役に立った日
地下への通路は、昨日と何も変わっていなかった。
構造も、照明も、空気の冷たさも同じだ。
それでも、足取りは昨日ほど重くない。
昨日は、案内されるまま歩いていた。
今日は、自分がここに来る理由を分かった上で歩いている。
それだけの違いだった。
「ギノ、今日は落ち着いてるね」
守里桃が、何気ない調子で言った。
「そうですか?」
「うん。昨日は、もう少し肩に力が入ってた」
言われてみると、確かにそうかもしれない。
胸の奥のざわつきは、昨日よりも静かだった。
控室に入ると、テレビがついていた。
『昨夜、都内で発生した不可解な事件により、三名が死亡しました』
アナウンサーの声は淡々としている。
画面には、
ぼかされた現場映像と、
「原因不明」という文字。
……昨日の、あれだ。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ重くなる。
もう少し早く出動していれば。
昨日、あの時間に、ここにいれば。
そうすれば、この数字は違っていたかもしれない。
だが、その考えは長く続かなかった。
「準備に入るぞ」
隊長の声で、意識が切り替わる。
更衣スペースで、戦闘スーツに着替える。
赤、青、ピンク、黄色。
そして、自分のグレー。
……やっぱり地味だ。
鏡越しに見ても、
ヒーローというより、調整役みたいな色に見える。
着替えを終えた隊長は、近くの椅子に腰を下ろした。
背筋を伸ばし、目を閉じる。
呼吸はゆっくりで、一定だ。
肩も、指先も、まったく動かない。
戦う準備をしている、というより、
もう戦闘の中にいるように見えた。
その間、他のメンバーはそれぞれ身体を動かしている。
見方は軽く肩を回し、首を鳴らしていた。
力の入りすぎていない、余裕のある動きだ。
一方、力石は奥の器具にぶら下がっている。
巨体に似合わず、黙々と懸垂を繰り返していた。
回数を数えている様子はない。
「……すごいですね」
思わずそう言うと、守里が小さく笑った。
「でしょ。準備は人一倍なんだよ」
力石は、こちらを見もしない。
そのとき、博士が奥から姿を現した。
白衣のまま、いつもの調子だ。
「念のため言っておくけど、今日も出動の可能性は高いよ」
忠告というより、
事実確認のような口調だった。
「最近、続いてますからね」
見方が軽く返す。
「まあ、そういうこと」
博士はそれ以上、何も言わなかった。
少しの間、
張り詰めすぎない空気が流れる。
――そして。
短く、鋭い警告音が鳴った。
サイレン。
一瞬で、場の空気が切り替わる。
「来たな」
隊長が目を開け、静かに立ち上がる。
博士が、小さな栄養ドリンクの瓶を並べた。
ドーピングドリンクだ。
「はい、飲んでから行って」
隊長は二本。
見方も二本。
守里と力石も。
僕の前に置かれたのは、一本だけだった。
昨日と同じ。
栓を抜き、一気に飲み干す。
喉を通った直後、
胃の奥が、むっと重くなる。
今日もだ。
視界が白く弾けた。
フラッシュを真正面から浴びたみたいに。
吐くほどじゃない。
でも、確実に気分が悪い。
少しだけ、呼吸を整える。
「出動だ」
その一言で、全員が動く。
車内は静かだった。
昨日ほどの緊張はない。
現場に着くと、
いつものように、人の気配はなかった。
配置につく。
前方では、すでに四人が動き始めている。
見方が前を抑え、
守里が横に回る。
力石が踏み込み、
隊長が間合いを詰める。
連携は、昨日よりも滑らかだった。
僕は、少し後ろの位置で周囲を警戒する。
そのとき、横から気配がした。
主戦線から外れた動き。
近づいてくる“揺らぎ”が、二つ。
――雑魚だ。
そう思えた自分に、少し驚く。
近づかせるわけにはいかない。
一体目に踏み込み、拳を当てる。
抵抗は、ほとんどない。
二体目も同じだった。
どちらも、主戦線に割り込むほどの存在じゃない。
倒れた影を横目に、
すぐに視線を前に戻す。
四人は、変わらず戦っている。
僕は、邪魔をさせなかった。
それで、十分だった。
やがて、戦闘が終わる。
回収が始まり、現場は静かになる。
守里が、こちらを見て言った。
「助かったよ。ああいうの、放っておくと厄介だから」
見方も、軽く頷く。
「後ろ、ちゃんと見てくれてたな」
「いえ……たまたまです」
そう答えながら、
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
――役に立った。
初めて、そう思えた。
車両が走り出す。
胃の奥の不快感は、まだ残っている。
でも、それ以外に、
引っかかるものはなかった。
きっと、ドリンクのせいだ。
そう思って、
目を閉じた。
ギノは、まだ何も疑っていません。




