4.邪魔者は眠らせて
あの顔合わせの日以来、ハールモントはヴィードクロゼス伯爵家からの糾弾がいつ来るかと戦々恐々としていた。だがそれは杞憂に終わった。後日正式にわび状が届いた。しかも、もし気を悪くされていないのなら是非縁談を進めたいと書き添えられていた。
半信半疑のまま、ハールモントは再び両親とともにヴィードクロゼス伯爵家を訪れた。伯爵夫妻はハールモントたちに対し正式に謝罪してくれた。
そして謝罪が済んだ後、ハールモントは再びエルアイネアと二人きりで話す機会を与えられた。場所は前回と同じく、伯爵邸の中庭に設えられたガゼボのテーブルだ。
「先日は妹が大変失礼しました。わたしからも改めて謝罪を申し上げます」
「そんな、もう充分です。確かに妹君のふるまいには問題がありましたが、それを受けた私もよくありませんでした。私の方こそ申し訳ない限りです」
「いいえ、あの子にはいい薬になりました。ハールモント様には感謝しているくらいなのです」
ハールモントはいぶかしげな顔をした。通常なら喧嘩両成敗となるような状況だ。それを上位貴族である伯爵家の方から一方的に謝罪をしてくるというのは不自然に感じられた。
そんな疑念を察したのか、エルアイネアは観念したように語り始めた。
「実は……お恥ずかしい話ですが、妹にはほとほと手を焼いていたのです。あの子は根は素直で優しい子なのですが、どうにも人当たりが強くて問題を起こしがちなのです。わたしが18歳にもなって独り身でいるのは、妹と婚約者がうまくいかないということもありまして……」
そこまで言うとエルアイネアは恥ずかし気に顔を伏せてしまった。ハールモントとしてはようやく納得がいった。
エルアイネアが18歳にもなっても婚約者を持たずにいるのは妹の存在のせいだったのだ。そして子爵家の四男に縁談が回ってきたのは、問題が起きたときに事を収めやすくするための選択だったのだろう。
「でも、ハールモント様はあの子を実に鮮やかに眠らせてくださいました。あの子にもいい薬になったことでしょう」
「あの後、マティリース嬢は大丈夫だったのでしょうか?
「心底悔しそうに『とてもいい眠りだったわ』と言っていました」
少々変則的なかけ方だったが、『ゆるやかなゆりかご』はちゃんと快眠を提供できたようだ。そのことにひとまずほっとした。
「ただ……あの子は一度や二度で懲りたりはしません。ことあるごとに文句をつけにやってくるでしょう」
「それは……少し困りますね」
「今までの縁談に応じてくれた殿方は、妹の厳しい態度に耐えられずに去ってしまいました。でもハールモント様なら大丈夫です。あの子が邪魔をしに来たら眠らせてしまってください」
「来るたびに眠らせるだなんて、そんなことが許されるのですか?」
「そのために契約書をご用意いたしました」
エルアイネアは契約書を取り出した。正式な書式のものだ。細かな条件について書かれているが、ざっと目を通した感じ、内容は単純だ。
場所、時を問わず、妹マティリースに対し、ハールモントが魔法で眠らせることを許可する、という内容だ。
こんなものまで用意しているとは、妹には本当に手を焼いていたのだろう。ハールモントとしては驚くばかりだった。
「こちらの要求ばかりを一方的に押しつけてしまって申し訳ありません。でも、どうか助けると思って、この縁談を続けてはいただけないでしょうか?」
エルアイネアは潤む瞳で両手を合わせてて懇願してきた。
常識的に考えればこんなおかしな縁談からは距離を置くべきだ。何度も姉の婚約を邪魔しようとしてくる妹。それを強くは止めない両親と姉。魔法で眠らせることを許可するという契約も常軌を逸している。
だがハールモントは拒めなかった。彼は出会った時からエルアイネアに惹かれていた。既に恋に落ちてきた。このまま婚約者になれば、彼女を伴侶とすることができる。その誘惑に勝てなかった。
そもそもこんなにも可憐で美しい令嬢から、こんな風に頼まれて断れる男がいるだろうか。いるはずがない。ハールモントはそう思った。
「ええ、私でよければお力になります。それにこの縁談は私にとっても素晴らしい良縁だと思っています。ぜひとも続けさせていただきたいです!」
「ありがとうございます、ハールモント様!」
ハールモントは契約書にサインした。
そうして二人の婚約生活が始まった。
ハールモントは平日は王都の貸家から魔法省に通っている。ヴィードクロゼス伯爵家は王都内にタウンハウスを有しており、エルアイネアは普段はそこで過ごしている。
だから遠距離恋愛になることはなかった。平日でも時間が合えば王都内の喫茶店やレストランで会った。休日には観劇や美術館の鑑賞や街の散策に繰り出した。
成人した貴族の婚約者としてはありふれた健全な付き合いだった。
ただ、一つだけ違うことがある。妹のマティリースが乱入してくるのである。
「こんな昼間っからだらしない顔をして、まったく仕方のない婚約者ですね! こんな人を将来『お義兄様』と呼ばなくてはならないなんて、まったくやりきれませんわ!」
ハールモントも慣れたもので、彼女の姿を見たらすぐに『ゆるやかなゆりかご』で快眠を提供した。
本来は即効性のある魔法ではないのだが、マティリース相手には慣れてきた。回数を重ねるごとに短時間で眠らせることができるようになってきた。
マティリースが眠気でフラフラしだすと、どこからともなく二人組のメイドがやってくる。そして快眠に浸る彼女を速やかに連れ去っていくのである。
場所によっては周囲から奇異の目を集めることもある。しかし王都内を巡回する騎士たちに見とがめられたことはない。どうやらヴィードクロゼス伯爵家で手をまわしているようだ。
その場に居合わせた者に詰問されたこともあった。だがそうした者も伯爵家の名を出せばすぐに手を引いた。
エルアイネアと会うときに、ほぼ毎回このやりとりが繰り返される。これは明らかに異常なことだった。
まず、伯爵家側の対応がおかしい。婚約者との付き合いを邪魔する妹を、なぜ伯爵家は自由にさせているのか。普通なら叱責したうえで、それでも言うことを聞かなければ軟禁くらいはしているはずだ。しかしマティリースは毎回やってくるし、おつきのメイドも必ず現れる。これは伯爵家がマティリースを自由にさせているということを意味する。
そしてマティリース自体もおかしい。彼女は何の対策もしていない。『ゆるやかなゆりかご』は優れた魔法ではあるが、あくまで生活用の快眠魔法だ。戦闘用の『眠りの魔法』のように相手の耐性を貫くことを前提としていない。睡眠耐性の護符でがっちり防御を固めれば、防ぐことは難しくない。
しかしマティリースは毎回無防備で突っかかってくる。これではまるで眠らせてくれと言っているようなものだ。
いろいろと疑問は尽きなかったが、問うことは躊躇われた。明らかな異常に対し、貴族の家が目を瞑る。そうしたことは家の事情に絡んだ複雑な理由でることが少なくない。まだ婚約という状態でそこに踏み込むのは躊躇われた。
「お見事です、ハールモント様。鮮やかな魔法はいつも惚れ惚れしてしてしまいます!」
『ゆるやかなゆりかご』を使うとエルアイネアがほめてくれる。心底しあわせそうな笑顔でほめてくれるのだ。
下手に踏み込んで彼女を失いたくなかった。マティリースのことは結婚してから対応しよう……そんな風に問題を先送りにしてきた。
そうして一年間の婚約期間でハールモントとエルアイネアは仲を深め、そして結婚した。
結婚式の後、初夜のベッド。そこで花嫁が望んだのは子作りではなく、快眠の魔法『ゆるやかなゆりかご』だったのだ。