7.裏切り
GOLDの甘い香りが今尚、鼻腔をくすぐる。
暗闇をさ迷っていた意識が、次第に現実に引き戻されていく。
硬い地面の感触を、身体の左半分に感じる。
全身が凍りそうだ。
「……う、カイく…………」
バーツは呻いた。
自分の口が、うわ言に近い無意識の動きで弟の名を口走るのを自覚する。
Gリストはマリリンで。
Gリストはカイ君で?
Gリストは……。
分からないことだらけだ。
混乱するも、一つの疑惑だけ納得を見るのを感じた。
──Gリストの死体なんて見付かるわけがない。
イギリスで任務を命じられた際、そう言い放ったカイ。
思えば不自然だった。
そこまで言い切るのは、彼はGリストが誰なのか知っていたからだ。
そしてソイツが死んでいないということも。
──初めから知って? それなのにわざわざフランスまで来た? 何故?
……麻薬のためだと、暗い所の意識が認識する。
頬に一粒、雨の雫が落ちる。
同時にバーツは目覚めた。
彼が最初に目にした現実──クロエの死体。
石を呑んだように息苦しく、胸が重い。
彼は殺された。他ならぬ、バーツの弟に。
漂うGOLDの匂い。
──ああ、吐きそうだ。
よろよろと起き上がる。
GOLDのせいで、弟は壊れたんだ。
ポカージュの向こうの人の気配に、バーツは気付いていた。
どうやら意識を失っていたのはほんの一瞬の間だけだったようだ。
車椅子の男と、金髪の青年がまだそこにいることを確認する。
つまり、麻薬の運び屋と、その黒幕だ。
「うぅ…………」
よろよろとその場に立ち上がる。
たった一人の弟だ。できれば助けてやりたい。
アメリカに連れ帰って、軍の病院──いや、しっかりした更生施設に入れてやりたい。
どうか立ち直ってほしい。それが本心。
しかし事態がもう取り返しのつかないところにまで来てしまっているのは分かっていた。
たった一人で立ち向かう愚かさも理解できる。
それでも──。
体は勝手に動いていた。
二人の死角から低い生垣を越えると、彼らが振り向く間もなく金髪の青年を後ろから羽交い絞める。
唇に挟んでいるGOLDをもぎ取ると、雨に打たれる地面に放り捨てる。
「バァさ……?」
息を呑むより先に身に染みついたものであろう反射的な動きで、バーツの腕は振り解かれていた。
次のカイの動作で肩を押さえられ、手首を捻られる。
「痛ッ! 痛ッッ!」
やや懐かしい痛みに、涙が溢れ出す。
様々な行き違い。許せない、相容れないという思い。
激しい怒りとやるせない気持ちの中、それでも弟が生きていてくれたことを嬉しいと感じるのも、また事実。
しかしカイは同じ思いを抱いてはくれなかったようだ。
「バァさん、今すぐ国に帰りなさい」
どこまでも冷たい声。
気圧されないように、バーツは相手を睨み付けて首を振る。
「いやだっ! カイ君は退いててっ。そんなことより私はマリリンに聞きたいことがあるんだ!」
「な、何? フィーマたん」
車椅子の隣りでカイがイラッとするのが分かった。
こんな時でさえも互いを呼び合うアイドル名が、限りなくウザいのだろう。
「つまり、マリリンがGリストで……理由や経緯は知らないし、どうでもいいよ。でもひとつ……これだけは知りたい。マリリン、あの時、イギリスで叔父さんに命令受けた時から私たちのこと、利用するつもりでいたの?」
「フィーマたん……」
「それから麻薬のこととか。ずっとうちの弟を利用してたの?」
だったら許さないよ!
この手に銃はない。だから、拳を握り締める。
じりじり間合いを詰め、足場を固めた。
いかに落ちこぼれの自分でも、車椅子の相手をねじ伏せるくらい容易い。
しかも当のマリリンは俯いてしまって、こちらを見ようともしない。
「こんなにこじれちゃった。おれは何もしてないのに。もぅしょうがないよ……」
ちらり──。
車椅子の男が目配せした相手はカイだ。
「でも……」
カイは僅かに、躊躇う様子を見せる。
しかし、言葉を飲み込んだ。
「なに、カイく……」
こちらに向き直る弟がただならぬ気配を醸していることに気付き、反射的に身を引きかけるバーツ。
しかし一瞬、遅かった。
毒蛇が獲物に喰いつくように、カイの両手が兄の喉に喰い込んだのだ。
「苦しっ……カイく……?」
細い腕に、これほどの力があろうとは。
心臓の鼓動が鳴るたびに、絞められた首がはち切れそうに痛む。
自身の額に異様なまでの熱を感じること数秒。
抵抗する間もなく、バーツの意識は薄れていった。
「バァさん、僕のこと……何とかしようと思ったんですか?」
「カイく……、やめて……っ」
「……無理だよ。巻き込みたくはなかったけど。でも……しょうがない」
GOLDの甘い匂い。
霞む視界いっぱいに弟の整った顔。
青の双眸が苦しげに細められる。
「ごめん、バァさん……」
「カ、イく……ん……」
中毒者は何でもする──ディオンの言葉が蘇る。
耳の奥で異様な振動を打つこれは……己の心臓の音か?
徐々にそれが間遠になっていくのを感じる。
──まさかこんな所で?
初めて分かる。
死とはこれほどまでに理不尽なものだったのだと。




