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2.ウェイマス基地(1)

 時を一日、遡ろう。

 死体だらけの砂浜で、バーツがぼやく事となったそもそもの発端とは──。


 イギリス。ウェイマス基地。

 イギリス本土の南端に位置するこの場所には米軍が簡易的に基地を構えていた。

 多くの兵士たちが慌ただしく立ち働き、活気と怒号にあふれた様子は上陸作戦への緊迫感に満ちていた。


 ここは兵士が駐屯する一画とは異なり、奥まった場所に位置する建物である。

 人の気配は少ない。


「ひらめいた。ドヴォルザークの『新世界より』のメロディで」


 一人の男が何もない虚空に向けて決め顔を作った。

 クラシック音楽のメロディに最新自作のポエムを乗せて、今から披露しようというのだ──悲しい事に、一人で。


 作者没後数十年経っている曲には著作権が発生しないから売れた時にお金の分配をめぐって争う必要がなくて都合が良いやら、しかもソレって人々にとってはすでに耳に馴染んだメロディだから受け入れられやすいやら。つまり宣伝が上手くいってポエマーとしての華々しい未来への足掛かりとなるに違いないやら。

 諸々の下らない打算を抱えた米陸軍隊員バーツ・クォークは、スゥと息を吸い込んだ。


「♪わたァ~しの股関節 ア~アァア~アア~♪ わたァ~しの股関節 アァ~アア~アアアン~♪」


 あまりの大声に、廊下の向こうから歩いてきていた見覚えある金髪の青年が、その場で硬直する。


「♪わたッ~しの股関節~ アアア~アアン~アアアン♪」


 陸軍基地廊下で高らかに歌い上げ、バーツも満足したのだろう。

 完成したポエムが彼としては最高の出来だったのかもしれない。


「股関節がどうなったか、最後まで言わないところが逆にいいでしょ。その哀しみを想像できて。匂わせるってところが私、腕の見せ所だよね」


 悦に入っていたところで、ガッと両腕を左右から拘束される。

 バーツの背後ににじり寄っていた兵士が彼の腕をひねり上げたのだ。


「不審者を確保しました」

「警備隊長に知らせよう」


「えっ、えっ?」


 左右から警備当番に抱えられ、連行のポーズ。


「ちょっ、待って。私、不審者じゃないよ。この制服見てよ。ミ・ウ・チ。助けて!」


 そこに小走りに近づいて来たのが、頼りになる弟クンであった。

 廊下の向こうで硬直していたのだが、兄の醜態に駆けつけてくれたようだ。

 表情だけはそのまま凍り付かせているのが、彼の苛立ちを表しているといえよう。


「待ってください。その不審者は僕が引き取ります」


 しかし……と、顔を見合わせる警備当番。

 身内というのは理解できるがW.W.Ⅱ(第二次世界大戦)真っ最中のこの前線基地で、みすみすこんなこんな不審者を取り逃がしては。


「やはり、上官に報告します」


 真面目に言い切った兵士の眼前に、カイの整いすぎた貌が迫る。


「叔父はほんの警務隊長ですが?」


「は?」


「ですから、僕の叔父の名はワイザー・ナイト・クォーク大尉だと申し上げているのです」


 弟の恐ろしげな笑顔に吸い込まれるように見とれているうちに、バーツの両腕は自由になっていた。

 失礼しましたと、不貞腐れたように警備兵は去っていく。


 助かったよ、カイ君と、照れた笑顔で兄が弟の手をとった。


「久しぶりぃ。一ヶ月ぶりかな、弟クン。心配してたんだよ。キミ、一人だけイギリスでの訓練コースに駆りだされるから。ほら、ヨーロッパ戦線の上陸部隊に入れられてたら大変だって思って」


「いつこちらへ? バァさん」


「ついさっき。叔父さんからの緊急呼び出しで無理矢理輸送用ヘリに乗せられてね。揺れるんだもん。酔って酔って大変。大西洋眼下に何と二回も吐いちゃった。もぅ、乗り物ってホント嫌。ホント嫌い」


「仮にも軍人なのに……」


 弟が何か言いたそうに首を振る。


 そもそもこの時代、アメリカ陸軍の仕組みは──。


 陸軍入隊後、まずは一ヶ月程度の初期訓練を行う。

 これは新兵全員が同じメニューだ。

 その後、試験と地上訓練を受け個々の適性が決められる。


 新兵メニューの内容というのは勉学と肉体鍛錬を両立させたものだ。

 午前中は気象学、航空学、機械学などの講習と口頭試問が繰り返され、午後は身体訓練を数時間。それから十キロのランニング。


 そんな過酷な日々を一年半続けるのだ。

 そうしてようやく兵士が一人出来上がる。

 さらに彼ら兄弟は経験を積んだ後、レンジャー訓練コースを受けていた。


「私、乗り物酔い酷くって。不向きったらないよ。それに、ヘリから地上にパラシュートで降下するアレ。あの訓練がどうしてもできなくて。だって、恐ろしいんだもん」


「パラシュート降下資格章はレンジャーの必須ですよ?」


 カイの言う通り、パラシュート降下は特殊部隊にとって必要不可欠な技能である。

 パラシュートを装着して輸送ヘリから地上に向かって飛び降りるというものであり、バーツのみならず恐怖と隣り合わせの訓練でもある。

 飛び降りる際に一瞬でも躊躇をみせた者には資格章は与えられないという。


「ムリだって。恐ろしいもん! いっそクビにしてほしいんだよね。叔父さんが軍人だからって勝手に将来を決められてさ。かといって自分から辞めるって言うのも怖いし。恥晒してイジメに耐えながらこんな危険な所にいるくらいなら、除隊処分受けて田舎に帰った方がずっとマシ。カイ君、一緒にポエム兄弟になろう。早く軍辞めようよ。イデッ!」


 その言葉も終わらぬうちに容赦なく膝裏を蹴られる。


「僕が辞めるわけないでしょうが。ところで今日は? 叔父さんからの召集ですが、何の用か聞いてます?」


 ブンブンと首を横に振るバーツ。まぁ、そうでしょうね……バァさんが知るわけないか。

 ごく自然に、しかし失礼な調子でカイは続けた。


「オーバーロード作戦──つまり危険な上陸作戦から外されたんですよ、僕。叔父の名前で強引に。だからか何か知りませんが、次々と厄介な仕事を押し付けられるんです」


 今回もそんな類に違いないと弟は言った。


「だからバァさん、なるべく断る方向で。いいですね、面倒な事はできるだけのらりくらりとかわしたいので」


「き、基本的に賛成だけど。それは叔父さんの前では堂々と言えないセリフだよ、カイ君」


 二人は叔父──ここウェイマス基地警務隊長の部屋の前まで来ていた。


「あくまで断る方向で」


 念押ししつつもノックするカイの手が、不意に止まる。

 彼の視線を追ってバーツも小刻みに揺らしていた足を止めた。


 廊下のすぐ向こうには、前線基地に似つかわしくないバラの花束を抱えた背の高い男が立っていたのだ。

 軍服をきちんと着た、一見好人物といった印象だが。


 ──何、あのバラのおっさん?


 声に出して言わなくて良かったと思う。


「お久しぶりですアルバート曹長」


 普段ふてぶてしい弟が、緊張した様子で敬礼したのだ。

 何となく、バーツも弟に習う。


「ねぇ、誰だれ?」


 耳打ちすると、カイにじろりと睨まれた。


「アルバート・ラスター曹長。叔父さんの有能な右腕です。叔父さんより遥かに優秀な人材ですよ」


「へぇ」


 柔和な笑顔をこちらに向け、見たところせいぜい三十歳台半ばにしか見えないのに、この弟にここまで言わしめる人物って。


「でも余裕こいてる所が少し、嫌いですね。僕は」


「珍しいね。カイ君がそんな風に人のこと言うなんて」


 そんな感想より、バーツにはどうしても気になって仕方ないことがある。


「曹長、あの……そのバラは一体なんですか? イテッ」


「やめろ、馬鹿、バァさん。喋るな」


 カイに肘打ちを喰らうバーツを見やり、アルバートは明るく笑った。

 表情が和らぐと目元に微かな皺が寄り、人懐っこくも見える。


イギリス(こっち)に来てできたガールフレンドが今日誕生日なんだ。年の数のバラを贈ろうと思って」


 アルバート、しれっと言った。


「さ、さわやかな人でしょう?」


 カイがどうしようもないフォローを入れる。

 さすがの弟クンも、アルバートのこの回答は想定していなかったようだ。


「バラって……バラって、キミ。それ、サワヤカっていうか逆に暑苦しいだけじゃ……。そもそも意味深な言い方。こっちのガールフレ……彼女でしょう! ねぇカイくん、その言い方って彼女だよね。カノジョ! コイビト!」


「ちょ、ちょっと……我を失わないでくださいよ。知らないですよ、そんなの」


「ムキーッ! 彼女って何なの? 私はこっちもどっちも彼女とかできたことないし。何なの、この人! 腹立つわぁ!」


 彼女持ちの上官に対してボソボソと不平の思いを呟いていると、再びカイに膝裏を蹴られた。


「あうんっ! 膝カックンするぅ!」


「アルバート曹長、これはバァさんです。不出来な兄で申し訳ありません」


「ばぁさん?」


「バァさんです。ザーサイと同じ発音で」


「ザ、ザーサイって何? カイ君、何て説明してるの。お兄ちゃんのこと何だと思ってるの。アデデッ!」


 また蹴られ、バーツは痛気持ちイイおかしな感覚に口を噤む。


「何て言うか……いい加減うざい兄で申し訳ありません」


「いいんだよ、カイ」


 本当にさわやかに笑って、アルバートは自ら扉を開けた。


「今日は何の用事だい。大尉に呼ばれたのかい?」


 頷くカイ。

 ついでにバーツも部屋に招き入れて、彼は首を竦めてみせた。


「大尉は今、留守なんだ。この近くに有名なパテイスリーがあってね。ケーキを買いに行くって言ってたよ」


「は、ケーキ? この時勢に?」


 一瞬、空気が殺気走ったように感じたのはカイの怒りがプチッと弾けたからか?


 それは有名な話であった。

 ワイザー・ナイト・クォーク大尉は超甘党で、勤務時間内にも関わらず有名店のケーキを食べ歩き、あるいは買いあさっていると。


「今度、叔父の罷免運動を起こしましょう」


「カイ君、何で身内に対してそんなに辛辣なの?」


 大尉の罷免はやめてくれよと、アルバートも笑う。


「カイの気持ちは分かるけどね。一年前の大規模汚職事件以来、人手が減って仕事が忙しいっていう自覚があるのかな、あの人は」


 にっこり笑顔に少々薄ら寒いものを覚えつつバーツは、アルバート、カイに続いて警務隊長の部屋に足を踏み入れた。

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