好きな女子から放課後の教室に呼び出された俺は渡されたラブレターを読まずに食べた 〜 どうやら陽キャ達の間ではかくれんぼが流行っているみたいだ
「これ、読んでください」
ハートのシールで止められたピンクの便箋。この中に認められているものが愛の物語でなければ、僕は今後の情報処理を視覚と記憶以外の何かに頼らなくてはならないな。
「ありがとう」
この白川義一、両手で差し出された手紙を片手で受け取るなんて無礼な真似をする男ではない。どちらが下に差し出すかで勝敗を決める、サラリーマンの名刺交換の如く、膝より少し上に折り曲げた彼女のスカートを覗き込むように跪き、両手でそれを受け取る。
「ちょうど、小腹が空いていたんだ」
——モグモグ
ふむ。受け取った手紙を丁寧に一回、二回、三回……二の三乗だから八つ折りで合ってるだろうか。まぁいい。とにかく小さく折り曲げると、僕はそれを口の中に押し込んだ。
どんな紙でも最大四十二回折れば月まで届くと言うが、果たしてそれは真実なのか。十二回折りを果たしたギネス保持者にもわからない悩みを抱えるくらいであれば、口に放り込んで飲み込んでしまうといい。
「え!? 何食ってんの!?」
「嘘!?」
「キモッ!」
陰から現れる雑兵ども。そう。この時代、放課後の教室に呼び出して恋文を渡すなどというドラマチックかつロマンチックなイベントが発生したとなれば、理由を察することなど、目玉よりも脳が小さいと言われるダチョウでさえも容易いはずだ。
それこそ、僕が背丈六尺ほどの大男で、往年のアイドルを思わせるベビーフェイス。勉学、スポーツ、何かしらの特技があるような人間であれば、このような状況で白ヤギを演じる必要などなかったのだろうが、悔しいことに、人間というにはあまりにヤギ寄りの僕のことだ。健全な恋愛イベントなど起こるはずがない。
「して、手紙の返事につきましてはイエスです。それでは参りましょう」
手紙を渡してきた黒谷咲希の左手を大胆に握り、告白の返事をする。理論上、紙を四十二回折れば月に届く。僕はそう信じている。そして、ピンクの便箋にハートのシールが貼ってあれば、中身はラブレターだ。そうに違いない。
もしかしたら、便箋を開けてみればそこには僕に対する罵詈雑言が認められている。そんな未来もあったかもしれない。しかし見ての通り僕はヤギのような男だ。手紙を食われることを予想しなかった彼女が悪い。
便箋を開かなければ、そこに書いてあったことは表面から受け取ること以外に出来っこないのだから、あれはラブレターだろう。シュレディンガーのラブレターだ。
当然僕の答えはイエスだ。好きな女子からラブレターを渡されて断る選択肢を持つほど僕は女性との関わりが多くはない。クラスの連中が、やれロッカーやら、やれカーテンの裏やら、やれ教卓の下やらから出てきたが、陽キャの間では放課後のかくれんぼなどが流行っているのだろうか。高校生にもなって、やれやれだ。
——モグモグ
ふむ、四十二回は折れずとも、数回畳んだラブレターを咀嚼しきるのにはそれ相応の時間がかかるようだ。少し安心した。僕は本当はヤギではなかったらしい。よくよく考えれば当たり前だ。『メェ〜』と鳴くわけでもなければ、四つ足で歩くわけでもないし、蹄だってありはしない。
——ゴクリ
噛みきることは難しかったが、なんとか飲み込むことができた。紙を食うときは噛むのではなく、唾液の分泌を増やすことによって、水分でふやかしてから飲み込む。今後も役に立つであろう知識を意図せず手に入れてしまった。角がふやけたら頃合いだ。ためらわずに一気に飲み込むといい。
「ねえ」
「……」
「どこいくの?」
「……」
この世に生を受けて百八十五ヶ月と十日も経過した僕からすれば、高校生にもなってかくれんぼを楽しむような乳幼児と同じ空間にいるのは気が引ける。彼らには彼らの楽しい時間を過ごす権利がある。子供の世界に大人が干渉するのは野暮だろう。
幸い、憧れだった黒谷咲希は正々堂々、僕の前に姿を現し、教室の窓から差し込む夕日を背にして、ピンクの便箋に入ったラブレターを渡してきたわけだ。隠れていないということは、それだけで、幼稚な遊びに関与してない証拠といっても過言ではない。
ピーターパンを待つ、パジャマの子供達とあまり長く一緒にいては、僕たちもネバーランドへ連れて行かれてしまう。彼女だけはなんとしても助け出さなくてはいけないと思い、片手を掴んで駆け出した僕の判断が間違っているはずがない。
彼女の震える左手を握る右手に力が入る。いつの間にか僕たちは三十七段ほど階段を下り、今すぐ交換してくれと点滅でアピールしている蛍光灯が、控えめに見積もっても三本は光を放つ廊下を駆け抜ける。どうやら奴らは責任感が強いらしく、最後の最後までその仕事を全うすることになるのだろう。ネバーランドに連れて行かれた同級生たちとは真逆の存在だ。
僕たち二人にエールを送ってくれた蛍光灯たちのためにも、ここで立ち止まるわけにはいかない。牧場で飼われている家畜たちは、時折その柵の外に出してやらなければ気分を害して、予想もできぬ行動を起こすというが、上履きだっていつまでも室内で飼い殺されるのはゴメンだろう。
日頃から外の世界を闊歩するスニーカーやローファーに留守番を頼み、僕たち二人は外の世界へと駆け出した。教室を照らしていた夕日はすっかり姿をくらまし、本来の目的地とも言える校庭の隅に根をおろす巨木への道は、残業する教師達の住処から漏れ出す白い光でできている。
彼らの粋な計らいに感謝しつつ、教室からここまで足を止めずに走り抜いてきた僕たちを暖かく迎えてくれたのは、樹齢三百を超えると噂される、西へ向かって伸び続けている松の木だ。ここが本来の目的地。今日、僕たちが本来いる場所はここであった。
教室で手紙を渡されたときは驚いた。本当だったら、今日、ここで、僕の方から渡すはずだったものだからだ。身の丈五尺三寸。勉学においては低空飛行どころか地面にめり込み、そこから自力で這い出すほどの運動能力もない僕だが、それでも漢だ。
そして、愛の告白などというビッグイベントを他人の手によってコントロールされるような者を誰が紳士と呼ぶものか。僕と向き合い、両手を後ろで組みつつも、左右の足にバランスよく体重を乗せる凛とした彼女に対し、片膝をついて例の物を差し出す。
「これ、受け取ってくれ」
ハートのシールで止められたピンクの便箋。この中に認められているものが愛の物語でなければ、彼女は今後の情報処理を視覚と記憶以外の何かに頼らなくてはならなくなるだろう。
「ありがと……」
優雅に微笑み、そっと一礼。片膝をついて見上げる僕の目をしっかり見つめ、もちろん両手でそれを受け取る。子供には子供のルールがあるように、大人には大人のマナーがある。彼女は当然理解していたようだ。
「ちょうど、小腹が空いていたの」
受け取った手紙を丁寧に一回、二回、三回……二の三乗だから八つ折りで合ってるだろうか。まぁいい。とにかく小さく折り曲げると、彼女はそれを口の中に押し込んだ。
——モグモグ
「返事は……そうね……手紙に書くわ」
「!?」
黒谷咲希は、今日も、僕の手紙を読まずに食べた。
———了




