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そうだ、復讐しよう〜悪役令嬢推しの姉は闇堕ちしたので、家族を断罪します〜

作者: 七緒ナナオ

「エレノアお姉様、早く靴の準備して。……本当にグズなんだから」


 冷たいエメラルド色の瞳がわたしを睨んでいる。

 滑らかな金髪と、甘やかな天使のような美貌が歪む様は、幼い頃に観劇した愛憎スペクタル系恋愛劇の最推しである悪役令嬢(サブヒロイン)を見ているみたい。


 わたしの妹、クラリッサ。年は一つしか変わらない。

 十年前、わたしが八歳のころ。病弱だった母が亡くなった途端、お父様が連れてきた婚外子の妹。


『愛らしい天使のような婚外子の妹(悪役令嬢)に虐げられる、正当な血筋を持つ冴えない姉(モブ)


 わたしが愛してやまないドロドロ愛憎スペクタル系恋愛劇のド定番な関係!

 なんて、なんて、最高なんでしょう!


 演劇は、チケットを購入して劇場に足を運ばなければ観ることができない。

 毎日やっているわけじゃないし、役者だっていつか変わってしまう。


 でも、クラリッサはひとりきり。

 わたしのたった一人の妹(貴族籍にも入っていない婚外子だけど)。

 そんな妹が、毎日毎日、わたしのために、わたしが大好きな劇を上演してくれているようなもの。


 だからわたしも気合を入れて、腰まで伸びた銀髪はボサボサに、ほつれた灰色のドレスを纏ってる。

 ソファにふんぞり返って座るクラリッサとは対照的に、わたしは床に立ったまま。

 クラリッサが本気で悪役令嬢(サブヒロイン)をしてくれるから、わたしだって本気でぶつかるのが礼儀だし、それが推し活ってものでしょう。


「早くしなさいよ! 舞踏会に遅れちゃうでしょ!?」

「ご、ごめんなさい、クラリッサ。すぐに用意します」


 顔を伏せてクラリッサの前に膝をつき、次から次へと靴を並べてゆく。

 そんなわたしを見て、扉の前で待機している侍女やメイドたちがオロオロしているけれど、それは無視。

 わたしのための、わたしだけの演劇を邪魔しないで。と、言い聞かせてあるのだから。


「本当に気が利かないわね、お姉様。早く靴を選んでよ」


 元平民のクラリッサはバルドー伯爵家に引き取られてから、何かを埋め合わせるかのように散財している。この靴たちもその一つ。

 あまり贅沢をしすぎると、バルドー家の財政が傾いてしまうから、控えめにしてほしいところではある。

 貴族は確かにお金持ちだけれど、私財を除けば、領民から預かった税金だもの。


 そう、大事な大事な税金なのよ。

 正しく使うことができなければ、ひとつの村が地図から消えてしまうこともある。


 そんなことを考えながら、クラリッサにこき使われる姉を誠心誠意演じていると。

 ドン! と。

 クラリッサの細い足がわたしの肩を強く蹴った。


「あ、痛っ……」

「ふふっ、ごめんなさい? 足置きかと思っちゃった」


 クラリッサがクスクス笑っている。

 社交界では天使だなんて呼ばれているくせに、家の中では悪魔だなんて。

 そんなところが完璧! 最高の悪役令嬢なの!

 わたしの婚約者である顔だけ男を、見事に奪い取ってくれたときは、心の底から湧いたのよ!


 ——でも、今のはいけないわ。


 だって、そうでしょう?

 舞台上の演者は、節度を守って立ち回るもの。


 わたしを蹴るのはいいわ。許容範囲内よ(侍女やメイドたちが、物凄い顔でクラリッサを睨んでいるけど)。

 でも!

 足を晒して蹴るなんて、いけない。そんなの、淑女じゃない。解釈違いよ。


 だって、はしたないじゃない。悪役令嬢は、もっと高貴であるべきよ。

 こんなの、わたしの悪役令嬢(クラリッサ)じゃないわ!


 ああ、どうしよう泣きたい。

 でも泣かない。代わりに奥歯を噛んで、声を殺して。クラリッサの裏切りにじっと耐える。

 大丈夫、耐えることなら慣れている。こんなこと、もう何度もあったでしょ?

 ほんの些細なすれ違い。

 思惑(シナリオ)通りにならないことに耐えるなんて、日常茶飯事だ。


 でも、そうやって許したままでいいの?

 わたしは本当に、心の底からこの状況を楽しんでいるんだっけ?


 肩を震わせて開いてはいけない扉を開くまいと耐えていると、だ。

 部屋の扉がギィ、と開いた。


「我が家の可愛い天使よ! 今夜の舞踏会用の靴を持ってきたよ。特注だ。間に合ったかな、クラリッサ?」

「お父様、ありがとう。素敵な靴ね。愛しているわ!」


 扉を開けて入ってきたお父様に、クラリッサが飛びついた。

 すると、お父様が抱えていた舞踏会用の靴がぽろりと落ちて、床の上で跳ねた。


 ああ、あの靴は……。


 落ちた靴を見て、わたしは途端に虚しくなった。

 今までの熱狂が。愛憎スペクタル系恋愛劇を演じることへの情熱が、突然、冷めてしまったかのよう。


 わたし、どうかしてしまったの?

 深呼吸をひとつして、落ちた靴を見つめる。


 クラリッサがわたしに屈辱を与えたくて、無駄に靴を選ばせるのは、別にいい。

 お父様がクラリッサに愛を示したくて靴を買ってくるのも、別にいい。


 ——でも、今のはいけないわ。


 だって、そうでしょう?

 わたしの悪役令嬢が履く靴は、どこにでも売っているような靴じゃいけない。

 例えば、高位貴族御用達のサロン・ディデュエの靴くらいじゃないとダメじゃない!


 領民から預かった大事な大事な税金を横領して私腹を肥やしているような人が。

 助けを求める村をお金を惜しんで見殺しにした人が(わたしが帳簿の記帳に関わる前だけれど)。

 一体、なにをケチっているのだか。


 無気力に立ち尽くすわたしに、お父様が冷たく言った。


「エレノア、舞踏会で嫁ぎ先を見つけろ。器量が悪くても、若い女なら貰い手はいる」

「そうだわ、ヴァルモンド公爵に声をかけなさいよ、お姉様」


 クラリッサが閃いたとばかりに目を輝かせた。

 その顔はすぐに意地悪く微笑んで、わたし好みの悪役令嬢の顔になる。


「お姉様は、冷酷な公爵にボロボロにされるのがお似合いよ!」


 けれど、わたしの胸には、何も響きはしなかった。

 クラリッサの甘ったるだけのキーキー声が、わたしの耳を右から左に抜けてゆく。

 お父様の冷めた視線くらいじゃ、わたしの中で燃え上がった怒りを鎮めることなんてできない。


 これまで、腐っても血の繋がった家族なのだし。と、罪を見て見ぬフリをしてきたけれど、もう、無理。

 思い返せば、父に愛された記憶なんてないし(見窄らしいわたしを放置するような男だし)、クラリッサに至っては言わずもがな。


 わたしはたった今、悪役令嬢(わたしの推し)と家族を失ったのだ(見限った、とも言うけれど)。


 その喪失感が復讐心に変わるのは、別におかしな話ではないでしょう?



 * * *



 王城の天空殿と呼ばれる宮殿の広間で行う舞踏会は、まばゆい光に満ち溢れていた。

 ガラス張りの天井から差し込む月の光と、シャンデリアの輝き。

 大理石の床を照らす数多の光の下で、貴族たちが華やかに踊っている。


「……どうやって、あの人たちを嵌めればいいのかしら」


 壁の花として影に溶け込むわたしは、ひっそりとため息を吐いた。

 誰も彼も、地味で見窄らしいドレスのわたしから視線を逸らす。

 まるで、ここに、存在しないかのよう。


 わかってる。ボロ切れみたいなドレスを着るような令嬢になんて、誰も話しかけてこないってことは。

 今まではそれでもよかった(だって、社交なんてわずらわしい)。

 けれど、クラリッサやお父様——いえ、父に復讐するのだと決めたから。

 協力者がほしいところなのに。


 わたしはもう一度ため息を吐いて、顔を上げた。

 その視線の先。そこには、クラリッサがギルバート様と仲睦まじく踊る姿があった。


 ギルバート・オルブリック様。

 オルブリック子爵家の次男で、わたしの元婚約者。

 美しい金髪に、青い瞳が輝く容姿端麗なだけの顔だけ男。

 わたしが長女で、ギルバート様が次男じゃなければ、決して婚約などしなかった。


 わたしを虐げ、貶めることに命をかけているらしいクラリッサのお陰で、ギルバート(もう様付けしなくていいわね)とは無事、婚約破棄できたのは僥倖だった。


 本当に、そういうところは信頼できる良い悪役令嬢だったのにね。


 クラリッサはその愛らしい容姿と振る舞いで、会場中の視線と称賛を浴びている。

 隣では、容姿だけは本当に素晴らしいギルバートが寄り添って、まるで恋愛劇の一幕を観ているかのよう。

 いつもの癖で、うっとりと目を細めたところに。


「お姉様、そんなドレスで恥ずかしくないの?」


 と。クラリッサの微笑みに紛れた鋭い嘲笑が突き刺さった。

 ギルバートもクスクス笑いながら、クラリッサに愛を囁いている。


「クラリッサ、僕の愛しいお姫様。そんな女に構うことなどないよ」


 きっと。復讐を誓う前のわたしなら、妹に婚約者を奪われた出来損ないの姉を演じるのだ、と意気込んで、涙をうっすら浮かべて俯くことくらいできただろう。

 でも、もう、そんなこと。わたしにはできなかった。


 冷めた目で二人をギロリと睨み(完全に無意識だった)、わたしからクラリッサに乗り換えた事実を暴露してやろうと口を開きかけた——その時だった。


 急に会場が静まり、カツ、カツと重い足音が広間に響く。

 さっきまでくるくる踊っていた貴族たちが、顔を引き攣らせて静かに割れてゆく。


 ヴァルモンド公爵だ。

 ルーカス・ヴァルモンド公爵が天空殿の広間に到着したのだ。


「……なんて、きれい」


 公爵の姿と目を見たわたしは、思わず呟いていた。

 浅黒い肌と黒い髪。左頬に走る深い傷跡に、黒い軍服に包まれた長身。

 威厳に満ちた灰色の鋭い視線が、広間を舐める。


 ヴァルモンド公爵は、誰もが震える恐ろしい容姿と、冷酷な雰囲気を持つ男だった。

 公爵という身分でありながら、魔境から押し寄せる魔物から王国を守るために剣を振るう英雄なのだけれど。

 クラリッサがわたしへの嫌がらせとして公爵の名前を出す程度には、良い噂を聞かない人。

 事実、何人もの貴族がヴァルモンド公爵と関わって——社交界から消えている。


 関わらない方がいい。

 そう思っているのに、わたしは公爵を避けるどころか見惚れていた。

 だからだろうか。貴族たちが公爵に怯えて目を逸らす中、彼の視線がわたしにピタリと止まり、近づいてくる。


「名は?」


 地を這う冷気のように低い声だった。けれど落ち着いた声だ。


 嘘でしょ。どうして、わたし?

 混乱する一方で、わたしは頭の端の方をぐるぐると勢いよく回して考える。

 クラリッサを相手にしている時よりも、心臓が激しくドキドキしている。

 公爵が歩みを進めるたび、周囲のざわめきが遠ざかり、わたしの心臓の音だけが身体の中で強く強く響く。


「耐えることに慣れている目だ。……だが、君の本質は真逆だろう?」


 ヴァルモンド公爵がわたしの前で、そう囁いた。公爵の瞳には、嘲笑も憐れみも浮かんでいない。

 ただ、わたしを。わたしだけを真っ直ぐ見つめている。

 心臓が、頭の芯が、強く熱く燃えている。

 まるで、初恋のよう。


「君は、何を壊したい?」


 まるで悪魔の甘言。わたしにとっては、天使の囁き。

 わたしが壊したいのは、復讐したいのは——クラリッサと父。ついでにギルバートにも痛い目にあってほしい。


 声に出さずに視線で伝える。どうやら公爵には、うまく伝わったようだった。

 薄く笑った公爵の端正な顔に、わたしは息を呑む。


 なんて、なんて、なんて!

 王国中の全ての恋愛劇に出てくるヒーローの頂点に立つ役者のような神々しさ!

 冷酷なヒーローと思わせておいて、実は不器用で心優しい自己表現力が乏しいヒーローそのもの!


 顔の傷がなんだっていうの。

 ヴァルモンド公爵の本質は、その外見じゃない。

 こんなにもわかりやすくて簡単なのに、公爵を避けて視線を外す貴族たちには、どうしてそれがわからないの?

 もっと演劇を観るべきじゃない?


 心の中で憤慨して、現実的には放心していると。

 公爵がその逞しく美しい造形の完璧な腕と手を、わたしにそっと差し伸べた。 


「君の名は?」

「……エレノア・バルドーです、ヴァルモンド公爵様」


 震える声で答えると、公爵の傷だらけの顔が柔らかく微笑んだ。

 やめて!

 甘々感動系からドロドロ愛憎悲劇系まで、恋愛劇を満遍なく嗜む面食いのわたしには、その男らしくも美しい顔の微笑みが非常に、非常に効くんです!


「ルーカスでいい。エレノア嬢、私と踊ってほしい」


 わたしは自分の復讐心や打算や計算を放り出して(放り出してないけど)、公爵のつよつよ顔面にハートを撃ち抜かれてしまった、というわけ。

 だから差し出された手に縋りつくように(だって、膝の力が抜けてしまったのだもの……)、公爵の申し出を受け入れたのだった。



 * * *



 ルーカス様とのダンスは、まるで夢のようだった。

 わたしの腰に触れた手は頼もしく、合わせた手は柔らかく握られていた。


 なんてパーフェクトなリード!

 もしかして、スパダリ系ヒーローの要素も持ち合わせているってこと!?


 ああ、心臓が痛い。顔面が熱い。

 わたしは……わたしは恋愛劇の主役(ヒロイン)になんてならなくていいのに。

 こんなの、勘違いしてしまいそう。


 シャンデリアの光の下、音楽に合わせて踏むステップが、心臓の音と響き合う。


「どうして、あんな冴えない女がヴァルモンド公爵と?」


 ギルバートの歪んだ声が聞こえた。ふと見ると、彼の隣には、エメラルドの瞳を驚きで揺らしたクラリッサの姿。

 二人の冷たい視線によって、わたしの胸の内で燃え上がりかけていた恋の炎は、見事に鎮火した。


 ギャップ系ヒーローとの溺愛系恋愛劇の世界観に浸って、浮かれている場合じゃない。

 わたしがここにいるのは、わたしの復讐に力を貸してくれる人を探すため。


 ルーカス様なら、身分的も権力的にも、申し分ない。

 わたしはこれからルーカス様の権威を借りて、立派な悪役令嬢になるのだから。


 そうして、貴族たちの視線を一身に浴びたわたしは、堂々と顔を上げて踊り切った。






 ダンスが終わった後。

 わたしはルーカス様に誘われて、バルコニーへ出た。

 月光が大理石の手すりを淡く照らし、夜風が頬と髪を撫でてゆく。


 久し振りのダンスで息が上がるわたしの腰を、ルーカス様の逞しい腕が支えていた。けれど、決して寄りかからずに、ルーカス様を見上げる。

 と、月下で鋭く光る灰色の瞳と目が合った。

 腰を支える優しい腕とは真逆の、冷酷な公爵そのもの。


 何を考えているのか、まるでわからない。

 けれど、滲み出る優しさを隠しきれていない。

 だからこそ、魅力的。

 冷酷なヒーローが、実は優しさを秘めている。なんて、最高でしょう。


 わたしはその優しさを利用して、クラリッサや父、ギルバートに復讐するのだけれど。


「——エレノア嬢、単刀直入に言おう。私はバルドー伯爵家が持つテレネア街道の利権を握りたい」


 まあ! なんて素敵な提案!

 わたしから切り出さなくても良いなんて。話が早くて助かるわ。


 思わず手を叩きそうになったのを、意志と筋肉の力で止めたわたしは、少しだけ視線を下方向へ落として返す。


「テレネア街道……隣国との交易街道ですね。街道近くには貴石が取れるビスマス鉱山もあります。父は決して手放しはしないでしょう」

「バルドー伯爵とギルバート卿の不正取引の証拠を持っている。クラリッサ嬢も不正に関わっているようだ」


 わたしは、ハッと息を呑んだ。


 まずい。

 バルドー伯爵家と関わりのない第三者(ルーカス様)が、不正の証拠を押さえてしまったのは、非常にまずい。

 

 これは、不正の公表待ったナシってこと?

 わたしの復讐はどうなるの?

 部外者に横取りされて、台無しにされて、不完全燃焼だなんて、嘘でしょ?


 バルドー伯爵領の帳簿をつけろ、と父に押し付けられてから、いつか暴露してやろうと思ってコツコツ集めてきた証拠が流出でもしたの?

 まさかルーカス様は、独自のルートで調べたってこと?

 父とギルバートがお粗末な取引をして不正がバレたって話?

 それとも、脇の甘いクラリッサから漏れたとか?


 でも、ルーカス様がわたしに声をかけてきたということは、まだわたしが介入できる余地があるはず。


「家族が不正取引を行っているなど、君にはショックなことだろう。だが、私はどうしてもテレネア街道の管理権を手に入れたいのだ」


 あら。わたしが黙り込んでしまったから、気遣ってくれたのかしら。

 そんなの、必要ないのに。ショックだって、受けていない。

 だってわたしは、不正取引がされていることを知っているのだし。


 これで、ルーカス様がわたしに同情しているようだ、ということがわかったから。

 この同情心を上手く使えば、たとえバルドー伯爵家が取り潰されても、わたしだけはルーカス様の庇護の元、貴族らしい生活をさせて貰えるんだろう。


 でも、そんな平穏。

 復讐に燃えるわたしが、受け入れるとでも?

 わたしは端役(モブ)の人生を捨てて、悪役令嬢になる女よ。


 わたしは、深呼吸をひとつ。息を吐いて、それから慎重に吸い込んだ。


「ルーカス様、その不正取引の証拠……わたしが押さえているものと同じものか、確認させていただいてもよろしいでしょうか」


 そう告げた時のルーカス様の表情といったら。

 陰謀渦巻く恋愛劇のヒーローとしては、ちょっと解釈違いな残念な表情ではあったけれど、ルーカス・ヴァルモンド公爵としてなら、とても人間味があって優しくて、ちょっと泣きたくなってしまうような反応と表情だった。



 * * *



 舞踏会の後、わたしはバルドー伯爵邸には帰らなかった。


 今はヴァルモンド公爵家にお世話になっているわたしは、公爵家の侍女の手によって磨かれ、どんなドレスでも着こなせるようになっていた。

 それこそ、高位貴族御用達のサロン・ディデュエのドレスと靴とアクセサリーをも。

 今日の装いは、真っ青なドレスと控えめなアクセサリー。


 バルドー家の(婚外子の)次女に虐められ、見窄らしい格好しかできない(という役割(ロール)を受け入れていた)わたしは、もう、いない。


 着飾って宝石のように磨かれたわたしは、ルーカス様と共に王都の貴族評議会が開かれる議事堂の扉の前にいた。


 石造りの高い天井の下、燭台の炎と窓からの日差しがわたしを照らしている。

 緊張で冷たく強張ったわたしの手を、ルーカス様が優しく包み込む。


「エレノア嬢、今日でバルドー伯爵家は終わる」

「決して後悔は致しませんわ」


 テレネア街道の利権を巡り、父とギルバートが裏で密約を結んで、王家に納められるべき税を横領していた。

 クラリッサのドレスも靴も、全て、横領して得たお金から支払われている。

 妹が愛用している宝石類に至っては、不正に造られた違法品だ。


 ルーカス様が集めた証拠と、わたしが集めていた証拠を照らし合わせた結果、互いの証拠を補強するようなものになった。

 完全版というべき証拠——裏帳簿の存在と、それを裏付ける数々の証文や署名、証言が揃った、ということ。


 わたしはすべての証拠をルーカス様から受け取って、深呼吸をひとつ。

 息を深く吐き出して、それからゆっくり吸い上げる。そうしてキリリと前を向き、閉ざされた扉を睨みつける。


「ルーカス様、妹……クラリッサもこの中に?」

「ああ。バルドー伯爵家の今後に関わることだから、と彼女も評議会に出席するよう要請したから、間違いない」

「ありがとうございます。……では、参りましょう」






 ルーカス様が押し開けた議事堂の扉をくぐって、わたしは証言台まで堂々と進んでゆく。

 議席に座る貴族たちの視線が集まり、どよめきが響いてうわんと鳴る。


「あれはバルドー伯爵家のエレノア嬢? なんて美しい……」

「まるで別人じゃないか。クラリッサ嬢は天使のようだが、姉の方は磨けば光る原石だったということか」


 貴族たちの驚きと感嘆で議事堂が揺れる中、クラリッサと父、それからギルバートだけが議席で顔を歪めていた。

 これからわたしが何をするのかわからなくて不安……というわけじゃないだろう。

 わたしが煌びやかに着飾って、肌も髪も磨いて美しい佇まいであらわれたのが、気に食わないだけ。


 ああ、もっと早く見限ってしまえばよかった。

 ドロドロ愛憎スペクタル系恋愛劇のような家庭環境を供給してくれるから、つい、浸ってしまった。

 ただの現実逃避だったのに、ね。


 わたしはひとりで証言台に立つと、証拠品が入った紙封筒を高く掲げた。


「バルドー伯爵とギルバート卿、並びにバルドー家次女クラリッサの不正取引の証拠をお持ちいたしました。彼らはテレネア街道並びにビスマス鉱山の利権を私物化し、王家を裏切ったのです」


 そう訴えた声が震えなかったことに、自分でも驚いた。こんなに大きな声を出したのは久しぶりなのに。

 わたしは貴族評議会へ帳簿を引き渡し、証言台の上でジッと待つ。


 心臓が痛いくらいに高鳴っている。

 これは、家族を裏切ったからじゃない。

 彼らの不正を暴いてやった、という興奮からくるもの。


「なんてことだ……バルドー伯爵とギルバート卿が?」

「クラリッサ嬢も関わっているなんて……そんなの嘘だろう?」


 わたしから帳簿を受け取った貴族が証拠の確認を進めるたび、驚愕で顔が引き攣ってゆく。


「違う、偽物だ! わ、私が不正など……!」


 父の叫びは、貴族のどよめきにかき消された。


「信じられない……社交界の天使と称されるクラリッサ嬢が、奴隷を酷使して違法な鉱山採掘を……!?」

「これを読んでみろ、ギルバート卿はビスマス鉱山から採掘した鉱石を使って、宝飾品にかかる税を誤魔化しているぞ!」

「……まさか、クラリッサ嬢が身につけているドレスや宝飾品は、違法な品なのでは?」


 疑いの眼差しを向けられたクラリッサが、青褪めた顔で叫び出す。


「わ、わた、私の宝石たちは全部全部、私のものよ! どうして王室に収めなくちゃならないの!?」

「く、クラリッサ、落ち着くんだ……! ち、違う……僕は……僕は彼女に脅されて協力を……」

「脅してなんかいないじゃない! あんなの可愛いおねだりでしょ!?」


 クラリッサの形相は、怒気を孕んで真っ赤に染まっている。

 目も眉も唇も吊り上がり、愛らしかった顔はぐちゃぐちゃだ。

 クラリッサが天使だなんて、一体、誰が言い出したのかしら。

 今のクラリッサを見ても同じことが言えるなら、その人を讃えたいくらい。


 すると、その時だった。

 カンカンカンと木槌を打ち付ける甲高い音が、議事堂内に鳴り響いた。

 証拠品として提出した帳簿や証文の確認が終わったようだった。


「静粛に、静粛に! 貴族評議会は、エレノア嬢が提出した証拠が本物であることを認める」

「証文に書かれた署名は、バルドー伯爵およびギルバート・オルブリック卿の筆跡であることを重ねて認める」

「……伯爵が王家を裏切った! 国を、国民を、裏切ったぞ!」


 貴族たちの怒号が響き合う中、父がわたしに噛み付く勢いで怒鳴りはじめた。


「エレノア、なんてことをしてくれたんだ! 家名を汚す気か!?」

「もう真っ黒に汚れているでしょう。何を今更」

「あんなに……あんなにお前を愛してやったのに、恩を仇で返す気か!?」

「わたしはあなたから愛を受け取った覚えはありません。受け取っていないものを、どうやって、返せというのです」


 議事堂が非難の声で埋め尽くされてゆく。

 貴族たちが、クラリッサと父だった人、それからギルバートを糾弾し、衛兵が三人を取り囲む。

 父は悔しそうに膝をつき、ギルバートは唇を噛み締めたまま項垂れている。

 クラリッサに至っては、髪が乱れることも厭わずに、身につけた宝石たちを必死に抱えて歯を剥き出しにしていた。


 バルドー伯爵家の名は地に落ちて、テレネア街道やビスマス鉱山がもたらす富は王国のために正しく使われることだろう。



 * * *



 バルドー伯爵家は、わたしの思惑(シナリオ)通りに崩壊した。

 脱税の罪を犯したクラリッサ、父、ギルバートの三人は、北の果てにある監獄島へ送られた。


 クラリッサは、そもそも貴族籍に入っていないのに社交界で大きな顔をしていた非常識な女として、嘲笑の対象に変わった。

 父は、貴族評議会の審判によって爵位を剥奪され、バルドー家の当主となったわたしが貴族籍から抜いてあげた。

 ギルバートは、オルブリック子爵家から除籍され、罪を償って監獄島から戻っても平民としての暮らしが待っている。


 宙に浮いた伯爵位は、王家に返上しようとした(家族の罪を知りながら、長い間、告発しなかったのだし)。

 けれど、ルーカス様が女子相続人としてわたしに爵位を継がせ、将来の夫に継承させる道を開いてくれたから。

 だから、わたしは今でも貴族として社交界に留まることが許されている。


「見て、エレノア様よ。今日も本当に美しいわ……。あなた、評議会でのエレノア様の武勇伝を知っていて?」

「もちろんよ! 夫が議会に出ていたの。エレノア様は貴族として正しいことをなされたと、誉めていたわ」


 王城の庭で開かれたお茶会。

 爽やかな陽の光が青いドレスを照らし、結い上げた銀髪を風が撫でてゆく。

 わたしはエメラルドの瞳で穏やかに微笑んだ。


 貴族評議会での一件は、わたしの生活と価値観をガラリと変えた。

 相変わらずわたしはヴァルモンド公爵家にお世話になっていて、どこへ行くにもルーカス様がエスコートしてくださっている。

 バルドー家に仕えてくれていた使用人たちは、ルーカス様のご厚意でヴァルモンド公爵家に引き取っていただいた(もちろん、希望者のみだ。辞めゆく者たちには紹介状を書いて渡してある)。


 あんなにも拗らせていた愛憎スペクタル系恋愛劇への執着は消え失せた。

 まるで憑き物が落ちた様に。

 多分、わたしが悪役令嬢としてクラリッサを断罪したのが効いたのだと思う。


 わたしを縛るものは、何もない。

 心の赴くままに言葉を発し、振る舞い、そして微笑んでいる。


「エレノア嬢」


 見事な薔薇が咲く庭の片隅で、ルーカス様が微笑んでいた。

 漆黒の装いは、噂に聞く冷酷なヴァルモンド公爵そのもの。

 だけど、わたしだけが知っている。ルーカス様の灰色の瞳が、柔らかく輝くことを。

 そして、その瞳の奥に、隠しきれない正義心が燃えていることを。


「君は見事にバルドー伯爵家を破滅させ、君自身の評判さえも変えた。……君にまだ話していなかった私の動機を話しておこう」


 ルーカス様の声が低く響いた。

 あら、珍しい。少し緊張されている。

 わたしに配慮する必要なんてないのに、なんて優しい人。

 だから、ルーカス様を安心させるように微笑み返す。


「ルーカス様。今更わたしが動揺するようなことなど、ありません」

「……君があの家でどのように扱われているか知った上で、君を利用するために近づいた、と言っても?」

「ええ、もちろん」

「そうか。……君は強いな」


 ルーカス様がひとつ息を吐き出して、そうしてわたしを真っ直ぐ見つめた。


「君の父親だった男の不正取引が、ある小さな村を貧困に陥れた。テレネア街道沿いの村でね、私が幼い頃、剣術と狩猟の修行をするために身を寄せていた村だった」

「その村は、どうなったのです」


 聞き返したわたしの声は震えていた。

 その村のことは、聞かなくても知っている。父だった男が支援金を出すことを惜しんだために滅びた村だ。


 それでもわたしは、ルーカス様の話を聞く義務がある。

 罪と汚職に塗れたあの男の娘として。


「貧困に陥った村は飢え、地図の上から消えてしまった。私は今でもあの時の無力感を忘れられない。だから私は貴族社会の腐敗を暴くことを誓ったのだ」

「…………っ」

「君が協力してくれて、本当に助かった。君がいなければ、私は私の醜い復讐心を暴走させていただろう」

「ルーカス様……」


 どんな言葉をかければいいのかわからなかった。

 だからルーカス様の手を握りしめる。

 すると、ルーカス様が微笑んだ。灰色の瞳が柔らかく輝いている。

 ああ、なんて綺麗な……正義の光。

 わたしの運命の転換点となった舞踏会の夜に見た、社交界で一番美しい光。


「エレノア嬢、どうか私と共に新しい未来を築いてくれないか」


 沈黙していたはずの胸中の炎が、ぱちりと爆ぜる音がする。

 消え去ったはずの、陰謀渦巻くドロドロ愛憎スペクタル系恋愛劇への渇望が、じわりじわりと染み出してくる。


 評議会での断罪は、本当に本当に……気持ちよかった——。

 ルーカス様と共に、貴族社会の腐敗を暴く——なんて甘美な響きでしょう。

 

「ルーカス様。あなたとならば、どこへでも」


 暖かな日差しがわたしたちを祝福するように包み込み、吹き抜ける風が新しい未来を囁いていた。



【了】



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