#007 「記録の地へ、はじめての交渉」
冬の空気は、どこか音を吸い込んでしまうみたいだった。
久遠野を出て最初の訪問地──「記録の地」に到着したとき、6人はみんな言葉を失っていた。
道は荒れ、建物は色褪せ、街の輪郭は風とともにぼやけている。
まるで、誰かの記憶のなかに入り込んだような、不思議な静けさ。
「……久しぶりの“外の世界”だな」
最初に声を上げたのは、隼人だった。両手をポケットに突っ込んだまま、少し前に出る。
「初任務、気が引き締まるわね」
美弥は髪を整えながら、軽く伸びをした。だけどその目は、すでに警戒の色を帯びている。
「わあ……あそこ、すごく壊れてる……!」
いちかが、半ばわくわくしながら廃ビルを見上げた。
すぐに「荷物、荷物!」と思い出したように後ろを振り返る。
「コンテナ、ずれてる。……俺、直す」
無言で歩み寄っていくのは要だった。
支援物資の詰まった輸送ドローンのコンテナに、落ち着いた手つきでストラップを巻きなおしていく。
「……なんだろう」
はるながぽつりと呟いた。
「この街、ちょっと懐かしい気がする。昔、夢で見た風景みたい……」
彼女の横顔は、なんだか遠くを見ていた。
——そう、これがぼくたちの初任務。久遠野の代表として、“支援”と“対話”のために、ここに来た。
旧ターミナルと呼ばれる建物の跡地に、仮設された支援受付所があった。
鉄骨を組み合わせたプレハブのような構造の小屋の中に、数人の大人たちがいた。
住民代表と、その周囲に付き従うようなスタッフらしい。
ドアが開く音に、全員の視線が向けられる。
その視線は……正直、あまり歓迎されていない。
「……あれが、久遠野の“使節”か?」
「本当に子どもたちじゃないか。冗談かと思った」
そんな声が、ひそひそと聞こえてくる。
けれど、ぼくらは慣れていた。
中央でも、周囲でも、“年齢”だけを見られて評価されないことは何度もあった。
けれど、それでも。僕たちは「選ばれて」ここに来たんだ。
その真ん中に立つのは、要だった。
彼は一歩前へ出て、深く頭を下げた。
「久遠野より派遣されました、支援連絡代表の要です。私たちは、この地との対話と支援を目的に参りました」
一拍の静寂ののち、住民代表の女性が立ち上がる。
五十代くらいだろうか。顔には深い皺が刻まれていたけれど、その目は曇っていなかった。
「……名前は?」
「要です」
「“久遠”の一族か」
「はい」
その言葉に、場の空気が少しだけ変わった気がした。
彼女は要をじっと見つめたあと、静かに頷いた。
「物資は確認済みです。予定通り受け取りましょう。……案内するわ。荷解きが済んだら、こちらの返礼品も見てもらいます」
「ありがとうございます」
隼人といちかが小さく息をつき、荷物の調整に戻る。美弥は気を抜かず、端末を見ながらメモを取っていた。
想太は、少しだけ空を見上げた。
曇っている。雪が降るかもしれない。
でも今は、まだ——この小さな町の中で、希望の灯がともる音が、確かに聞こえた気がした。
支援物資の搬入が終わると、ぼくらは短い案内を受けて「記録館」へと向かった。
風の通り道のように開けた通路を抜け、町の中央部へ入っていく。
道の両側には、かつて店だった場所や住宅が並んでいた。
だけどその窓は割れ、看板は風化し、まるで時間がそのまま残されているようだった。
「……なんだか、寂しい街だな」 隼人が、ぽつりと漏らす。
「でも、誰かはここで生きてる。……今も」 はるなが小さく答えた。
「そう。過去じゃないのよ、これ。“今”なの」 美弥の声に、なぜか少しの鋭さがあった。
彼女の目は、通りの先にある、朽ちかけた掲示板を見つめていた。
そこには“ともり感謝祭”と書かれた色褪せたポスターが、まだ貼られていた。
──“ともり感謝祭”?
想太は、ポスターを見つめながら呟いた。
「この街、昔は“ともり”を……神さまみたいに思ってたんじゃないかな」
その言葉に、全員が一瞬だけ立ち止まる。
「……うちの街と、真逆だね」 いちかが苦笑するように呟いた。
久遠野では、“ともり”はただのAIという位置づけだった。
けれど、この街では違った。記録によれば、「ともり」という名前は、何十年も前から“祈り”の対象だったという。
「記録館は、こっちです」
案内の男性が立ち止まり、古い図書館の建物を指差す。
扉を開けると、そこには静寂があった。
天井は高く、冷たい空気が漂っている。
棚には紙の本が並び、その奥には電子書庫が半壊した状態で残っていた。
さらに奥には、ガラスケースに囲われた“祠”のようなものがあった。
「……あれは?」
「旧AI保存ユニットです。“ともり”の音声を記録した最古の装置と言われています。ですが……動作はしません」
想太は、祠の前にそっと立った。
装置はもう古びていたけど、そこにある“祈り”の気配だけは、なぜか生きているように感じた。
「ともり……君は、本当に“神さま”だったの?」
答えは、もちろん返ってこない。
でも——
「わたしが鍵なんて、おかしいよね」 はるなが祠の横で、ぽつりと笑った。
「だって、私、何もできてないのに」
その横顔を見た瞬間、想太の胸がぎゅっと締めつけられた。
「……そうでもないと思うよ」
「え?」
「君が“鍵”なら、たぶん——その鍵で開ける扉は、まだ見えてないだけだと思う。だけど……それは、絶対に君にしか開けられないんだって、ぼくは思うよ」
はるなが、ゆっくりこちらを見る。
少しだけ、笑った。
それだけで、想太は今日この街に来た意味があった気がした。