夜明けの空で(3)【完】
「ちょっとちょっと、カイ君。キミ、チョコレート星人か何か?」
「は? ちょこれーとせいじ……? は?」
カイとマリリンが顔を見合わせる。
ちらっとこちらを見やっては首を傾げたり目を伏せたり。
二人の反応がいたたまれなくて、バーツは頬を染める。
「も、もういいよ。チョコを食べ過ぎなんじゃないかって言いたくて……その、だから星人って言葉を……」
「ちょこれーとせいじん」
「ちょこれーとせいじん」
もうやめてよ、とバーツは両手で顔を覆った。
「何なの、この辱めは……。私はただ、カイ君がチョコレート食べ過ぎるからビックリしただけで」
「はい? 僕が甘党なのは知ってるでしょうが、バァさん。チョコレート星人って……聞きました、マリリン? 兄の語彙力」
「くふふっ……いけないいけない」
まだ言うか、いいかげんしつこいんだとバーツは込み上げる腹立ちに拳を震わせる。
この弟は兄をバカか何かだとしか思ってないに違いない。
「知らないよ、君が甘党なんて! 初耳だよ。だってキミ、いつも煙草吸ってたじゃないの……」
「はぁ?」
「や、だから。いつもGOLD吸って……その、ヘロイン中毒だって……」
「はぁぁ?」
何だかものすごく嫌な感じがする──と言うか、むしろバカにされてるような?
GOLD?
あきれたようにこちらを見て、それからカイはポケットからその箱を取り出した。
くしゃくしゃによれた紙箱。
すでに見慣れた感のあるGOLDというロゴ。
そう、それはヘロイン入りの煙草である。
軍を汚染する麻薬事件の重要な証拠となるはずのものだ。
「これは万一のためにと思ってとっておいた、秘蔵の一本ですよ」
「な、何が万一なの? ちょっ、やめてっ!」
無造作に一本取り出すと、カイは空いてる方の手で兄の額をガッとつかむ。
軽くつかまれただけなのに、万力のような凄まじい力だ。
「何するのっ! カイ君、やめてっ!」
抵抗する間もなかった。
GOLDを口に突っ込まれ、バーツはもがく。
何考えてんだ、放せ! 私は麻薬なんて……。
涙ぐみ、叫ぶ兄に対して容赦ない。
弟は喉の奥にまでグイグイとGOLDを押し付けてくる。
「────!」
ようやく気付いた。
「……な、なにこれ?」
「麻薬なんて吸うわけないでしょうが。この僕が」
「こ、これは……?」
甘い匂いが喉の奥まで広がってくる。
「チョコレート風味の発泡スチロール。叔父さんが開発したものです」
「チョコレート風味の発砲スチ……な、何でッ!」
こみ上げるモノをぐっとこらえ、バーツは吠える。
発泡スチロールだって? 馬鹿なんじゃないか!
確かに口に入れた一瞬、甘さは感じられるがすぐに独特の苦みとえぐみ、それから強烈な臭気が喉の奥へと押し寄せてくる。
機内であるにもかかわらずペッペッと床に唾を吐いたのも、仕方のないことだろう。
舌と喉……気持ち悪いったらない。
「どうです、酷いでしょう。実に叔父さんらしいくだらない発明です。ケーキ好きが高じて作ったらしいですよ。甘タバコという名で販売するとか言ってましたっけ。誰が買うかって話ですよね」
売れるはずがないということだけは分かる。
何せ叔父の発想は斜め上を行き過ぎていて理解が難しい。
ため息をひとつ吐いて、カイはポツリと呟いた。
「でもね、こんなものでもいつまでもチューチューと吸っていたら、チョコの風味が感じられておいしいんですよ」
「こ、これがおいしいって? 君、病気なの!?」
「病気じゃありません。甘党なだけです」
「いやいや、これはもう……」
ヒィヒィと空気を吸い込んで誤魔化してみるも、のどの奥に張り付いた発泡スチロールの独特の臭いはなかなか消えてはくれない。
「うっ、何か酔ってきた。そういえば私って乗り物弱いんだった……」
「まぁ、ものすごくおいしいってわけでもないですけどね。何せ発泡スチロールですから。バァさんの反応が普通ですよ。冷静になって考えれば、そんなものを口にするなんて正気の沙汰じゃない。僕だって本物のチョコが食べたいですよ。でもまぁ、中毒を装った方が捜査はしやすい。甘党じゃ説得力ないですし」
本物のヘロイン煙草は匂いだけでもう苦くて……と首を振る。
根っからの甘党の自分の身体は受け付けることが出来なかったのだという。
「どういうこと? 捜査って……、中毒を装うって?」
「ええ、つまりそういうことですよ」
「えっ? そういうことってどういうこと? えっ、カイ君、GOLDの捜査してたってこと?」
「だからそう言ってるでしょう。あのケーキ好きに命じられたんですよ、個人的に。麻薬の流れを追えってね。その捜査中にさらにGリストの捜索もしろなんて、無茶にもほどがある」
本当にコテンパンにしてやりたいと物騒な呟きが漏れる中、バーツは余程呆けた顔をしていたのだろう。
だからそう言ってるでしようと言われても、そんなことは聞いたことがないじゃないか。
兄の表情に気付いたのだろう。
さしものカイも顔を歪めて──これは笑っているのだろうか。
随分と意地悪な顔つきだとバーツの目には映るわけだが。
「つまり、バァさんにも理解できるように噛み砕いて説明するとですね。僕は二つの仕事を同時進行していたんです。Gリストを装い、そして別のGリストの情報を追いながら、さらに戦場で麻薬の出処を探っていた……ん、三つか?」
つまり、麻薬事件の潜入捜査ってやつですよというカイの言葉がじわじわとバーツの脳裏に浸透していく。
「じゃあカイくん、逮捕されたりはしないの!?」
「相変わらず、理解が遅い……」
呆れたようにカイがこちらを見つめる。
マリリンも軽く半眼を閉じて、完全にこちらを馬鹿にしている表情だ。
「うそっ、マリリンも知って……?」
コクリ。
車椅子の男が頷く。
「おれは色々知る立場にあるからね。怪我して軍籍もあげちゃってから、みんなおれのことはただの事務の機械のように思ってたみたい。おれの前で秘密の話をいっぱいしてた。色んな書類操作もさせられたけど、口止めされたこともないよ」
「マリリン……」
「とにかくおれは何も見ないし、何も聞かない。諾々と命令に従うだけ。そうやって今まで生き延びてきたんだ」
悪い? じっとりした瞳でこちらを見上げる。
彼の言うことが的を射ていたのと、彼が知っていたことが意外だったようで、カイも少々焦った様子。
「カイはアルバートに命じられて極秘にGリストとして戦闘に従軍してきた。さらに大尉には肉親ってことで気軽に麻薬の捜査を命じられるし。その上、今回はGリストの調査までさせられたわけ。忙しいね? 優秀な人って大変だね?」
「ええ、まぁ……」
回りくどい皮肉に多少イラッとしたのだろう。
カイのこめかみが引き攣る。
「確かに状況は最悪でしたが、おかげですべて片がつきましたよ。解明すべき点は明らかになったし、事件の首謀者は捕らえた。本物のGリストが死んでいることや、偽のGリストの話も……軍内に広まっていくでしょうね」
すべて片がついた、か……。
マリリン──いや、ギニー・リストが嘆息した。
手の中には破損したゴールドメダル。
じっと見つめるその瞳に深い悲しみが過ぎる。
「アルバートはGリストを殺したくなかっただけなんだ。兵士として使うだけ使って、それでGリストをあっさり死なせたのはアメリカ軍だもん。だからだよ……。GOLDを商品化して、その軍に復讐してやりたかっただけなのかも」
戸籍上のGリストであるマリリン。
ドイツ人の英雄・Gリスト。
彼の死後、Gリストの名を継いだカイ。それからディオン・ラスター。
すべてを操作していたのはアルバート・ラスター。
「結局、Gリストは四人居たんだ。ややこしいわけだよ」
喉のイガイガ──発泡スチロールのダメージがとれず、カイに貰ったチョコを一欠片口に放り込む。
「本当にヒドイ目にあったよ」
「僕だって今回は理不尽な思いをしましたよ」
「じやあカイくん、一緒に理不尽ナリって叫ぼうよ!」
弟がいつになく神妙な顔つきで頷いたものだから、兄の口元はほころんだ。
ああ、辛辣な弟クンと初めての共同作業。
「いくよ、せーのっ! 理不尽ナ……えっ、あっ? 何でカイ君、黙ってるの!」
「今、雲の数数えてたんで」
見下すその双眸は、間違いなくいつもの弟のもの。口元は意地悪な笑みに彩られていた。
「くも?」
窓の外が白みだしていることに、ようやく気付く。
夜が明けたのだ。
長くて理不尽な一日が終わる。
空にはもう……星は瞬いていなかった。
かくして英雄は死に給う。めでたし。完




