先日助けてもらったドラゴンです。結婚してください
「人間に泣いて結婚をすがるドラゴン」というお題で書きました。
その日は日が傾いたら急に肌寒くなった。
リラが、クローゼットから引っ張り出してきた薄手の上着を羽織っていると、とんとんと玄関の扉を叩く音がした。
「はいはい、どちらさま?」
女の一人暮らしである。しかも、町外れの一軒家だ。
いつも玄関に置いている箒の柄を気休め程度にひっつかんで、慎重にその扉を開けた。
「……?」
人が立っていると思われた場所には、誰もいない。
ただ、西日に照らされているはずの玄関なのに、日陰になっている。
顔を上げた。間抜けな声が出た。
「…………は?」
そこには。
小山のような。
ドラゴンがいた。
……いや、ドラゴンですよね?
目を擦って二度見していたら、それは牙のたくさん生えた口を開いて言った。
「あの、私は、先日助けてもらったドラゴンです。結婚してください」
考えるより先に口が動いた。
「お断りします」
*
「いや待って! 話! 話を聞いてくださああい!」
勢いでばたんと扉を閉めて家の中に戻ったが、悲痛な声が外から響いてくる。
いや幻覚だ、幻聴だ。そう思い込むことにして、箒を元の場所に戻したのだが。
「ひどい! 私はどうなってもいいんです! でもこの子はどうなるの!!」
「人聞きの悪いことやめて!?」
聞き捨てならないことを言われて、つい扉を全開にして突っ込んでしまった。
当のドラゴンはと言えば、あからさまにほっとしたような風情で息をついている。
緑の大きな鱗がきらめいているドラゴンだ。左前足に布が巻かれていた。
「よかったあ……。私じゃこの子を育てていくことはできませんから……」
「さっきから、この子、この子って何の話?」
リラが尋ねると、ドラゴンはひょいと首を下げた。
「ほら、もう降りても大丈夫ですよ」
「ん!」
すべり台のようになったドラゴンの首筋を、小さな男の子が降りてくる。
年の頃は三歳かそのあたりだろうか。
リラはドラゴンに近寄り、子供の身体を抱き留めた。
子供は元気で、怪我などもなさそうだ。
「この子は……? さらったんですか?」
「ひどいっ!? 山で迷子になってたのを保護しただけなのに!」
「山……」
町のすぐそばの山には、昔からドラゴンが棲んでいるとささやかれていた。
おとぎ話の類だと思っていたのだが、まさかこんな形で真実を目撃することになるとは。
「まあ、事情はよくわからないですが、わかりました。じゃあ、この子は私が責任を持ってお預かりしますので、山にお帰りいただいて結構ですよ」
「ええっ! そんな無責任なこと、ドラゴンにしろって言うんですか?」
「……じゃあ、どうしたいんで?」
「ですから、結婚してください。あなたと私で、この子を立派に育て上げましょう」
「…………」
頭が痛くなってきた。
とりあえず子供に向き直る。
「……ぼく、お名前は? 年はわかる?」
「ウォルト、三さい!」
「うんうん、いい子だね。ココア飲む?」
「飲む!」
「ああっ、無視しないでください~!」
そのまま認識の外に追いやっておきたかったが、ドラゴンは視界の隅でじたばたした。
身体がでかいので、ドスドスと振動が伝わってくる。
というか植木鉢が倒れる、やめい。
「……あのですね。多分、町の子でしょう? 今頃本物のお父さんとお母さんが必死に探してますよ」
「……本物の、お父さんとお母さん……?」
「ええ。あなたはお呼びじゃないです」
「お呼びじゃない……!?」
ドラゴンは巨体を雷に打たれたように硬直させた。おとなしくなってよろしいことだ。
その間にリラは、男の子にココアを飲ませ、家族の名前を聞き出して、少し離れた町の詰め所まで一緒に歩いて行って、ちょうど捜索の依頼をしに来ていた彼の祖母に孫を引き渡し、幾重にもお礼を言われた。
帰ってきたら、まだ巨体が庭でうなだれている。
「ちょっと、そんなにじめじめされると苔が生えますから。山に帰ってからやってください」
ドラゴンは跳ね起きた。
「えっなんで!?」
「『なんで』!?」
思わず復唱してしまう。
「ウォルト君のご家族は見つかったんですよ? あっ、お礼を言われましたのでお伝えしておきます」
「いえいえ、痛み入ります。……だって、私、プロポーズしましたよね? あなたに」
「将来を誓いましたよねみたいなノリで言わないでください。承知してないです」
「むぐう」
これ以上は付き合っていられない。リラは玄関を開けて中に入ろうとした。
「ど……ドラゴンの求婚は重いんですよ……!?」
「知りませんよ、それならちゃんと熟考してから扱ったらいいでしょ」
「ふぎゅう」
「お互いのこともろくにわからないですしね。お引き取りください」
そう言い渡して扉を閉じ、しばらく家事に追われてから、ふと庭を見たら、もう大きな姿はいなくなっていた。
なんだったんだ、まったく。
町のそばには、ドラゴン様のご加護を受けた山があると言う。
そのドラゴン様が、あんな……?
周囲の人には黙っておこう、と堅く心に誓うリラだった。
信じてもらえるとも思えないしね。
*
翌日。
「おはようございます! いいお天気ですね。今日は洗濯ですか?」
ぎょっとした。
リラが洗濯籠に入れた衣類を抱えて庭に出ると、緑色のつやつやした小山から元気よくあいさつされた。
「えっ……ドラゴン様……?」
「『ドラゴン様』、なんて他人行儀ですね。ベリルとお呼びください」
「……ベリル、さん。どうしてここに?」
「ふふん」
ドラゴン、改めベリルは得意げに尻尾を振る。ばさっと植え込みをかすめて、葉が数枚散った。
「お互いのことをよく知ればいいのでしょう? ですから、よろしくお願いします」
「……なんでそうなるんですか」
一気に脱力して、洗濯籠を取り落としそうになる。
「おっと」
「……!」
巨体にしては意外に俊敏な動きのベリルがさっと近寄って、前足の鉤爪で籠を引っかけた。
突然巨体が迫り来た驚きで、リラは竦んでしまう。
至近距離で見るドラゴンは、まさしく『脅威』だった。
──牙も爪も、リラを少しでも引っかけたら、すぐに死に至らしめてしまうだろう。
「……あの、えっと……」
おずおずと声をかけられてはっとする。
「あ……ごめんなさい」
謝罪が口をついて出た。
彼は、リラが落としそうになった荷物を受け止めてくれただけだ。
それを怖がるなんて。
「いいえぇ。……それ、しっかり持っていてくださいね」
「……はい……?」
鉤爪が離された洗濯籠を抱き込むと、ドラゴンはその場でもにゃもにゃと何かを唱えた。
そして、ぽんっ。
「!」
白い煙がもくもくとわいて、それが風で散らされると、そこには人間の姿をした男が立っている。
髪と瞳、へにゃりと下がった眉は鮮やかな緑だ。
……これは。
「ベリル、さん?」
「はい」
「えっ……ドラゴンって変身できるんですか?」
「はいー。人間さんの町に行くときとか、便利なんですよう」
「へえ、すごい」
褒められてベリルはまんざらでもなさそうだ。
「……ならその姿で町まで男の子の家族を探しに行けばよかったのでは……」
「……言わないでください……」
なるほど、人間の姿をまねられるだけで、人についての知識があるわけではないのか。
ふふっとリラは笑ってしまった。
ベリルもつられたのか、にへらっと笑う。
……こっちのほうが、表情がわかりやすくていいかもしれないな。
そんなことを思っていると、彼からも似たようなことを言われた。
「こちらの姿なら、お洗濯のお手伝いもできますしね」
「えっ! そんな、ドラゴン様にやっていただくわけには」
「いいからいいから。……やり方はわかりませんから、ちゃんと教えてくださいね? ……えっと、なんとお呼びすれば?」
「あ、リラです」
ベリルはそれはそれは嬉しそうに笑った。
「はい、リラさん。それじゃ、さっそく川に行きましょうか!」
「え、えー……」
下着は死守しよう。そう決心したリラだった。
*
それからというもの、ベリルは人間の姿で三日に上げずリラの住まいを訪れるようになった。
とはいえ、リラもおもてなしをしていたわけではない。どちらかというと塩対応である。
「ひなたぼっこが気持ちいい? よかったですね。山に戻って昼寝をしては」
「獣肉は……ちょっとそのままは食べられないですね……処理……鶏と一緒でいいんですか? いや、やりませんよ?」
「ウォルト君が飲んでいた飲み物? ココア、飲んだことないんですか? いれ……まあ、そのくらいならいいですけど」
そしてベリルは、合間合間に呼吸のようにプロポーズを投げつけてきていた。
「帰ってもいいんですけど……リラさんが結婚してくれるなら」
「そろそろ、うんと言ってくれてもいいですよねえ? 私たち、お互いをよく知ったと思うんですよ」
「え、まだ? うーん……じゃあ、明日も来ますね! え、だめ?」
正直、竜の気まぐれに振り回されたくはない。
気まぐれというか、結婚という言葉の意味がよくわかっていないのだろう。言ってしまえば大きな犬に懐かれているかのような感覚もあった。
まあ、リラの役に立とうといろいろしてくれる様子はまさに大型犬である。
今も、台所の棚の上にしまい込んだ缶を軽々と取ってくれようとしていた。
「これですか? この青いの?」
「そうそう、ありがとう」
腕を伸ばしているのを見て、ふと気付いた。
左の袖から覗いている白い布は、包帯ではないか?
……そういえば、ドラゴンの姿の時も白い布を巻いていた。
「はい、取れましたよ、どうぞ。結婚してくれますか?」
「しませんってば。……それより、腕のそれは怪我ですか?」
「えっ?」
ベリルは缶をリラに渡すと、布を巻いているとおぼしき場所を服の上から押さえた。
そして頬を染める。
「こ、これは……その……愛の証というか……」
「…………」
なんじゃそりゃ。
「一応心配したんですけど、大丈夫ってことで?」
「え、えっと……痛くはないです! ありがとうございます! 結婚してください!!」
「しません」
この流れでのそれ、やっぱりドラゴンには人間の機微はわからないのだろう。
はあとリラは息をついた。
*
その日、久しぶりに行った市場は、なんだか浮き足立っていた。
いい香りの香草や花がいつもより多い気がする。
不思議に思いつつも、とりあえずいつもと同じ店で買い物を済ませようと、店主のおじさんに声をかける。
「塩を。いつもと同じぐらい」
「お、リラじゃないか。どうだ、山は何か変わったことないか?」
「山? そりゃ私は町外れに住んでるけど、言うほど山の中ってわけでもないじゃない」
「そうかそうかすまん。……いや、竜の花嫁が選ばれたらしい、って話でもちきりでな」
「えっ」
竜の花嫁。それは……もしかしてもしかするのだろうか。
困る。私は返事していないのに。
そんなリラの戸惑いも知らず、店主のおじさんは上機嫌そうに話を続けていた。
「山の幸が気持ち増えてるだろ、ドラゴン様の恵みの加護のおかげだそうだ」
「へ、へえ……」
「花嫁さんはな、ドラゴン様の吐かれる炎のような、真っ赤な髪の女性だそうだ」
「……え?」
すっと背中が冷えた。
リラの髪はその名の通り、紫色のストレートだ。
……私ではない。
なぜ?
──いや、これは望んだことのはずだ。
「そ、そう……おめでたいのね」
「ああ! で、なんだっけ。塩だったかな」
「そうね、お願い……」
のろのろと会計を済ませる。店を出ようとすると、外から戻ってきた店主の母親に捕まった。
「リラちゃん! あんたのとこに、男の人が訪ねてきてるって聞いたけど」
……ああ、これだから人は怖い。
ベリルが来ていたとき、来客はかぶらなかったはずだが、誰かに見とがめられていたのだろう。
「……迷子を保護したって人が来てたの。すぐに家族が見つかったから、大丈夫」
「そうかい、それならよかったけど」
「おばあさんが心配するようなことは何もないから」
なんとか微笑みを浮かべて、店をあとにする。
*
……待ち伏せがあることには、しばらく手前から気付いていた。
怯えて相手を図に乗らせるつもりはない。リラはむしろ悠々と歩いた。
「よう、リラ」
大きな岩にもたれて、数人の男たちが声をかけてくる。
町の有力者の放蕩息子の腰巾着たちだ。
「また新しい男を連れ込んだって? 懲りねえ女だな」
「お前に近付く男どもは、みんなボコボコにされちまうってのになあ!」
ギャハハ、と男たちは笑う。何が楽しいのか。
リラは数ヶ月前から、その放蕩息子に目をつけられていた。
一人、町の外れの一軒家に住まいを移したのも、そのせいだ。
町の人には知れ渡っている。リラと少しでも会話を交わした若い男は、こいつらからの『報復』を受けると。
……気になるなら、探してみなさいよ。その『新しい男』ってのを。
見つかるとは思えないけどね。
「バカな女だぜ。坊ちゃんの言うことを聞いてりゃ、いい思いをできるのにな」
「ふうん……あんたたちみたいに?」
リラは片頬を上げると、じろりと男たちの足下から顔のあたりまで眺めてやった。
仕立てのいい服を着ている者は一人もいない。
皮肉が伝わったようで、リーダー格の男が腕を伸ばしてくる。
がっと、胸ぐらをつかまれた。
「いい気になるなよ。坊ちゃんお気に入りの顔さえ殴らなきゃ、やりようはいくらでもあるんだぜ」
「へえ。やってみれば?」
顎を上げろ。怖がっているのを悟られてはならない。
リラは頬を上げて歯を食いしばった。
「それは困るなあ」
「あいででででっ!」
濁った悲鳴が目の前から上がった。
視界に差し込まれる緑の髪。
「えっあなた、なんで!」
「なんだこいつ!?」
「こいつがリラの男か!?」
そこは勘違いなので全力で訂正させていただきたい。
「はいー、……ちょっと待っててくださいね、リラさん」
なんとものんびりした返答ののち、ベリルはいとも鮮やかに男たちをのしてしまった。
*
男たちは大岩の下に並べてそのままにしておいた。
そのうち誰かに回収されるか、目覚めて自力で戻るだろう。
とりあえずは、とベリルと一緒に家へ戻る。
「どうも、ありがとうございました。なぜあそこに?」
「リラさんがおうちにいなかったので……。町の方に出かけたのかなあ、って」
「ええ、市場に用があって。助かりました」
相変わらず行動指針が大型犬のドラゴンだ。
「お礼にお茶をいれましょうか。新しい茶葉を買ってきたので」
「えっ、ほんとですか!? ……結婚してください!!」
「しませんて」
「えぇ……なんでですかぁ……」
「なんででもです」
ばっさりと斬るとしょげたベリルだったが、そういえば、といそいそと表に出て行った。
しばらくして、何かを持って戻ってくる。
「今日はプレゼントがあるんです。はい、どうぞっ!!」
ふわりと香るさわやかな風。
ベリルが差し出したのは、香草や野花でできた小さなブーケだった。
「──っ……」
──竜の花嫁が選ばれた。
──ドラゴン様の恵みの加護。
──ドラゴン様の吐かれる炎のような、真っ赤な髪の女性。
「……。それ、飲んだら、さっさと帰ってください」
「……え? えと……気に入り、ません、でしたか?」
「いいえ」
ぐっと、口元に力を入れた。
「いいえ。私のような者には、ドラゴン様のご寵愛はもったいないことです。どうぞお帰りになって、ご自分の大切にされるべきものを大切になさってください」
「──なんで!」
ベリルは悲痛な声をあげた。
「なんで、どうしてそんなことを言うんですかあ……! 私にはリラさんしかいないって、決めているのに……助けてもらった時から、あなたしか……!」
「なんでもどうしてもありません。こちらこそ、最初から申し上げているでしょう」
息を吸って、吐くのと同時に言う。
「あなたと結婚はいたしません。お引き取りください」
*
夜から雨になった。
リラは毛布をもう一枚出そうと、納戸の扉を開けた。
その途端、どさどさと中のものが崩れ落ちてくる。
「あたた……変なしまい方しちゃってたか」
布類の一番上に載っているのは、未使用の包帯である。開封されて一つ減っていた。
……包帯。
緑の髪の男の左の袖から覗いていたそれを思い出して、ぶんぶんと首を振った。
もう、私の人生には関わりのないことだ。
「……包帯なんて、いつ使ったかな」
敢えて口に出してつぶやいてみる。
あれは、確か……。
*
真夏の暑い日。井戸のすぐそばに、大型犬を優に超える大きさの生き物がいた。
くすんだ緑の鱗が乾きかけていた。トカゲと言われればそう見えたかもしれない。
水を汲みに来たリラは最初驚いたが、すぐに、その生き物が弱って血を流していることに気がついた。
「怪我してるの? 前足? ちょっと待っててね」
すぐにきれいな水で洗い流し、身体が冷えるよう背中からも水をかけてやった。
家にとって返して包帯を引っ張り出し、まだ井戸のそばにいた生き物の左前足に巻いてやる。
人間と同じ止血の方法で効果があるかわからなかったが、すぐに血は止まる。
「よかった……。あなたどこから来たの?」
返事を求めてはいなかったが、そんなことを尋ねながらしばらく様子を見ていた。
やがて、生き物はゆっくりと身体を起こし、歩き出す。
「……一人で帰れそう? そう。気をつけてね」
首を上げた生き物は、リラに礼を言っているように見えた……。
*
「……左手の包帯。まさか、まさかね……」
打ち消しながら、リラはほぼ確信を持っていた。
巨大なドラゴンと人間の二形を行き来できる存在だ。
トカゲのような生き物の姿をとれても、不思議なことは何もない。
……だが。
「……だけど、それがなんだってのよ……」
*
それから、ベリルは姿を見せなかった。
……ほっとしたような傷ついたような、微妙な心境だ。
いや、元の日常に戻っただけだ。振り回されずに済むのだ。
しばらくすれば、気分も落ち着くことだろう……。
そんなふうに考えていた、数日後の夜。
食後の片付けをしていたリラの耳に、ガタリと物音が飛び込んだ。
「……外?」
台所の窓からうかがうがよくわからない。
しかしそのうち、ザッザッと複数人の足音が聞こえてきた。
「……!」
玄関の箒を引っつかむ。鍵はかけてある。
しかしその扉が、鍵ごと蹴り破られた。
「────っ!」
「ようリラ、年貢の納めどきだぜ」
「最初から素直に従ってりゃ痛い目に遭わなかったのになぁ」
「坊っちゃんもこんなじゃじゃ馬のどこがいいんだか」
「バッカお前、それを手懐けるのがいいんだろうが」
ギャハハ、と笑う男たちは、あの日大岩のそばに並べたチンピラたちだった。
*
箒などなんの役にも立たない。リラは乱暴に縛り上げられると、馬車に詰め込まれて町に運ばれた。
「おら、さっさと歩け」
日が暮れた中、あるお屋敷の庭で降ろされ、引っ立てられる。
物置のような建物に押し込められると、生っ白く太った若い男が現れた。
「リラ。やっとボクのものになったんだね」
「ガス、あんた……!」
例の放蕩息子である。
「キミが悪いんだよ。男を引っ張り込んだりするから……。今日からはもう好き勝手はできないからね」
「ふざけないで! あんたに何の権利があってこんなこと!!」
「もうこの屋敷からは出さないし、男に色目を使うこともできないよ」
男は話を聞かずにぐふぐふと笑った。
「ああ、でも、おばあさまがうるさいから、結婚の誓いだけは立てさせてあげる。明日司祭様が来るからね」
「誓うわけないでしょ!!」
声の限りに叫んだが、無情にも目の前で扉は閉じられてしまった。
外からかんぬきのようなもので塞がれる音までする。
「ふざけないでよ……」
リラはぎりぎりと歯を食いしばった。
*
物置の壁の隙間から、日が差してきた。朝が来たのだ。
チャンスは結婚の誓いとやらを立てさせられる、その前後だろう。
リラはその時を待った。
やがて、扉が開けられる。
「さあ、司祭様がお待ちだよ。することはわかるよね?」
やにさがった顔を至近距離まで近づけられて、吐き気がする。
それに耐えながら、表面上は従順に、庭に出た。
ガスの他には腰巾着のチンピラたちが何人か暇そうに立っているばかりだ。
おばあさまとやらの姿も見えない。
そして、白い衣の司祭様がいた。小さな丸眼鏡をかけた顔に見覚えがある。町の神殿の司祭だ。
司祭様の前に引っ立てられると、彼は困ったような顔をした。
ガス一家に丸め込まれているわけではないのだろうか。
「……こちらが花嫁で間違いないですか?」
「そうだよ! ボクのお嫁さんだ! 早く誓いの儀式をしてよ」
花嫁衣装も、誓いの品もない儀式など笑わせる。
リラが逃げ出す機会はないかと緊張していると、司祭は彼女の髪に目を留めた。
「これは見事な紫の髪ですな」
なぜかガスが鼻を膨らませる。
「そうだろ? ねえ早く!」
「ええ。まるで──ドラゴン様の炎のような、美しい紫だ」
その瞬間。
ゴッと、辺りを司祭が言った通りの紫の炎が取り巻いた。
*
──気づけば、リラは緑色のごつごつしたものに抱かれていた。
頭の上から声がする。
「リラさんっ……大丈夫ですか……?」
聞き慣れたドラゴンの声だ。ということは、ここはドラゴンの腕の中か。
身を起こして返事する。
「あ、はい。なんとか」
上体を起こしたことでリラにも周りの様子が見て取れた。
チンピラや放蕩息子は、庭のあちらこちらで黒焦げになって倒れている。
無事なのは司祭と自分だけだ。
思わず息をのんだ。ら、慌てたような声がした。
「あっ……こ、殺してはないですよう。後始末が大変ですし……」
「それは確かに」
クソ野郎どもの命なのに、助かっていてうっかりホッとしてしまった。ちょっと悔しい。
ベリルに抱えられながら尋ねる。
「あの、ベリルさんはどうしてここに?」
「……っ……、朝になっても、リラさんが家から出てこなかったので……」
「……はい?」
ぐす、とドラゴンは洟をすするような音を立てた。
「あのっ……家に行っちゃいけない気がしてたんで近づいてはないんですが、毎日、朝から晩まで……見てて……」
「なんてこった」
自分の周りにはストーカーしかいないのか。
いやでも、そのストーカーによって助けられてしまった身である。
「……ともあれ、また助けられてしまいましたね。ありがとうございます」
「はい……本当……リラさんが無事なら……私はそれで……」
ぼとっ、と大きな水の塊が落ちてきた。これは、もしかして。
「結婚、してくれなくてもいいんです……いやしてほしいんですけどぉ……でも、リラさんがいなくなるよりは……」
「……」
次々と水が落ちてきて、リラの着たきりの服はびしょびしょになる。
もはやドラゴンは臆面もなく泣いていた。
「泣かないでください。おかげで何もなかったんですから」
「はいぃぃ……でもぉ……」
不思議な感情だった。
人間を一吹きで黒焦げにできるドラゴンだが、あの大型犬のような男でもあるのだ。
リラは頭上を見上げた。
緑の鱗を伝って水が落ちてくるその合間に、一つだけ真珠のような色の鱗がある。
かわいいな、と思ってしまい、なんとはなしにそれを撫でた。
「もう、仕方のないベリルさんですね」
「──ああっ!?」
「きゃっ!?」
とたんにドラゴンは崩れ落ちる。リラはぎりぎり潰されなかったが、差し出されたようになったドラゴンの腕からなんとか這い出した。
「なっ、なんですいきなり」
「わ、私もう……お婿に行けません〜〜〜!!!!!」
「えっ? えっ?」
二人のそばで黙っていた司祭が口を開いた。
「玉鱗を撫でられましたかな」
「それですぅ〜〜〜〜〜」
「え、なんのことですか?」
「ドラゴン様の喉にあると言われる、急所の鱗です。そこにはつがいしか触れさせないと伝えられていますな」
「えっ!?」
リラは慌てた。
ベリルは大きな顔を上げて、潤んだ瞳でこちらをじとりと見つめる。
「……責任取ってください」
「責任!?」
「結婚してください!!」
「結婚はしなくていいんじゃなかったんですか!?」
「事情が変わりました!!」
「そ、そんなー!?」
はっはっは、と陽気な司祭の笑い声が響いた。
*
それから。
「リラさん! 雨が降りそうなので洗濯物取り込んでおきました!」
「あっ、ありがとう……わあ、畳むところまで……」
「はいっ! 他に何かすることありますか?」
「ないですから座っててください……いや、帰ってほしいな……」
「ええっひどいっ」
ベリルは毎日のようにリラの住み家に顔を出してくるようになった。
明らかに悪化している。
「……まあ、お手伝いに免じて、ココアでもいれましょうか。それ飲む間ぐらいはいていいですよ……」
「わあっ嬉しい。結婚しましょう」
「しませんて」
あれからガス一味がリラの前に姿を現すことはなく、さらには。
『竜の花嫁はそれはそれは美しい紫の髪の女性だ』と噂の方まで塗り替えられていた。
いや、『それはそれは美しい髪』なんてリラは持っていないから、やはり別人かもしれない。……なんて思ってはいないが、ちょっとぐらい逃げ道は用意させてほしい。
「はい、ココアです。それとこれはこないだ市場で買ってきたビスコッティ」
「なんですかこれ!? すごく固いけど」
「食べ物です」
……そうしていないと、覚悟が決まる前に絆されそうになるので。
「ね、ね、リラさん、これはなんですか? キラキラした石もいっぱいある」
「手作りのアクセサリーを作る道具ですよ。……いつまでも包帯じゃ、格好がつかないでしょう」
「? よくわかりませんが、キラキラした石ならいっぱいあるので今度持ってきますね」
「ありがとうございます。……待って、それって竜の秘宝」
ココアに口をつけてベリルは今日も嬉しそうに笑う。
「いいけど、できるだけ小さいものにしてくださいね!」
「はいっ! ねえリラさん、結婚してください!」
「……あなたは私に求婚する前に、人間の結婚についてもうちょっと勉強してきてください!!」
リラの頭痛の日々は、もう少しだけ続きそうだ。
お読みいただきありがとうございました。
お題のほか、触ると結婚を迫られる鱗などのアイデアをお借りしております。
楽しく執筆できました。この場を借りて御礼申し上げます。
この作品とは直接関わりありませんが、同じ世界観でドラゴンが女の子と生計を立てるお話が連載完結したところですので、ご興味があればぜひそちらもご覧くださいませ。
(人化はしません)(オコジョ化はしております)




