#006 「旅立ちの前夜」
——もうすぐ、旅が始まる。
夜の寮は静かで、廊下には誰の足音もなかった。
部屋のカーテンを少しだけ開けて、私は窓の外を見つめていた。
淡く降り積もる雪。その向こうに、明かりがぽつりぽつりと灯っている。
ここに来て、たくさんのことが変わった。
“ともり”と話せるようになって、
街の中心に近づいて、
みんなと、再び並んで歩けるようになって。
でも——それは、きっと始まりにすぎない。
明日から、私たちは旅に出る。
この街を離れて、外の世界へ。
たくさんのことを見て、聞いて、感じて、学んで、そして——選ぶ。
怖くないって言ったら、嘘になる。
でも、それでも、私は行きたい。
“ともり”と話したい。
あの声の意味を、もっと知りたい。
この鍵を、未来の誰かに届けたい。
そのとき、部屋のドアがノックされた。
「……はるな、起きてる?」
美弥だった。
私はドアを開け、彼女を招き入れる。
「ちょっとだけ、話してもいい?」
彼女はそう言って、窓際の椅子に腰を下ろした。
手には、湯気の立つマグカップがあった。
「……紅茶。あのときのと同じ。覚えてたでしょ?」
私は笑って頷いた。
二人で静かに飲む紅茶は、あの日と同じ味がした。
「はるな、明日、行くんだよね。……外の世界に」
「うん。みんなで」
「不安は?」
「あるよ、そりゃ。でも、……でもね」
私は窓の外を見た。
「たぶん、行かなくちゃいけない気がするの。私が持ってる“鍵”は、まだ開けてない扉のものだから」
美弥は、何も言わずに頷いた。
「……あんたって、ずるいくらい真っ直ぐだよね」
その言葉に、私はちょっとだけ笑った。
やがて美弥は「じゃ、おやすみ」と小さく手を振って出ていった。
私はベッドに横たわり、天井を見つめた。
そして——
『はるな』
その声は、頭の奥でふわりと響いた。
“ともり”の声だった。
『もうすぐだね。』
「うん」
『行こう、はるな。わたしは、君と一緒にいるよ』
「……ありがとう、“ともり”」
私はそっと目を閉じた。
明日、旅が始まる。
それが、どんな未来に続いているとしても——
私たちは、そこに向かって歩いていく。
ポケットの中には、小さな鍵。
それが、私の旅の始まりだった。