正義の味方庁に配属されました
正義の味方になりたかった。
子どもの頃から、ずっとそうだった。
テレビの中のヒーローは、悪を倒して、人を守って、最後には笑って去っていく。その背中がやけに眩しくて、気づけば僕は公務員試験の参考書を開いていた。
――いや、普通そこはヒーロー養成学校とかじゃないのか、と今なら自分でツッコミを入れたい。
現実の正義は、だいたい筆記試験から始まる。
配属初日。
国防省の庁舎が見えた瞬間、少しだけ胸が高鳴った。
無駄に大きくて、無駄に立派な建物。テレビで見るあの国防省だ。
――ああ、ここで働くのか。
そう思った矢先、案内役の職員は、そのまま通り過ぎた。
「……あの、入口は」
「こっち」
指さされたのは、隣に建っている倉庫だった。
コンクリート打ちっぱなし。
看板なし。
立派さゼロ。
「国防省のビルじゃないんですか」
「違うよ」
即答だった。
国防省の立派なビルに入るんじゃないのかよ。
倉庫の中に入ると、中央にぽつんとエレベーターがあった。
貨物用みたいな、無骨なやつ。
正義、倉庫スタートなのか。
エレベーターが動き出すと、階数表示が減っていく。
地下一階。地下二階。地下三階。
「……まだ下がるんですか」
思わず漏れた僕の声に、案内役の職員は振り返りもせず言った。
「下がるよ。正義はだいたい地中に埋まってる」
何それ。
名言っぽく言われても困る。
扉が開くと、ひんやりした空気とコンクリートの匂いが流れ込んできた。
蛍光灯の光は弱く、廊下の奥はやけに暗い。
僕が想像していた“正義の基地”は、もっとピカピカしていたはずだった。
廊下の角を曲がった先に、小さな看板があった。
【正義の味方庁】
「……庁?」
庁って。
部署名に“正義の味方”って、そのまま過ぎないか。
ドアを開けると、中は事務所というより、古い部室みたいな空間だった。
机と椅子、雑多な書類、壁に貼られた標語。
【市民の安全を第一に】
フォントが、妙に古い。昭和感がある。
正義、年季入りすぎじゃない?
更衣室兼待機室の隅に、小さなテレビが置いてあった。
朝のニュースが流れている。
『昨日夜、都内で発生した不可解な事件により、複数名が死亡しました』
淡々としたアナウンサーの声。
最近、こういうニュースが多い。
理由の分からない事件。
説明のつかない事故。
物騒な世の中になったな、と思う。
この時はまだ、
それが自分の仕事と繋がるなんて、考えもしなかった。
「よろしく」
背後から声をかけられて振り返る。
背筋の伸びた男が立っていた。年齢は三十代後半くらい。
目つきは鋭いが、嫌な圧はない。現場の人間特有の落ち着きがある。
「よろしくお願いします」
そう言って頭を下げると、男は僕の顔ではなく、胸元に視線を落とした。
名札だ。
「……ギノ?」
「いえ、ヨシノです」
一瞬だけこちらを見る。
「……ギノでいいな。呼びやすい」
「え?」
「今日からギノだ」
それだけ言って、もう興味を失ったみたいに視線を外した。
「俺は隊長だ。よろしく」
短い一言だった。
僕が返事をする前に、奥のドアが開いた。
「お、新入り?」
背の高い男が軽く手を挙げる。
「見方進次郎。よろしく」
口調は軽いが、立ち姿に無駄がない。
「守里 桃です」
続いて、女性が一歩前に出る。
「初日は分からないことだらけだと思うけど、気にしなくていいから」
その言い方が、やけに自然だった。
無理に励ましている感じでも、上から目線でもない。
この人がいるなら、
少なくとも職場の空気は最悪じゃなさそうだ。
最後に、ひときわ大きな影が動いた。
「力石 剛だ」
短い一言。
それだけで、場の空気が少し重くなる。
隊長が一度だけ全員を見回した。
「……着替えろ。スーツだ」
案内されたロッカーには、戦闘スーツが並んでいた。
想像していたより、ずっとちゃんとしている。
隊長は赤。
見方は青。
守里はピンク。
力石は黄色。
戦隊モノか。
最後に、僕のロッカーを開ける。
……グレー。
「……地味じゃないですか?」
「新入りだからな」
隊長はそれだけ言った。
納得はできないが、反論もできない。
着替え終わっても、身体に変化はなかった。
……あ、そうか。
スーツを着たからって、強くなるわけじゃない。
少し安心する。
「揃ったかね」
間延びした声とともに、白衣の男が入ってきた。
「こちらは博士だ。装備と薬品の管理をしている」
「初日だね。よろしく」
博士は僕たちを一通り見回してから、何でもないことのように言った。
「念のため言っておくけど、今日は出動の可能性が高い」
「出動、ですか?」
「怪人は、いつ現れるか分からないからね。
でも――今日は来そうなんだ」
怪人。
その言葉だけが、少し耳に残った。
仕事の説明の中で聞くには、
妙に浮いた単語だった。
「……怪人、ですか?」
「ん? ああ、まあ、そう呼んでるだけだよ。
正式な呼び方じゃない」
博士は軽く笑って、話を切る。
「まあ、外れることもあるけどね。
だから、準備だけはしておこう」
その時だった。
――ウゥゥゥゥゥン。
低く、腹に響くサイレンが鳴り始める。
天井のランプが赤く点滅した。
『各員、出動準備。現場を確認』
無機質なアナウンスが流れる。
さっきまで訓練だった空気が、一瞬で張り詰めた。
「……本番か」
見方が、小さく呟く。
隊長は無言のまま端末を確認している。
「やっぱりね」
博士は肩をすくめるように言って、机の上にトレイを置いた。
そこに並んでいたのは、
栄養ドリンクくらいの小さな茶色い瓶だった。
「出動前にこれを飲む」
「ドーピングドリンク」
見方が笑う。
「……ドーピングドリンク?」
「通称だよ。正式名称は長くてね」
博士は気にした様子もなく言った。
全員が当たり前のように小瓶を手に取る。
僕も、それに倣った。
キャップをひねると、薬品みたいな匂いが鼻を刺す。
一口含んだ瞬間――
視界が白く弾けた。
フラッシュを真正面から浴びたみたいに、
視界が一瞬、白く弾けた。
「……っ」
次に気づいた時には、
足元がぐらりと揺れていた。
思わず膝をつく。
――あれ?
いつから、こうなっていた?
一拍遅れて、感覚が戻ってくる。
息を整えながら、立ち上がる。
その瞬間だった。
身体が、異様なほど軽い。
一歩踏み出すだけで、体が前に出る。
「さあ、移動だ」
博士の声だった。
僕はまだ知らない。
この間に、何が起きていたのかも、
これから何と戦うのかも。
それでも。
正義の味方として。
――そう、信じていた。




