4.再びフォルミニーへ
「あっ、星……」
曇の切れ間に一つ。輝いている。
手を伸ばせばこの手に届きそうなその光。
白く力強く輝く光に、精神は幾許かの安堵を覚える。
「どうせすぐに陰るよ。星見て希望を抱くなんて分不相応だよねぇ、バァさんのくせに。それとも何? 心は乙女ってやつなのかなぁ?」
「べ、別に星を見て希望なんて感じてないし。そんなの恥ずかしいし。乙女とかじゃないし。第一何で私、そこまでこけおろされなきゃならないの?」
返事はない。
相手のニヤニヤ笑いが、より悪質に映るだけだ。
クロエは自分からはあまり喋らない。
バーツとしては沈黙は苦手なのだが語彙も話題も乏しいので、この二人の会話は不意に途切れることが多い。
ザクザクと地面を踏み締める己の足音に、心が乱れる。
──Gリスト……その名が突然、強烈な違和感をもって迫っていた。
「ねぇ、クロエちゃん。Gリストって……」
語尾は震え、途中で消えた。
実は先程のこと。
沈黙に耐えかねたバーツが「その封筒何? その封筒何?」としつこく言って、クロエの上着にしがみついたのだ。
内ポケットに入れられるサイズでもないので、彼は封筒を腹のあたりに隠して上着の上から抑えていたにすぎない。
ズルリとずれて封筒の端が裾から見えたことで、意外とめざといバーツが絡みだした。
クロエとしては面倒臭くなったのだろう。
封筒の中身を取り出して持つ例のリストを見せたのだ。
「あれは公式のリストだから、間違いなく正しい情報だよねぇ。しかも最新の」
揶揄する響きは感じられるが、彼の目が真剣なのは分かる。
リストにあるこの「Gリスト」の名。ウェイマス基地所属、階級は大尉。
ここまで限定して記されているなら、基地に戻ればすぐに調べられるはずだ。
同姓同名が居たとしたら英雄と同じ名前ということでそれなりに噂になっているはずだから、これは巧妙に隠された陰謀に違いない。
船内から聞こえた「フォルミニーにGリストが現れた」という話を、あまり信用してないくせに、今こうやってはるばる確かめに行くのは二人が不安に苛まれているからに他ならない。
そう。どんなに考えても分からないことがあれば、確かめるよりほかにない。
実際に行動するしかないのだ。
だから二人は僅かな月明りと星明かりを頼りに、フォルミニーに戻ってきた。
農村を利用した友軍のキャンプ地が少し向こうに見える。
周囲は暗く、気付かれる事はないだろうが二人は身を屈めて移動する。
何せ先程、小規模とはいえ原因不明の爆発が起きたところだ。
兵士たちも用心をしているに違いない。
ツンと鼻をつく火薬の臭い。
それは否応なくディオンの死を思い出させた。
爆破されたテントの代わりの遺体安置所だろう。
草むらの向こうに、簡単に布が張られた一角が見える。
「バァさん?」
「なに?」
クロエの声はいつになく低い。
新しい遺体安置所の辺りを指差している。
様子がおかしいことに気付いて、バーツは眼鏡を押し上げて彼の視線を追った。
成程。暗がりに動く影がそこに見えるではないか。
「何あれ?」
誰ではなく何と表現したのは、影が不自然な大きさに見えたからだ。
やけに背の低い、けれど大振りな姿がぎこちない動きで簡易テントの周りを回っている。
「車椅子か?」
クロエに言われ、バーツは全身に電流が走るのを自覚した。
間違いない。
目を凝らすと月明りに浮かび上がるのは気弱そうに身を縮めた姿。
大振りの車いすに座って、足元の悪い中バランスをとるように両手をせわしなく動かして車輪を操っているのが見て取れる。
「マリリンなの……?」
ウェイマス基地に居るはずの事務員が、たった一人。こんな時間に、車椅子でこんな所に?
それは、どう考えても戦場には似つかわしくない姿だ。
「マリリン…………」
突然、思い至る。
マリリンの本名を、自分は知らない。
「いや、まさか……」
『ウェイマス基地』、『大尉』──それらの符合に合致する人物が突然目の前に現れたことに気付いたのだ。
「バァさん?」
バーツの疑惑を察知したのだろう。
クロエがその場に立ち上がった。
一歩、二歩……ゆっくりと足を踏み出してから、唐突に走り始める。
「クロエちゃん? ダメだよっ!」
細い男が車椅子に飛びかかる。
そこでようやく襲撃に気付いたのだろう。
マリリンは小さな悲鳴をあげて草むらに倒れ込んだ。
装備しているはずの銃を抜く余裕もない。
「や、やめてよ! クロエちゃんッ」
ひ弱な車椅子の男を、しかしクロエは容赦なく地面に押さえ込み細い首を両手で締め上げる。
慌てて駆け寄ったバーツが後ろから彼の肩や腕を引っ張っても、びくともしない。
できるだけ声を潜めて、バーツは抗議の声をあげた。
「クロエちゃんってば! やめてよ、死んじゃうよ!」
クロエの手が一瞬、鮮やかに翻る。
チャリン。
金属の擦れる音と共に小さなタグが彼の手の中に握られていた。
認識票である。
マリリンの身体から退いて、クロエはその金属板を食い入るように見つめている。
頼りない星明かりではぼんやりと形が見えるのみで、刻まれている文字まで判読できない。
「ク、クロエちゃん……」
バーツは携帯品の懐中電灯を点けた。
小さな光──眩く反射するその認識票に彫られていた名は──。
──ギニー・リスト。
「フィ、フィーマたん……?」
マリリンが車椅子を頼りにその場に身を起こす。
この場にバーツがいることに、さして驚いた様子もない。
「た、たしかなの?」
「なに?」
「だから、その……マリリンがGリスト……?」
困ったように表情を歪めた彼の襟首を、灰色の男の手が再びつかむ。
「ヒイッ!」
気弱なマリリンが涙を浮かべているのは分かった。
しかしバーツも今回はクロエを制止する気にはなれない。
「あんたが本物のGリストなのか!」
「ヒッ……」
カタカタ身を震わせながらも、彼は小刻みに頷いた。
「お、おれの名はギニー・リストです……」
「じゃあ、何で……」
クロエの声も震えていた。
「本物のGリストがいるなら、何でうちのディオンがあんたにならなきゃいけなかったんだよ! 何で死ななきゃいけなかっ……」
堪えていた嗚咽が漏れる。
マリリン──いや、ギニー・リストの服をつかんだまま、クロエは声を殺して泣いていた。
「クロエちゃん……」
何だろう。ものすごく嫌な予感がする。
クロエを慰めたり、マリリンを追及するより先にある疑問が。
マリリンは足が不自由だ。
基地から船に乗り、車椅子のままフランスに降り立つまでは自力でも何とか動けよう。
しかし整備されたとは言いがたい道が続くこの場所まで来るのは、一人では絶対に不可能だ。
「マリリン、いや、Gリスト? 仲間が──?」
その瞬間。
クロエがその場に崩れ落ちた。
音もなく背後をとった人物に、バーツも気付く──が、遅かった。
首筋に衝撃。
これは銃底で思い切り殴られたんだと直感する。
意識を失う寸前、傍らに立つ襲撃者の姿がぼんやりと遠くに霞んだ。
細身の身体。
金色の髪。
青の双眸。
整ったその顔立ちは冷たく、かすかに憐れみの表情が浮かんでいた。
「カイくん……?」
これは幻?
それとも私、ものすごく嫌な現実に直面している?
バーツの意識が消えうせる瞬間。
金髪の青年は口を開いた。
「ゴメン、バァさん。僕がGリストなんだ」




