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【第一部 Gリスト捜索】1.理不尽な一日が始まる

「ポエムの神、降臨したー!」


 狭い砂浜に寝そべるようにして濡れたノートを広げ、バーツ・クォークはペンを走らせた。


「…………ポエム?」


 茶色の短髪からボトボト海水を垂らし青の眼を爛々と輝かせる兄の姿に、基本的に物事に動じない弟クンが絶句した。


「クリスマスパーティに呼ばれなかった♪ 歌の練習してたのに♪ ヘイ! すっかりキョウザメ♪ 気分はチョウザメ♪ ヘイヘイ!」


「………………」


 凄まじく深い溜め息。

 無言でノートを取り上げ、執拗にページを破るカイ・クォーク。白い額が何だか青ざめている。


「やめてよやめてよ! 芸術家のネタ帳に何てことするの! それにしても人間の顔に青筋が浮いてるの、初めて見たよ。恐ろしいよ、カイ君」


「僕も初めての経験ですよ」


「あぁぁ、恐ろしい弟だよ」


 ポエマーを自称するバーツとしては、今はひたすら大事なネタ帳の切れ端を拾い集めることに専念するのみ。


「破ることないじゃないの! とにかくキミ、辛辣すぎるよ。二人でクォーク兄弟のポエム集作ろうって誘おうと思ってたのに。グリム兄弟みたいに。え、敵国の人だって? そんなのどうだっていいじゃないの。文学に国境はないんだもの。あれ、カイ君?」


 ノルマンディーの遠い沖を見やり、双眸を細めるカイ。


「邪魔しないでください。今、本気で波の数を数えてるんですから」


 え、何で突然そんな果てしないもの数えだしちゃったの? そんなに私の話、聞きたくないの?


 自問して弟を見やる。

 金髪から雫を垂らし、寒さ故か少し唇を震わせるその横顔。


 クソー、格好いいな。ムカツクな──秘かに思う。


「私はカイ君みたいに武器マニアが高じて軍に入ったっていう根っからの軍人タイプじゃないし。どっちかって言うと、むしろホラ、芸術家タイプだったりするしぃ? そう、ポエムって言うと軽く見られちゃうけど、つまり、詩の世界なんだよ!」


 本当は今すぐここから逃げ出してアメリカに帰ってしまいたい。


「聞いてるの? 私、実戦がとにかく恐ろしいんだよ!」


 ブツブツ呟く兄に、カイはさすがに無益な波から視線を逸らした。

 心底面倒臭そうに顔を顰めて。


「だからバァさん、どうして軍人に……?」


「私、本当は芸術系で身を立てたかったの。ほんとだよ。孤高の天才詩人っていわれて森の奥に住みながらも、いろんな人に面倒見てもらってちやほやされたかった。できればモテたい……」


「ああ、そうですか」


「才能がないと言うか、根気がないと言うか、今ひとつ気持ちも乗らないというか」


「じゃあ、まるっきり駄目じゃないですか。下らない事ばかり言うなら、また睫毛を抜きますよ」


「ヒィ、睫毛を……何て弟だ。Sなの? キミ、ドSなの?」


「……うざっ!」


 チラ見するカイの表情に、その瞬間、確かに殺気が走った。


「黙っててください。それでなくとも苛ついているんですから」


 海水を払うように頭を振って苛立ちを表してから、カイはポケットから濡れた煙草の箱を取り出す。


「海に落ちた時、バァさんを助けるために大事な装備品を手放したんですよ。実際、顎を砕いてしまいたいと思うくらい腹立たしい」


「あ、顎を?」


 奥歯がカタカタ震える中、バーツは気付く。

 弟クンが左手にしっかり抱えている、自身の腕ほどの長さの黒い筒──これはサブマシンガンに違いない。


「死守しましたよ。愛銃(これ)だけは」


 えらく腹に力を込めて、カイが良い笑顔を作った。


「M3グリースガン。開発したてのホヤホヤサブマシですからね。他の皆は未だにトンプソン短機関銃なんて持ってますから。未だにあの(おっも)いマシンガンを」


「……キミ、そんなに得意気なのは何故なの?」


 まずい。火を点けてしまったかもしれない。

 弟はM3を抱き締めて、それから改めて舌打ちした。


「僕のM1カービンも、ブローニング自動小銃も、秘蔵のブレン軽機関銃も全部。誰かのせいで海の底ですよ。手に入れるのに苦労したのに。どんな手を使ってかき集めたか、バァさんには分からないでしょうね。僕のような一兵士にそんな逸品が支給されるわけないですからね」


「ど、どんな手って……。何やったのよ、一体。それに武器をどんだけ持ってたの。その細い体のどこに装備してたのさ。恐ろしいよ、キミ。山程の銃器に埋もれる気?」


 僕のような一兵士、なんて心にも思っていないくせに。

 怒るかと思ったら虚ろな笑みを見せたところが、この弟の嫌なところだ。

 そういや船に乗る前、珍しくご機嫌な様子で大荷物を抱えていたっけ。

 きっと誰かを脅したり、誰かを脅迫したり、誰かを威嚇して手に入れたに違いない。


 いや、そんなことよりも!


「気になるのは何で私には武器の支給がなかったのかってことだよ! イヤになるよ。プライドがズタズタだよ」


「フフッ」


 弟の笑顔が違う種類のそれに変わった。見下ろす感じで吐き捨てる。


「バァさんに銃? 渡してやったところで、自分の足を撃ち抜く程度でしょうが」


 ひどいっ!

 バーツの目から涙がぴゅっと散った。


「キミの中で私の評価、低っ! これでも軍人だよ? それよりカイ君、煙草はやめなよ。体に毒だよ。この前まで吸ってなかったじゃない」


「船の上では我慢してたんですよ」


 飢えた子供がパンに噛り付くようにチュウチュウという音までたてて煙草を吸ううち、カイの青ざめた額に幾許かの血色が蘇る。


「ね、ねぇ、カイくん」


 甘い匂いに噎せ返るようだ。

 一度目に呼びかけた時、弟は無視。


「カイ君てば!」


 二回目でカイは面倒臭そうに新たな一本を口にした。


「何ですか。僕は忙しいんです。今、砂の数を数えてるんで」


「今度は砂なの、この浜辺で? 膨大な作業だよ! そこまで私の話を聞きたくないの? カイ君? カイ君てば……」


「だから何ですか、バァさん?」


 いつになく沈んだ兄の声に、カイが訝しげにこちらを見る。


「何かさ……」


 バーツは俯いたままチラチラと周囲に視線を走らせた。


 暗号名オマハと呼ばれるこの海岸。

 上陸成功から二日経っているとはいえ、最大の激戦地であったこの地に穿たれた傷跡は大きい。

 砂に塗れ、打ち捨てられたままの仲間たちの遺体。

 潮の満ち引きに合わせ、彼等の体やその装備品が力なく寄せては返す。


 常であれば、死者は一人とて残すことなく祖国へ返してやるのが軍の意地だ。

 それなのに、ここはまるでつい数分前まで激戦地帯だったかのような生々しさを湛えたままである。


 バーツらとは違う正規の後続部隊──こちらは内陸への進攻に補充される人員らであるが──が次々とそれらを乗り越えて上陸していく様にいたたまれなさを感じてしまうのは感傷であろうか。


「上陸開始後、僅か十分で第一波上陸部隊の七十%が死ぬか重傷を負ったそうですよ。ほとんどの兵士が船の上か海で、あるいはこの場所で……」


「そうなの……」


 弟の説明に、小さく頷くしかできない。


「でもカイ君、気が重いよね。私たち、この中から死体探しに来たんだよ」


「そうですね。そんなの見付かるわけないですよ」


 不機嫌そうに、さらに一本。

 それから弟はその場に立ち上がった。


「さあ、こんな不本意な任務はさっさと終わらせて明日には帰りましょう。バァさん」


「そ、だね。そうしよう、カイ君」


 湿った風が頬を叩く。

 長く重い一日が始まることを、バーツは微かに予感した。

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