5.ギニー・リストの回想
遠くで弾けていたのは星の瞬きではない。
銃弾だ。
熱帯雨林のスコールにも似た轟音。
人の声も思考も、軍人としてのプライドすらも──すべてをかき乱し、消してしまう。
一九四三年七月三〇日──今から一年近く前のことになる。
これはシチリア島侵攻作戦の最中、ギニー・リストの身に起こった出来事だ。
※
激烈な戦闘は、死臭をその地に振り撒いていた。
「ひぃ……いぃぃ……」
マリリン──いや、当時のギニー・リストは地面に穿たれた窪みの中で震えている。
所属部隊とはぐれ、装備品も落とし、唯一持っていた軽機関銃も弾をすべて撃ち尽くしてしまっていた。
「た、助けて……」
訓練では問題ない成績を修めていた。
毎日のように急いで軍装に着替え、食事を五分で済ませ、銃を手入れして、動く的を打ち抜き、特製アスレチックを攻略、最後は十数キロに及ぶランニング──身に染み付くまで繰り返したその訓練は、しかし戦場でのたった一発の銃弾で無と化したのだった。
小柄な身体はたちまち泥にまみれた。
全身が痛くて冷たい。
気が付くと部隊の連中の姿はどこにもなく、たった一人でぬかるみの中を這っていたのだ。
こんな所で死ぬ自分の姿なんて、一週間前まで想像もしなかった。
「痛い……」
上腕の痛覚が刺激されるよりも怖いのは、下半身の感覚が消えていたことだ。
半時間程前だろうか。
すぐ足元で爆発が起こって、吹き飛ばされた。
暫くの間は激痛に耐えながらも動けていたのだが、今はもう……。
「おれはここで死ぬんだ……」
だってもう動けない。
ポケットに忍ばせていたマリア・モンテズの切り抜き写真を胸に押し当てる。
「まりあたん……」
死の直前くらい戦場の恐ろしさではなく、大好きな女優の姿を思い浮かべていたいもの。
まりあたん、まりあたんと呟きながら目を閉じると──ほら、爆音は徐々に遠のいていく。それが完全に消え去る瞬間のこと。
フワリ。
突然の浮遊感にギニー・リストは怯えた。
刹那、足に激痛が蘇る。
「しっかりしろ!」
爆音を圧倒するその声に、彼はおずおずと目を開ける。
「あきらめるな! しっかりしろ!」
「え……」
ギニー・リストの身体を抱えていたのは、一人の大柄な兵士だった。
短く刈った黒髪、紫がかった色の目は強い光を放っている。
決して整っているわけではないその顔は、自分と同じく泥に汚れていた。
「諦めたらそこで終わる。最悪の状況を、逆に味方にするんだ。いいな!」
どことなくたどたどしい英語に、ギニー・リストは僅かな違和感を覚える。
「つ、つまり、この状況は自分達もだけど、敵にとっても辛いはず……ってこと?」
恐る恐る尋ねると「は?」と顔を顰められた。
「……うん。ああ、そうだな」
適当に返事しているのがありありと分かる。
「とにかく救護班の所に連れてくからな。死ぬんじゃねぇぞ」
足場の悪い岩場を、その男はギニーを抱えて走り抜けた。
「ひぃ、ひぃぃ……」
「いちいち、ヒィヒィうるせぇよ!」
「ち、違っ……」
雑な着地のたびに顔にガンガン固いものが当たるのだ。
彼が首から提げているペンダント──金色にかがやくそれがギニー・リストの、よりによって前歯に当たるわけだ。
「痛ッ! イダイダッ!」
まったく気に留めてもらえないと悟ったのは、大概ダメージが蓄積されて後のことだった。
ギニー・リストは大人しく奥歯を噛み締めた。
前歯も然ることながら、激しい動きに舌を噛み切らないためだ。
──この人のこと、知ってるかも。
どこの部隊に所属しているまでかは知らないけど、陸軍では有名な男だ。
えっと、たしか……。
こちらの思いに気付いたように、男は足を止める。
「何だ? メダル、見るか?」
そう、ゴールドさん。
名前は忘れた。
というか、知ってる人は少ないと思う。
初対面の相手であっても自身の持つゴールドメダルを見せて自慢しまくるから「ゴールドさん」と呼ばれている人物がいることは、ギニー・リストも噂で知っていた。
オリンピックのメダリストなのだという話だ。
「触ってもいいぜ。これはな、百メートルでとったやつ。あ、水泳のな。あ、オリンピックのな!」
最後の一言は、わざわざ自慢するために付け足したような印象だ。
──こんな時に、こんな場所で、しかもこんな状況なのに自慢ですか?
口に出さないのはギニーが気弱だからに他ならない。
人の怪我などお構いなし。子供のように無邪気に笑うゴールドさんに、ギニーは一瞬だけ下半身の痛みを忘れた。
だから味方のテントが見えた時、安堵も手伝って彼はこう言ったのだ。
「助けてくれてありがとう。お礼に何でもあげる」
「本当か! じゃあ……」
本気で悩む様子を見せるゴールドさん。
「それじゃ、お前をくれ!」
「は?」
「……何でもねぇよ。悪ぃ、気にすんな」
軽口ではあるまい。
ひどく思い詰めた表情に見えたのは、気のせいだったろうか。
自分のことを「くれ」というのがどういう意味なのか、一瞬ギニー・リストは考え込んでしまった。
気にすんなと男はもう一度言ってテントに近付く。
その表情は先程のように晴れ晴れとした明るいもので、陰りは見えない。
「順番待ちかよ」
救護班のテント前には負傷した多くの兵士達が座り、あるいは寝転んでいた。
ゴールドさんは実にぞんざいにギニーを地面に下ろす。
「ちょっと吸わせてくれ」
忙しない動作でパイプに葉っぱを詰めている。
ギニー・リストですら、その葉が麻薬であることは一目で分かった。
陸軍では定期的にコカインや大麻などの麻薬が流行する。
ストレスに晒される戦地で、自己を保つために利用する者も多いとか。
吸引するよりも、煙草状にして摂取するのが一般的で、最近は紙巻き煙草の形状が流行りのようだということはギニー・リストですら聞いたことがあった。
ゴールドさんのようにパイプ式なのはきっと珍しいのだろう。
「あのぅ……」
吸い終わったら行ってしまうのではないかと思ってギニーは突如、不安に駆られた。
心細くて仕方ない。どうか行かないでほしい。
でも、自分には引き止める術も理由もない。
傍らに立つ男をちらりと見上げる。
実に優雅な体で彼は煙を吐いていた。
その視線は遠くを凝視している。
「ある意味、芸術的かもな」
ゴールドさんがボソッと呟いた。
視線を追うまでもない。
彼が見つめている爆発は、嫌でも視野で輝いている。
正確に同じ大きさで、一定の間をおいてシチリア島沿岸部に爆発が起こっていた。
味方の進軍をアシストするものであり、その炎と煙は、彼が言うように芸術的ですらあった。
「ワイザー・ナイト・クォークが仕掛けた爆弾だよ」
同僚だからよく知っている。
爆薬に関して非常に精密な技法を習得している彼は上層部にも一目置かれ、戦闘の度に特殊作戦に借り出される存在だ。
まだ若いがポストに空きさえ生じれば相当の地位を得るに相応しい人物だなんて評されているっけ。
その評価、ホントかなぁ……なんて、ギニーとしては思うわけだが。
異様に甘い物好きで大雑把。
いい加減な彼の性格はよく知っている。
冗談ではなく砂糖と火薬を間違えそうな男なのだ。
さっき自分が巻き込まれた爆発も、ひょっとしたらナイト・クォークのせいではあるまいかとすら思ってしまう。
「おい、さっさと見てやれよ!」
返り血で胸元を真っ赤に染めた衛生兵がテントから出てきたのに目を留めたゴールドさん、突然彼につかみかかった。
「こいつの足、見てみろよ! 爆発に巻き込まれたんだ。早く手当てしてやらねぇと」
重傷者から順番に見てますから、と言われてもゴールドさんは納得しない。
衛生兵の胸倉をつかんだところでギニーの隣りに蹲っていた兵士が「自分だって重傷だ」と声をあげる。
それをきっかけにその辺の負傷兵が口々に苦情を叫びだした。
パニックの一歩手前といった状態だ。
「ス、スミマセン。ゴメンナサイ」
まるで自分が騒ぎを起こした張本人のような気分になって、ギニーは激痛をこらえてひたすらブツブツと謝っていた。
「何でお前が謝んだよ!」
理不尽にも、ゴールドさんに怒鳴られたりしながら。
その時である。
「膠着状態だった戦況が好転した。大丈夫。応援が来るから夕方までにはちゃんと全員を手当てして、搬送する」
朗報を携えやって来たのはギニーの同僚であるアルバートだ。
なおも不平を述べる兵士達に声をかけて、その場を収めている。
「アルバートじゃね? 助かったよ」
意外な事にゴールドさんが声をかけると、二人は旧知の仲のように言葉を交わし始めた。
「はぐれたからヤベぇって思ってたんだ。探しにきてくれたんだな。助かったよ、アルバート」
「これで何回目だ? 戦場ではぐれるなんて最悪だな。そもそも君は所属が曖昧なんだから、味方との接触だって極力……」
「でもさっさと目立った手柄あげねぇと。認められたら、手続きとかそういうのだって……」
アルバートが生来の明るい笑顔を見せた。
「焦るな、大丈夫だ。君は星だ。ボクが輝かせてみせるさ」
「おう!」
「あ、あのぅ……」
あらためてお礼の言葉をかけようと開きかけた口を、彼はゆっくりと閉じる。
二人の間に絆を感じて、ギニーは自分でも思いがけない失望に心を苛まれるのを自覚したのだった。
※ ※ ※
イタリア本土への上陸に向けて敢行されたシチリア島上陸作戦。
通称ハスキー作戦は一九四三年の七月一〇日より行われた。
古代ローマの時代から何度となく戦乱の部隊となったこの島は、今回は連合軍が終始優位に戦いを進めることとなり、八月十一日、シチリア島の残存部隊のイタリア本土撤退をもって連合軍側の勝利が確定したのである。
戦いは八月一七日に終結し、そしてギニー・リストは己の足の自由を失った。




