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『泡沫の日ごと』――雨の日だけ、君は僕のそばにいた  作者: 疾風


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2/8

2.晴れの日には、君が遠い

翌朝。


 カーテンの隙間から差し込む光は、やけに眩しかった。


 雨の気配は、どこにもない。


 空は高く澄んでいて、

 昨日の出来事が夢だったかのように、世界は整いすぎていた。


 ……なのに。


 胸の奥だけが、妙に落ち着かなかった。


 制服に袖を通しながら、

 僕は何度も、理由のない不安を噛みしめていた。


 ——今日は、会えるだろうか。

そんなことを考えている自分に、少し驚く。


 昨日会ったばかりの転校生。

 それだけのはずなのに。


 まるで、長い間会えなかった誰かを探しているみたいだった。


 学校へ向かう道。

 水たまりはすっかり乾いていて、

 靴が濡れることもない。


 それが、少しだけ寂しかった。


 教室に入ると、いつも通りの朝のざわめきが広がっていた。

 「おはよー」

 「昨日の雨やばくなかった?」


 そんな会話の中に、

 澪の姿はすぐに見つかった。


 窓側の席。


 光を受けて、髪が淡く透けている。


 ——いた。


 それだけで、胸が少し軽くなった。


 けれど。


 僕が近づく前に、澪はふっと視線を逸らした。


 ……気のせいだろうか。

「おはよう」


 声をかけると、彼女は一瞬だけ肩を震わせてから、振り返った。


 「……おはよう、想くん」


 返事は丁寧だった。


 でも、昨日と何かが違う。


 距離が、ある。


 言葉と心のあいだに、透明な壁が一枚挟まっているような。


 「昨日、大丈夫だった?」


 階段でのことを思い出して尋ねると、

 澪は一瞬だけ、困ったように笑った。

「うん。ありがとう」


 それだけ。


 話は続かなかった。


 それ以上踏み込もうとすると、

 彼女は視線をノートに落としてしまう。


 胸の奥が、ちくりと痛んだ。


 ——昨日は、あんなに近かったのに。


 授業中も、休み時間も、

 澪は必要以上に僕と距離を保っていた。


 クラスメイトと話すときは自然なのに、

僕と目が合いそうになると、わずかに逸らす。


 まるで——

 触れてはいけないものを見るみたいに。


 昼休み。


 僕は意を決して、彼女の席に向かった。


 「澪」


 名前を呼ぶと、彼女の指先がぴくりと動いた。


 「……なに?」


 その声は、優しいのに、遠い。


 「僕、何かした?」


 率直な問いだった。

澪はしばらく黙り込み、

 窓の外の青空を見つめた。


 雲ひとつない、完璧な晴れ。


 やがて、小さく息を吸って、言った。


 「……晴れてるから」


 「え?」


 意味が分からず聞き返すと、

 彼女は少しだけ、苦しそうに微笑んだ。


 「晴れの日はね。想くん、私のこと、ちゃんと“初めまして”になるから」


 言葉が、胸に落ちる。

 「どういう……」


 「昨日みたいに近づくと」


 澪は、ぎゅっとスカートの裾を握った。


 「また、同じことになる」


 その声は、震えていた。


 「同じこと?」


 彼女は答えなかった。


 ただ、まるで祈るように、静かに言う。

 「雨の日だけでいいの。私たちが、少し近づいても」


 「それ以外は……」


 言葉を探すように、唇を噛んでから。


 「忘れてるままのほうが、きっと優しいから」


 その瞬間、胸の奥が強く痛んだ。


 優しい、という言葉が、

 なぜこんなにも残酷に聞こえるのだろう。


 「澪は……僕が、何を忘れてるって言うんだ」


 問いかけると、彼女は目を閉じた。

 ほんの一瞬。


 泣き出しそうな顔で。


 「……思い出したら、きっとまた」


 そこまで言って、彼女は首を振った。


 「ごめん。今は、言えない」


 チャイムが鳴る。


 昼休みの終わりを告げる音。


 澪は立ち上がり、僕から一歩、距離を取った。


 「今日は、晴れだから」


 それだけを残して。


 彼女は、光の中へ戻っていった。

青すぎる空の下で、

 僕は初めて、はっきりと思った。


 ——忘れているのは、過去じゃない。


 “失うこと”そのものを、

 僕は一度、経験している。


 そんな気がしてならなかった。

読んでくださりありがとうございます。

よければ感想・ブックマークいただけると嬉しいです。

続きは明日21時半 更新予定です

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