3.縁談で眠らせて
「当家には不眠症に悩んでいる者がいました。貴方の開発した魔道具『穏やかなる子守歌』のおかげで、その症状がだいぶ和らいだのです。伯爵家の令嬢として、感謝申し上げます」
エルアイネアはまっすぐに礼を述べてきた。
『穏やかなる子守歌』の開発は魔法省に入るための方策だった。生産は魔道具の業者に渡した。それによって日々の睡眠が改善されたとか、不眠症が治ったという話も聞いていた。でもそれで心を動かされたことはなかった。魔道具の業者の手柄で、自分は間接的に関わっただけに過ぎないと考えていた。
だからこんな風に、実際に感謝を述べられたことはなかった。ハールモントは胸がいっぱいになった。なんだか涙が出そうだ。
「も、もったいないお言葉です。私はただ基礎設計をしただけで、製品として完成度を高めたのは魔道具の業者の功績です」
「業者の方々にも正式にお礼を申し上げました。ですが彼らは口々に、ハールモント様の研究なくしてこの製品はできなかったとおっしゃっていました。実はこの縁談をとりもったのも、直接お礼を言いたかったということもあるのです。どうかわたしの感謝の言葉を受け取ってはいただけないでしょうか……?」
ハールモントは子爵家の四男で、魔法省の下っ端役人に過ぎない。伯爵令嬢からこんなに感謝されるのは気後れするものがあった。
それでもこんなにまっすぐに向けられた謝意を受け取らないのは間違っている。それは礼儀以前の問題だ。
「はい、お受け取りします。私の研究がお役に立てたというのなら、これほどうれしいことはありません!」
そう答えると、エルアイネアは顔をほころばせた。華やかでかわいらしい微笑みに、ハールモントの心臓は高鳴った。まるで夢の中のように幸せな時間だった。
「『眠りの魔法』の研究について、ぜひお話を聞きたいです。お話いただけますか?」
「はい、よろこんで!」
そしてハールモントは学生時代から続く研究について語り始めた。
エルアイネアは聞き上手だった。楽しい話には笑い、悲しい話には目を伏せた。こちらの話には適度に相槌を打ち、時には質問をかけてきた。その語り口は柔らかで丁寧なものだった。
高位の貴族令嬢は気位が高く、話しづらい相手だと思い込んでした。しかしエルアイネアにそういったところはまるでなかった。だからハールモントは最初の緊張はどこへやら、すっかりリラックスして話すことができた。
彼女のいろいろな顔を見たい。彼女の声をもっと聴きたい。そう考えるとどんどん話が弾んだ。
つい先ほどまでこんな人との縁談なんて夢みたいで信じられなかった。しかし次第にその思いは変わっていった。この女性を伴侶にできたら、どれだけ幸せなことだろう。そう考えるようになってきた。
「お姉様の婚約者が決まったと思ったら、こんな貧相な男だったなんて! まったく信じられませんわ!」
話に夢中になっていると、突然そんな不躾な言葉を投げかけられた。
目を向けると、そこには一人の令嬢が腕組みして仁王立ちしていた。
二つに編み込まれた金髪。やや吊り目がちの薄紅の瞳。その顔立ちはどことなくエルアイネアに似ているところがあるが、受ける印象はまるで異なる。エルアイネアを温和とするなら、その少女は勝気と言ったところだ。
「マティリース、お客様に失礼ですよ! 申し訳ありません、ハールモント様。こちらはわたしの妹、マティリースです」
「ふん! こんな男にわざわざ紹介なんて必要ないわ!」
とりなそうとするエルアイネアに対し、闖入してきた令嬢――マティリースは叱責の言葉を受けても悪びれた様子もない。ハールモントはいきなりの無作法に驚くばかりだった。
そんな彼をじろりと睨むと再びマティリースは厳しい口調で糾弾してきた。
「ふん! さっきから様子を見ていれば鼻の下を長くして、だらしないったらありません! こんな方が伯爵家に入ってくるなんて認められませんわ!」
その指摘を受けてハールモントは思わず口元を押さえた。エルアイネアと話すのは楽しすぎた。表情が緩んでいたと言われたらそうかもしれないと思ったのだ。
「こんな頼りなくて女性と縁のなさそうな男が、あの『穏やかなる子守歌』を作ったなんて思えませんわ! きっとどこかの魔道具技師から金に物を言わせて権利を買い取っただけに決まっていますわ!」
マティリースの言葉に圧倒されていたハールモントだが、さすがにこの言葉だけは聞き逃せなかった。
『眠りの魔法』の研究で魔法省に入ることができた。その研究から作り上げた魔道具でエルアイネアという素晴らしい令嬢との縁ができた。
ハールモントは争いを好まない性質だったが、それでも何も言い返さずにはいられなかった。
「どうか今の言葉はお取消しください。『穏やかなる子守歌』を作り上げたのが魔道具業者の技師たちであることは認めます。しかしその理論を確立し試作品を提供したのは間違いなく私です」
「あら? 頼りないと思っていたけれど、自分の仕事を疑われて怒るくらいの気概はあったのですね。でも言葉だけならなんとでも言えます。本当に自分が優れた研究者だと主張するのなら、実力をみせてみなさい」
「『眠りの魔法』に関する講義でもすればいいのですか?」
「そんなまどろっこしいことは必要ありません。今、この場で! このわたしに『眠りの魔法』をかけてごらんなさい! わたしを見事眠らせることができたら、あなたのことを認めてあげてもよくってよ!」
安い挑発だ。乗るべきではないとわかっている。だがハールモントも男として譲れないものがある。自分が積み上げてきた技術を疑われ、後に引くことなどできなかった。
どちらを止めるべきかとオロオロとするエルアイネアを手で制しつつ、ハールモントは席から立った。
テーブルから離れ、広々とした中庭でマティリースと対峙する。
彼女は腰に手をあて胸を張り、不敵な笑みを浮かべている。どこからでもかかってこいと言わんばかりの姿だった。
しかし魔力探知で探った限りでは魔法的な防御は何もない。
ハールモントの快眠魔法『ゆるやかなゆりかご』は無理やり相手を眠らせる攻撃的なものではない。癒しを願う者の眠りを助ける魔法だ。相手が抵抗の意思を示しているこの状況下で、その効果を最大限に発揮するのは難しい。
通常の『眠りの魔法』なら通用するだろう。だが強制的に眠らされたあとの目覚めは最悪だ。それではマティリースは納得しないだろう。
それでもハールモントは優れた研究者だ。こうした状況で『ゆるやかなゆりかご』を使う手立ても考えていた。
「ちょっと失礼します」
そう言うなりハールモントはずいずいとマティリースの元へと歩み寄った。訝し気にこちらを見るマティリースにあと一歩という距離に至ったところで、突如、その眼前で手を打ち鳴らした。いわゆる猫だましだ。
「な!?」
猫だましなどこの王国では平民の子供がいたずらでやるようなものだ。貴族のやることではない。
いきなりの無作法にマティリースは困惑と怒りがないまぜになった表情を見せた。それこそがハールモントの狙いだった。眠りに抗う以外のことに気を向かせるのが目的だった。
そのわずかな隙にマティリースの魔力に同調し、一呼吸の間にその魔力の状態を睡眠時の状態に変える。
「!?」
マティリースは戸惑いの表情を浮かべた。意識ははっきりしているのに、体に纏う魔力は睡眠時と同じ。意識と体の感覚が一致しない違和感は独特なものだ。通常はこの違和感を生じないように時間をかけるが、この状況でやむを得ない。
そのまま魔力にのせて眠気を流し込む。その流れに若干の抵抗を感じる。マティリースが眠るまいとしているからだろう。あるいは眠気に対して何らかの耐性があるのかもしれない。
だが関係ない。睡眠欲は人間の三大欲求のひとつに数え上げられるものだ。人間は眠気には抗えない。不眠症という病気もあるが、その原因の多くはなんらかの理由で眠気が十分に発生しないことだ。眠気そのものに抵抗できる人間など存在しない。それがハールモントの持論だ。
少しずつ送り込まれる眠気に抗しきれず、マティリースはふらつき始めた。よろめきながら自らの足でテーブルの席の一つに就く。
最初こそ不意を突いたが、眠気の注入は相手の状態を見ながら慎重かつ丁寧に行った。大きな眠気を一気に送れば人は気絶するように眠る。だがそれは眠りの質を下げることになる。眠気の段階的な注入こそが『ゆるやかなゆりかご』の根幹だ。
椅子に座ったマティリースは、何度か目を開け閉じして意識を保とうとしていたようだが、それも長くは続かなかった。やがて瞳を閉じ、穏やかな寝息を立て始めた。
確かな手ごたえを感じた。間違いなくマティリースは快眠へといざなわれた。明日の目覚めは爽快なものに違いないとハールモントは確信した。
「マティリース!? あなた本当に眠ってしまったの!?」
エルアイネアの驚きに満ちた声でハールモントは我に返った。
彼女が驚くのも無理はない。いくら挑発されたからと言って、本当に伯爵令嬢に魔法をかけてしまった。しかも人前で眠るという痴態をさらさせてしまった。これは大変な無作法なことだ。
「妹が大変失礼なことをしてしまい、申し訳ありません。また後日、改めてお詫びいたします。今日のところはお引き取り願えないでしょうか」
エルアイネアにそう言われ、ハールモントは両親とともに馬車で帰りの途に就いた。
彼女は謝罪の言葉を述べていた。だが、貴族が目下の者に恥をかかされてそのままにしておくわけがない。エルアイネアが非を認めても、伯爵家として何もしないとは限らない。何か理由をつけて報復をしてくる可能性は高い。
馬車の中でハールモントは父に事のあらましを包み隠さず話して頭を下げた。
もともと子爵家四男には不相応な縁談だった。注意するように父から言われていた。それなのにプライドにこだわり失敗してしまった。
「ハールモントよ、非は伯爵家の妹君にある。お前は何も悪くない。家のことは私たちに任せなさい」
父は許してくれた。ハールモントは自分のことを、誰からも顧みられないあぶれ者と思っていた。だが両親はちゃんと自分のことを見てくれていたのだ。
だがそれに甘えてばかりはいられなかった。もし家が追い詰められれば、自分の首を差し出すしかない。ハールモントはそんな悲痛な決意を固めていた。