8.カイの仕事
甘い甘い香りに包まれて、こんな異国の地での死を覚悟したバーツ。
絶望と共に目を閉じる一瞬前のこと。
「カイ・クォーク、地面に両手をつけ!」
鋭い叱責と共に、バーツの首にかけられていた手が唐突に離される。
カイが舌打ちし、それでもバーツから離れて両手を高々とあげたのは、背中に銃口を突き付けられていたからだ。
バーツは目にした。
顔を歪めるカイと、彼を狙うショットガン──これはレミントン870だ。
そしてそれを持つ背の高い黒い影。
黒髪と、奥に深い影を湛えた黒い目。
口元に微かに浮かぶ笑みには、ただならぬ悲壮感すら漂っているような。
「アルバート曹長?」
叔父の部下、アルバート・ラスターだ。
フランスに来ていたのか。
何か言いかけたバーツに、彼は頷いてみせる。
「大丈夫だ。全部、知っている」
意味深……とも聞こえるその言葉。
抵抗を諦めた様子のカイの装備品を取り上げて、茂みの向こうへ放り投げる。
「うう……」
大きく息を吸って全身に酸素を送りながら、バーツはよろよろと起き上がった。
「待って。アルバート曹長がここにいるってことは、まさか叔父さんも?」
その場の全員が弾かれたように彼を顧みた。
「いや、大尉はウェイマスだ。麻薬売買の重要参考人として身柄を確保するよう、先程ぼくが要請した」
残念だが、とアルバートは唇を噛む。
「カイ・クォークもこちらで確保する。大丈夫だ。悪いようにはしないから」
油断を見付けては抵抗を試みようとするカイの腕をひねりあげて、上着の中に手をつっこむ。
すべてのポケットから何箱ものGOLDを取り出し、アルバートは苦々しげに有能な部下を睨み付けた。
「君ほどの男が、麻薬に溺れたか……」
俯いたカイの唇が微妙に歪む。
構わずアルバートは続けた。
「軍は馬鹿馬鹿しいくらいの閉鎖空間だからな。麻薬も広まりやすい。前途ある若者がこうなってしまうなんて」
嘆息して、それから彼はショットガンの引金を指先に弄ぶ。
「ま、待って……」
バーツの声は震えた。
弟が殺されてしまう! そう思ったのだ。
アルバートから殺気すら感じられないのがより不気味だ。
しかし当のカイは諦めたのか、低い笑い声を漏らす。
「僕は殺せないでしょう。アルバート曹長」
引金を弄う指が止まった。
「僕は殺せない。僕はGリストだ。その事はあなたが何より知っているはずです」
「ぎにぃりすと…………」
Gリストという名前に、いちいちマリリンが反応する。
それが自分の本名なのだから無理もないが。
「ど、どういうこと?」
バーツは声を潜めた。
この場で一番情報を得られやすそうなマリリンを見つめる。
「知らなくて良い事だよ、バーツ・クォーク」
しかし、答えたのはアルバートだった。
にっこり笑って突き放される。
しかし今回ばかりはバーツとて引き下がるわけにはいかない。
「でも! 私の弟なんだ……」
「それより君、どこまで知ってるんだい?」
「えっ……?」
上官の笑顔が急に凄みのあるものに見えてきた。
バーツは恐怖に貫かれる。
どこまで知っているのかという問いにどう答えたら良いか分からない。
それでなくとも突然の情報過多に頭は混乱を極めていた。
アルバートが信頼に足る人物かどうかも疑問だ。
でも、カイがいるのだから逃げ出すわけにもいかない。
力を失い崩れそうになる膝を何とか奮い立たせるも、新たな問いを口に出せる状況にはない。
そんな兄をチラと見やったのはカイである。
ショットガンを突きつけられていることを気にする様子もなく、意味深に小首を傾げてみせた。
「バァさん、僕が今のGリストなんですよ。ややこしくも何ともない」
「今の? 何? でも……」
ちらりと横目でマリリンを見やる。
つまり本物のGリストはマリリンで、今のGリストがカイ君? どういうことだ。
「今年の一月の終わり頃でしたか。突然、この人に呼ばれたんですよ。そして命令を受けた。Gリストになれって」
「なれ?」
「本物のGリストが多分……死んだのだと僕は解釈したんですが」
「本物のGリスト? マリリンじやなくて、英雄のGリスト……」
「そうです。つまり……」
「カイ・クォーク!」
喋りすぎの兵士に対して上官の叱責が飛ぶ。
しかしカイは止めなかった。
「二月一八日アミアン刑務所空爆、六月六日オック岬攻略──どちらもGリストを名乗った僕が従軍した作戦ですよ。Gリストを名乗って、それはもう派手にやりました……やりきりましたよ。でも──」
そこで声は力を失う。
「Gリストは僕一人じゃなかった。おかしいとは思ってた。僕が関わっていない件で、Gリストの活躍の噂はよく聞いたから。ただの英雄譚にしては情報が詳しすぎた」
Gリストの顔なんて誰も知らない。
一部ではその存在すら疑われているくらいの人間なのだから。
名乗った者勝ちといった具合に、手当たり次第に『英雄・Gリスト』をでっちあげたのだろう。
おそらく士気高揚のために。あるいは何か別の理由が?
アルバートは余裕の笑みで、カイの視線を受け流す。
「拗ねるな。小賢しい事を言ってもまだ子供だな。自棄を起こして全部ぶちまけても、得はないぞ」
声色が甘い。
脅した後、今度は宥めようと、まるで銃口の先を微調整しているかのように見える。
「小賢しいのはあなたの方だ……!」
悔し紛れにカイが呟いた。
混乱していた事態の奥行きが、少し見え始めた。
バーツは思い至る。
弟の様々な言動については実際、奇異に映っていたものだ。
彼が最新の近視矯正手術を受けたのは、英雄『Gリスト』を演じるため。
カイが新兵の時に英雄・Gリストをキャンプで見かけたというのは本当のことなのだろう。漠然とした憧れを抱くのは当然だ。
そんな中、憧憬の対象だったGリストが、我が物として突然この手に落ちてきたのだ。
命じられれば何でもやったろう。
あの日──イギリスのウェイマスで久々に再会した時も彼は偽のGリストとしてノルマンディー上陸作戦に従軍して後、帰国してすぐの出来事だったのだ。
あちこちで立つGリストの活躍の噂──そのすべてが事実であるとはいえない。
あくまで噂、なのだから。
しかし戦場にいるGリスト・カイの元に届くそれらの噂は、部隊の他の兵士達に彼に対する不審を植えつける結果を生む。
余所でGリストが活躍しているらしいぞ。
ならば、ここに居るGリストは一体何者なのか、と。
追求を受けたか、あるいはそれを恐れたためか。
元来偽者のGリストであるカイは、戦場から逃げ出したのだ。
現状、フランスとイギリスの船の往来は頻繁だ。
潜り込むことは実に容易い。
しかし彼が逃げたことにより「Gリスト行方不明」との情報が叔父の元に寄せられたわけだ。
皮肉なことに、その捜査を命じられて──自身がGリスト本人だと明らかにするわけにもいくまい──そこで戦場に逆戻りする羽目になったのだと。
ゆっくりと手繰り寄せる思考を、バーツは無意識のうち声に出していたのだろう。
不意にカイと目が合った。
こちらをじっと見つめている。
翳る青の双眸。
その奥に潜む闇をようやく見つけたが、バーツは静かに弟から視線を逸らす。
そうだったか。私の知らないところでカイ君は……。
過酷な経験に、彼がひどく傷付いているのは分かった。
──ごめん、カイ君。でも私には何もできないよ。




