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夜明けの空で(2)

「アメリカに戻るんです。映画、間に合いますよ。バァさん」


 DC─3ダコタ輸送機を──多分、カイに脅されて──手配したのはマリリンであるらしい。


「アメリカは駄目。まずはイギリスの基地に帰んなきゃいけないんだよ。だっていろんなことが起こったじゃない。報告しなきゃならないでしょ。あのケーキおじさんに。あの人、ないがしろにされてるけど一応ボスなんだよ」


 ああもう、何て言ったらいいのかな。何がどうなって、どう説明したらいいのかなぁ──小さい声でブツブツ言う声が聞こえるが。


 マリリンも陰では叔父のことを「ケーキおじさん」と呼んでいるという新事実に、兄弟は苦笑いを返す。


「叔父さんをないがしろになんてしてないよ。いや、気持ちは分かるけど……分かりすぎるくらい分かるけど。だってあの人、とにかくすべてにおいて雑じゃないの。今回のこと説明したって、きっとポカーンとしちゃうよ」


「わかるよ……。あの人とにかくひどいよね。人の気持ちってやつを全然考えてくれないよね」


「そうそう。今回私なんて、呼び出されてからお前はいらないって言われたんだよ。え、何なのって感じで……」


 あれ、今さっき何か重大なことを聞いた気がしてきた。

 カイがアメリカに戻ると告げていたことを思い出す。


「アメリカに帰る……あっ、映画!」


 バーツは叫んだ。

 ようやくピンときたのだ。

 ぼんやりアイドルフィーマちゃんの初主演映画が公開になるのは、今日──もう四時間先に迫っている。

 映画を半ば諦めつつも船でノルマンディーに渡ったのは、僅か三十時間程前のことになろうか。


「長い一日だったよね……」


 言いながら胸ポケットから取り出したのはぼんやりアイドルの切り抜き。

 一番のお気に入り──トナカイのきぐるみを着た写真はカイのせいでノルマンディーの海の彼方へ消えてしまったが、実はまだ持っているのだ。

 シロクマのきぐるみを着たフィーマちゃん。死んだような目をして、虚空を見つめている。ああ、ある意味癒される。


「ホラ、カワイイでしょ。見て、見て!」


 マリリンに彼女の写真を見せるも、ものすごくさり気ない感じで無視された。


「何で? アイドル好き仲間じゃないの!」


 ええい、マリリンなんてもう知らないとばかりに今度は弟の方へ向き直る。

 ホラ! 見なよ、カイ君。


 なおもしつこくやっていると、大事な切り抜きをヒョイと取り上げられてしまう。

「僕は二次元に興味ないですから」


 案の定、ビリビリに破られたフィーマちゃん。

 二次元じゃないよ、立体の人だよ!

 懲りないバーツは、コマギレになったアイドルを床に這いつくばって拾い集める。


「でもバアさんは二次元に夢中なくらいがちょうどいいですかね。三次元の女なんかを連れてきたらイビり倒してやりますよ」


 相当歪んだ、これでも弟の愛情表現だ。


「毎日、泣き暮らすように仕向けてやります」


「キ、キミ、恐ろしいよ! でも、私だったらイジめられるの……キライじゃないの」


「……とことん変態ですね」


「あぁぁ、すっかり極Sなんだから。カイ君てば。イヤン」


 頬を染めるバーツに一瞥をくれてから、カイは実に効果的に兄を奈落の底に突き落とした。


「やっぱり駄目です。マリリンの言う通りだ。あんな奴ですが、叔父さんに報告は必要ですよ。ほら、一応ボスでしょう。ウェイマス基地に降りましょう」


「え?」


「映画どころじゃないでしょう、バァさん」


 隣りでマリリンがうんうんと頷く。

 どうやら二人共、最初からそのつもりだったようだ。


「ひどいよ! 私、ずっとずっとフィーマちゃんの映画を楽しみにしてたんだから。初主演だよ! ぼんやりアイドルが主演なんてどんな映画なのって思うじゃない。いろんな意味で楽しみなんだよ。だからどんなにつらいイジメも、フィーマちゃんのぼんやりっぷりを見習って受け流してきたんだから」


 食い下がる兄に一瞥をくれてから、弟。


「うるさいな、バァさん」


 一言、吐き捨てた。

 律儀にショックを受ける兄。


「そんなの、理不尽ナリ。それにそのあだ名はやめてってば」


「だって名前がバーツだから」


「名前がバーツだから。だからあだ名がバァさん……間違っちゃいない。いないんだけど!」


「ザーサイと同じ発音で」


「もういいよ、そのくだりは!」


 そんなことよりも、耳の奥にはっきりと残っているその言葉。


「撃たれそうになったあの時、兄さんって声が聞こえたんだけどアレ、キミでしょ。カイ君、もう一回言ってよ」


「さて、何の事だか分かりませんね。夢でも見たんでしょう」


「そんなっ! いやいやたしかに聞いたもの。本当はカイ君、お兄ちゃんのこと大好きなんでしょ。ねっ、言って見てよ。さんはいっ、おにぃちゃー……」


「黙って」


「やだもぅ。カイくん、照れ屋さんっ!」


「黙れ」


「ひいっ、恐ろしい。いいじゃないの、一回くらいお兄ちゃんって呼んでくれたって。私、あちこちでないがしろにされすぎじゃない? ねぇ、聞いて……あっ」


 抗議の声をあげかけたバーツだが、ようやく機内の端に置かれた衝立に気付いた。


「あれは……」


 心の奥に隠していた不安があっさり蘇り、バーツは衝立の向こうを覗いてみる。

 そこには寝台が置かれ、一人の兵士がベルトで固定され横たわっていた。

 灰色の髪の下から覗く額は、真っ白で生気がない。


「クロエちゃん……」


 一気に記憶が蘇ってきた。

 そうだ。私は弟とにこやかに、じゃれ合ってなんかいられないんだ。

 キィ。車椅子が彼の背後に近付いて来る。


「輸送機が揺れても落ちないように括ってるの。カイが応急手当を済ませたから、命に危険はないと思うけど。でも体内に弾丸が残ってるんだ。ここではどうしようもないから、早く基地の病院に戻って処置しないと……」


 クロエは麻薬(GOLD)事件の重要な証言者である。

 一刻を争うその搬送のため、無理を言ってこうして空軍機を借りているのだとマリリンは説明した。


「アルバート・ラスター曹長は拘束したうえで、ウェイマスに送還する手配をとったよ」


 無言でバーツは頷いた。


「……映画はあきらめるよ」


 自分は今、軍を揺るがす麻薬事件に関わっているのだ。

 この輸送機がウェイマスに着陸するなり、捜査班に身柄を拘束されることだろう。

 いや、自分はまだいい。

 チラリ。悲壮な表情で弟を見やる。


 彼は(ヤク)中で、しかもGOLDの運び屋だ。

 逮捕されるのは間違いない。

 そのあとは取り調べを受け、軍事裁判を受けることになるだろう。


 さっき、何事もなかったかのように楽しそうに兄を苛めていたのは最後のひと時を、せめていつものように過ごしたかったから?


 今、彼は窓辺のベンチに座ってチョコレートを齧っている。

 彼らしくない豪快な食べっぷりで板チョコ一枚をあっという間に食べきると、包みを破いてもう一枚。さらにもう一枚。


「……緊迫感ないなぁ」


 弟が何食わぬ顔して五枚目のチョコを齧りだしたところでバーツは一歩前に進み出た。

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