9.その違和感
ズシリと重い石を呑んだようだ。
嫌な塊が胃を圧迫する。
喉に砂が張り付いたかのように、唾をのみ込むことすら躊躇われる。全身が重かった。
偽のGリストはカイで、本物のGリストはマリリンで、もう一人のGリストはディオンで。
それを命じたのはアルバートで。
そして麻薬の利権を握っているのは他でもない、彼等の叔父。
それどころか船に爆薬を仕掛けたのだって叔父だという。
──何だろう、この違和感。
バーツはその場の者の顔を見回した。
カイ、マリリン、それからアルバート。
全員が闇と秘密を抱えている。
カイとアルバートは目が合ってもさしたる反応を示さなかったが、気弱なマリリンだけはピクリと身を震わせた。
視線が泳ぐのは他にも隠していることがあって、それが胸に引っかかっているからに違いない。
「マリリン?」
「………………」
再び強く名を呼ぶと、彼はおずおずと車椅子を前後に揺らし始める。
「か、彼に名前がなかったのは……表に出せないわけがあったからって……」
「彼って?」
「その……」
英雄・Gリストの事であろう。追求するまでもない。
チラチラとアルバートの様子を伺いながら、マリリンは小さな声を絞り出した。
「か、彼は喋り方が変だったんだ。つまり、英語がヘタってこと。もちろんちゃんと喋ってたんだよ。でもどこか違和感があって。どうしてかって言うと彼はドイツ人って……」
「Gリストがドイツ人だって?」
バーツの叫びに、カイの驚愕の声が重なった。
アメリカの英雄Gリストは、実はドイツのスパイだったという事か?
だから名前を偽装して?
バーツは頭の良い弟に問いかけるように彼を見つめる。
しかし案の定と言うべきか、カイがこちらを振り向くことはなかった。
「アルバート曹長? ドイツ人というのは事実ですか。つまりスパイだった? 敵国の人間がアメリカ軍内で英雄をやっていたなんて。あなたはそれを知って? あなたの役割は一体? 国を裏切ったのか?」
両腕をアルバートにつかまれた状態でありながら、カイの口調は厳しい。
この男が、事情を知らないはずがないのだから。
ほとんど反射的に目を逸らし、質問に無視を決め込みかけるも、結局アルバートは口元を歪めた。
いつものように笑っている……のだろうか。
「裏切ったりしていない。確かに奴の戸籍はドイツだ。本名はユーリッヒ・ベルム。だがドイツの血は半分だけ。母親はアメリカだからな。ハーフってことだよ。別に珍しくも何ともない」
「なに……」
初めての情報なのだろう。
カイが混乱を来たしているのが分かる。
バーツはそっと弟の肩に手を置いた。
「戦争が始まってからアメリカに連絡がきたんだ。こちらに亡命したいと。ナチスに席捲された祖国には絶望したと。だが奴は仮にもオリンピックドイツ代表のゴールドメダリストで、いわば国の英雄。簡単に国を出ることはできなかった。そこでぼくが考えたんだ。一旦死んだことにしてはどうかと。容易いことだ。医者を買収して、死亡診断書を書かせればいいだけだからな。そうして奴は密輸船でアメリカに来た」
澱みない口調。
嘘はついていないと分かる。
しかしながら、疑問が次々と沸き起こるのは否めない。
「ドイツを亡命したのはいいけど、何で米軍に? しかも何で英雄と呼ばれるまでになっちゃうの?」
バーツの疑問には答えず、アルバートは続ける。
黒の目は遠くを見つめるように細められていた。
「入隊は奴が希望したんだ。最初は工場勤めを紹介したんだがな。どうにも合わないとかで辞めてしまった。でも働かなきゃならない。どうせなら軍人が良いと。結局、華々しいことが好きだったって事だろうな。ぼくは反対したが、最終的には折れた。一時的に架空の籍を作って、新人兵として訓練を始めたんだが……知ってるだろう? 奴は目立った。底抜けに明るく、誰とでもすぐに打ち解ける。さらにメダルを見せまくって自慢する。結果、英雄と呼ばれるようになった」
微笑は苦笑に変わっていた。
「詳しいですね。それで? あなたはどう関わっていたのですか?」
怒りをぶつけるようなカイの口調に、アルバートは目を伏せる。
「本当に単純な話だよ。奴はぼくの従兄弟だ」
その告白に、さしたる衝撃はない。
単純な話? 確かに。すべてが単純な誤魔化しや小細工から生まれている。
本名ギニー・リストのマリリンの申し出もあり、いつしか彼は『Gリスト』の名を名乗るようになっていた。
そして従事したいくつかの軍事作戦で華々しい成功を得る。
しかし、派手な活躍は危険と背中合わせだ。
「アンツィオ上陸作戦で奴が戦死した。あとは──君の知ってる通りだよ」
彼の死亡が確認されたと同時に、アルバートは動いた。
Gリスト継承者を作ったのだ。カイと、それからディオン。
本名ギニー・リストであるマリリンに命じて書類を細かく改ざんしては誤魔化し、そしてそれを繰り返して。
マリリンが書類ミスが多かったわけではなく、次々出されるややこしい命令のつじつま合わせを一人で処理仕切れなかっただけなのだ。
「これがぼくの知ってるすべてだよ」
喋りすぎたな、とアルバートは呟く。
「この子はぼくが連行するから」
もうショットガンは下ろしていた。
アルバートがカイの背を押す。
素直に歩を進めるカイを見送りながらバーツはなおも心に残る靄に苛まれた。
アルバートの話は衝撃的だが筋が通っていて信用できる。
ならば、この違和感は何なんだ?
「ちょっと待って、カイ君。私の方を見て……」
不安が頂点に達したか、震える声。
カイが立ち止まり、こちらを振り向きかけたその時だ。
──タタタッ。
鉄板を弾くような軽快な斉射音。
不意に降り注いだそのノイズに、バーツは反射的に身を縮める。
嫌でも聞きなれたそれは、M3グリースガンの銃声に他ならない。
毎分四百発の銃弾を撒き散らすそれが、彼等の周囲を穿つ。
十数秒の間、バーツの意識は飛んでいた。