8.嫉妬
いつもと変わらず爽やかな朝だった。だが、今日もマーゴは頭を抱えていた。
「エミリア? これは一体?」
「えへへ。可愛いでしょ? マーゴさんの分もありますよ~~ちょっと耳が短いのもあるんですけど」
目の前に並ぶ立ち眩みがしそうな光景を見て、マーゴは正しい返答が見つからなかった。
なぜなら、この娘の幸せそうな顔が、一瞬ソフィア様に見えてしまったからだった。
「エミリア……流石にこれは。ミーシャには無理だと思うよ? いくらなんでも」
目の前に広がる、とても愛らしいパンを見つめながらマーゴは言った。
「可愛いものを見たらワクワクしませんか? 陛下が少しでもそんな気持ちになってくれたらな? と思いまして」
エミリア……うん。気持ちは分かるよ?
でもね。相手はあのミーシャです。しかも雄です。
ああ見えて奴は女性ではありません。今は大人しく見えますが、生物学上、奴は雄です。
ある意味、コンラッドより始末が悪い……
マーゴは幸せそうに亀や、ウサギやクマの形をしたパンを籠に盛る少女を見ながら、それを口にする男を想像してみた。
「ないない。絶対ない。嵐が来るより怖いわ……」
「ん? 何か言いましたか? マーゴさん?」
エミリアがニコニコしながら聞いて来た。
「いや。何でも」
って。ちょっと待て? もしかしてこれ運ぶの私? 無理。絶対無理。
死にたくない。
「おはよう。エミリアちゃん。昨日はよく寝れたかい? って! 何だこれ!」
「あら。コンラッド様、今日はお早いのですねえ? あ、これですか? 可愛いでしょう? えへへ」
まさかとは思うが、これを奴のところに持って行く気ではないよなぁ?
流石にそれはないか。俺はマーゴを思わず見る。
マーゴが何度も頷く。
その頷きはどっちだ? まさかとは思うが……
「コンラッド様も来られたことですし、そろそろ参りますか?」
目の前の少女のような女が微笑んだ。
柔らかな朝陽を浴び、少し茶色の髪がキラキラと輝いて、此方まで温かくなるような気持ちになる。
「コンラッド。今何考えた? 駄目だよ? エミリアだけは」
「ん? 何も? 行こうか。エミリア嬢」
それ以上を考えることは、今は敢えてしなかった。
私は知っている。この男が被っているお面の正体を。
◇
「エミリアさんさぁ。流石にこれは無理だと思うよ? 行くのはいいけどさ?」
マーゴさんだけでなく、コンラッド様にも反対されてしまいました。
でも、食事って楽しいほうが良いでしょう? ね?
絶対そうでしょう?
「入るぞ」
──ガチャリ
「入ってから言うな」
お、おい!
「おい! 服ぐらいちゃんと着ろよ! レディの前だぞ」
「あ? マーゴに今更だろ」
目の前の男は、着替え途中だったのかシャツのボタンもとめず、こっちを見る。
せめてもの救いはエミリアが俺の後ろにいたことだ。
「エミリアさん。少し待って貰えるかい? まだ陛下は着替えが終わっていない様子でね?」
俺はそのまま背後にいるエミリアに声を掛ける。
「あ、申し訳ございませんでした。では外でお待ちしますね?」
エミリアが外に出ようと後ろを向いた瞬間。
「逃げんなよ? 昨日の威勢は、はったりか?」
「ミーシャ! エミリアさん此奴の挑発になんかのる必要ない、今日は俺が給仕するから、さあ早く帰るんだ」
「あ? 何だそれコンラッドよ。どういう意味だ?」
奴が俺の目を見て笑った。
ああ、そうだよ。俺の嫉妬だ。お前の傍に彼女を置きたくない。いや、お前に見せたくないと思う俺の嫉妬だ。
「娘。構わん。給仕を始めろ」
もう、朝から何やってんだい。この雄共は! コンラッドもコンラッドだ。
分かってるのか?
エミリアは一応今はまだ、ミーシャの婚約者として来ているんだ。それを……
私はコンラッドの袖を引っ張った。これ以上は駄目だ。
「エミリア。私も付き添うから」
エミリアの手を取り御前に行こうとした時だった。
「マーゴ、お前も邪魔。今後その娘だけで来るように」
目の前の男が楽しそうに笑う。
はぁ……私が一番恐れていた展開にやっぱりなっちまったよ。
本当にあの頃から全く成長してないんだから。
「ミーシャ! お前って奴は! エミリアはソフィアの身代わりじゃないんだぞ!」
コンラッドがミーシャに殴りかかろうとするのを、私は必死に止める。
「コンラッド!」
「あ? 朝から何訳のわからんことを言っているんだ? お前の大事な娘が怯えているぞ? ハハハッ」
俺は無意識のうちに、目の前にあるその綺麗な顔した男の頬を殴っていた。
「コンラッド!!」
そのまま無言で去って行ったコンラッドを私は急いで追いかけた。
ったく何熱くなってるんだよ。女なんかいくらでもアンタにはいるじゃないか? なんでまた同じなんだよ。
「痛。ったく馬鹿が」
「陛下! あら、大変! 赤くなっていらっしゃるわ!」
私は思わず、陛下の傍に走っていた。
「大丈夫ですか?」
無意識に頬に手を伸ばすが、陛下が無言で私の手を払った。
「あ、ごめんなさい。私ったらつい……」
そりゃそうよね。私みたいな田舎娘にそんな、失礼よねぇ。
陛下は綺麗な長い髪を掻きあげながら私の目を見る。
吸い込まれそうなその瞳に私は思わず目を背けるように俯いてしまった。
「何だ、口だけかよ」
「え?」
その時だった。
彼が私の手首を掴み、自分の頬に手を当てさせた。
「怯えながらじゃなく、ちゃんと触ることも出来ないのか?」
彼のその言葉に私は、目が覚めた気がした。
そうよね。そんな怖がっている者に動物だって懐くことなんてないわ。ましてや彼は一人の人間ですもの。
私ったら、とても失礼な態度をとってしまったんだわ。
「ごめんなさい陛下。冷やします。そちらの水をお借りしても?」
食堂脇にある小さな台所を見ながら彼に聞いた。
彼は無言だったが私は急ぎ向かい、自分のスカートの裾を破る。
──ビリッ
冷水に浸し、きつく絞り陛下の下へ向かった。
「ごめんなさいね? これしか今なくて……では失礼しますね?」
私は彼の頬に布を当てる。
「もういい。下がれ」
低く冷たい声が静かに発せられた。
「で、でも……」
私は陛下の目を見る。
何だか少しお淋しそうな声だったから。
「あ? まだ用か? 騎士が心配で外で待ってるぞ? 早く行ってやれよ? ハハハッ」
コンラッド様……
私のせいで、仲の良い兄弟がこんなことになってしまって。どうしましょう。
コンラッド様が彼を殴った時の顔が脳裏に浮かんだその時だった。
「キャッ」
彼がいきなり私の手を引っ張り、顔を近づけ耳元で呟いた。
「俺の前で、他の男のことを考えるな」
突き刺さるぐらい私をじっと見る瞳は、とても綺麗な深い紫色だったけれど、何処か淋しい、けれどとても強く何かを訴えているようで、何故だか私はその視線から逸らすことが出来なかった。
「さっさと出て行け!」
◇
彼が私に向けた強い眼差しは、独りにしないでと叫び、抱きしめて欲しいと泣いているようだった。
出て行けと言われ部屋を後にしてしまった自分に、エミリアは帰る途中もずっと後悔していた。




