9.氷の微笑
──彼の強い訴えに何も出来なかった自分への悔しさと、あの時一瞬、ほんの僅かに見せた悲しい色した瞳が、私の身体の奥深くを、鋭い針で突き刺されたように今もぎゅっと痛む。
私は懸命に歯を食いしばりながら、溢れそうになる涙を堪え厨房に向かい歩いていた。
でも堪えようと想えば想う程に、余計に止めどなく溢れ出してくる。
「エミリアさんその格好! あの野郎!!」
コンラッド様が驚いた顔をしたかと思うと、走って行く。
違う! 彼は何も悪くない!
「違うの! 待って!」
私はコンラッド様を追いかけた。
「ハァハァ。ち、違うの、誤解です。コンラッド様!」
やっと追いついた。ハァハァハァハァ。
「え? 何が違うの? ミーシャを庇うことはない! その血筋と背景から誰も奴を諌めることはしてこなかったが、それ自体が間違っているんだ。ちゃんと駄目なことを言わないと!」
驚いたわ。普段は穏やかで優しく、そして陛下のことを常に心配していらっしゃるコンラッド様が、こんなに強い口調で言われるなんて。
でも、そうよね。間違いは間違いってちゃんと言わないと。
そうやって周りが腫れものに触るように接してきたことにも原因もあるんだわ。きっと。
あの時の彼の瞳は、真っ直ぐ私を見ていた。
逃げるなと、訴えていた。
いや、逃げないでと彼が叫んでいた。
それなのに私は……
「違うの。これは陛下の頬の……冷やそうとして私が自分で破ったの。だから陛下は悪くないの。コンラッド様」
私はコンラッド様に、ちゃんと本当のことを伝えた。そして彼が少しばかり反省? していたことも。
痛いって言った時の彼の顔は、怒りではなく少し照れていたもの。
「そ、そうか……なら良かったけれど。でもエミリアさんには毎度驚かされてばかりだよ」
コンラッド様はいつものように穏やかで優しい顔に変わった。本当に陛下のことを心配なされてるね。仲が良くて羨ましいわ……
私は、少し実家の姉達や、父様や母様のことを思いだした。
誰も私に関心を持たず、居ても居ないようにずっと扱われていたあの頃を。
「エミリアさん? どうした?」
「あ、いえ。何でもないです。コンラッド様」
いけない私ったら。コンラッド様に心配ばかり掛けてしまって。
「エミリアさん。そろそろその様は止めて貰っても? 俺達は仲間じゃないか?」
仲間……そんな。私を仲間って!
「コンラッドさ、あ、コンラッドさん? ありがとうございます!」
「ありがとう。エミリアちゃん? コンラッドでもいいのに。それよりそのスカート何とかしないとね?」
あ! 忘れていました。
「では、仲間の記念にプレゼントさせてくれるかい? エミリアちゃん?」
「え?」
プレゼントってどういうことでしょう?
そんなプレゼントだなんて……男性からなんて。しかもコンラッド様、あ、コンラッドさんは陛下のお兄様でいらっしゃるのに。
「大丈夫。お詫びもあるしね」
コンラッドさんが、少し苦笑いしながら私に両手を合わせ謝る。
「そのことでしたら。もう……」
「エミリアちゃんって可愛いねぇ?」
え?
私が可愛い? そんなはずがありませんわ。
こんな田舎からきた地味な娘なんて、コンラッドさんのようにキラキラしていらっしゃる御方から見たら、私なんてその辺にいる野良猫以下ですわ。
あ! そういう意味ですのね? 猫みたいと?
私ったら、恥ずかしい……
それはそうですわよね? コンラッドさんが私にだなんて。ああ、恥ずかしい……
「もう、コンラッドさん。お上手言っても何もないですよ? あ、パン食べますか? ウサギとクマとどっちにします?」
お上手で言ったんじゃないけれどね? まぁ、いきなり攻めてもねえ。仔うさぎちゃんが怖がって逃げたら駄目だし、徐々にと行きますか。
「じゃぁウサギを頂いても? 折角の天気だ、外のテラスで一緒にどうだい?」
「まぁ! それは素敵ですね! はい。是非に! もう直ぐマーゴさんも戻って来るはずですよ?」
「あ、マーゴはいい。さあ行こうか?」
そんなぁ。マーゴさんも仲間ですから。でもマーゴさんも後で来てくれますよね?
「では、書き置きしてから行きますね? マーゴさんに」
「はいはい」
あら? 少しコンラッドさんが、不満そうなお顔をされました。あ! よくお二人で戯れあっておいでですからね? でも意地悪は駄目ですよ仲間ですから。
◇
「これさぁ、クマって言うよりブタじゃない? エミリアちゃん?」
「え~~ヒドイです。クマですって」
「絶対ブタだよ。ブタ!」
「ブタ。ブタって…」
「あ、違う違う! エミリアちゃんは、寧ろもっと食べてもう少しふっくらしても良いぐらいだよ?」
コンラッドさんの視線が私の下に移る。
「もう! コンラッドさんてばあ。何処見てるんですか?」
「ハハハッ。本当に可愛いねぇ。エミリアちゃんって」
「そんなのでは、騙されませんからね? んもう!」
何でしょう。こんなに笑ったのは、いつ振りでしょう?
本当コンラッドさんといると楽しいし。優しいし。
「あ、エミリアちゃん、じっとして?」
そう言ってコンラッドさんが私の髪にそっと触れた。
「え?」
「葉っぱ。もう、子供みたいだね? エミリアちゃんて」
私は思わず、何だか分からないけれど無意識に俯いていた。そして頬が熱くなるこの感覚。
恥ずかしい気持ちと、少しだけ嬉しい気持ち?
◇
「ふーーん。面白い」
小さな声でポツリと呟く。
眼下に見える窓からの風景に、陽の光を受け綺麗なプラチナブロンドに輝く髪を翻すように去った男の顔は、氷の如く冷たい笑顔であった。




