っている生徒を見たことがる。
斉藤は、その芝生に適当に座り込むと、すぐに持っていたパンをあける。
なるほど、斉藤もここで食べているのか。
今度、義斗も連れてここで食べようかな。
たしかに、晴れの日ならこんなにいい場所はない。
「いつもここで食べてるの?」
「ん?…うん」
ムシャムシャと、あんぱんを頬張る斉藤の表情は、どこと無く幸せそうだ。
「おいしそうに食べるね」
「うん…おいしいよ」
「そう」
自然と出る笑みなのだろう。
彼女の笑顔は、本当に暖かかった。
朝の、暗い表情なんて忘れるくらいの。そんな明るい笑顔。
どうして、あんなくらい顔をしているんだろう。
「退屈なの?」
不意にそんな言葉が口に出ていた。
彼女の…斉藤の境遇はわからない。
そんなに意識したこともないし、そんな間柄でもない。
何部かなんて知らないし、教室の席はどこと問われても即答できない。
そんな間柄。
当然、こうやって一緒に飯を食うような間柄じゃないんだが。
そう考えると、少々無防備なんだな。こいつは。
「橘君はそう思うのかな…」
それは、斉藤の表情を見てそう思うか?という問いだろう。
「あぁ、今日の朝の顔…その時の顔を見て、そう思ったんだ…」
「橘君はすごいねぇ…顔見ただけで、わかっちゃうんだね」
えへへ、と照れ笑いを浮かべながら、最後の一切れのあんぱんを口に運ぶ。
「ん?…いやぁ、なんとなく……、そう思っただけ」
斉藤は、じっと見ている。
俺の表情から彼女は、何を見通すだろう。
きっと俺の表情にも、そんな感情が出ているだろう。
俺も、焼きそばパンを頬張る。
「んー。そっか…橘君も一緒なんだね」
見透かされたか…。
「退屈なんだ…よね?」
「あぁ、同じだよ」
「ちょっと、飲み物買って来るの忘れちゃった、買ってくる」
唐突にそう言うと、斉藤は立ち上がり、目の前の自販機に向かう。
ガゴンという音が聞こえ、中から二本取り出すと、こちらへ走ってくる。
「はい」
ん?
「俺に?」
「うん…今日は付き合ってくれたから、あげる…ボクから君へのプレゼント…だよっ」
「サンキュ」
俺は、そういって、受け取る。
緑茶と書かれた、缶を開ける。
いつも昼飯は、食堂だから、財布には小銭しか入れてない…今日は飲み物なしでがんばろうと思ってたところ だったのに。
「いや、本当にありがと」
そういうと、斉藤は、照れたほうにはにかむ
「へへ、そう感謝されると照れるよ」
「でも、緑茶でよかったのかな?」
「ん?別に構わないよ…もらい物には文句を言わない」
「ふふ…おもしろいね、橘君は」
そういって、もう一回笑顔を見せてくれる。
「おい…なんで起こしてくれなかったんだよ」
突然、知った声が飛んでくる。
義斗だ。
「お…わるい…起こしても起きないもんだから…置いてった」
「おい…置いてくなよ…起きるまで待つとかなんとかないのかよ」
「ない」
きっぱりと言う。
「なんだぁ…じゃあ、もし火事で俺が起きなきゃやばいって時でも、起こさずに置いてくのか?」
「あぁ、もちろん、そのときでも置いてく、さっさと置いてく、きびきび置いてく」
「いや…きびきび置いてくってよくわからないんだけど」
呆れたように呟く義斗の突っ込みを半ば無視する。
「で?今から昼飯か?」
「あぁ、おかげさまでな」
「食堂はもうほとんど残ってないだろ」
「だれのせいだよ…」
そんな事をいいつつ、俺のメロンパンに焦点を合わせる義斗。
狙ってやがる。
「おい、このメロンパンは渡さないぞ」
「誰も狙ってねーよ」
「いや、嘘だ…いいなぁ、そのあまったメロンパン…まるで俺の空腹を満たす為にあっくんが残してくれたん だろうなぁ…よしもらっちゃおうか。といいたいような目で
見ていたぞ」
「いや、見てねぇよ、てか、お前をあっくんと呼んだことなんてねぇよ」
「あれ?そうだっけ?」
「そうだよ」
といいつつ、メロンパンを素早い腕の動きで掻っ攫う義斗。
おい、なんて事を、やめろ、あけるな…早く戻せ今ならなんにもしないから…。
しかし、その願いは届かず、義斗は封を空け、メロンパンをかじる。
「俺のメロンパァァァァァァン!!」
驚いたのか、勝ち誇ったような笑顔で、メロンパンを頬張る義斗が、こちらを凝視する。
斉藤も、驚いたのかこちらを見ている。
「そんなに大声出さなくてもいいじゃねーか…たかがメロンパン一個」
「いいや…いいんだ…」
ぼそりと呟く。
「お前には言ってなかったっけ…俺、一日一個メロンパンを食べないと死ぬんだ」
さらっと言ってやった。
「またまた…俺を騙そうたってそうはいかないぞ…お前、普段メロンパンなんて食べて無いじゃん」
その回答はお見通し。
「あぁ…病名は甜瓜麦餅症候群、英語では、メロンパンシンドローム…一日一個分のメロンパンを摂取しない と最悪の場合死に至る…そういう難病なんだ…義斗が見てな
かったのも無理はない…俺は、他のだれかにこの 病気の事を知られたくなくて隠してたからな」
だんだんと義斗の表情が変わっていく。
「ほ…本当かよ…」
「あぁ…でも………でも、いいんだ…友達の為…そうさ…餓死するくらいならメロンパンを食って生き延びた ほうが…俺の屍を超えていけ」
「だめだ…だめだ逝っちゃだめだ…厚志ッ!!」
「い…今…メロンパンを買ってきてやるから…なんてってこんな事に…クソッ!!」
そういい捨てると、義斗は購買へ掛けていった。
「で…なんの話だっけ?」
そのやり取りをきょとんと見ていた斉藤は、その問いかけにあわてる様子で答えた。
「えっと…なんで退屈なのって話…だよね?」
「あぁ…そうだった…まだ訊いてなかったね」
「どうして退屈なのか…を」
その問いかけに、彼女は少し俯く。
「うんっとね…ボク…中学までは野球やってたんだ」
「野球…へぇ…珍しいね」
女子が野球…それは本当に珍しい、大体女子野球部なんてものがあるのだろうか…俺の記憶上女子野球部とい うものを見たことがない。
「女子の野球部なんてあるんだね…」
「ううん」
斉藤は首を横に振った。
否定を示している。
「女子野球部じゃなくて、普通の野球部だよ」
「へ…へぇ…そらすごい」
一見すると華奢に見える斉藤だが…そこそこ鍛えられているのだろうか…。
「悪い…購買…もうメロンパン…ない……てよ」
暗い表情で、後ろには義斗が立っていた。
彼の表情は、今にも泣きそうで、取り返しのつかない事をしてしまったといった後悔の表情だ。
「いいよ…あれ嘘だし」
「あぁ…すまん……お前の最後はちゃんと見取るから…っ!!」
「って嘘かよ!!」
「あぁ、嘘」
「あぁ…そうか…嘘なのか…よかった、俺は人を殺しちゃったんじゃないかと思ったぜ」
「いや、そんな病気普通に考えてないから…安心して」
「おう…なんかそう思った瞬間に肩の荷が下りたってのか、楽になった…よっしゃ教室に戻るか…、じゃな、 先に戻ってるぞ」
どうやら、肩の荷と共に空腹もどこかに行ってしまったらしい彼は、そのまま教室に戻っていった。
「面白い人だね…真田君も」
「あぁ…あれはあれで真剣なんだろうけどね」
少し、間を置いて、再び話はじめる。
「じゃあ…さ、やってみない?」
「え?」
「野球をさ!」
自分でもあっさりと言い過ぎたと思う…でも実際そうだと思う。そんなにやりたいのなら、やれば良いじゃな いか…。
「でも…今更…」
「今更参加するのは億劫?」
「ん?……うーん」
首を傾げ、悩んだような仕草をする…、二年のこの時期になっての入部は、気恥ずかしいのだろう。
彼女は、こんなにも野球の話をしている時は明るく話すんだ…だったら始めればいい。やればいいんだ…野球を。
そう思った。そうだと思った。
「じゃあさ、こうしよう…俺も野球部に入る…だから…だから、一緒にさ…野球しようよ」
思わずそういっていた。
今までで、野球なんてしたことはない…。
だが、勝手に口がそう言っていた。
「え…いいの!?」
驚いたような表情で言う。
その表情には、うれしさと戸惑いが混じっている。
いいじゃないか…俺も退屈だと思ってたんだ…この高校生活…、きっと楽しくなる……、野球か。
うちの野球部は何人ぐらいいるんだろう。
あんまり活動状況が耳に入ってこないと言う事は、きっとそんなに強くないんだろう。
だったら、斉藤でもやっていけるかもしれない。
悲しい顔をしているより…退屈を憂いでいるより、断然健全じゃないか。
最高に楽しそうじゃないか!
「いいよ…やろう!!」
決まるとそっからは早かった。
放課後
授業が終わると直ぐに、野球部の顧問の下に赴むく。
「ん?どうした、橘…それと斉藤」
「えっと」
口篭る。
当然だ、彼もまさか俺たちが入部申請に来たとは微塵も思っていない。
「入部」
ぼそりと斉藤が呟く。
「入部?」
それを目の前の顧問が復唱する。
「えっと、俺たち、入部申請をしに来たんですよ」
「ほぅ…野球部に?」
「はい」
「こりゃまた…斉藤もか?」
「はい」
斉藤も返事をする。
「ほぅ…なんでまたこの時期に…夏の大会ももう直ぐだってのに…」
「いや…斉藤は前々から入りたかったみたいなんですけど」
「あぁ…知ってるよ…斉藤を断ったのは俺だからな」
「え」
勝手に口から声が漏れた…。
今なんて言った。
しかし、その言葉にやっと合点が行った。
なんで、斉藤が野球部に入っていないのか…今更だと気恥ずかしい…それはわかる。
でも、新入生の段階では、そんな気恥ずかしさなんてないはずだ…だったら、当然入部申請を出しているはずなんだ。
こんな事、直ぐにわかったはずなのに。
「わかった…橘はいいとして…斉藤もマネージャーとして入部する事でいいんだよな?」
「え…っと…練習にも一応は参加させてくれるんですよね?」
「あぁ…もちろん…お前の中学時代の活躍は聞いてるし、練習には参加させれる…ただ、公式戦は規定で参加 はできないんだ……、そこは変わらない」
それを訊くと、斉藤は少し残念そうに、しかし、何か吹っ切れたのか、笑みを浮かべ頷いた。
「お願いします…ボクは野球部に入部を申請します」
「よし、わかった…橘もいいか?」
「はい!」
そう言うと、顧問は、適当な書類に適当に名前を書いて印鑑を押した。
「これで形式上は野球部員だ…事務が受理して初めて効力があるが、まぁ、一応な」
それを訊くと、斉藤の表情が更に明るくなった。
「先に部室に行ってるといい、多分もう部員達は練習をしてるんじゃないかな」
「ありがとうございました」
「失礼しました」
そう言って、職員室から出る。
グラウンドでは、既に野球部員が練習の準備をしていた。
部員の数は、ぱっと見て10人といったところだろうか…ギリギリじゃねーか。
そんな事を心のなかで、呟きながら隣の斉藤を見る。
「嬉しそうだな」
「もちろん!」
本当に、こいつは、野球の関係する時だけ楽しそうにするんだな。
「おかしな奴だな」
「ボクはもともとこういう奴なのさ」
そう言うと、斉藤は笑った。
「おーい…厚志」
遠くから、手を振って義斗が走ってくる。
「なんで起してくれなかったんだよ」
「あぁ、その事か…お前、さっき夢見てただろう」
「え…なんで知ってんだよ…大盛りのカツ丼に囲まれた、それはもう最高の夢だったぜ」
こいつ、そんな夢を…どれだけカツ丼が好きなんだ…いや、昼飯抜きのせいで、頭の中飯ばっかなのか!?
「あぁ、その夢がな問題だったんだ………、その夢な…見てる途中にその人を起すと…」
「起すと?」
「世界が滅びるんだ」
「マジかよ!? それやべーじゃん」
「あぁ、だから起さなかった」
「すげーな厚志、お前、世界の救世主じゃねーか」
「あー、だろ…だから起さなかったんだ」
「ありがとうな」
そう言って、義斗は走っていった。
と思ったら戻ってきた。
「なんだ?」
「いや、お前なにやってるのかなと思って」
「何って、野球だよ、野球」
「野球…あぁ、野球ね…お前馬鹿だな…今野球部がグラウンド使ってるから、野球できねーよ」
「いや…その野球部に入ったんだよ」
「馬鹿だなお前…忘れたのか?お前は、俺と一緒で帰宅部だよ」
「悪いな義斗、俺は、もう…元 帰宅部だ」
「なにぃぃぃぃッ!! いつの間に!?」
ガーンと言う効果音が聞こえてきそうなほど大げさに驚いて見せる義斗に冷静に返す。
「今」
「な」
唐突に義斗は、走り去った。
「ふー、邪魔者はこれでいなくなったな」
隣の斉藤は退屈なのか、冷めた目でこちらを見ていた。でもその奥の瞳はどことなく笑っている。
「楽しいか?」
「面白いね…橘君達のやり取りを見てると楽しいよ」
そう、笑っている斉藤を見ていると、どことなく嬉しかった。
他人の笑顔というものが俺は好きなんだろう…だって、やっぱり落ち込んでいるよりも楽しく笑っていた方がいい。
断然そっちの方がみてて気持ちがいい。
だから、俺はよく思うんだ。
世界のすべてが笑顔ならいいのにって。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
斉藤は、跳ねるように、ウキウキとしながら部室へ向かう。
部員達の反応は様々だった。
何しに来たといった表情の部員がほとんどだったが、中には斉藤の事を知っている奴もいて、うわっと言った 表情を浮かべている。
「何しに来た?」
ほら来た…いきなり敵意むき出し過ぎる気がするけど…。
「いや、入部したんですけど…」
「1年…じゃねーな…って事は2年…隣のそいつは斉藤だろ?斉藤江里菜」
「へー、彼女有名なんだ」
「あぁ、ここいらじゃ有名…野球をやってた奴ならほとんど知ってんじゃね?」
俺に話しかけてきてるのは何年なのだろう…ただ、話している感じ的に3年生なのだろう…見覚えもないし、 どこか見下したような話方が、上級生だと感じさせる。
「まぁ、いいや…お前も野球未経験っぽいし…うちの戦力が変わることもなしか」
「とりあえず俺達は何をすれば…」
「そこで見てろって、練習着もないんだろ?」
「ええ」
そう言うと、彼は、走ってグラウンドに向かい、練習を始めた。
「暇だな…」
「そーだね…でもしょうがないよ…グローブもないし」
「あぁ」
すると、またなにか、俺を呼ぶ声が聞こえる。
見ると、人影がこちらへ向かってくる。
もうダッシュだ。
相手はわかる。
「義斗だ」
だだだという地響きが聞こえてきそうなほどの猛烈なダッシュでこちらに向かってくる。
「ふぃー、疲れた…」
「何でここにくるんだよ」
「あぁ、なんでかって?」
すると、手に持っている紙を見せてくる。
「ほら、俺もこれで野球部員だ…お前らと一緒だ!!」
確認してみる。
確かに入部申請書だ
「さっき、顧問に会ってぶんどってきたんだ、ちゃんと印鑑も押してもらったから大丈夫だ」
なんで持ってきたんだよ…それ事務所で受理されないと意味無いんだけど…。
「それ…持ってても意味無いぜ?」
「まじ!?」
「まじ」
「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおおお」
叫んでから、またどこかへともうダッシュで向かっていく、多分職員室だろう。
「で?どうする?」
また、斉藤はニカーっと笑っていた。
そんなに俺と義斗のやり取りが面白いのだろうか?
まぁ、いいけど。
「どうしようね…でも…こうやって見てるだけで楽しい」
「そう」
そう言うと、会話がそこで終わった。
「ふー…出してきたぜ」
いつの間にか義斗が合流していた。
「いつの間に来たんだよ」
「裏から回った」
なんでだよ!?
「いやー、たまには野球って言うのもいいよな…昔を思い出すぜ」
「あぁ、訊いてなかった、義斗は昔野球をやってたのか?」
「いやー、いろんなスポーツをやったね…サッカー、剣道、ボクシング…野球、カーリング、フェンシング…フィッシングもやったぜ…やってないのは将棋とか囲碁くらい
か」
「囲碁や、将棋や釣りはスポーツじゃないと思うよ」
「なに言ってんだ…囲碁はもうオリンピックの種目にすらなってんだよ!」
「まじで?」
「らしいぜ」
そんな他愛も無い会話をしながら時間が過ぎていく。
俺と義斗が話ていると、斉藤は話に入ってこれないようだ。
まぁ、無理も無いな…大体今日しっかり話したばっかで、こんなにいろいろ関係したほうがおかしなもんって訳さ。俺の適当な性格と、彼女の人懐っこい性格の賜物だな。
なんて思いながらグラウンドを見ると、練習はもう終わっていた。
「おい」
「あ?」
「真田義斗だろ?」
「あぁ」
「なんでここにいる?」
野球部員の一人が義斗に突っかかっている。
「どーだっていいだろ…俺もさっき入部したんだよ」
「っち」
舌打ちをすると、部室のほうへ歩いていった。
「なんだったんだろう」
「ああいうもんなんじゃね?運動部ってやつは…」
義斗は少し遠い目をした。
「そういうもんかねー」
適当に相槌をついて、俺は立ち上がる。
「さてっと、帰るか」
「おう」
斉藤の方を見ると、彼女は先に帰ったようで、姿はもうすでに無かった。
一言言ってくれればよかったのに。
そんな事を思いながら、寮へと向かった。
夕食
混雑しすぎだ…、大体、この食堂は人数の割りに小さすぎるってんだ。
「俺が食うものは持ってくるからよ、厚志は席取っとけって」
「あぁ、わかった。 べらぼーにうまいの頼むよ」
「当然さ」
そう言って、義斗は力瘤を作って見せた。
そして、いつもの席に着くと、今日のことを思い浮かべる…。朝の斉藤の暗い表情と見学中の明るい表情、その二つが交差し交わる。
あの暗い表情をしていた斉藤が明るい顔になった。それは最高にいいことじゃないか…俺はそう思う。
最高にいい事…。だよな……。
自問自答してみる。
後は、彼女次第だ…俺はきっかけは作った。
明日からの活動はどうしようか…また退屈になったら顔を出せばいいか…彼女はもう一人で部室に行くことはできるだろう。
うん…また、明日からは同じだ。
しかし、野球か…やったこと無いけど、一回くらいはやってみたいもんだな。
そう思っていると、目の前に超大盛りのカレーが置かれた。
「どうだ…配膳直後に無くなるという幻のシーフードカレーだ…めちゃくちゃうまいらしいぞ」
「まじか…知らなかった、こんなメニューもあるんだな」
「あぁ…俺も驚いてるぜ…まさか、幻のシーフードカレーが残ってるなんて…今日の俺はついてるぜ」
「あぁ」
あいまいな返事を返しながら、一口食べてみる。
「べらぼーにうまいぞ」
「マジか…うわさは本当なんだな」
そう言うと、義斗も一口食べる。
「なんなんだこのうまさ…本当にこの世のものか…今まで生きてきてこんなもん食ったこと無いぞ…最高だ……シーフード最高ぉぉぉぉぉおおおおお!!」
「いや、そこまでではないだろ」
でも確かに、うまかった。そこらへんの見せのカレーなんかより数段上のうまさだ…また、誰か食ったこと無い奴がいたら是非とも食べさせてやりたい…そんな味だ。
そんなこんなで、消灯。
今日の活動は終わりだ。
「お休み義斗」
もうすでに、隣のベッドからは義斗のいびきが聞こえてくる。
どうやらもうすでに寝入っているようだった。
今回は本気なんだ…
いろいろ書いてきた…だが今回だけはしっかりと…しっかりと書ききりたいんだ。
だから是非…これを読んで少しでも面白いとか、楽しいとか思ってくれた人からの感想や、意見が訊きたいんだ…別に無くたっていいんだ…悲しくなんてないんだからな…。
だが…今回は本気だ…たぶん