13.交差する想い
──エミリアは目の前の男に呆れていた。
「陛下、風邪ひいちゃいますよ? 早く服着て下さいな?」
「髪濡れてる」
「ん? 乾かすのですか? 甘えん坊さんですねぇ陛下は? いいですよ~~やってあげます!」
「……いや。やれとは言ってない」
「どっちなのですか? ではやらない方が良いのですか?」
「……」
「ちゃんと伝えてくれないと分からないですからね? 言って下さいよ? 絶対ですからね?」
「……」
男は、目の前の小さな女が少し偉そうに言う姿を見て、久しぶりに自分の口元が自然に緩んでいたことに、気づいていなかった。
「何をしている?」
髪を乾かすと言った女が、何やら楽しそうに? 自分の髪束を掴み遊んでいる? まさかとは思うが、流石にこれ以上放置する訳にもいかず仕方なく聞いてみた。
「あ、ごめんなさい。こんな綺麗なサラサラの髪羨ましくて。つい……でも可愛くないですか?」
謝り? ながら嬉しそうに人の髪に何やらリボンを結ぶ女に、言葉を失っていた。こいつ真性の馬鹿なのだろうか? と。
怒ったら、また泣くのか? 勘弁してくれ……
「女、やめろ」
「あ、やっぱり赤のリボンは駄目ですよね? 今度、青の探して来ますね?」
こ、この女……つまみ出したい。いや殴りたい。
目の前で小首を傾げて、人の髪束を持ったまま真剣に悩む女を見て、俺はその考え自体が馬鹿馬鹿しくなった。
「あ! 陛下! 女じゃなくて、エミリアです! エ・ミ・リ・ア! 覚えて下さいよ? 今度、女って呼んだら、こっそり赤いリボンつけちゃいますからね?」
やっぱりマーゴを追い出すべきではなかったな……
「あ、風邪ひいちゃうと大変! ささ、何してるんですか? 早く上着を着て下さいよ」
「お、お前が……」
「エミリアですってば! もうぅ。ちゃんと覚えて下さい!」
その瞬間だった。
──ガタンッ
「え?」
目の前で先程まで少し不機嫌そうにしていた男が、突然立ち上がり頬に手を当てた。
一瞬殴られる? かと思って少し驚いたが、そんな感じでもなく陛下の顔を見上げる。
「粉付いてるぞ」
嘘! 顔から火が出るとはまさにこのことだわ。私は恥ずかしくって思わず陛下の髪を拭いていたタオルを引っ張りゴシゴシ拭いた。
「取れました?」
頬を突き出してくる女に、思わず俺は指で摘まんでいた。
「陛下~~酷いですぅ。痛いです……」
「馬鹿か……」
「ひどーーい」
頬を膨らましながら言うこの女を見て、何故触ってみたのかは分からなかったが、俺の気持ちなど無視してズカズカ入ってくるこの女に、不思議と不快感はなかった。
「陛下。早く上を着て下さいってば! 本当にいつまでも子供みたいですよ?」
「は? お前にだけは言われたくないわ。頬に粉付けたまま歩く女が何処にいるんだよ」
「ここに居ました。えへへ」
キラキラした瞳で微笑む女に、咄嗟に身体が動いていた。
「え?」
「ついてたから」
「………」
先程までの賑やかな雰囲気が、一瞬にして何もない虚無な空間へ戻った。
ただ、冷たく暗い無機質な「箱」の雰囲気はなく、どことなく互いに気まずい雰囲気だった。
今のは? どういう意味だったのでしょうか……
粉を取ってくれた?
え? でも……
どうしましょう。頭の中が色々と。
突然、頬に軽く触れた感触がまだ残り、私は頬が赤くなるのを感じていた。
「服」
「え?」
何も無かったかのように、短く「服」とだけ言う陛下の声に、先程のことは事故? いや何でもない? 忘れろ? と言う意味でしょうか?
こいつ無反応か。それともコンラッドを?
まぁ別にいいけどな。こんな餓鬼相手に馬鹿馬鹿しい。
この日のこの突然の「事故」によってこれからの二人の関係、いや、コンラッドとマーゴ含め、止まっていた時間が再び動き出すことになるとは、この時は誰もまだ想像すらしていなかった。
「陛下~~焼き菓子ちゃんと食べて下さいよ? 約束したでしょ?」
「……またブタ食うのかよ」
「ウサギです!」
「最悪……」
「何か言いましたか?」
◇
「あら? コンラッド。今日は遅いねぇ? ん? それは?」
「ああ、これか。エミリアちゃんにね。約束したし」
それにしてはコンラッドの様子がいつもと違うようだが? 何かあったのかしら?
「エミリアちゃんは?」
コンラッドがキョロキョロ探している。
「いないよ。ミーシャのところ」
「え? こんな時間に?」
「ああ、しかも私室にね」
コンラッドの表情が案の定、変わった。
黙っていれば別に分からないことだ。
何故か私はそれを確認したくて言ってしまった。
まぁ、答え合わせをする必要はなかったけどね。
「そんなに気になるなら、行ってみたらどう?」
「何で私室になんか?」
コンラッドの顔は強ばったままだ。
「ああ、何でもミーシャが呼んだらしいよ」
嘘は言っていない。理由はどうであれ、あのミーシャが部屋に招き入れたことにはかわりない。
「え? 何故だ!!」
コンラッドが声を荒らげた。
「気になるなら聞きに行けば?」
アンタだって分かっているだろう? もう、その理由ぐらい。
ミーシャに言われた言葉が脳裏に繰り返される。
──バタンッ
無言で去って行ったコンラッドの忘れ物の紙袋をじっと見つめる。
無意識のうちに私はその紙袋を手に取り、握り締めていた。
視線を下に落とす。
「……」
あの時、強引に連れて帰ろうとしたら出来ていたはず。
それでも私はしなかった……
心の何処かでそうなることを。
奴の性格が分かっていたのに。
心の底で渦巻き、濃くなる霧に吐き気がして思わず呟いた。
「最低だわ。私って……」
マーゴは握り締めた紙袋を、また綺麗に伸ばし元の場所にそっと戻した。
勝気で男勝りの彼女の下瞼には、今にも溢れ出しそうな水滴が、零れ落ちまいとギリギリのところで必死に踏ん張っていた。




