18.天使が舞い降りた時
──ガラガラッ
「入りますよぅ? おはようございます~~今日も良い天気ですよ陛下? ってあれ?」
あれ? 陛下がいらっしゃらない? お時間は遅れてないと思うのですが。
広い部屋の中をキョロキョロ見渡すが、誰も居ない。
「何かあったのかしら……」
心配そうにポツンと立っていた時だった。
──カチャッ
小さな音が壁から聞こえ人影が見えた。
「キャッ!」
「あ?」
「へ、陛下……脅かさないで下さいよ。急に出て来ないでください」
「は? 此処俺の家! 何か文句あるのか?」
「あ、そうでした……すいません。あ、朝食をお持ちしましたよ? さぁさご一緒しましょう」
こいつ人の話し聞いているのかよ。
ん? 何だ趣味の悪い服。
ミハエルの顔色が変わった。
明らかに不快感を顕にした姿で、エミリアを頭のてっぺんから爪先まで舐めるように視線を這わす。
「へ、陛下? どうかされましたか?」
「ふぅん。そう来たか。涙ぐましいねぇ」
ミハエルは冷笑した。
「さっさと用意しろよ」
あれ? ちょっと機嫌がお悪い感じ?
いつもお時間もピッタリなのに、今日に限って少し遅かったですし……
彼奴の考えそうなことだな。くだらない。
くだらないと思いつつも、目の前でヒラヒラさせながら楽しそうに振る舞う少女を見て、ミハエルは不快感よりも、憎悪に近い感情を抱きつつあった。
「陛下~~ご用意出来ましたよ~~どうぞ召し上がってくださいな?」
「…………」
え? また無言ですか?
今日は機嫌が悪い日ですか?
それとも切るのですか? パンを?
どうしましょう……
「頂きます?」
「…………」
え? 何が駄目なんでしょう……
どうしたら良いのでしょう……
「へ、陛下? 思うことがあるのならちゃんと言って下さいってお願いしたじゃないですか? どうされたのですか? 私がまた何か怒らすようなことを?」
「いや、別に」
短く吐き捨てた言葉には何の表情もなく、冷たさすらも感じない程の虚無であった。
「へ、陛下? 何処かお加減でも?」
エミリアは心配になり、椅子から立ち上がり、ミハエルの元に咄嗟と駆け寄っていた。
──その時だった。
深い紫色の瞳が、明るく煌くように光った。
一瞬にして辺りが急に暗くなる。
分厚い黒い雲が重く押しつぶすように広がりはじめ、ポタポタと雨粒の音が窓の外から聞こえ出す。
「近寄るな」
地の底から響くような低く冷たい声が降りて来た。
エミリアは咄嗟に、伸ばそうとした手を止めてしまう。
そして震える自分の手を重ね、気持ちを落ち着かせることだけに集中した。
意を決し、再び彼の元へゆっくりと手を伸ばす。
逃げては駄目。
行かないで──
と、あの時、全身で叫んでいた彼を、もう二度と私は放って置かないと決めたのだから。
「な、何を。放れろ!」
ミハエルは頭の中が割れる程痛む中、まだ正気で居られる僅かな時間を奮い立たせ、エミリアを遠ざけようとする。
「いいえ。いいえ。何処にもいきません。私は此処にいます!」
エミリアは首を横に振り、ミハエルの紫色に光る瞳を真っ直ぐに見つめた。
苦しそうに目の前で顔を歪めながらも、自分にまるで助けを求めるような顔をする彼をそっと抱きしめた。
「どうなっても知らんぞ」
「覚悟は出来ております」
エミリアは優しくミハエルの背中を何度も撫でる。
大粒の雨はどんどん激しくなるが、雷の音が遠くなり閃光が部屋まで届く時間が長くなっていた。
彼の鼓動が少しづつ安定してきた時、先程まで真っ暗だった外に再び陽射しが戻ってきた。
「陛下。良かったですね?」
落ち着きを取り戻した陛下の顔を見上げた時だった。
突然彼の顔が近づいてきて、視界を塞いだ。
え?
優しくほんの少し彼の唇が触れたと思ったらそのまま押し付けれる。
突然のことに足の力が抜けて行き、床に落ちるかと思った瞬間、少し意地悪そうな顔をした彼の顔が正面にあった。
抱き抱えるように支えられ、少し笑いながら言う。
「近づくなって言ったからな?」
「え? えええええ? 今ですか?」
「うるせぇよ。飯、飯。早くしろよ」
ええええ? 今のって……
額や頬には以前にも……
でも先程のって……
じっと陛下を見ていると、長い髪を掻き上げながら言う。
「何だよ。離れろって言ったはずだぞ?」
「い、いや。それは……別で、先程のは……」
「あ? 何。もう一回して欲しいのか?」
「……そんなこと言ってませんし」
顔から火が出るんじゃないか? と思うぐらい頬が熱くなっているのが自分でもわかります。
嫌って言う訳ではないのですが……どうしましょう。恥ずかしくて陛下のお顔が見れません……
「は、はずかしく、て、どうしていいのか。わかんないんですぅ」
やらかした。最悪だ……
一心に自分を見つめてくるエミリアに対し、超えてはいけなかった聖線を、汚れた感情で踏んでしまったことに、何とも言えない懺悔の気持ちになっていた。
瞼を閉じ、額に手を当て苦しそうな? 表情のミハエルを見て、エミリアは無意識のうちに彼の頬に手を伸ばす。
「フハハハッ。ハハハッ。ハハハッ。馬鹿、そこは怒るとこだ」
「え? 怒るって? 私、何かしましたか?」
「もういい。喋るなお前。飯」
──ガシャン
「ああぁ! お水が、あああああ」
「あ、サラダにああああ、どうしましょう。やだぁ。あららまあ」
「料理より給仕教えろって言ったろ。いつになったら朝飯食えるんだよ俺は」
入口に置きっ放しになっていたワゴンの前で、朝から賑やかに騒ぐ少女のような女性を慈しむように見守る彼の姿は、穏やかな朝の陽射しを目一杯浴び、銀色の髪が金色に煌き、それはまるで光の帯を抱き込んだ天使のような姿だった。




